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2011年08月02日

3台目の車無事納車完了。


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今日、皆さまからの募金で購入させていただいた3台目の車をお届けしてきました。


先月、支援物資を届けに女川に行ってきたときに、
1台目の車を贈らせていただいたあべさんに、
車が無くて困っている方の情報が欲しいと相談したところ、
近所にいると教えていただいた。


プライバシーに関わるので詳細は控えさせていただくけども、
とにかく大変な思いをされて現在に至るAさん。


津波の時、海の方を見ていたら大きい壁のような波が遠くに見えて、
車を捨て、小さいお子さんを抱きかかえて近くの山の斜面をよじ登って避難。

そのとき、抱きかかえていた子が、
Aさんの乗っていた車が波にのまれてプカプカ浮いている様子の一部始終を見ていた。

「車がプカプカしてるー!」

と、相当なトラウマとなっていたそうだ。


現在は、心のケアを受けて平常を取り戻している。



そんな小さな子供の心にも深く刻み込まれた津波の爪痕。


その話を聞いていたとき、胸が張り裂けそうになった。

そんな思いをした人たちに、俺に何ができるんだろう・・・



せめて、今回贈らせていただいた車で、家族みんなでドライブしたり、
新しい、楽しい思い出をいっぱい作っていただけたら本望だ。


今回お世話になったのは、1台目の車を提供してくださった、
ダイエイモータースの大熊さん


今回も、埼玉から自走して持ってきてくださいました。

相変わらず熱い男で、なんかこう・・その熱が伝わって、こっちまでインスパイアする感じ。


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今回、皆さまからの募金でホンダライフを22万円で購入させていただきました。


そして、現地で、親友ナベさんも合流。


ナベさんも、今日は普通に仕事中だったんだけども、
納車するところを一目見たいと、いったん仕事を抜けて駆けつけてくれた。

今回は来られなかったけども、後輩の石橋くんも熱い男だ。


俺の周りには、こういう熱い男たちがいて、支えてくれている。


本当に頭が下がる思い。

本当にありがとう。




さて、今日はあべさんちで車の引き渡しだったんだけども、
皆さん一家総出で心待ちにしていてくれた。




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まずは、こちらの習わしで、車を塩とお酒でお清め。


本当にうれしそうで、こっちまでうれしくなっちゃう。






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この車のメインユーザーであるご主人Aさんは、今日は仕事で会えなかったんだけども、
Aさんのご両親、奥さん、お子さんたち、みんなで記念撮影。

Aさんの奥様は、俺のBLOGを読んでくださっているそうで、
写真が紹介されることを楽しみにしてくれていた。


その後、あべさんの家に上がったら、すごいご馳走が用意されていた。


お赤飯にお魚に煮物にお刺身にエビフライに・・


なんかかえって気を遣わせてしまって恐縮してしまったんだけども、


「これが女川流のもてなしだから、残さずいっぱい食べてってけらい!」


と言われ、遠慮せずにご馳走になってきた。



Aさんもやっと、仮設住宅に入れる目処が立ったようで、
その日を待ちわびている。


どうしても話題は、地震と津波の話になるけども、
だけど、みんな前を向いて力強く進んでいる。


みんな口を揃えて言うのは、自衛隊の皆さんには本当に頭が下がると。

このエリアに来ていた自衛隊員との会話の中で、

「私たちは前に進むしかない、後退をしたら負けなんだという話があって、
その自衛隊員の言葉にどれだけ勇気づけられたか・・・」

と、目を潤ませながら話していた。



そんな話をたくさんして、あべさんちを後にした。



DSC_0141.jpg

津波で失ったものを俺がどうにかしてあげることはできない。

心に負った傷も同様だ。


だけど、せめていつか辛い記憶を塗り替えられるくらい、
いっぱい楽しい記憶をこれから作っていってほしい。


この車が、その一翼を担ってくれたらうれしいなーと思う。



皆さんの善意が、またひとつ形となりました。

本当にありがとうございます。


 
posted by わこう at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月10日

女川に行ってきました。


昨日の7/9、物資支援のために、後輩の石橋くんと2人で女川に行ってきた。

本当は、お友達のナベさんも石巻で合流する予定だったが、
仕事が目一杯入ってしまって今回は断念。

本当に残念そうだった。



6月は、本格的に仕事を再開し、
仕事の立て直しやおふくろの事ををあれこれやっているうちに、
あっという間に1ヶ月が経ってしまったので、支援はお休みしていたので、
実に一ヶ月以上ぶりの女川行きとなった。


仮設住宅への入居もだんだんと増えてきて、
支援の仕方もだいぶ変わっているので、正直浦島太郎状態。


今回は、現状把握も兼ね、いくらあっても助かるものとして、
Tシャツなどの衣類関係とお米に物資を絞った。


皆さんから募金していただいた支援金の中から、
今回の物資を調達させていただきました。

本当にありがとうございます。


お米に関しては、支援金から購入させていただいたものに加え、
社会福祉協議会から託されたものもあり、合計200キロ超を積んで出発。


また、俺とりえさん共通のお客様でもある、ノエビア化粧品のSさんから、
女性の方用に化粧品のサンプルをたくさん頂戴したので、
まずは、女川で一番大きな避難所でもある総合体育館へ。


はじめて物資支援に行ったときからご縁のあったNさんと、
久しぶりにお会いすることができ、化粧品を無事にお渡ししてきました。

大変喜んでいただきましたよ!Sさん、ありがとうございます。



その後、女川の情報を聞くならまずはあの人だと、
清水地区の阿部さんのお宅へ。


ちょうど、阿部さんの家のすぐ裏に、仮設住宅が80棟完成していて、
入居が始まっていた。

阿部さんは相変わらず、近隣の人たちにマメに声をかけ、気遣い、
分け与えて精力的に動いている。


奉仕の精神の鏡みたいな人だ。


自分の家だって津波で大変なことになったというのに、
とにかく底抜けに明るく、まわりを助けながら生きている。

すげーなーと思う。その行動力には本当に感服する。



阿部さんと話をしているうちに、

「じゃあ、お米、近所の人たちに声掛けして配ってやっから!」

という流れとなり、お米の一部を阿部さんに託してきた。



「夕方の仕事ができたぞ!わははー!」


と、うれしそうに笑っていた。


本当に頭が下がる思いだ。



その後、阿部さんのところを後にして、以前物資を届けた、
野々浜の避難所へ。


野々浜の避難所は、東北電力の寮として使っていた建物なので、
アパートのようになっていて、各家庭毎に部屋は分かれているものの、
皆さんが共同作業をして助け合いながら生活している。


その避難所で、購入した衣類と、お米をすべて受け取っていただいた。


「お米はナンボあっても助かるー!」


と、大変喜んでいただきました。



そこで今回持っていった物資はすべて無くなり、ミッションコンプリート。



今回女川に久しぶりに入って思ったのは、
仮設住宅があちこちにできているものの、けっこう勾配のきつい山の上だったり、
元の市街地から距離的に離れたところに建てているケースが多く、
自転車や徒歩でちょっと用足しに・・とはいかないようなところばかり。


やっぱり車が無くてはしんどい。


仮設住宅は、場所によってまちまちだけども、
30棟のところもあれば80棟のところもあり、
いずれにしても、各家庭に一台車を持つようになるにはまだまだ時間がかかる。

せめて、仮設住宅の集落毎に最低1台くらいは、共用できる車が欲しいところだ。

と、もし俺がそこに暮らす立場だったらそう思う。


仮設住宅は、いろんな地区からの入居なので、
そこでまた1から人間関係を作り、コミュニティを作り・・
という段階をふまなきゃいけないので、
まだ区長さんや班長さんも決まっていないところが多い。


なので、クリアしなければいけない問題もたくさんあるんだけども、
しかし、そんな中でも可能な限りできる支援を続けていきたいと思う。



そして今回、次の車を差し上げる方が見つかりそうなので、
詳細が決まり次第、またご報告します。



こうやって支援活動を続けるにあたり、いろんな意見も聞こえてくる。


偽善だろ、マスターベーションだろ、売名だろ、
自分のことすらできないのに支援活動ってか?などなど。



以前も記事に書いたけど、きっかけは平くんだった。

最初は、平くんが物資を募集していたから、それをサポートしたくて、
俺もまくろび庵に物資を募り、平くんに託そうと思った。

だけど、皆さまのご厚意の物資があまりにもたくさん集まったから、
仕分け作業が増えて逆に平くんの手を煩わせちゃいかんと思って、
平くんに指示を仰いで俺が直接持っていくことにしたのがはじまり。


現地に入って人に会えば、物資を渡してハイ、サヨナラってはいかなくなる。

やっぱりそこでも人間関係ができていく。


そして、またその人に会いたくなる。

「また来てちょうだい!」って言ってくれる。



俺なりに、俺なりのやり方で支援ができないだろうかと考える。


そして、ご賛同いただける皆さんからの、あったかい支援金が集まった。

一緒に支援活動をしてくれる仲間も集まった。



その答えが今の支援活動。



所詮俺だって偽善者だ。

しかし、俺が物資支援で初めて被災地に入る前に、
ある人のBLOGに書いてあった言葉にガツーンときた。


「やらない善よりやる偽善。」


これが、今の俺の支援活動の礎となっている。



ただ、確かに仕事や自分の生活あっての支援活動なので、
より一層ガツガツと仕事して、
仕事や自分を犠牲にしないで支援活動も続ける。

おふくろのリハビリの手伝いもしっかりやる。



いつか、被災地の人たちが普通に生活できるようになって、
たまに仙台に買い物でもしに来たときに、
ついでにウチの店によって、俺のコーヒーを飲んでいく。

わざわざ来るんじゃなくて、「ついでに」だ。


それが、俺が考える復興というか、平和の象徴。


聞こえてくるいろいろなご意見も、
今後の事を考えるいいきっかけとなった。

本当に感謝しています。


ありがとうございます。




これからも、皆さまのご支援・ご協力をお願いいたします。


そして、コーヒー豆も買ってください。



よろしくお願い申し上げます。


===================
 【支援金振込先】
 
ゆうちょ銀行 18180−2−15362301

他の金融機関から振り込む場合
 店名 八一八 店番 818  普通  1536230
ホンマ リエ
 ==================

 
posted by わこう at 14:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月06日

土曜に女川に行きます。


今、俺たちは被災地支援の活動として、


1,物資支援

過去の活動内容はこちら。


2,津波などで車を失ってしまった方に、
皆さまからの募金で車を購入し、プレゼントするプロジェクト

過去の活動内容はこちら。



3,日曜大工レベルで直せるものは、直接伺って直すプロジェクト

過去の活動内容はこちら。


の、主に3つの支援を柱に活動しています。



震災からもうすぐ4ヶ月。

はじめて支援のために被災地に入ってから、だいぶ状況も変わりました。


正直、地域によって、というか、個人レベルで状況が多様化していることに加え、
とにかく情報がありすぎで、逆にわけがわかんなくなっちゃうのが本音です。

目まぐるしく変わっていきます。


なので、どこの地域に、何を持っていけばいいのか、何をすればいいのかを、
今一度自分の目で見て確かめるために、
今度の土曜日(7/9)に、俺たちの活動の原点でもある女川に行ってきます。


本当は、皆さまからのありがたいご支援により、募金が集まったので、
車をプレゼントしたい方がいらっしゃったんだけども、
タッチの差でご自身で車を手配されたようなので、宙ぶらりんになっちゃった。

なので、物資支援をしながら、次の車をプレゼントする人を探しに行ってきます。


今回は、もう夏なので、Tシャツ等の下着類はナンボあってもいいと思うので、
皆さまからの募金の一部を、衣類を始めとした物資の購入に充てさせていただきます。



支援活動開始当初、このBLOGにも書きましたが、
支援活動は、とにかく長くコツコツと続けて行こうと考えていますので、
皆さまからの長期的ご支援をお願いしします!


支援金をご賛同いただける場合は、俺のパートナーである、
(株)YUKINEの雪音りえさんが会計・監査役なので、
雪音さんの口座へのお振り込みをお願い致します。



車の購入代金ならびに、
今後の支援活動資金のご支援をお願い致します。


先日、俺のパートナーである、(株)YUKINEの代表取締役、雪音りえさんが、
お金でご支援いただくために、口座番号を公開しました。

直接振込プロジェクトの概要記事はこちら。


===================
 【支援金振込先】
 
ゆうちょ銀行 18180−2−15362301

他の金融機関から振り込む場合
 店名 八一八 店番 818  普通  1536230
ホンマ リエ
 ==================

一口1000円で、何口でもかまいません。

また、まくろび庵の店頭にも募金箱を設置いたしました。


車の購入代金、名義変更・登録や陸送にかかる費用、
プロジェクトをにかかる材料費や経費、支援物資の購入資金などを、
支援金の中から使わせていただきます。


収支は雪音さんに管理していただいて、会計報告をいたします。


よろしくお願い申し上げます。

 
posted by わこう at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月18日

受け入れること。


あの大地震から三ヶ月が過ぎた。


街や営みは、だいぶ元通りになってきた感はあるものの、
やっぱり、震災で価値観や生活が全く変わってしまった。


特に、支援で被災地に行ったりすると、
超現実的な問題や世界観に、ガツーンとハンマーで頭を殴られたような感じだ。



さらに、放射能の影響も無視できない。

仙台も線量が高いみたいだし、健康被害も懸念される。


今、各地で子供たちに、原因不明の症状が現れているようだ。

大量の鼻血、のどの痛みや咳、だるさなどなど。



最初は他人事というか、それどころじゃないと思っていたんだけども、
俺にも同じような症状が出て、ちょっとビビッた。


突然、大量の鼻血が出たときは、やっぱり放射能かと疑ってしまった。



こう考えていくと、どこまでもネガティブな世界しかないように思える。

いや、実際そうだと思う。


次々と新たな問題が出てくる被災地。

収束しない福島第1原発。

放射能による海洋汚染も深刻だ。

そして、まだ来るかもしれない巨大地震の脅威。

冷え切った経済がさらに悪化する懸念。

バカな政治や政策。

東電の不誠実さ。




などなど、まだまだあるけど、とにかくネガティブ要素全開だ。




いやー、なんと大変な時代に入ってしまったんだろう。

そして、なんでこの時に生きているんだろう。



たくさんの人が死に、未だにたくさんの人たちが不安を抱えて生きている。

不条理な出来事がたーくさんある。




何かや誰かを憎めばいいのか。

この怒りや不安は、誰に、どこにぶつければいいのか。



と、一瞬考えてしまう。





しかし。




今、この時代に、この日本に生きていることを、まずは受け入れなきゃいけないと思う。


ある日突然、何かが一変してしまったことを、
最初はなかなか受け入れられないと思うんだけど、
だけど、受け入れて前に進むしかないと思う。


かといって、泣き寝入りしろというわけじゃない。


受け入れた上で、、次のアクションをじっくりと考え、
黙々と、粛々と準備を進め、実行する。

そして、必要なときには、大切な何かを守るために、本気で何かと戦う。



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TAOの中にも、そういったことが書いてある。



俺は幸いにして、震災前からいろんな出来事に遭遇して、
ある日突然何かが変わったり、不条理に目に遭ったり、大切な人を失ったりして、
なんというか・・心の整備はできていたというか、
今回の震災がきっかけで一変してしまった事も、受け入れられる余裕が少しある。

