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2011年10月30日

幻のロックフェス us festival 83。


quiet.jpg

高校の時、バンドを組んでいた。
応援団もやっていたけども、ドラムも叩いていた。


ある日、メンバーが、テレビ番組を録画した、1本のビデオを持ってきてくれた。


それが、このus festival 83。

小林克也が司会の、ベストヒットUSAで組まれた特番だったと思う。



いやー、とにかくすごい内容で、このフェスティバル4日間の動員数が約60万人。

それだけの動員があったにもかかわらず、出演者のギャラなどで大赤字。
2回までは開催したものの、3回目以降の開催を断念した、幻のロックフェスと言われている。



プリテンダーズ U2  ミッシング・パーソンズ ストレイキャッツ クラッシュ ベルリン
スティービーニックス メンアットワーク クワイエッ・トライオット ジューダス・プリースト
そして、ヴァン・ヘイレン

まだまだ参加バンドがあるが、この放送で取り上げられたのは上記バンド。


それでもすごい、すごすぎるメンツだ・・・



このビデオを、貸してくれた友達と一緒に、時には神プレイに鳥肌を立て、
時にはゲラゲラ笑いながら見たもんだった。


その後、このフェスティバルのDVDとか発売されてないかとか、
調べまくったんだけども、us festivalの「あ」の字も見あたらない。

やっと、発売されたのは、だいぶ経って2009年。
しかしそれも、カットされている部分があまりにも多く、だいぶ不評だ。


ところが!


今日、なにげに動画を検索していたら、
us festivalの動画がいろいろアップされてるじゃないの。


もう諦めてしばらく経って、すっかり忘れちゃってたよ。このフェスティバルのこと。


だから、飛び上がるくらいうれしかったねー。


と、いうことで、その、ベストヒットUSAの番組動画が5分割されて、
まるっとアップされているのも発見したので、貼っておきます。

いつ削除されるかわからないので、ファンの人は必見よ!


なお、この埋め込みでは5分までしか見られないので、
すべて見たい人は動画下のリンクから見に行ってみてください。



途中途中のコマーシャルも80年代がプンプンで一見の価値あり!





そして、その中に出てくる、
ヘヴィメタルの重鎮、ジューダス・プリーストが演奏直後、
熱狂的なファンがステージに乱入して、ロブ・ハルフォードに抱きつくハプニングが。


ところが、ロブば余裕でこれをスルー。


いやー、かっけー!


なので、そのジューダス・プリーストの演奏の部分だけの動画も下の方に貼ってます。



いやー、80年代、いいわー。



us festival 1

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us festival 2

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us festival 3

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us festival 4

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us festival 5

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ジューダスの神対応。



かっけー!


80年代イェーイ!ナウいぜー!


 
posted by わこう at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月20日

大貫妙子が歌う坂本龍一。


L043722.jpg

最近、大貫妙子が歌う坂本龍一というコンセプトで、
ニューアルバムがリリースされ、その仙台公演があったので、
りえさんと行ってきた。

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坂本龍一と大貫妙子がユニットを組んでツアーをするのは、
これで最後ということで、本当に貴重な仙台公演。


俺は、YMOからの流れで坂本龍一(以下 教授)の大ファン。

30年前、俺が中学校一年の時、やはり今回の講演と同じ、
東京エレクトロンホール宮城(旧 宮城県民会館)に、
YMOが来て、友人と一緒に見に行ったこともあり、とても感慨深い。

そのときのことを書いた記事「YMOに想う」はこちら。


今回の公演で30年ぶりに見た、生の教授だったわけだ。


ステージは、客席もステージも薄暗く、
グランドピアノとマイクだという、シンプルなレイアウト。


そして、静かに演奏が始まった。


教授の、繊細かつ柔らかいピアノと、大貫妙子の乾いた優しい声。

ただただ、素晴らしくて素晴らしくて鳥肌が立った。


曲の合間合間に、語りがあるんだけども、
大貫妙子と教授のなんとも言えない、スローな間の掛け合いが、
とにかくおもしろく、「わははー!」という笑いじゃないんだけども、
「クスクス」「ムフフフ」と、なんかこみ上げてくるおかしさ。