少しだけね。


ある日突然、交通事故にあって右足に障害を持つことになった。

その辺の記事はこちら。



走れなくなったことも受け入れた。

そのきっかけとなった出来事の記事はこちら。



火事にも遭った。火元の人は結局死んだ。

そのときの記事はこちら。



不条理な出来事で前科者にされた。(結局不起訴になったが)

その出来事はこちら。



そして、その不条理な出来事の相手さえも許した。

そのときの記事はこちら。




ある日突然、大切な親友を失った。

その記事はこちら。



そして、最近の出来事では、おふくろの突然の入院。

詳細はこちら。





こうして見てみると、本当にいろんな出来事があったなー。

そのたんびに、精神をグワングワンと揺さぶられ、落ち込み、怒り、泣き、
ぶん投げたくなった。



どんな出来事があっても、どんな不条理に遭遇しても、
結局、誰のせいにもできないし、何かがケツを拭ってくれるわけでもない。

最後の最後は、結局自分で解決していくしかないことを知った。



そして、逆に言えば、自分でどのようにもできるわけだから、
天に生かされているけれども、でも、自由だ。



大きな視点から見たら、この地球の、この日本の、この仙台という土地に、
今、この時代を生きていることも、受け入れられる。



確かに、未だ生活の目処も立たない、
すべてを失ってしまった被災者に比べたら、俺が体験してきたことなんて、
ホント、ちっぽけかもしれない。


だけど、乱暴な言い方をすれば、
一足先に、ある程度の悲しみや不条理を経験し、
消化してきたから行き着いた、俺なりの答えや考え方もある。


だから今、支援活動をする気持ちの余裕があるんだと思う。

けっこうパッツパッツだけどね。



起きてしまったことは起きてしまったわけだからしょうがない。


ドラえもんでもいれば過去に戻って何かできるかもしれないけど、
過去には戻せない。

前に進むしかないのだ。



だったら、たとえ時間がかかってもいいから、
少しずつ少しずつ、1個1個受け入れて消化して、
世の中の人々が、ポジティブに前に進めたらいいと思う。


何か直接的にできないかなーと思うけど、
まず今は、その考えをこうしてBLOGに書くことから始めようと思って書いた。





んー、勢いで書いたけど、何が言いたいか伝わるかなー。


 
posted by わこう at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

依存からの自立。

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昨日、反原発・脱原発を訴える一万人規模のデモが全国各地であったようだ。


「デモ自体」に関しては賛否両論あるようで、ネットでもいろんな解釈が見受けられる。




そういう俺だって、こうして電気を使ってパソコンを動かし、
インターネットしてブログを書いている。

悔しいけど、電気が無いと生活できない状態だ。




本当は、腹の中は、東電幹部や国に対しての怒りで煮えくりかえってる。

副社長のニヤけたツラの記者会見とか見ると、首を絞めてやりたくなる。


だけど、それはそれだ。




俺は、ずっと反原発のスタンスだったし、
今後日本の原発がすべて廃炉になればいいと思う。


やっぱりいろんな意味で原発はリスキーすぎる。


だけど、近々の日本のエネルギー事情を見ると、
残念ながら、今すぐの(ここ近年での)全廃は無理だと思う。



だから、これからは、各個人個人が、いろんなものの依存から抜けて、
自立していかなきゃないと思う。


原発が廃炉になったって、化石燃料にもっと依存しては意味がないし、
究極、電力会社から電気を買わずに済む方法を模索した方が、
よっぽど近道のような気がしている。


だから、原発全廃と同時進行で、
電力会社依存生活からの自立(独立?)を視野に入れてみたい。



本当は、電力会社だってプロバイダーみたいに何社もあって、
自分で好きな電力会社を選べるようになるといいんだけどなー。


でも、たぶん今のシステムは変わらないだろう。



だったら、将来的に、家庭用の小型ハイブリッド発電機を購入して、
小さな電力で可能な限り節制して暮らすとか、
自分のライフスタイルを変えていくしかない。


東電の体質や国の対応が変わり、原発全廃までなんて、
待っていられない。


そして、仮に全廃になったとしても、
相変わらず日本は、海外からどんどん化石燃料を輸入して、
ボンボンと資源を消費してしまったんでは意味がない。




メルトスルーが起きてしまったものはしょうがない。

我々の生活も、大きく変わってしまった。


仙台だって放射線量が高い。



なんでこんなものに生活を左右されなきゃない?


何回も書くが、俺も怒っている。
ハラワタが煮えくりかえるくらいの怒り。



収束にだってものすごい時間がかかるし、
責任追及はもちろん必要だけど、それは我々一個人がどうのこうのできる事じゃない。


だから、今すぐは無理でも、電力会社に依存しないライフスタイルに、
自分を変えていく。


こんな事故を起こし、国内はおろか世界中に迷惑をかけているにもかかわらず、
依然としてなお原発を推進しようとするアンポンタン共を変えようと思ったって、
時間、労力、その他いろんな犠牲が伴う。


絶対安全だなどと、どの口が言ってんだ?


だったらさっさと自分がシフトしちゃった方がいいんじゃないかと。



俺が予想するに、今、全国、全世界の発明家の人たちが、
代替エネルギーや家庭用の風力や太陽光発電の事を、
一生懸命考えているんじゃないかなーと思う。

現在も、家庭用の風力+太陽光のハイブリッド発電機はあるけれども、
近い将来、もっとコストがかからずに効率の高いものが、
出てくるんじゃないかと期待している。


そういった家庭用発電機って、そんなに発電量は高くない。


だけど、その限られた電力で事足りるようなライフスタイルに切り替えていく、
依存から脱却して自立していくことが必要なんじゃないかなーと、
個人的には思う。


そして、発電所で作られた電気は、主に産業用、業務用にまわす。


発電所から電気を買わないことで需要が下がって原発の存在意義も無くなり、
そしていずれ、原発に変わるエコな代替えエネルギーで日本がまかなえたら、
強くなれるんじゃないかなー。


そんな仕組みに変えていったらいいと思うな。



と、考えている。

 
 
ラベル:放射能 東電
posted by わこう at 12:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月07日

田中優さん in 相馬。


今度の月曜、6月13日、以前から反原発の立場で文筆活動をして、
著書も多数出している、田中優さんの講演会が相馬で開催される。


ほずみちゃんが書いた、今回の講演会の記事はこちら。



今回は、俺の妹分、相馬のほずみちゃんが主催側で動いている。


ちょっと田中優さんの紹介というか情報が足りないので補足すると、

1957年東京生まれ。長年、反原発運動に関わり、多数の著書を出版。
その論ずる範囲は原発問題に留まらず、平和運動にも深く関わっている。

〜中略〜

近年では六ヶ所村核燃料再処理施設の稼働反対運動に注力しており、
各地で精力的な講演を行っている。


とある。(Wikipediaより引用)


今回の福島原発事故以来、全国からの講演依頼で引っ張りだこ。

とにかく精力的に日本中を駆け回っている。


そんな中、田中優さんが仙台で講演会を行ったときに、
ほずみちゃんが突撃で奇跡的に優さんの予定をゲット。

そして、福島で活動しているNPO、ハッピーアイランドネットワークとジョイントで、
今回の相馬講演会が実現したというわけだ。


俺も撮影班スタッフとして参加しまーす。



優さんの講演は、長年反原発として活動してきた膨大な情報の中から、
今回の放射能事故の現状、危険性、
そしてその事実とどう向き合っていけばいいのか、
など、映像を通してわかりやすく説明してくれる上、
未来へのライフスタイルや自然エネルギーを提案してくれるという、
なかなか中身濃い内容となっている。


入場無料なので、福島県のみに限らず、近県の皆さんも、
ぜひお越しください。


以下ほずみちゃんのブログからの抜粋

---------------------------------

復興支援NGOとして福島の復興に力を注いでくださっている
三線アーティスト・南ぬ風人まーちゃんの歌とともに、

福島に、相馬に、勇気と元気と希望を運ぶ大イベントです


先着300名限定

平日ですが、お勤め帰りに参加していただけるように、
夜18:30からの開催です。


被災地に住む私たちだからこそ、知らなければならないことがあります

皆様お誘い合わせのうえ、ご来場ください。



〜今こそ、日本再生☆ 優ちゃんまーちゃんツアー第2弾!〜

『心ひとつに、希望の未来を切り開こう』
〜希望の未来を切り開こう〜

講演:田中優
唄:南ぬ風人まーちゃんうーぽー


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

入場無料 全席自由席
予約は要りません、そのまま会場へお越しください
※込み合う場合は先着順となります


<<相馬講演>>
 
【日時】 6月13日(月) 開場18:00 開演18:30〜21:00

【場所】 ウェディングパーク 相馬フローラ 
〒976-0036 福島県相馬市馬場野字福迫391−2 0244−36−4888
http://www.mwed.jp/hall/10091.html

【定員】 300人限定 ※カンパをお願いできましたら幸いです。

【参加費】 入場無料 是非お誘いの上ご参加ください♪

【問合せ】 0244−35−0042 
       napiahouse@yahoo.co.jp
              なぴあはうす(担当 サカイホズミ)




よろしくお願いしまーす!

 
ラベル:ほずみちゃん
posted by わこう at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月31日

DIY Guy Project。


C360_2011-05-29 11-01-23.jpg

現在、まくろび庵は、任意ボランティア団体として活動している。

ボランティアっていう言葉には、ちょっとかゆくなるんだけども、
公に「ボランティア団体です。」って言っておくと、いろんな意味でめんどくさくないので、
個人的には葛藤はあるものの、こういうくくりにしている。

現在、まくろび庵や雪音さんの会社である(株)YUKINEでは、
物資支援のほか、皆さまから募金をしていただいた大切なお金で車を購入し、
震災で車を失った被災地の方にプレゼントするということをやっている。

1台目の記事はこちら。

2台目の記事はこちら。


プロジェクト名がなかなか決まらないんだなー。


この活動は、月に一台くらいのペースでずっと続けていきたいなーと思っている。

皆さん、今後ともご支援をよろしくお願い致します。



さて、実は、また新しいプロジェクトのアイディアを思いついちゃった。

DIY Guy Project

一言で言うと、「出張DIYボランティア」です。


先日、ある方から、台所に据え付けてあった食器棚がグラグラと不安定になって、
倒れそうで危ないので、なんとかならないだろうかと相談を受け、
出動したのが事の始まり。


このプロジェクトは、依頼主から相談を受け、プロジェクトの範疇で直せそうなレベルの、
家具や家の修理を行います。

その際にかかる材料費や移動経費などを、
皆さまの募金の中から使わせていただきたいと考えています。


いかがでしょうか。



津波で被害にあったお宅はもちろんのこと、仙台市内だけでも、
地震であっちが壊れ、こっちが壊れといろいろあると思います。

実際、俺の家も、台所の据え付けのつり棚が見事に落っこちました。

そのくらい凄い揺れだったんだよねー。


そんな地震被害の修理を、出張でいたします。


ただし!本業ではないので、あくまで日曜大工のレベルです。
そこだけ誤解の無いようお願い致します。


さて、じゃあ、俺がそれをするのかというと、違います。

俺は性格が雑なので、こういう作業は向きません。
プラモデル専門ですから。(笑)


誰がやるのかというと、



C360_2011-05-29 14-39-34.jpg

毎度おなじみ、俺の親友ナベさんです。


日曜大工っつってもナベさんは本格的。


DSCN0731.jpg
これは、ナベさんちにある、
トラックの荷台を改造して作ったコンテナハウスと、ウッドデッキ。

ぜーんぶ自分でやったんだってよ!



DSCN0736.jpg

中はこんな感じ。

カウンターから何から何まで、自分で作っちゃったツワモノです。


ご依頼内容によっては、ナベさんひとりの場合もあるし、
俺が一緒に行くときもあります。


専用の相談フォームを作ったので、まずはご相談ください。


フォームへはこちらからどうぞ。


もちろん、ボランティアで行くわけですから、無償です。

どうしても払いたいという方は、活動資金の募金という形でお願い致します。(笑)





さて、今回お邪魔したご依頼主の食器棚は、


C360_2011-05-29 11-10-24_org.jpg

こんな感じになってました。

パッと見わかりづらいけど、食器棚の下に、プラスチック製の足が付いていて、
天井までの高さを合わせるために、上げ底みたいな感じになっていた。

で、グラグラなので、壁と食器棚の間に隙間もあり、
ちょっとの振動でグラグラ揺れる。

だから、危なくて食器が入れられないという事だった。





C360_2011-05-29 11-08-57_org.jpg

写真ではちょっとわかりづらいけど足がバキバキに割れてます。

これではぐらついても当たり前。



そこでDIY Guy Projectですよ。

ナベさんと相談の上、プラスチック製の足と同じ高さに、
角材を切った台を作って、その上に食器棚を乗せることに。




C360_2011-05-29 11-02-00.jpg

ということで、早速土台作り開始。


ちなみに、ナベさんはいろんな道具を持っている。

上の写真のように、スライド丸ノコまで持っている。


チェーンソーも持っている。


すごいよー。道具。


ということで、あっという間に


C360_2011-05-29 11-24-45.jpg

土台が完成。ちなみに、4組作った。


それで、ナベさんと俺、二人がかりで食器棚を持ち上げつつ土台を入れた。



そのほかに、いろいろと対策をして、

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バッチリ完成!