教授も言っていたけど、茶飲み話てきなMC。

いやー、おかしかったわー。


バックには、モノトーンが基調の、
とてもシンプルなCGがスクリーン投影されていて、
またスローで繊細な曲調にピッタリ合っていた。

んー、すごいセンス。さすがだなー。


CDのクオリティも素晴らしいんだけども、
やはり、生で演奏している教授の、本当にソフトなピアノは、
生ならではの迫力があった。

んー、うまく言葉にできないんだけども、とにかく素晴らしかったのだよ。


アンコールが2回あったんだけども、
戦場のメリークリスマスを弾いてくれて、マジで鳥肌が立ったよ。

いままで、プロアマ問わず、いろんな人が弾く戦メリを聞いたけど、
やっぱり本物はぜんぜん違う。

まぁ、あたりまえだけども。


りえさんが、今回のアルバムを買ったので、
家で一緒に聞いていたんだけども、いやー、素晴らしいわー。


ピアノは、正直、生で聞いたときの方が良かったんだけども、
それでも素晴らしいクオリティだ。


切なくなるメロディラインと、大貫妙子の絶妙なヴォーカル。



ぜひ聞いていただきたい。

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こういう、静かな曲が好きになったということは、
耳が肥えたのか、歳をとったからなのか、どうなんだろう・・。


とにかく、30年ぶりの教授。

生で見られて良かった。


また仙台に来ていただきたい。

 
posted by わこう at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

夢のような家で、君と。

先日、大切なお友達、カウンセラーの生支州さんから、
1枚のCDを教えてもらった。



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「夢のような家で、君と」

その邦題を読んだだけで、グッと来てしまう。


そして、1曲目の「いつものように」をはじめて聴いたとき、
思わず目頭が熱くなった。


まるで、現在が、楽しくて美しい過去を振り返っているように錯覚させる、
そんな、過去を一瞬で浄化し、包み込んで癒してくれるような、そんな優しい曲。

っていう表現でわかるかな・・。



ここ最近書いている、回想録や、トラック野郎時代の話には、
カッコよくいえば、俺の若さ故の過ちというか、若気の至りが綴ってある。


たくさんの人を傷つけ、自分も傷ついてきた。

たくさんの出会いと別れがあった。

時には、身を裂かれるような悲しい別れも。




トラック野郎時代、事故や自殺で大切な仲間や先輩が何人も死んだ。


そして、去年、あべはりさんという大切な親友が死んだ。

心のよりどころだった、あべひげさんも死んだ。




だからこそ、今、こうして、何気ない日常を生きられることの幸せを感じている。



借家とはいえ、庭のある、眺めのいいロケーションの家に住み、
パートナーや猫たちに囲まれ、癒され、
小さなお店を持ち、お客様や仲間に囲まれている幸せ。


トラック野郎時代、仲間が死ぬたびに、「明日は我が身」と、身を引き締める。

そんな緊張感の中で暮らした数年間。


何度も死にそうになった。



でも、生きている。

生かされている。




今だって、いろんな事は起こるけど、トラック時代に比べれば、死ぬ確率は低くて平和だ。


身の危険を感じないで暮らすことができる幸せ。


平和に日常を過ごすことのできる幸せ。




そんなことを、ググーッと一気に振り返らせてくれる、
ジョー・バルビエリの優しい歌声。


ブラジルの大御所、カエターノ・ヴェローソや、
ジョアン・ジルベルトが絶賛している、バルビエリの歌声。


そして、キューバの大スター、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにも出ていた、
オマール・ポルトオンドとのデュエット曲もある。(4曲目)

このデュエット曲も、マイナーコードからメジャーコードに移る、
その展開の素晴らしさ。

甘く切ないフレーズから、一転して癒され、包まれるような開放感。


本当に素晴らしい。



今、俺を取り巻く環境は、まさに、このCDのタイトル通り、

「夢のような家で、君と」

だ。



1曲目の「いつものように」は、俺が人生を終わるとき、
自分の人生を振り返る時に聴いていたい曲だ。


アマゾンで、すべての曲が、前半40秒くらい視聴できる。


このCDは、ハンカチを用意してぜひ聴いてほしい。




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「夢のような家で、君と」


 
posted by わこう at 20:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月29日

若林ケンさんの新曲「ひだまり」。


おとといにあたる、1月27日、60歳を過ぎてメジャーデビューした魂のシャンソン歌手、
若林ケンさんの新曲、「ひだまり」が発売された。

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俺も買わなきゃ!