壁と食器棚の隙間も、すっかり埋まってピッタリ。


ぐらつきもなくなりました。


依頼主の方は、震災以来、ずーっと食器を入れられないし、
業者さんに頼んでも、いつこれるかわからないというので・・と、
今回の作業を大変喜んでくれました。


いやー、いがったー!



と、こんな感じで始めます。DIY Guy Project。

ナイスなガイが行きますよー!(笑)


※ご依頼内容によっては、お断りする場合もありますのでご了承ください。


お問い合わせはこちらから。




DIY Guy Project、よろしくお願いしまーす!

 
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2011年05月30日

支援プロジェクト2台目納車!

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先日、石巻の牡鹿地区に住む、津波で車を流されてしまった方に、
支援プロジェクトとして車をプレゼントする予告記事を書いた。

その記事はこちら。


本日無事に納車してきましたので、そのご報告です。


過去記事にも書いたんだけども、今回は、埼玉に住む小山さんという方から、
車を無償提供していただけることになり、上の写真の通り、
ホンダライフをご提供いただきました。

小山さん、本当に本当にありがとうございます。


そして、東京の車屋さんで、りえさんのお友達の、
(株)トラストワークスの横内さんという方がこのライフを引き取り、
整備をし、車検を取り直し、仙台までの陸送や名義変更の手配をしてくださいました。

本当にお世話になりました。


そして、過去記事にも書きましたが、今回の納車までにかかった一切の費用は、
皆さまからご協力いただいた募金の中から大切に使わせていただきました。

全国の皆さん、本当に本当にありがとうございます。




さて、今日は、俺とナベさんで、車を届ける前に、
仙台市内の方から家具修理の依頼があったので作業させていただき、
それから牡鹿に向かった。


実は、この家具修理でいいことを思いついちゃったので、
新しい支援プロジェクトを立ち上げることにした。

それはまた、別記事で書きます。



さて、今回の牡鹿行きのメンバーは、



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親友ナベさん。


ナベさんは、写真の通り、
平くんが主催する活動、スコップ団にも参加しているタフガイだ。

スコップ団のサイトはこちら。(音が出ます)


さらに今日は、朝イチで、同じく平くんが組んだプロジェクト、
スマイルフォーバースディの配達員として、ケーキを引き取りに。


牡鹿に車を届けたあと、歌津までケーキを届けに。

いやー、タフだわ。




そして、

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俺の高校の後輩、石橋くん。


彼も、最近の支援活動を予知していたかのように、
震災前のある日、突然俺の店にコーヒーを飲みに来た不思議な男だ。

まさか今こうして、一緒に支援活動をする仲になるとは想像もしなかったよ。

最近一層、お坊さんのような風体になってきたなー。(笑)



そして俺という、でこぼこトリオで行ってきたわけです。



台風も近づき、あいにくの雨。


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だけども、ライフくんは心なしか輝いて見える。


新しいオーナーとの出会いにワクワクしているようだ。



この時点では、雨に濡れたものの、ピカピカのライフくんだったんだけども、
石巻港に入ったら、



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泥水の半冠水状態。

一気に汚れてしまった・・・。



まぁ、しょうがないよね。




そんなこんなで、牡鹿に到着するころには、風もだいぶ強くなって、
ちょっとだけ嵐のような感じの中、



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無事に牡鹿の大原地区に到着。


やっと、念願の納車となったわけです。




今回、皆さんからのご協力の賜であるライフくんをプレゼントしたのは、



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石森清孝さん。

今回の震災で、石森さんは家も車も流された。


石森さんは、地元の消防団に入っている上、今年の地元のお祭りの実行委員長でもあり、
常日頃から隣人を気遣い面倒見がよく、地元の人たちの信頼も厚い。


地震直後、消防団なので、堤防の水門を閉めに消防車で出動。

ところが、遠くにでっかい波が見えたので、そのまま消防車で避難した。


避難途中、お年寄りを何人か助けて消防車に乗せ、
命からがら助かったものの、家や車は流されてしまった。


以前、この大原の避難所に行ったとき、
支援プロジェクトで、車をあげたいと地元の人たちに話したところ、
区長さん始め、すべての人が、「石森くんにやってくれ」と、満場一致で決まった。

ちなみに石森さんは、
どこかに出かけるときは、どこに行くにも消防車だそうだ。(笑)


ということで、無事にライフくんを石森さんに譲渡し、





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みんなで記念撮影。


いやー、石森さん、ニコニコと満面の笑みで、本当にうれしそうでした。

プレゼントできて、本当に良かった。


皆さん、本当にありがとうございます。



その後、避難所にお邪魔して、みんなでお茶っこ飲みを。



この地区一帯は、昔から鯨の町で、とにかく鯨が根付いた文化。

いろんな鯨の食べかたの話、そして、この辺一帯に当たり前に出没する鹿の話など、
ゲラゲラ笑いながらみんなで話し合った。


いやー、区長さん始め、石森さんも他の方々も、本当に明るい。

みんな本当に大変な状況なのに、みんなで笑いながら、助け合って生活している。


この大原地区は、一次避難の段階が終わり、
二次避難として、自宅に戻ったり、この地を離れた方の後の空き家に入ったりしている。


もうすぐ、この大原地区にも仮設住宅が建つということで、
たぶん、石森さんが優先して入ることになるだろう。


石森さんは、もともと地元の水産加工場に勤務していたんだけども、
その工場も津波で無くなってしまった。

遠洋漁業や、地元を離れての仕事の話もいくつか来たらしいが、
すべて断って、地元大原の復興に全力を尽くすと言っていた。


この地区では、毎年2月11日に、新春のお祭りをしているらしいんだけども、
来年は、1ヶ月ずらして3月11日に、「復興祭」として、盛大にお祭りをする計画らしい。


初めてその話を聞いたとき、涙が出そうになったよ。



石森さん始め、この地区の人たちが、
また力強く営みを続けていくことを願わずにはいられない。



さて、この大原地区で、ナベさんとはここでお別れ。


ナベさんは、朝に受け取ったケーキを届けに、歌津町に向かった。




で、俺と石橋くんは、この支援プロジェクトで、1台目の車をプレゼントした、
女川 清水地区の阿部さんご夫婦の家に向かった。


阿部さんに車をプレゼントしたときの記事はこちら。




阿部さんちは、見事に復活していた。


で、俺と石橋くんが車から降りるなり、

「おー!わこうさんきてけだっちゃ!」

「ちょうどさっき、わこうさんの話してたばっかりだったんだー!」


と、とてもナイスなタイミングで登場したみたい。


で、「あがらいん!あがらいん!」と熱烈歓迎を受け、
お言葉に甘えてお邪魔させていただいた。


阿部さんちは、風呂の浴槽が壊れたから、まだ自宅でお風呂には入れないものの、
電気もガスも復活、家の中も、本当にキレイになって、普通の生活を取り戻していた。

で、お母さんが作った手料理や、食べ物、飲み物が次から次と出てきて、
「食べさい!食べさい!」「のまいん!のまいん!」と、
熱烈なおもてなしを。


本当は、阿部さんのところにも、支援物資を持っていったんだけども、
すっかりご馳走になってしまった。


皆さんからのご協力でプレゼントした車は、
阿部さんの会社の復興や、地元の方々の支援、孫たちの送り迎えなど、
幅広く使われ、大活躍してました。


いやー、本当にうれしいなー。



で、今回阿部さんちに言ったメインの目的は、
名義変更がまだだったので、ナンバーを受け取りに行ったのだった。

なので、俺がナンバーを預かってきて、
この車を埼玉から持ってきてくれた大熊さんに、今日、発送した。

※大熊さん、間違いなく送りましたので、手続きお願いしますね!



さすが阿部さん、自分のためだけに車を使うんじゃなくて、
地域のために本当に有効活用してくれてます。


俺の目に狂いはなかった。うん。(笑)


ということで、帰りもわざわざ外までお見送りしてくれて、





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夫婦仲良く相合い傘でツーショット。

いい笑顔が出るようになってて、なんかうれしかったなー。



ちなみに、俺がいつもお世話になっているK沢さんは美容師なんだけども、
現在、女川に、髪を切るボランティアに入っている。


そしたら、この阿部さんの家にもK沢さんが来ていたことがわかり、
いやー、ビックリよ。


だから、以前来たときには、

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こういう髪型だったおかあさんも、






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キュートなショートカットに。

すごーく似合ってました。




以前来たときは、


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こんな状態だった清水地区も、

現在は、




DSCN9632.jpg

こんな感じで、瓦礫もすっかり取り除かれ、キレイになっていた。

ちなみに、この地区に、新しい女川の駅ができることも決まり、
このエリアに仮設住宅が建ち始めている。


阿部のおとうさんは、以前来たときに、半分冗談で、

「ウチのまわりが女川のメインストリートになるっちゃ。」

と言っていたが、本当にそうなる流れになってきた。



いやー、スゲーなー。




しかしまだまだ、瓦礫の撤去が進んでいないところもたくさんあり、
女川の町全体の復興までには、長ーい時間がかかると思う。


これからも、皆さんの長期的なご支援が必要になります。







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この、牡鹿の大原地区に暮らす人たちも、女川の人たちも、
みんな底抜けに明るく、たくましい人たちです。


俺たちもできる限りの支援を続けていきます。


今後も、皆さまからのご協力をお願い申し上げます。




車の購入代金ならびに、
今後の支援活動資金のご支援をお願い致します。


先日、俺のパートナーである、(株)YUKINEの代表取締役、雪音りえさんが、
お金でご支援いただくために、口座番号を公開しました。

直接振込プロジェクトの概要記事はこちら。


===================
 【支援金振込先】
 
ゆうちょ銀行 18180−2−15362301

他の金融機関から振り込む場合
 店名 八一八 店番 818  普通  1536230
ホンマ リエ
 ==================

一口1000円で、何口でもかまいません。

また、まくろび庵の店頭にも募金箱を設置いたしました。


車の購入代金、名義変更・登録や陸送にかかる費用、
プロジェクトをにかかる材料費や経費などを、
支援金の中から使わせていただきます。


収支は雪音さんに管理していただいて、会計報告をいたします。


よろしくお願い申し上げます。


 
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2011年05月27日

2台目の車が届きました。

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個人BLOG珈琲バカまくろび庵のBLOG、そして、俺のパートナー雪音さんのBLOGで、
津波で車を失った方に、皆さまからの募金で車を入手してプレゼントする
というプロジェクトを企画し、先月、女川に一台車をプレゼントしてきました。

そのときの記事はこちら。


そしてついに、皆さまからの温かい募金と、車をご提供いただいた方、
整備や陸送に関わっていただいた関係者の方々のご厚意の集大成である、
2台目の車が、まくろび庵に到着しました。

これも、皆さまからのご協力の賜です。

本当にありがとうございます。



今回は、このBLOGに過去に書いた記事を読んで、
埼玉に住む、Oさんという方から、車を提供したいというお申し出があり、
無償提供していただいた車をベースに、
整備、車検、陸送を募金の中から使わせていただきました。


Oさん、本当にありがとうございます。


今回、車検がまだ1年残っていてちょっともったいなかったんですが、
被災地の状況を考えると、車検は長いに越したことはないと、
取り直してまる2年つけた状態で納車します。

今回、東京の(株)トラストワークスという会社の横内さんという方にご協力をいただき、
埼玉から東京までの陸送、車の整備、部品交換、車検、名義変更、
そして東京から仙台までの陸送をすべてまるごとお願いして、
10万円ちょうどで仕上げてくれました。

何度も書きますが、この10万円は、
皆さまからの大切な募金の中から使わせていただきました。

本当にありがとうございます。



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このホンダライフ、ご提供してくださったOさんのお父様の車だったんですが、
もう運転しないということと、今回の震災のニュースで胸を痛め、
ご自身も何か役に立てることはないかと考え、車のご提供をしてくださいました。


この車をプレゼントするのは、石巻の牡鹿地区のIさんという方なんですが、
Iさんの事を、ご提供くださったOさんにメールで伝えたところ、
お父さんも本当に喜んでくださっていると、ご返信いただきました。


そんな、いろんな人の思いが乗っかった車です。


責任もってお届けしてきますね。


なので、5/29(日)は臨時休業します。



納車の様子など、またBLOGでご報告します。





よろしくおねがいしまーす。
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2011年05月11日

写真で見る牡鹿町。



DSC_0281.jpg
先日の日曜日、親友のナベさんと一緒に、
石巻市の旧牡鹿町に支援物資を届けに行ってきた。

今回はその報告記事です。


本題に入る前に突然話はとぶんだけども、最近アンドロイドケータイに変えた。

ケータイについての事はまた別記事に書くとして、
最近、アンドロイド用アプリケーションで、お気に入りのものができた。


camera360


このアプリ、写真をいろんなエフェクトをかけて撮れる、超楽しいアプリなんだけども、
トイカメラの王道、「LOMO」のように撮影できるエフェクトがあり、
四隅が少し暗くなり、ピントがやや甘くなって、
色もゆるーくかつビビットな感じに撮れるのが、俺の一番のお気に入り。


今回の被災地支援報告記事は、このcamera360のLOMOエフェクトで撮影した写真で、
情景を紹介していこうと思う。



で、話は戻って、ゴールデンウィーク中に、後輩の石橋くんが、
一足お先に牡鹿町に入って、支援と情報収集をしてきてくれた。


実は、車を被災地に贈る支援プロジェクトの第二弾として、
埼玉のOさんという方から、軽自動車をご提供いただけることになった。

Oさん、本当にありがとうございます!


しかしながら、多少の整備が必要なのと、
被災地の事を考えると、まる2年車検を付けた方が良いということで、
車検を取り直す事も考えており、皆様からの募金は、
その費用に充てさせていただくことになりました。

そして、石橋くんには、そのOさんからご提供いただける車を贈る方を、
リサーチしてきてくれとお願いしていたのだった。


すると、石橋くんから、

「旧牡鹿町の、ある避難所に、良い感じの人を発見しました!」

という報告があり、早速今回物資をお届けしながら、
その人に会いに行こうと考えたわけだ。


ということで、今回はナベさんと2人、石巻港を通って、牡鹿町に向かう。




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途中、俺が今までの人生で見たクレーンで、たぶん最大であろうと思われる、
超大型クレーンが見えてきた。








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とにかくでけぇ!