ケンさんとの出会いは、一昨年に望診の山村慎一郎先生に、
歌舞伎町にあるケンさんのお店、ペイトンプレイスに連れて行っていただいたのが始まり。


初めてケンさんのお店に行ったときの記事はこちら。


ケンさんについての思いを書いた記事はこちら。



いやー、プロの歌手の前で歌って、ほめていただいて、
そして、目の前でプロの歌手の歌を聴いて・・・

もう、何もかも初めての体験と、
ケンさんのカッコよさに、本当にシビレたもんだった。


そして、去年の夏、またケンさんのお店に行くことができて、
ケンさんと一年ぶりの再会。

その時の記事はこちら。

俺のBLOG記事や、YouTubeにアップした動画などを見て、
ペイトンプレイスを訪れたお客さまが結構いらっしゃったようで、
再会したとき、ケンさんはとても喜んでくれた。

いやー、俺のBLOGが、お役に立てて、本当によかったー。


この日ケンさんは、たっくさんの歌を歌ってくれた。

俺も本当にうれしかったー。



その後も、ケンさんが俺のBLOGにコメントをくださったり、
俺もケンさんのBLOGにコメントを書いたりして、
今も、交友を続けさせていただいている。


なので、そのケンさんが新曲を出したとなれば、応援しないわけがない。



今回発売された「ひだまり」は、ケンさん初の、ご自身が作詞作曲された曲で、
ある日突然、この曲が頭の中に降りてきて(と言っていた気がする)、
急いでレコーディングスタジオに駆けつけ、譜面にしてもらったという、
そんなエピソード曲なんだそうだ。

そのエピソードの話もチラッと出てくる、
初めてケンさんとお会いしたときに歌ってくれた「ひだまり」の動画をどうぞ。



山村先生のピースサインがお茶目で笑えます。



そして、おとといのケンさんのBLOGに、
この新曲発売日に関する話が書いてある。


ケンさんのその記事はこちら。




お母さまを想うケンさんの気持ちに、思わずグッときてしまう話だ。


そんなケンさんの新曲。


俺がおととし聞いたときは、まだピアノ伴奏だけのシンプルなバージョンだったけど、
CD発売にあたって、どんな風に編曲されているのかが楽しみ。


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ケンさんに会いたくなったなー。


よし!仕事頑張って、なるべく早くケンさんに会いに行くぞ!


 
posted by わこう at 00:29| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月14日

過ぎるほど優しい曲。

以前、俺が唯一、心から信頼しているリーディングの人、生支州(イシス)さんから、
りえさんが一枚のCDをいただいた。


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アイザ・セグエラ。


まだあべさんが亡くなって日が浅かったとき、
家で聴こうと、りえさんがかけてくれたんだけど、あまりにも悲しい渦中にいたから、
歌声があまりにも優しすぎて、最初の数秒を聴いただけで、涙が出てきちゃって、

「ダメだー・・。今はまだ聴けない・・。」

と、再生をストップしてしまった。


そのくらい、このCDは優しかった。



その出来事から、このCDは、俺の中であべさんの思い出とリンクするCDとなった。





先週、やっとこのCDを聴けるくらい気持ちが復活したので、お店でかけてみた。

優しい歌声が、ウチの店の波動スピーカーから流れ、
ゾクゾクするくらい、お店中が優しい波動に包まれた。



その日、開店一番に、おふくろがお友達と一緒にカレーを食べに来てくれたんだけど、
そのお友達の住まいは、あべさんちのすぐご近所だったことがわかった。

「このCDをかけた途端にこれかよー・・。」


洗い物をしながら、あべさんを思い出して、ちょっとウルッときた。



その後も、不思議とあべさんとゆかりの深いお客様が何人もいらっしゃり、
自然とあべさんの話になって、涙ぐむ人がチラホラと。


先日、りゅうごくんに書き下ろしをしてもらった時のエピソードなど、
いろーんな話をして、結局その日は、あべさんを偲ぶ一日になった。

そして、みんな、

「このCD、優しくて癒されるわー。」

と、口々に言っていた。



その次の日も、今日も、あべさんと関係のない人ですら、
なぜか心をオープンにして、悩みや苦しみをはき出して、涙していく人が。


このCDの、この優しさは一体何なんだ?