写真だと、どうしてもその大きさや臨場感が伝わらないのがとっても残念だ。







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その傍らに、陸に乗り上げてしまった大型船があり、
ひょっとするとこの船を吊るためのクレーンなのかなーなどと想像した。








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石巻港の、製紙工場。

こどもの日明けだったこともあり、煙突に鯉のぼりか付けられていた。






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集められたがれきの山。







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津波被害の倉庫。



そして、ついにお目当ての、牡鹿町の、とある避難所に到着。


最初に話しかけた、ちょっと年配の方に事情を話すと、

「あー、それだったら、車を流されてしまったわげー奴(若い奴)にやってけろ。」

ということで、紹介してもらった。



そのIくんは、そこの70名くらいいる避難所の中で、明るく中心的な存在。

津波で車を流されてしまった。



Iくんのいる避難所は、近隣にたくさんある、
小さな避難所のとりまとめやお世話もしている。

しかし、車が無いので、自転車で移動したり、誰かの車に便乗させてもらったりと、
なかなか思うように支援に動けないのが厳しいと言う。


もう、この人に車を贈るしかないでしょ!


埼玉のOさんという提供者の方と、全国から募金してくださった皆さんからの車なので、
避難所の方々や、近隣の避難所の支援のために、
有効に使っていただきたい旨を説明した。


いやー、車の話をしたときの、Iくんの何ともうれしそうな笑顔に救われたわー。


Iくん、納車までもう少し待っててね!




ということで、支援物資もお配りして、その避難所をあとにした。
皆さんからの暖かい心のこもった物資、間違いなくお届けしてきましたよ!

皆さん、本当にありがとうございます。




さて、旧牡鹿町と言えば、去年の夏、山村慎一郎先生の砂浴合宿でお世話になった、
「のり浜」という小さな浜がある。

そののり浜には、洞窟があり、「のり浜の霊洞」と言われている。


去年書いた、のり浜の霊洞の記事はこちら。


実は、今回一緒に行ってくれたナベさんは、
去年のこの砂浴合宿の時に、穴掘り要員として手伝ってくれたのだった。


なので、俺もナベさんも、震災以来、のり浜の霊洞のことはずーっと気になっていた。


ここまで来たら、見に行くしかないっしょ!



のり浜は、けっこう勾配のきつい遊歩道を10分ほど下ったところにある。
車では入っていけないのだ。


で、誰もいない山の中、男二人で降りていく。






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そして、のり浜が見えてきた。

あの綺麗だった浜にも津波の痕が。



で、海岸に降りて気づいた。



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砂浜が無い!






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去年の夏、こんなにあった砂浜が、




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こんな状態。

ちなみに、干潮時間からいくらも経っていない時間に行ったにもかかわらずこの状態。

満潮の時は、すっかりこの辺は水没だ。



今回の地震で、沿岸部の地盤が1メートルから2メートル沈下したと言うが、
その影響がのり浜にも顕著に表れていた。


もうここで砂浴はできない・・・。




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去年は、こんなに賑やかだったのに・・・








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この場所で砂浴ができたことは、本当に奇跡的だったんだなー。



なんか切ない。





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たぶん、俺と同じ思いであろうナベさんも、無言で写真を撮っていた。




その後、その合宿でお世話になったホテル、
さか井さんも避難所になっているということで、物資を届けに。


オーナーさんと1時間近く話して、皆さんからの物資に本当に感謝してくださった。


現在、このホテルには6名だけまだ避難されている方がいらっしゃる。
震災直後は、80名の宿泊客と、20名ほどの近隣の避難者の方がいたそうだ。


オーナーさんは、そんな中でも、明るく笑いながら話してくださった。


被災地に行くたびに感じるけど、みんな強いなー、しかし。

本当に頭が下がる思いだ。







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そして、牡鹿半島の帰り道、沖に船が出ているのが見えた。



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ナベさんが車を停めてくれたので、車から降りて、その勇姿を撮影。




この辺の漁師さんたちは、津波が来ると知ったとき、
みんな車を捨てて、船で一斉に沖に出たために、船は助かったんだという。

漁師さんたちの間では、「津波が来たら沖に出ろ」と言われているらしく、
この漁師さんたちは、その教えを忠実に守ったわけだ。

すごい勇気だ。







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天からの光に照らされた漁船の群れが、勇ましく美しかった。





しかし、その美しさとはうらはらに




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まだまだ生々しい津波の爪痕。




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岸壁に乗り上げた船。






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流されたトラック。




そして、今回、ひとつ確認しなければいけないことがあった。


行政は、避難時を出て自宅に避難した人たちへの物資支援を打ち切ったという。

しかし、ネットで調べても、あまり詳しく載っている記事が無い。


そして、石巻のある地区では、支援を打ち切られた自宅避難者が、
路頭に迷って泣いている人も多数いると、石橋くんから聞いた。


そこで、残り少なくなってしまった物資を持って、
ナベさんと二人、その地区への物資支援と聞き込みに。


しかし、夕方だったこともあり、人もまばら。


支援が打ち切られたって聞いたんだけど本当ですか?と聞いても、


「そういえば、あんまり炊き出ししなくなったなー。」

「うーん、今日日曜日だから休みなんじゃないの?」


などというトンチンカンな返事。






ここで想像できる最悪のシナリオは、
支援を打ち切られたことすら、知らされていないということだ。


もしこの通りだったんだとしたら、本当に大変なことだぞ。こりゃ。



この件については、お友達に、ある筋を通して確認していただいている。


ハッキリとわかったら、また報告します。



結局、そのエリアでこの日持っていった物資はすべて配り終わって帰路についたんだけども、
やっぱり、支援打ち切りが気になって、最後の最後に気持ちがどんより。


一日も早く改善されることを願ってやまない。





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帰りの石巻港。






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製紙工場も、夕日を浴びて赤く燃えているようだ。






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夕日に映えるクレーン。



今回の支援は、新しい出会いもありうれしかった反面、
闇というか、陰の側面も垣間見た感じがして、なんとも複雑な気持ちになった。





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そんな中、この漁船の群れは、ひとつの希望のシンボルとも言えるな。



今後も、継続的な支援がますます必要になっていくことがわかった。


俺も可能な限り支援していく。


この記事をお読みくださった皆さん、
今後も、継続的なご支援・ご協力をお願い申し上げます。


 
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2011年04月29日

支援プロジェクト 3回目の女川。


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3回目の女川支援に行ってきました。


今回は、皆さんから送っていただいた支援物資と、


さらに!


皆さんから募金いただいたお金で購入した軽自動車を届けてきましたよ!




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今回購入した軽自動車、スズキエブリィくんです。

後ほど、雪音さんから会計報告がありますが、
今回、この車をまるまる2年車検付きで18万円で購入いたしました。






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今回、まる2年車検が付き、さらに、埼玉から仙台まで自走してくださった上に、
自転車やガソリン、子供たちへのおもちゃなどの支援物資を持ってきてくださった、
神様のような方、埼玉の車屋さんダイエイエンタープライズの大熊さん。

今回は、俺がヤフオクで見つけた車なんですが、
災害支援として好条件で出品してくれていました。

しかも、自走で持ってきてくださることが出品内容に書かれていました。


大熊さん曰く、

「自分も何かしたいと思って。被災地に実際に行ってみようと思ったんです。」

と。


車の代金から考えると、
車検代、自走経費、支援物資、帰りの交通費、名義変更の手数料など、
本当は割に合わないんじゃないかと思うんだけど、
これが大熊さん流災害復興支援のやり方なんだと俺は解釈しました。

なので、今回は、大熊さんのご厚意に大いに甘えさせていただきました。


大熊さん、本当にありがとうございます。


こういう人とご縁ができることも、また超うれしい。



さて、今回も皆さんから送っていただいた物資が大量にありました。





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今回も、後輩の石橋くんに車を出してもらった上に、

エブリィくんにも満載の荷物に。





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車への積み込みには、まくろび庵の2階に住んでいる、
俺の小学校のクラスメイト、佐賀ちゃんも手伝ってくれました。






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さらに、仕事中だった、親友ナベさんも途中で合流して、男4人での珍道中。

右側がナベさん、左側が大熊さん。
大熊さん、社協さんのヘルメットがお気に入りの様子。







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そして、毎度おなじみの女川で一番大きい避難所で荷下ろし。

自衛隊の皆さんも手伝ってくれて、あっという間に荷下ろし完了。






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今回は、まとまった数の物資があったので、災害対策本部直で受け取ってもらいました。

どうでもいいけど、すげぇ絶壁だな。俺。


おふくろ曰く、赤ん坊の時は、寝返りもうたずスヤスヤ眠る良い子だったそうで、
それが原因で絶壁になったそうです。わははー。








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自衛隊の皆さんが、物資の整理をしてくれていました。








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避難所で飼われているワンちゃん。

動物見ると、とりあえずコンタクト取ります。
犬には実はとても好かれます。(笑)





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荷下ろしが終わって一息つく、ナベさんと石橋くん。






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そして、震災直後、この大きな避難所の中で、自転車の修理を黙々としていた自転車屋さん、
Nさんに、大熊さんが埼玉から持ってきてくださった自転車をお渡しさせていただきました。


ちなみにNさんは、近所で被災しなかった工場の一角を間借りして、
自転車屋として復活することが決まったそうです!


いやー、良かった。

こうやって、少しずつ復活していく人がひとりでも多くできるように、
皆さんも一緒に応援しましょう!



さて、今回のメインイベント。


今までは伏せていましたが、BLOG掲載の許可をいただいたので、
お名前と写真を公開することにしました。



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清水地区の孤立集落のリーダー、阿部さんに、皆さんからの募金で購入した、
軽自動車を届けに行ってきましたよ!


お父さんは、

「ありゃー!上等な車だっちゃ!」

と言ったあと、ちょっと目を潤ませ、


お母さんは、家の中から出てくるなり、
泣きながら抱きついてきました。

「うわーん!

本当に持ってきてくれたんだっちゃー!」



と。


約束を果たしに来たよー。



大熊さんが埼玉から自走してきてくれたと話すと、
大熊さんにも泣きながら抱きついていました。


大熊さんも泣きそうになって、俺もそれを見てもらい泣き。






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石橋くんが証拠写真として、俺と大熊さんが入ったところを撮影してくれました。


今思えば、三脚使って、石橋くんとナベさんも入って、
みんなで撮れば良かったなー。


石橋くん、ナベさん、ごめんなさい。





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ナベさんと阿部のお父さんは、妙にウマが合うらしく、話し込んでいました。



そして、ナベさんは仕事に戻らなきゃいけない時間となりここで別れ、
石橋くん、大熊さん、俺の3人は、阿部さんのおうちにお邪魔させていただいて、
お茶っこをご馳走に。


阿部さんちの一階部分は、高さ180センチくらいまで水に浸かったんだけども、
震災後コツコツと掃除をして、水が入ったとは信じられないくらいキレイになってました。


まだまだ片付けなきゃいけないところがあったり、畳を干していたけど、
津波で水浸しだったことを考えたら、本当に大きな前進だ。


さらに、阿部さんちの近所の電柱が、奇跡的にダメージが少なく、
つい数日前に、やっと電気が復旧。

さらに、水道も復旧したので、とりあえず生活にはあまり不便が無くなった。


この辺も、少しずつ復活に向けて動き出した。



車も手に入って、この集落は一気に復活に向けて動き出すだろう。


皆様からの善意、しっかりと届きましたよ!


本当にありがとうございます。


今後も、車が必要な方に少しずつだけども、
継続的にサポートしていきたいと考えています。

ご支援をよろしくお願い申し上げます。



さて、この日、俺のお友達の、仙台のコーチングの大家、
アライブ・ワンの後藤美香さんご夫婦も女川に来ていて、

「渡したいものがあるので合流できませんか?」と連絡が。


美香さんは、女性や子供たちのケアのために、
定期的に女川の病院や避難所を訪れ、ボランティア活動をしている。


素晴らしいね!





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なにやらゴニョゴニョとやっていますが、
カツアゲしているヤクザじゃありませんから。

「奥さーん、今いくら持ってんの?ん?ん?」





って、違うから!







で、美香さんから預かったものとは・・・



CIMG1051.jpg

ビール!



ここは、今回回った3ヶ所目、野々浜の避難所。

最近、東北電力の社員寮に移ったようで、11家族がここで避難生活をしている。



電気は来たんだけども、水道がまだ。
というか、水道復旧の見通しが全く立っていない。

まだまだ大変な状況だ。


だからせめて、ビールが飲める人は、お酒をたしなむくらいしてほしい。


そんな願いを込めました。


美香さん、本当にありがとうございます。



他にも、皆さんからの物資もお渡ししてきましたよ!








CIMG1058.jpg

で、俺たちは、犬がいたらとりあえず挨拶します。


このワンちゃんは、この地区で唯一、津波を逃れて生き残ったんだそうです。
大事に飼われていましたよ。




ということで、今回は女川の大きい避難所、清水の阿部さんのところ、
野々浜の避難所と、3ヶ所を回って帰ってきました。



今回、帰りは鮎川方面をぐるっと回って来たんですが、
その途中にいくつも小さな避難所があり、
雰囲気として物資が充分に行き渡っていない感じがしたので、
次回は、ちょっと女川はお休みして、そっち方面を回ってみようと思います。



ということで、今回もドタバタ珍道中ではありましたが、
皆さんからの本当に暖かいご支援で、多くの方々に喜んでいただくことができました。

厚く御礼申し上げます。







DSC_0196.jpg

この阿部さんのように、強くたくましく復活していく方々が、
ひとりでも多く現れるように、継続的なサポートが必要です。


今後とも、皆様のご協力をお願い申し上げます。


ありがとうございます。

 
posted by わこう at 03:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月27日

女川からのお礼状。

DSC_0172.jpg

今日、女川からのお礼状が届いていました。


先日物資を届けに行ってきた
女川第二小学校からのお便りでした。



その時の記事はこちら

【ご報告】女川と七ヶ浜の物資支援 



このBLOG、まくろび庵のBLOG、
そして、俺のパートナー雪音さんのBLOGをご覧になって、
全国、そして海外からも支援物資を送っていただいた皆さまに、
心より感謝御礼申し上げます。

皆さまから送っていただいた支援物資は、ちゃんと被災者の皆さんに届きましたよ!


子供たち直筆のメッセージも入っていて、見た瞬間、涙が止まらなかった。


俺のところに送っていただいたお便りは、スキャンしてPDFファイルにしましたので、
ぜひご覧になってください。


女川からのお便りはこちら。(PDFファイル約1.6M)



内容を抜粋します。


女川町では、町内全ての小中学校が4月12日に
始業式、入学式を迎えることができました。


これまでとは違った環境(避難所や親戚の家)からの通学。
ほとんどの子がスクールバス通学になりました。


一部マスコミでは食べ物もなく我慢が強いられていることだけが
優先されていますが、子供達も先生方も元気です。


きっとこの困難を乗り越えて大きく成長しますので
引き続きご支援をお願いします。




といった内容でした。


また今後の物資の希望に関しての記載がありました。


4月20日現在、ノート、消しゴム、鉛筆、筆箱、はさみ、のり、
ランドセル等の物品
は十分に足りているとのことです。



先日4月17日の
物資支援の記事と現在募集中の物資はこちら


明日、さらに、皆さまからの善意の集大成である、
軽自動車を届けに、また女川に向かいます。



今後不足が予想される物資に関しての希望もありましたので、
また
女川の避難所と周辺の孤立集落の方々の希望を併せて伺い
改めて必要な物資を募集したいと思います。



また沿岸部の地域は車がすべて流されてしまっています。
集落に一台も車がありません。



現在、女川の隣町である石巻市にも少しずつ物が入るようになり、
まだまだ完全ではありませんが、買い物もできる環境になってきています。

一地区に一台の車があれば、石巻に買い物に行けるようになります。


地区毎にワンボックスの軽自動車を贈ろうと思いますので
支援金をお願いしています。


また前回、みなさまからの支援金で
女性用ヘアゴム、髪留め、
化粧品を購入してお届けすることが出来ました。

※おかげさまで贈る車が見つかり支援金が一台分の金額に達しました。
明日お届けする予定です※


必要なものをスピーディーに無駄なくお届けするために、

今後も引き続き、支援金という形でのご支援をお願いいたします。


===================
 【支援金振込先】
 
ゆうちょ銀行 18180−2−15362301

他の金融機関から振り込む場合
 店名 八一八 店番 818  普通  1536230
ホンマ リエ
 ==================

一口1000円で、何口でもかまいません。
※雪音の個人口座になります。YUKINEの口座には振り込まないでください※

また、まくろび庵の店頭にも募金箱を設置しております。

収支は、明日のレポートと共に、後日また会計報告をいたしますね。


皆さん、本当にありがとうございました。



今後ともよろしくお願い申し上げます。

 
posted by わこう at 18:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

支援についての雑感。


本題に入る前にご報告があります。

先日、女川の孤立集落のリーダーAさんに、
支援物資として車を贈りたいという旨を記事にしたところ、
さまざまな暖かいご支援をいただき、条件にピッタリの車が見つかり、
なおかつ、皆さまからの募金額が購入代金に達しましたので、
本日、車を一台確保することができました。

BLOG公開から正味1週間弱。

正直、こんなに早く実現するなんて思わなかった。


ご協力いただきました皆さま、本当にありがとうございます。


また、支援物資を送ってくださったり、直接お店に持ってきてくださった皆さま、
本当に本当にありがとうございます。


28日に、皆さまからの支援物資と、車を届けにまた女川に行ってきます。


詳細は、ご報告記事として詳しく書きますね。




さて、今日は3.11の震災以来、現在に至るまでの気持ちを書いてみようと思う。

先々週から始まった、被災地への物資輸送支援。


全国の(海外からも!)皆さんから、たくさんの物資と、
ありがたいメッセージを頂戴しています。

そして、皆さんが同じ思いでいるのは、

「自分も何かしたい!」

ということ。


俺もそうでした。



知人である平くんが、震災直後から、命がけで物資調達をし、
被災地に届けるということをしているのは知っていた。

だけど、震災直後に俺が最優先したのは、身内の安否確認と復旧。


俺の実家は大丈夫だったことがわかったので、
仙台からちょっとだけ離れたところで暮らしていたりえさんのお母さんの安否確認。

そして、マンションの11階にある、シッチャカメッチャカになった、
りえさんのショールームの復旧。

俺の店の復旧。

大切な仲間、ほずみちゃんへの物資輸送。


まずは俺ができたのはこのくらい。


だけど、心のどこかで、
平くんがあれだけガシガシ動いているのをBLOGで読んでは、
俺にできることはないかと真剣に考え始め、気持ちがざわざわと落ち着かない。


そこで、本当は身内や知人に使ってもらおうと買った電磁調理器が5台あり、
それを、平くんに託そうと思い電話をかけ、
待ち合わせ場所で平くんと合流したときに、俺の中の何かが弾けた。

平くんの「熱」に巻き込まれたというか。


本当は、ウチが窓口で物資を募集し、それを平くんに託すという、
中継役をしようかなーなんて考えていたんだけども、
平くんのスピードがものすごいもんだから、モタモタしてたら足手まといになりかねない。

だから、まくろび庵に送っていただいた物資は、
平くんにいろいろ聞きながら、俺が責任を持って現地に持って行った方がいいと思った。


そんなとき、時を同じくして、「自分も何かしたい」と考えてウズウズしていた、
高校の後輩である石橋くんから連絡が来て、一緒にやることになったわけだ。


初めて被災地に入るときは、なんのつても知り合いもないから、本当に緊張した。

さらに、皆さんからの物資をすべて配り終えるという責任もあり、
さらにさらに、被災者の方々にどう接したらいいのかわからない不安。



だけど、現地に着いてみたら、何とでもなるということがわかった。



だけど、物資のこと、その流通経路など、いろんな人の話を聞けば聞くほど、
ニーズや言うことが全く違うから、よけいわかんなくなった。

いやー、平くんは、震災直後から、この交通整理役をやっていたのかと思うと、
本当に頭が下がる。



で、俺たちは俺たちなりに情報収集をして、
ニーズと、俺たちにできることを照らし合わせて出た答えが、
今回の車を贈るプロジェクトとなったわけだ。


きっかけは平くんだ。それは間違いない。

彼は俺に火をつけたのだ。



だけど、やっぱり俺は平くんの真似はできない。

情報量、ブレーン、スピード、何もかもケタ違いだ。


だったら、俺にできる形に変化させればいい。


俺の友人・知人にも、
直接現地に入って、ボランティアや物資支援をしている人がたくさんいる。

みんながそれぞれに、できることをやっている。


それでいい。


今回の被災地は、あまりにも被害の規模や範囲が大きすぎて、
とてもじゃないが、俺個人がすべてを把握することなんてできない。


だったら、俺が出会った、ご縁のあった方々に対して、
ひとつずつコツコツとやっていくことが俺のやり方。


100人いたら、100通りの支援の仕方があっていい。


だから、実際に被災地に行けないことに後ろめたさを感じる事なんてないし、
どうしても心が揺れるんだったら、支援物資を持って、
小さな避難所や孤立集落を実際に回ってみるといいし、
募金や物資を誰かに託すという支援の仕方でいい。

今は行けなくても、半年後、1年後に被災地に行くのもいいと思う。


ルールなんて無いし、みんな気持ちで動いているのだ。



そして、俺にとっては、俺のこの小さな店を心のよりどころにしている人もいてくれる。

だから、被災地支援をしながら、地元仙台の人たちの支援もしていく。


っていうと、たいそうな言い方だけども、
ホッとしたい人が、俺の珈琲を飲んで、ホッとして、思いの丈を喋って、
スッキリして帰っていただけたらそれでいい。

ウチの店は、そんな店で在り続けたい。


それも俺の支援。



だから、「何かしたい」と思っているのならば、
その気持ちのまま動いてみてはどうだろうか。

たとえ自己満足だったとしても、、1人でも喜んでくれる人がいたら御の字だ。

俺もそんな気持ちでやっている。


ただ、現地に入るときは、
余震やパンク、津波、粉塵に充分気をつけて、自己責任で。



なーんて、カッコつけてみました。

 
posted by わこう at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

2回目の女川物資支援。


DSC_0070.jpg

昨日、皆さんから送っていただいた支援物資を届けに、
石巻〜女川と再び回ってきましたのでご報告いたします。



今回は、俺の高校の後輩の石橋くん、石橋くんのお友達の藤間さん、
そして、俺の親友のナベさんご夫婦も加わって、5人での物資支援。

石橋くんとナベさんに車を出してもらって、結局、2台に満載!


その2日前、ウチのお店のお客様とおふくろに、
ボランティアで皆さんからの物資の仕分けをしてもらって、
いろーんな人の思いが乗っかった物資支援。


責任持ってお配りしてきましたよー!



今回は、石橋くんが、仙台市泉区の社会福祉協議会(以下 社協)と仲が良くて、
社協さんから託された物資もあり、石巻専修大そばにある支援物資センター経由で女川へ。




DSC_0071.jpg

石巻の支援物資センターの近所に、自衛隊の拠点が。

スゴイ数のトラックとテント。


いやー、頼もしい限りだ。
自衛隊の皆さん、本当にお疲れ様です。ありがとうございます。


自衛隊員も、この大災害で本当に過酷な環境の中、
避難している皆さんのサポートやがれきの撤去、遺体の捜索などをしている。

本当に頭が下がる思いだ。



先週女川に行ってからちょうど1週間。


自衛隊や民間の業者さんが、本格的にがれき撤去作業に入っているので、
少しずつ、がれきの山が無くなって整理されてきている。



とはいえ、まだ


DSC_0094.jpg

こういう感じだ。



今回は、先週行った、女川の総合運動場の避難所に立ち寄りって、
先週に引き続き、皆さんからのお菓子、子供靴、マンガ本、子供たちの玩具などをお渡ししてきた。

また、前日に、職員の方に電話して要望を聞き、皆さんから募金していただいた中の一部から、
メインの物資ではなかなか行き届かない、
髪を束ねるゴムや髪留めなど、約100人分を買い出しさせていただきました。


本当に喜んでいただいてうれしかったなー。




そして次に、先週も行った、S地区のAさんがいる孤立集落へ。


旦那さんも奥さんも、元気に家の復旧作業をしていてホッとした。


ここでも、お菓子、衣類、生活用品などなど、喜んでいただいた。



今回は、旦那さんや奥さんと、じっくり立ち話を。

何回も涙ぐむ場面もありながら、明るく振る舞おうと一生懸命話すAさんご夫婦。


その中で、多くの友人や同僚を津波で失った旦那さんが言っていた、

「悲しみとか怒りとか、そんな感情はどっかに吹っ飛んじまった−。
とにかく、今やることをやるだけだ−。」


っていう言葉が印象的だった。


Aさんちの前には、水産加工場から魚がいっぱい流れてきて、
先週行ったときにはとんでもないにおいが立ちこめていたが、
1週間の間に、少しがれきも撤去され、先週よりはにおいも軽減されてはいるものの、
それでも凄かったなー。

そんな環境の中でも、いつも明るいAさんご夫婦。


聞けば、震災前からその地区のリーダー的存在だったそうだ。


だから今でも、隣人を気遣い、お世話をしている。



そこでひとつ皆さんにお願いがあります。


Aさんも周りの人たちも、
車がすべて流されてしまって、集落に一台も車がありません。


Aさんにリーダーになってもらい、
その地区にワンボックスの軽自動車を贈りたいのです。

現在、女川の隣町である石巻市にも、少しずつ物が入るようになり、
まだまだ完全ではありませんが、買い物もできる環境になってきています。

S地区に一台車があれば、石巻に買い物に行けるようになるんです。



誰でも運転できるように、できればオートマで、車検の長いもの。

現在は、町がメチャメチャだから、
警察も多少の細かいことは大目に見てくれているみたいなんだけども、
9月くらいを目処に、取り締まりも再開するようで、
ナンバーが無いとか、車検切れの車を使えるのもそう長くないようなんです。


そこで、

1,この記事を読んで、使わないワンボックスの軽自動車を持っていて、
格安で譲ってもいいよという方がいらっしゃったら、提供していただきたいのです。


古くても、ドアになんか会社名とか書かれていても、多少傷があってもいいです。

車検が長くない、もしくは切れている場合は、
こちらで可能な限りなんとかしたいと思います。

ご連絡は、Twitterやfacebook、もしくは、

wako@caferoman.tv

までメールをください。

※ケータイに転送しているアドレスではないので、お返事が遅れる場合があります。


2,車の購入代金のご支援をお願い致します。

先日、俺のパートナーである、(株)YUKINEの代表取締役、雪音りえさんが、
お金でご支援いただくために、口座番号を公開しました。

直接振込プロジェクトの概要記事はこちら。


===================
 【支援金振込先】
 
ゆうちょ銀行 18180−2−15362301

他の金融機関から振り込む場合
 店名 八一八 店番 818  普通  1536230
ホンマ リエ
 ==================

一口1000円で、何口でもかまいません。

また、まくろび庵の店頭にも募金箱を設置いたしました。


車の購入代金、名義変更・登録や陸送にかかる費用を、
支援金の中から使わせていただきます。


収支は雪音さんに管理していただいて、会計報告をいたします。


皆さんのご協力をお願い致します。


※※※追記 4/23※※※

皆さんの暖かいご支援により、Aさんに贈る車が見つかり、
募金が購入代金に達しました。

今月中の納車のために現在準備中です。
詳細は、収支報告も兼ねてBLOGに掲載していきます。

なお今後も、Aさんのような孤立集落で、
車が必要な方との出会いがあると思いますので、
その都度BLOGで公開していきます。

また、車の購入資金や必要物資の買い出しの資金のために、
今後も募金活動は継続していきますので、ご協力をお願いいたします。


皆さま、本当にありがとうございます!