先日、日本一多彩な車が集まるスローカフェを目指すという記事を書いたが、
それに加えて、まくろび庵は、
そんな、悩める人たちに、癒しを与えるカフェでありたい。


そんなことを考えていた。



そして、生支州さん、本当にありがとうございます。


 
posted by わこう at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月14日

BVSCとキューバの奇跡。


以前友人からもらったDVDを、昨日、初めて観た。
俺がラテンやジャズが好きだからだ。


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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ。(以下BVSCと書く。)

いやー、靜かに展開していくのに、なんてパンチのある映画だろうと思った。


ウィキペディアを見ると、BVSCは、

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(Buena Vista Social Club) は、
ギタリストであるライ・クーダーと、キューバの老ミュージシャンで結成されたバンド。


とある。

その、老ミュージシャン達とバンドを結成して、
レコーディングやツアーをしていく様子を撮影した、ドキュメンタリー映画だ。


もう、10年以上も現役を退いている、キューバの老ミュージシャンにスポットを当て、
ワールドツアーまでやっちゃった、そのライ・クーダーの功績は大きいと思う。


この映画に出てくる老ミュージシャン達は、
この映画の撮影当時で70代から90代のお年寄り。

しかし、とにかくカッコイイのだ。



キューバのナット・キング・コールと言われた、イブライム・フェレール、
今も現役の女性ヴォーカル、オマーラ・ポルトゥオンド、
年をとっても素晴らしいプレイをするピアニストのルーベン・ゴンザレスなどなど、
とにかく、老人たちが輝いていて、カッコイイのだ。


映画としては、あまり抑揚のない感じで終始するんだけど、
とにかく、あとからジワーッと来て、それぞれの人生や生きざまに感動したり共鳴したりして、
胸が熱くなって涙があふれる。

そんな映画。


この映画の収録後、このバンドのほとんどのメンバーが、
高齢のために他界している。

そういう意味では、本当に奇跡と言える映画だ。



後半で、ニューヨークのカーネギーホールでの講演を前に、
イブライム・フェレールが、

「音楽に幻滅していた。音楽はなにももたらさなかったんだけど、
音楽をやってきたおかげで、憧れのニューヨークに来られた。」

みたいなことを言っていた。



キューバはいろいろあった国。
情勢だって不安定だったと思う。

そんな中、音楽を信じ、音楽にかけるしかなく、音楽を続けるしかなかった。

貧しく、それにしかかけるものがなければ、
とにかく信じてやり続けるしかないのだ。

それでも、50年以上音楽を続けてきた
イブライム・フェレールは凄いと思う。


他のミュージシャンたちも、もう、それしか選択肢がなく、
ずーっとやり続けてきたものが、やっと老人になって認められたり。



それに比べて、俺をはじめ、日本はどうだろう。

俺も、東京で、若林ケンさんとカラオケを歌うことができ、
写真で個展を開催させていただき、
お店では、俺の講座もさせていただいている。


それでも、「無い」とか、「足りない」というところから見たら、
何を持っていても、どこまで行っても、満たされることはないんだろうなーと思う。


でも、俺は、いろんなことができる、選べる環境に生きている。


それだけでも、本当に感謝だ。


あってあたりまえは、なにひとつ無く、在ることに感謝。

とにかくそこしかない。


この映画で、そんな、当たり前の日常に感謝して、
毎日を大切に生きるという、人として大切なものを教えてもらった。


本当に、胸が熱くなるイイ映画だった。

 
posted by わこう at 03:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

Roxy Music。


先日、TSUTAYAでなにげに発見した一枚のDVD。


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Roxy MusicとT.rexの、1970年代前半のライヴ。


Roxy_1.jpg

いやー、シブイ!カッコよすぎ!
70年代、ニューロマンティックというジャンルを確立したビッグバンド。


俺も、なんだかんだ言って40を過ぎ、
70年代ってつくづくカッコよかったなーと思う今日このごろ。


今みたいに、高性能な電子楽器が無い頃だからこそ出る味というか、
荒削りなカッコよさ。

正直、20代には、この良さがわからなかった。




ブライアン・フェリーの強烈な個性。

初めて見たのは、俺が20代の頃見た、
ソロのブライアン・フェリーのこのプロモ。



ちょっと、ブライアン・フェリーのアップはキツイなーとか思いながら見たもんだ。



月日は流れ、40を過ぎ、スカパの、Music Airチャンネルで、
昔のRoxy Musicのライヴを見たとき、電撃が走った。

昔のブライアン・フェリーって、こんなにカッコよかったのかーと。



今回、TSUTAYAで見つけたDVDは、
まさに、Music Airチャンネルで見たライヴそのものだった。






俺は、QUEENが昔から好きだったが、フレディが亡くなって、
いろんなアーティストが集まって追悼ライヴをしたとき、デビッド・ボウイが、
「70年代、Roxy Musicはカッコよかった。」みたいなことを言っていて、

「えぇー、マジで・・・。」なんて思ったものの、それは本当だった。



なんと言っても、強烈な個性とワイルドなサウンド。

この時代ならではだなーと思う。