※※※※※※





さて、また報告に戻って、S地区をあとにして、
今度は、女川でも少し離れた場所にある、野々浜の避難所へ。


野々浜は、牡蛎の養殖が盛んな地区だったんだけども、
今回の津波で壊滅的な被害にあった。


この集落の人たちのほとんどが、牡蛎の関係者。



DSC_0090.jpg
一見、穏やかで綺麗な海なんだけども、やはり津波の爪痕が。


小高い丘の上にもかかわらず、
その丘の上に建っている4階建ての建物の2階部分まで水が来た。

津波警報が出て丘の上に避難はしたものの、
まさかこの丘の上まで水が来るなんて誰も想像しなかったんだそうだ。


しかし、想像を絶する高波が来て、
昨日話したおじさんが手を出したんだけども、つかみ損ねて目の前で流されてしまった人がいたと、
涙を浮かべながら話してくれた。

もちろん、こちら側からそんな質問なんてしない。

だけど、そのおじさんも、自責の念からなのか、堰を切ったように話し出す。


そして少し話をしては、涙ぐんで言葉を詰まらせる。


本当に辛いんだと思う。


初めて会った俺たちにまで、そんな辛い話を。

吐き出したいのだ。


だから、黙って聞いた。



ひとしきり吐き出したあと、

「でも、何年かかっても必ず復活して、
またおいしい牡蛎を皆さんに食べていただきたい。」


と。


その避難所は、荒涼とした中、
電気も無い、それこそまだ原始的と言っても過言ではない状態なのに、
そんな状況下でも決して折れてない。


希望を捨てていない。


なんという強さ。




その強さに打たれて、俺も泣いてしまった。


いまでもそのおじちゃんの顔を思い出すと泣けてくる。



で、その避難所でもいろいろと物資を受け取ってくれたんだけども、
一番喜ばれたのは・・・・




タバコ。




タバコを出した瞬間、みんな顔がパァーッと明るくなって、

「なんだべー!誰もタバコ吸わなくていいなーって思ってたのに−。アハハー!」

「●●さん、帰ってきてタバコあったら喜ぶっちゃねー!」

「んだからー!」

なーんて会話がバンバン出てきて、おばちゃんたちにも満面の笑みが!


いやー、思いがけず想像以上に喜んでいただいてうれしかったなー。


そのタバコも、皆さんの支援金から購入させていただきました。



そして、今後の支援物資なんですが、今後、下記の物は継続して募集します。

・お菓子

・カップラーメン、缶詰、レトルトなどの副食品

・タバコ

・男女Tシャツ

・男女パンツ(下着)

・男女靴下


※現在、上記以外の物は
まくろび庵ではお受けできません。


また今後変わるかもしれませんが、当面はこの内容でお願い致します。

送り先は、

〒984-0051
宮城県仙台市若林区新寺3-12-32 まくろび庵

電話/FAX 022-295-7772



なお、お願いしておきながら大変恐縮なのですが、
箱を開けなくても中身がわかるように、
外側に何を入れたか書いていただけると大変助かります。

ご協力をよろしくお願い申し上げます。



さて、またご報告に戻って、野々浜の避難所で荷下ろしをしていたとき、
最初に行った総合運動場の避難所に届け忘れがあったことに気づいた。

その時点で午後2時半くらい。


昨日の満潮時刻は午後3時十何分くらい。


「水があふれっから、帰りは気をつけていがいんよー!」

と言われて、半ば信じられなかったんだけども、
忘れ物を届け終わって丘の上から海の方を見下ろしたら、



DSC_0092.jpg


町に海水が!




慌てて出発したんだけども、途中の道は、




DSC_0099.jpg

冠水状態!


この辺はまだ良かったんだけども、石巻の渡波地区あたりは、
道路がすっかり川になっていた。


いやー、ビックリしたなー。


俺たちは車の中でワーワー言ってたんだけども、
それとは対照的に、冠水している地区のおばちゃんたちは、
足下に水がチャプチャプの状態なのに、笑いながら立ち話をしてる!

もうそれが当たり前になっちゃったんだな。


「いやー、またチャプチャプだっちゃわ。」

「んだからー。」


みたいな感じなのかな。



みんな強いなー。しかし。



防波堤が崩れてしまったのもあるとは思うんだけども、
今回の大地震で、沿岸部は1メートルから2メートル、陸地が沈下したという。

おっかない話だ。


それでも、その地区に住む人たちは、それを受け入れた上で生活しているのだ。


言葉を失ってしまった。マジで。




今回も、いろんなショックがありながらも、無事に仙台に帰ってきた。

おかげさまで、今回も、車2台分満載の物資をすべてお届けしてきました。



仙台の市街地に向かう道路上で、

DSC_0110.jpg

「災害派遣」と書かれた横断幕を付けた自衛隊のトラックが。


今回の震災では、いろんなヒーローがいるけれども、
自衛隊員たちも間違いなくヒーローだ。

思わず手を合わせたくなった。



そんなこんなで、クタクタになって家に着き、車を停めてふと上を見たら、




DSCN9425.jpg

見事なムーンボウが!


ムーンボウについての過去記事はこちら。



急いで三脚を使って写真を撮ったあと、ベランダに出て、



DSCN9430.jpg

ベランダから撮影。


いやー、幻想的で見事だった。




別記事で書くけど、実はこの日、おふくろが大変なことになり、
かなりショックだったんだけども、
おふくろや被災者の方々を救ってくださいと、月に向かって手を合わせた。


みんなが救われますように。


そして、みんながまた心の底から笑えるように。


今後、救援・復興支援のために、まくろび庵を任意ボランティア団体として、
本格的に動いていくことにする。


俺にできることを少しずつ。


皆さん、これからもご協力をお願い申し上げます。

 
ラベル:女川
posted by わこう at 01:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

今後の物資支援について。

DSCN9282.jpg

この記事は、珈琲バカ、まくろび庵BLOG、両方に書きます。


このたびは、皆様からの心のこもった温かいご支援、本当にありがとうございます。


4/10に、女川、七ヶ浜に、皆様から送っていただいた支援物資を届けに行ってきました。

そのときの時系列でのご報告記事はこちら。



今回、たくさん集まりましたので、すべて車に積むことができず、
第1便として行ってまいりましたが、
おかげさまですべての物資を受け取っていただくことができました。


そして、今後の物資支援についてなのですが、コメント、メール、Twitterで、

「必要なものの状況は変わると思うので情報を出してください!」

というメッセージをたくさん頂戴し、俺もそのつもりで現地に入りました。


が、正直なところ逆にどうすればいいのかわからなくなってしまったのが本音です。



ニーズが、立場や環境によって、あまりにも多岐にわたりすぎるからです。


したがって、今後の物資支援について、主に4つの方法に絞ることにします。


1,女川町の災害対策本部に、正規ルートで直接送る。

女川の災害対策本部では、保存の利く副食品であれば大歓迎と言っていました。


昨日、女川の災害対策本部の代理人の方が、「お願いタイガー」という、
災害用掲示板に、救援物資募集のトピックを立てていましたので抜粋します。

なお、ゆうパック、ヤマト便は、災害対策本部まで届くそうです。


【必要物資】食糧 4月12日(火)現在

主な食糧(おにぎり・パンなど)は届いていますが、副食品が足りません。
調理できない環境にありますので、簡単に食べられて、
日持ちがする食糧品のご支援をお願い致します。

・野菜ジュース ・インスタント味噌汁 
・魚肉ソーセージ・ 缶詰 ・レトルト食品 ・調味料など

【送付先】
〒986-2224 宮城県牡鹿郡女川町字大原310 災害対策本部物資班宛
電話番号 080-5949-7547

●クロネコヤマト
●ゆうパック
が直接配送可能です。

【ご注意】

※被災地のボランティアの方々は、かなり疲れがたまっていらっしゃいます。
是非、以下をお守りくださるよう、お願い申し上げます。

★ダンボールに梱包して中には1種類のみを入れて発送して下さい。
★ダンボールの表面に大きな文字で「救援物資」と記載して「中身」の記載をお願いします。
(楽天さんなどに配送依頼する場合も、その旨を明記してください)
★救援物資はできるだけコンパクトにまとめてお送りください。

★支援物資は日々変って参ります。
 お送りくださる前に今一度、確認をお願い致します
★衣類や日用品はとりあえず、足りているとの事ですので、決して送らないでください。

●お問い合わせはコメントか、平林 090-9389-6645 までお願い致します。

皆様の暖かいご協力をお待ちしております。



掲示板本文はこちらのリンクよりどうぞ。


注意事項にあるように、分別作業はとても大変で、
現地の方もとても疲弊しております。

分別が必要ないよう、必ず同じ箱に1種類のもののみで。
※たとえば、カンヅメだったらひと箱全部カンヅメ。

そして、箱を開けなくても確認できるように、
必ず、中身と個数を箱に書いてください。



2,支援金という形で現金でのご支援を送っていただき、
俺たちが必要なものを買い出しに行く。
必要に応じて大きなものも。(たとえば軽トラックとか)



正規の窓口ではない必要物資は、個人レベルで欲しいものが全く変わってきます。

今回、女川で、キーマンとなる方数名の連絡先を聞いてきました。


俺たちが女川に行く2日前くらいに、そのキーマンに連絡し、
欲しいものをとりまとめてもらい、それを買い出しに行って届けます。

御用聞きってところですね。


どんな形にでも使えるのには、やはり、現金で送っていただけると大変助かることが、
今回しみじみわかりました。

仙台市内では、物流もほぼ通常どおりになりましたので、
ホームセンターにも物資が入るようになってきましたので、
調達はそんなに難しくないと思います。



そして、報告記事に書いた、Aさんのように、在宅避難をされている集落では、
車がすべて津波で流されてしまいました。

がれきの撤去をするにも何をするにも、今は体ひとつで作業しています。

ですので、皆様からの支援金を積み立てさせていただき、
Aさんがいる集落や他の集落の皆さんが共同で使えるような軽トラックが必要です。


食べ物、衣類など、生活に必要なものを送り続けるのもいいのですが、
せめて石巻に普通に商品が流通するようになれば、女川とほぼ隣町なので、
今度はAさんや集落の仲間が、自分たちで復興するために、
石巻に買い物に行ったりできるようになるのです。


現在、宮城県でも、行政所有の車を、被災地に恒久的に貸し出す案も出ているようですが、
たぶん、災害対策本部のようなところに配置され、末端の集落には行き渡らないでしょう。


また、電気が安定的に復活したら、スキルのある方に情報を発信していただいたり、
復興を地元で支援していくために、パソコンと通信機器が必要なので、
その購入資金に充てたりしようと考えています。


なので、皆さんからの支援金は、
こういった形で、より現実的なものに変換して使わせていただきたいと思います。


会計役を設け、どんなものを購入するのに使ったかという、管理・報告をしていきます。


先日、俺のパートナーの雪音りえさんが、
東京でコンサルタント業をしている松原靖樹さんの提案する、
復興支援のために直接募金プロジェクトに登録し、口座番号を公開しました。

今回のこの支援金のお願いは、このプロジェクトの活動の一環でもあります。

雪音さんの、直接募金プロジェクト記事はこちら。



 【支援金振込先】
 
ゆうちょ銀行 18180−2−15362301

他の金融機関から振り込む場合
 店名 八一八 店番 818  普通  1536230

口座名義 ホンマ リエ


一口、1000円とさせていただきます。(何口でもOKです。)

また、まくろび庵にも募金箱を設置しました。


以前も記事に書きましが、津波で無くなってしまった町の復興には、
それこそ長い時間が必要です。

できる範囲で少しずつ、長ーく続けていくことが何より大切です。

なので、くれぐれも無理のない範囲でお願いします。





3,一部物資は継続的に
まくろび庵を窓口にして送っていただく。


===========================
4月12日(火)現在
下記のものは、まくろび庵を窓口として募集します。

次回の支援物資を届けに行くのは4月19日(火)です。
4月17日(日)まで必着でお送りください。

それ以降の物は受け付けられません。


★ダンボールに梱包して中には1種類のみを入れて発送して下さい。
★ダンボールの表面に大きな文字で「救援物資」と記載して「中身」の記載をお願いします。
(楽天さんなどに配送依頼する場合も、その旨を明記してください)
★救援物資はできるだけコンパクトにまとめてお送りください。

===========================


下記のものは、まくろび庵を窓口として募集します。

・マンガ全巻セット

大人、子供とも読んで楽しいもの、暴力的な内容の少ないもの
※たとえば、ワンピース、ドラえもん、手塚治虫系、松本零士系、などなど


・娯楽用品やおもちゃ

1人に1個必要なものは不可です。(たとえばニンテンドーDSなど)

トランプ、ボール、ボードゲームなど、みんなで使い回して遊べるもの


・保冷剤 緊急!

大きいものから小さいものまでなんでもいいです。

あるぶんだけ送ってください。

ケーキを買ったときに付いてきたものでもなんでもいいです。
ご近所さんに声掛けして、ひっかき集めてください。

これは緊急を要します。

<送付先>
〒984-0051
宮城県仙台市若林区新寺3-12-32 まくろび庵
電話/FAX 022-295-7772




4,売り上げの一部を
被災地へ支援金として援助する商品をご購入いただく。



現在、まくろび庵や、雪音ショウルームなどで、
売り上げの一部を復興支援の募金として使う商品の準備中です。

詳細は、商品の準備が整い次第、公開していきます。



今回、女川、七ヶ浜と回ってみて、支援物資のニーズもどんどんと変わっていきます。

正直、俺がBLOGで募集して送っていただき、仕分けし、持っていくころには、
もうニーズは終わっていたという感じです。

スピードが速い。

なので、送っていただいた物資か無駄なることの無いよう、
形を変えて募集することにいたしました。

物資についての現場の声を、
お友達のあだちちかこさんがBLOGに書いてくれました。


その記事はこちら。



どうかご理解・ご協力いただきますようお願い申し上げます。

 
 
posted by わこう at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ご報告 女川と七ヶ浜の物資支援。

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まずは、今回の支援物資の募集にあたり、全国のたくさんの物資を送ってくださった皆さま、
本当にありがとうございます。

あまりの多さに、車に積みきれなかった分もあったんですが、
とりあえず昨日積んでいった第1便の物資は、すべて受け取ってもらえてることができました。

近日中に、第2便でまた持っていこうと思っています。

心よりお礼申し上げます。



さて、皆さんからの支援物資がどうなったのか、気になっている方がたくさんいらっしゃると思い、
現場の現状や今後のことについての事を記事にしようと、
朝から何回も記事を書こうとしたんだけど、あまりにも書きたいことがたくさんあるのと、
現場でのいろんなギャップに面食らったのとが交錯して、なかなか記事にできない。



だから、今後の支援についてのことを書く前に、
一度、時系列で先に報告記事を書こうと思う。



昨日の4/10、今回は、俺の高校の後輩石橋くん、
俺のパートナーの雪音さんと3人で、女川と七ヶ浜に行ってきた。

震災直後から物資支援で動いている平くんに指示を仰いだところ、
この2ヶ所に言ってくれと言われたのだ。




前日の9日、当初想像したよりもはるかに多い量の物資が届いたので、
仕分けをしないと、配るのにも困るし受け取ってもらえない場合もあると思い、
まくろび庵の和室で独りでせっせこと仕分けをした。

宅急便の送り状や、メッセージを一つ一つ読みながら、
ありがたさに胸がいっぱいになりながら仕分けさせていただきました。


で、当日は、朝7時にまくろび庵を出発。


渋滞覚悟で向かったんだけども、三陸道で少し流れが悪くなったものの、
順調に進むことができ、約2時間くらいで女川に到着。


山の手は多少地割れなんかがあったものの、至って普通の景色だったが、
女川の港の方に出た途端、景色が一変。




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がれきの山。



震災直後、ラジオで「沿岸部が壊滅」と言っているのを聞いて、
「なにをバカな・・」と思っていたんだけど、
本当に、壊滅としか言いようがない、凄まじい光景だった。


平くんが、「日本人なら一度は見ておけ」とBLOGに書いていたが、
いやー、全くだ。

この光景が現実なのだ。






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倒壊して流れたビル。




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現場で途方に暮れる自衛隊員。



まずは、女川地区で一番大きい避難所である、女川総合運動場に行ってみた。




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メインのグランドは、自衛隊ヘリの発着地点になっていた。



ここでまず、災害対策本部に物資を届けにきた旨を伝えたんだけども、
食料(主に米)、水、衣類などの最低限の物資は足りているし、
文具も、先日、ユニセフから大量に送られてきたので大丈夫だと、遠回しに断られた。

実際、倉庫がわりになっている建物の中には、
ドドーンとケースに積まれた大量の物資の山が。

特に、衣類に関しては、とてもピリピリした感じで、
「どんな衣類ですか?」「新品ですか?」と聞かれた。

ただし、副食品は大歓迎だと言われた。


※今後の支援物資のことは、別記事に書きます。




この避難所には、大人数にもかかわらず、外部からのボランティアセンターが無く、
町民の人たち(主に役場の職員の方や学校の先生など)が、
自分たちで切り盛りをしている。

しかし、あくまでも俺が感じた印象なんだけども、
災害対策本部と、それ以外のグループとの連携があまりうまくいっていない感じがした。


本部にはやんわりと断られたわけだけども、引き下がるわけにはいかないので、
教育長さんを通じて、子供たちの文具だけでも受け取ってもらえないかと交渉。

すると、教育長さんは、教育現場の方々(たぶん学校の先生だと思う)につないでくれ、
受け取ってもらえることに。


で、数人が車まで、「降ろすの手伝いますよ!」と来てくれたんだけども、
他に、長靴やゴム手袋、下着類とかあるんだけども・・と言ったところ、
「実は私たち職員が作業するための物資が無くて困ってたんですよ・・。」と、
受け取ってくれた。

やはり、避難所に避難している方が何よりも優先されるので、
職員の方々が後回しになっちゃうのかなーと、勝手に想像した。


で、その他、ビタミン剤やお菓子類、ハンドクリームやリップクリーム、
絆創膏を始めとした薬類などなど、大変喜んで受け取ってくださった。


その後、少し避難所の聞き込みをしようと、ある方に話しかけたら、
親切に避難所をいろいろと案内してくれた。

その人も、職員の方も、口を揃えて言うのは、
子供たちにだいぶストレスがかかっていると。


先日、やっとテレビがひとつ設置されたんだけども、
学校の図書室にある本を持ってきて読む以外、
子供たちに遊ぶものや娯楽が無いんですよと。

確かにな−。


これは今後の課題だ。



避難所の人たちは、天気が良かったこともあり、
皆明るく、元気に見える。

話しかけると、屈託無くいろいろと話してくれる。


だけど、一度話し出すと、地震や津波の恐怖、失った家族や友人のこと、
今後の先の見えない不安、行政に対する怒りなどがブワーッと出てくる。

俺もりえさんも、人の話を聞いてケアするのが仕事でもあるし、
後輩の石橋くんも、そういう話を聞くのは慣れているので、
とにかくうんうんと聞いた。

頑張ってくださいなんてとても言えない。

到底そんな段階じゃない。


震災から1ヶ月経ったけど、被災者の心の傷はそう簡単に前に向かない。


だから、俺も最近、ACのCMを見てると、ムカついたりする。



ひとしきり聞いたあと、ちょっとダジャレを言ったり、
俺がボケ、りえさんがツッコミを入れ笑わせたりする。


「わざわざ仙台からありがとうございます」

と、恐縮する人には、

「困ったときはお互いさまだべっちゃ!」

「仙台で大災害があったら助けに来てけさいんよ!」


と言って笑いを取ったりした。


俺たち3人の中で、「頑張ってください」「頑張りましょう」は禁句。

っていうか、言えないって。頑張ってなんて。


だから、ありがとうと言われたら、ありがとうと返す。

それでいい。



ある人が言っていた。

女川は出遅れたんだ。

南三陸とかは、町長が真っ先に「助けてください」って手を挙げたから、
支援もすぐ来たし、仮設住宅も早い。

女川は、未だに仮設住宅をどこに建てるかすら決まっていない。
物資が入って来るのも遅い。

モタモタしないで早く助けてって言えば良かったんだ。

体育館では、ガラスが割れて風がピューピュー入って来るから、
お年寄りが寒い寒いって言っている。

だけど、それすら直せる目処が立たない。


と、怒っていた。

その人は、震災直後、まる2日何も食べられなかった。


「俺はまだいいんだけど、お年寄りは・・・」


と、言葉を詰まらせた。




確かに仙台も、震災直後はとんでもなかった。

今だって大変だ。

余震で何回も心が折れそうになる。


だけど、ランク付けするわけじゃないけど、
食うことすらままならなかった人の生の声を聞くと、やっぱり胸が痛む。

申し訳ない気持ちにもなる。



その人とは再会を約束して別れた。




その後、津波が来た地区をたまたま通りかかったところ、
かろうじて家が流されなかったS地区で、自宅を復旧している小さな部落があった。

車を停め、「物資持ってきたんだけど、もらってけねぇすかや?」と言ったところ、

「下の部落にはよく物資持ってきた人がいたけど、こっちに来てくれたのは初めてだやー!」

と、すごーく喜んでくれた。


近所の人たちにも声掛けしてくれて、露天商状態でわーっと人が集まってきた。


みんな、気に入ったものをうれしそうに持っていってくれる。


来てよかったー・・・。


報われた感じがしたね。



その、中心になってくれた、Aさんちのおかあちゃんも、
ケラケラと明るいキャラで話していたんだけども、やはり津波の話になると、

「私の友達とか同僚とか、みーんな流されっちまった・・。」

と、涙ながらに話してくれた。


震災後、ずーっとこういう思いを心にしまい込んで、
黙々と復旧作業をしてきたんだろう。

初めて会った、見ず知らずの俺たちに見せた涙。

よほど辛かったんだろうな。


今度は、もっとじっくり時間を取って、Aさんの話をいっぱい聞いて、
いっぱい泣かせて、心に閉じ込めてあるものを吐き出させてあげたい。


Aさんの地区では、なんとか家が大丈夫だった数世帯に、
35人の人たちが、家の復旧をしながら住んでいる。

Aさんちも1階は津波でやられたけど、2階は何とか使えるからと、
家族みんなで2階部分で生活している。


今後、女川に行くときには、このAさんちには必ず顔を出すことにした。


この生き残った35人の部落の中心となる家だ。


この、Aさんちの地区支援プロジェクトもいいアイディアが浮かんだので、
別記事の支援方法に書こうと思う。



Aさんちを後にして、まだ物資が少し残っていたので、
ちょっと広い道路に車を停め、次に行くところをどこにしようかとナビで検索していたとき、
通りすがった車の方が話しかけに来てくれた。

薬剤師会の方々で、石巻に拠点を置き、
薬が欲しいという要請があったところに届けるというボランティアをされている。

その方々が、

「あー、その物資だったら、
これから僕たちが行くところで受け取ってもらえると思いますから持っていきますよ!」

と、引き受けてくださった。


そこで、残りわずかとなった物資を、その方々が受け取ってくれたので、
持っていった物資はすべて無くなって、ミッションコンプリート。


本当に助かった。


もし、石巻周辺(女川も含む)で、薬が必要な方、施設、避難所等がありましたら、
「石巻高校薬剤師会本部」まで連絡してください。

すぐに駆けつけてくれるそうです。

電話番号は、090-4047-6166 乙田さんです。



今回は、一度、災害対策本部で断られたものの、
職員の方々が受け取ってくださったり、
偶然にもまだ誰も行ってなかった、Aさんの地区に導かれたり、
思いがけず薬剤師会の方々が中継してくれたりと、
ラッキーにラッキーが重なって、すべての物資をお配りすることができた。

だけど、毎回そうだとは限らないかもなーと、
あらためて物資支援の責任の重さを感じたのだった。

あとは今回、りえさんが一緒に行ったことで、
女性が警戒心無く、すぐに心を開いて話してくれたのが大きかったなー。


おかげで、いろんな情報収集ができた。



さて、そんなこんなで、女川を後にして、
仙台に比較的近いところで、被害が甚大だった、七ヶ浜町を回って、
情報収集して返ろうということになった。




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女川港の巨大な油のタンクが転がっていた。



帰りは、石巻港を通って帰ってきたんだけども、



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沈下した地面に落ちる列車。


この辺の被害も凄かったなー。




そして、七ヶ浜町。





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海岸にあったガソリンスタンド。







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遺体捜索中、あまりのがれきに途方に暮れる自衛隊の人。








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遙か向こうに見える灯台が、なんと傾いている。


津波の威力って本当に恐ろしい・・。



さて、七ヶ浜町は、災害対策本部の他、県外から来たNPOのボランティアセンターと自衛隊が、
がっちりと連携ができていて、女川と対照的な印象を受けた。

物資も潤沢で、ボランティアセンターのスタッフが、
物資の仕分けやニーズの交通整理役をやっている。

また、在宅避難者の把握もバッチリできており、隙が無く、俺たちの出る幕無しといった印象。


念のため、在宅避難者のいる地区に聞き込みに行ったんだけども、
実際、モノには不自由していないと言われた。

実際、そのお母さんの家の数メートル先は壊滅的なのにもかかわらず、
お母さんは、きれいな服を着て、バッチリと化粧をしていた。

電気も復旧したみたいだし、
ちょっと移動すれば、近くの商店にはもう物資が来ているから買い物ができる。

町内の別なガソリンスタンドは、普通に営業をしていた。

ガソリン渋滞など皆無。


しかも、女川では、仮設住宅を建てる場所すら決まっていないというのに、
七ヶ浜には、もうすでに仮設住宅が完成間際だった。


七ヶ浜町は、役場も高台にあるし、都市機能は完璧に機能していて、
「強い町」といった印象だった。


ということで、こんな感じで、1回目の物資支援が終わりました。


記事中にも何回か書きましたが、今後、ちょっとこれからの支援の仕方を変えます。

それは、別記事にまた新たに書きますので、もうちょっとお待ちください。

 
posted by わこう at 00:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

物資配送について。

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この記事は、珈琲バカ、まくろび庵の両方に書きます。

先日、救援物資を送っていただきたい旨をBLOGに書いたところ、
全国からたくさんの物資を届けていただきました。

お店に直接持ち込んでくださった方もたくさんいらっしゃいました。

皆さん、本当にありがとうございます。


皆さんの気持ちのこもった物資、責任もってお届けいたします。


さて、これからの流れを書きますね。


4/10の日曜日に、俺の高校の後輩が車(四駆のワンボックス)を出して、
一緒に行ってくれることになりました。

日帰りの予定です。


予想以上にたくさん集まっているので、
まずは、今週いっぱいまで送っていただいた物資を、
一度、品目ごとに分別することにします。



品目と数をまとめた時点で、被災地の状況に詳しい平くんに内容を報告し、
どの地区に行ったらいいのかの指示を仰いで行くことにしました。


現在、ボランティアや物資支援、被災地見学の車などが多い上に、
道路もまだ未整備の箇所も多いので、道路が渋滞しているようです。

なので、どこまで、どのくらい行けるのかは皆目見当も付きませんが、
とにかく可能な限り回ってこようと思います。


なお、どんな物資を送ったらいいのかについて、
ご質問も多数頂戴しておりますが、
俺もまだ現地に行ったことがないので、
正直何が必要なのかは現時点ではわかりません。

行ってきて状況を細やかに把握できるかどうかもわかりません。


そして、必要な物資は、刻々と変わっていくと思います。


なにもかも初めての手探り状態ですので、どうかご了承ください。


一番多いご質問に、新品でない服や靴についてがあるのですが、
基本的に、新品、もしくはそれに準ずる物とさせていただきます。

平くんのBLOGに、服についてのことが書かれたので抜粋しますね。



【お願いがあります。】

中古の服は、よほど程度がいいか、買ったけど着てない。
というモノをお願いしたい。

以前なら、

「被災してなにワガママ言ってんの?着ればいいじゃん。」

と思ってましたが、どしどしと集まるブッシッシを見ていると、
どんなに思い出や気持ちが詰まっていても、
どんなに愛情や笑顔の記憶が詰まっていても…


誰も言わないから言うけど、

【汚く見えてしまいます。】

ハードオフや古着屋に負けてしまう。


貧困感が出てしまいます。

何度も言うけど、彼等は貧乏人でも何でもない【たまたまそこにいただけ】

【たまたまそこにいただけ】のおじさん。

【たまたまそこにいただけ】のお姉さん。

自分が【たまたまそこにいただけ】と想像力を働かせて下さい。

無造作に、段ボールにごちゃごちゃと入れられた服をもらって嬉しいですかい?

顔が見えてれば絶対に嬉しい。

色々な考え方の方がいます。

もちろん、喜んで下さる方もいます。


でも、何もかも足りてないエリアでさえも、
中古の服は山のようにダブついている、これが答えです。


人の感情のやりとりですから、どうか不快に思わずにお願いを聞いて頂きたい。


服は新品。

若しくは準ずる程度。


▼マジックで名前が!

▼名札の針の穴が!

▼カレーのシミが!

▼あらオシャレ、毛玉模様♪


皆様にとっては色んな思い出があっても、無理だと思います。

絶対に伝わらないのだと思います。

他人の家のホームビデオは見てられない。それと同じ。


ただ!

俺は死ぬ程嬉しかったから、なんとかしようとシワを伸ばして、
袋に入れて新品のようにしています。





とあります。

記事全文はこちら。


どうかご理解をいただき、ご協力をお願いいたします。



先の記事にも書きましたが、被災地の復旧・復興については、
途方もない時間を要すると思います。

なので、一回こっきりで終わらせるつもりはありません。


ただ、俺も自分の仕事がありますし、合間合間に行く時間を作って、
無理の無いよう、長く続けていこうと思っています。

物資を送ってくださる皆さまも、
ご自身のお金を使って物資を調達したり、
送料をご負担いただいたりしていると思います。

送ってくださる方も、どうか無理の無いようにしてくださいね。


何回も書きますが、とにかく長期戦になると思います。


今週末、実際に行ってみて、進捗や、新たなお願いなど、
随時、BLOGにアップしていきます。


震災直後から、あちこちの被災地を回って活動している平くんが、
情報をたくさん持っているので、
俺にとっては平くんが司令塔になります。


とにかく、皆さんからいただいた、心のこもった物資を無駄にすること無いよう、
被災地の皆さんにお届けしてきます。


よろしくお願い申し上げます。

 
posted by わこう at 17:17| Comment(1) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月04日

救援物資募集します。


珈琲バカ、まくろび庵BLOG、両方に同内容の記事を書きます。


震災から3週間が過ぎ、やっと今日あたりからは、
仙台市街地ではガソリンが並ばなくても買える(お店による)ようになった。


しかし動ける人は、震災直後から、津波に襲われた地域などに、
救援物資を届けるボランティアをやっている。


俺の知人では、平 了(たいら りょう)くんが、その活動をしている。

仙台でもまだ物資が不足している時から、
彼は、新潟まで物資の買い付けに行っては被災地に届けるということを繰り返している。


彼の行動力と、熱いハートには、本当に頭が下がる。


平くんが毎日の活動内容を書いているBLOGはこちら。


その一方で、海外からの支援を断ったり放置している、
バカな政府の、無能さやのんきさ、現状認識の甘さが海外でも話題だ。

そのバカさが一目瞭然のニュース記事はこちら。


毛布の仕様が合わないからと準備し直させるとか、バカじゃないのか?マジで。

毛布が無いばかりに、低体温で死んでしまう避難所の人たちが後を絶たないというのに。


マジであきれる。



話は元に戻って、震災後、ほぼ毎日のように平くんのBLOGを読んでは、
俺も何かできることはないかとウズウズ。

悲惨な被災地の現状を知るにつれ、
この状況はかなり長期化するということがわかる。

仙台の市街地でさえ、もうすでに震災は過去のことになりつつあるような雰囲気だ。

喉元過ぎれば熱さを忘れるで、
ライフラインが復旧して、以前のような生活ができるようになった人たちの中に、
自分たちが良くなれば、もうそれでいい的な人も出てきて、なんか腹が立つ。


先日、電磁調理器を5台ゲットしたので、平くんに託した。

そのとき、平くんから生の現場の声を聞いたんだけど、
俺ですら認識が甘かったと思い知らされた。


もう一度書くが、簡単に「復興」というひとくくりで済ませたいところだけど、
とにかく長ーい長ーい時間がかかると覚悟した方がいい。


そして仙台は、そんな沿岸部の被災地から一番近い、物資の豊富な都市だ。

物流もなんとか元に戻り、仙台市内にもやっと物が入ってくるようになった。


そんな東北の中枢である仙台が、沿岸部への支援やパイプ役をやらなくてどうする。


さらに、俺がいつも読んでいる、ガジェット通信というサイトに、
驚くべき記事が書いてあった。

仙台市の行政には怒りを覚える。仙台市のメジャーな避難所には物が溢れているのだ。
それで東京都庁で物資の受け付けをやっていて物凄い集まっていたのに、
仙台市はもう要りませんと断ったのだ(それで都庁も受け付けをやめた)。


なぜ同じ宮城県で困っている地域に分配しようと考えないのか。


現地のボランティアが余っているなどというのは幻想だ。
今回は余震や原発の関係もあってボランティアはまったく足りていない
特に僕らが回った6箇所の避難所には1人のボランティアもいなかった。


とある。


ビックリだな。

記事全文はこちら。




ということで、前振りが長くなりましたが、皆さんにお力をお借りしたいのです。


まくろび庵に、
被災地へ届ける救援物資を送ってください。



その時々の状況により、平くんに託すかもしれないし、
俺が直接現地に持って行くかもしれません。


平くんがBLOGに書いた、緊急性が高い救援物資は、

◇長靴
現場は釘や瓦礫がひどいため、ゴム長はすぐに穴が開いてしまいます。

◇ゴム手袋
軍手も大事ですが、復興・復旧に進む前に、絶望はしつつも懸命に家族を探している人達がワンサカおります。
泥やヘドロを進み、手で遺体を上げます。
目的とは違っても、見つけてしまった順番に彼等は手で救い上げています。
ゴム手袋が必要です。

◇ビタミン剤、風邪薬
連日いつ倒れてもおかしくないほど、友達や恋人、家族の捜索をしている彼等は、夜は夢を見てしまいまともに眠れていません。
皆さんの想像を絶する光景は心身共に極度の疲労に繋がります。
皆といると明るいけれど、せっかく津波に勝ったのに目の前で凍死してしまう人々を思い出してしまい、泣きだしてしまったり、精神的にも参っています。大の男がです。
せめて俺達は体のメンテナンスの助けになれればと思ってビタミン剤等を物資として送って頂いたり、何とか購入して彼等に渡しています。

◇下着
トイレットペーパーが潤沢ではないと下着が汚れてしまいます。
捜索をしている彼等は生活の基盤を整える以前の状態であることは先にも述べました。
下着、靴下はいくらあっても足りません。
洗濯機がありませんし、半日並んでコインランドリーという時間と気持ちにも余裕はありません。
女性用が足りていませんでした。

◇文房具(えんぴつ)
学校開始が間近です。
しかし、何もかもが足りておらず、商品数を限られたスーパー等での購入品目にえんぴつやノート、筆箱や下敷きは入り込めないのが現実です。
少しずつでも構いません。
かき集めれば、一つの学年が足りる、一つの学校が足りる、と考え方をシフトして頂き、ご自分のお子さま達の教育も兼ねて、「分けようぜ!」と、少しでも分けて下さい。

◇子ども靴
泥々でした。
替わりはありません。

◇チョコレート等の甘いもの
疲れたら甘いものが一番。
パンや食料に重視すると忘れがち、若しくは後回しにされますが、本当に重要です。
元気が出ます。

▼整髪料やシャンプーは沢山頂きましたが、今はそれほど必要がありません。



とのことです。

保存食やトイレットペーパー、生理用品なども喜ばれると思います。



俺が責任を持って中継いたします。


送り先は、

〒984-0051
宮城県仙台市若林区新寺3-12-32 まくろび庵

電話/FAX 022-295-7772



なお、お願いしておきながら大変恐縮なのですが、
箱を開けなくても中身がわかるように、
外側に何を入れたか書いていただけると大変助かります。

できれば、ヤマト運輸かゆうパックなどで。

佐川急便、福山通運はまだダメっぽいです。


仙台市内では、やっとガソリンが普通に手にはいるようになったので、
これを機に、被災地へ救援にいける人も増えると思います。

そして、ガジェット通信に、もうひとつ、

「マイナー避難所の支援方法」

という、大変参考になる記事があったので、
ご参考にしていただけるといいと思います。


微力ながら、俺も役に立ちたいと考えています。


何卒ご協力の程、よろしくお願い申し上げます。

 

 
posted by わこう at 17:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月03日

震災ルック。


震災から3週間経った。


しかし、やっぱりまだ明るい色の服を着たりする気になれない。



震災後、食べ物もなかなか手に入りづらいとき、ガソリンも無いから、
仙台の町の中は、リュックサックを背負った人たちがたくさん歩いていた。

車がほとんど走っていないのに、人があちこちウジャウジャと歩いている光景は、
本当に異常だったと思う。


男も女も、ジーンズに、ダウンや地味な色のジャンパー、
そして、リュックや旅行用のゴロゴロを引っ張ったりして買い物をしていた。


違う意味で、あんなに人がいっぱい歩いている仙台の町を初めて見たかもしれない。


現在の仙台の町には、そろそろファッショナブルな人も出始めたけど、

まだ全体的には、暗く、地味な色の服を着ている人が圧倒的に多い。



自粛しているというよりは、俺と同様、まだそんな気分になれないんだと思う。





ある日の俺の出で立ちは、



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上から下まで真っ黒。










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この顔にピンときたら110番。











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オレオレ詐欺のお金おろしに行ってきまーす!









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学校から渡されるプリントに書いてある、不審者の見本です。





この出で立ちで、お店で引き出しのものを探す姿は、











shinsai_1.jpg


まんま泥棒!





と、このネタのために、三脚とセルフタイマーを使って独りで撮影しました。


この努力を買ってください。



以上です。


 
posted by わこう at 01:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月30日

男の会で精神解放。


以前から月イチで、自然食を考える男の会というのをやっている。

最初は、本当に、農業やエコ、東洋哲学などなど、
各方面の代表的な男たちが集まって、酒を飲みながら語り合う、
そんな会としてスタートした。

現在は、開始当初からはだいぶ顔ぶれが変わったものの、
いろんな業種の人たちが集まって本音をぶつけ合う会となっている。

「男の会」とはいうものの、女性メンバーもいる。


かれこれまる3年が過ぎ、4年目に突入。
なんだかんだ言って、こうやって続けられるのは本当にうれしい。


今回の震災で、3月はやめようかどうしようかと迷っていたが、
メンバーの安否確認や、近況報告をしたいとも考え、
会場として予約していたお店も、限定メニューながらたくましく営業しているということで、
急遽決行することにしたのだった。


交通もまだ完全ではないので、無理しないでいいよと連絡したにもかかわらず、
今月は俺を入れて8名のメンバーが集まった。

無事な再会に、みんな「おー!」と握手したり、ちょっと涙ぐむ場面もあり、
やっぱり決行してよかったなーと。


今回来たメンバーは全員、幸いにして家族も無事で、
怪我もなく元気に集まったものの、やはり、その友人・知人の中には、
大切な人が津波で犠牲になってしまった方もいるようで、本当に胸が痛む。


今回来たメンバーの中でも、けっこう間一髪だった人もいて、
現役トラックドライバーの親友ナベさんは、
地震の日のその時間は、本来ならば亘理で昼寝をしているはずだった。

だけど、たまたまシブヤさんのところに行く用事があり、
いつものコースから外れていたために、亘理での津波を免れた。

しかも、地震発生時は、シブヤさんのところを後にして、松島を走ってたんだけども、
ラジオで津波がくると聞き、山手に避難。

ナベさんがもともと走っていた松島の海岸線も、津波にのまれた。


「いやー、すべてが仕組まれたように難を逃れた。」と言っていた。



さらに、メンバーのマコッちゃんも、強運の持ち主。

マコッちゃんの会社は、仙台港の岸壁にあったんだけども、
地震発生後、津波がくるということで、最初車で逃げようと思ったんだけども、
道路が避難の車で渋滞。

そこで、パンクしていたチャリンコを必死にこいで津波を逃れた。




男の会のメンバーではないけど、俺のトラック夜郎時代の相棒の会社には、
トレーラーごと津波で流されたものの、泳いで生還した奴もいるという。


いやー、すごい話だ。



俺は都心部にいて、難を逃れることができたけど、
沿岸部は本当にちょっとした判断が生死を分ける状況だったんだなーと。


とにもかくにも、みんな無事でよかった。





が、しかし、今回の男の会の顔ぶれを見て、なんか変だなーと。




なんか、みんな太っている。


いや、実をいうと、俺もちょっと太ったなーと思っていた。


そうしたら、みんな口を揃えてこういう。


「食べられるときに食べておかなきゃと思って・・。」


いや、実は俺もそうなのよ。



震災後、ガスも電気も水も無く、わずかな食糧の備蓄で過ごした数日。

そんな状況下、本能にスイッチが入ったのか、とにかく生きるために、
自分が野生化したというか、本能のままに生きようとしているのがわかる。


そして、食料にありつくと、とにかく食べまくる。


さらに、震災前のいろんなお付き合いもあり、
食べ物が集まってきたり、ご馳走になったりする機会も多く、
そのたんびにまた食べる。

しかも、電気がまだ復旧していないころ、
肉屋さんや魚屋さんの冷蔵庫のスイッチが切れ、
冷凍していた極上のものがもうもたないからと、安く売りに出され、
そういうものをご馳走になることが何回か。

高級な肉とか、毛ガニとか。


震災後、テレビをつければ不安をあおるようなニュースばかりが流れ、
救援が届かないところやインフラ復旧の見通しが全く立たない地域では、
実際に火事場泥棒や略奪行為も起き始めている。

そんな状況に、みんなイライラピリピリ。

だから、とにかく食べられるときに食べておかなきゃっていう本能のスイッチが入る。


実際、俺も男の会でメンバーの顔を見るまでは、
いろんな場面で温度差を感じてガッカリしたり、
平和ボケしている人たちの言動に、ものすごく腹が立ったりと、
本当にピリピリしていた。

シブヤさんも、友人たちのためにと工場を開放しておいたら、
大事なヘルメットや燃料などを盗まれたということで、
俺以上にピリピリイライラしていた。



みーんなピリピリ。


だけど、今月の男の会は、みんな堰を切ったように話し出し、
感情を出したり、ぶつけ合ったりして、本気で語り合った。

いやー、こんなに盛り上がったのは久しぷりだなー。

みんなうっぷんが溜まってたんだと思う。


それをドカーンと出し合って、ぶつけ合って、
会が終わるころには、みんなスッキリした顔をしていた。


ちょっとケンカ腰で議論する場面もあったけど、
だけど、そうやってケンカできるのも生きていればこそだ。


みんなそれをわかっている。


わかっているから、安心して感情をぶつけ合う。


そんな人間関係を築けていたことが、本当にうれしい。



俺たちにとって、今回の震災は、まだまだ渦中だ。


俺のことを言えば、これを機に、今まで通りの営業を変えて、
新しくリニューアルする方向で準備をしている。

シブヤさんも、今回の地震で工場がメチャメチャになってしまった。

マコッちゃんも去年買ったばかりの車が津波で流された。

ほずみちゃんも、津波で泥だらけになった家の復旧作業をしている。


だけど、みんな無事で生きている。

たくましく復旧に向けて動き出している。



来月の男の会は、
もっと明るいニュースや報告が飛び交う場になることを切に願う。


がんばるべ!

 



posted by わこう at 14:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする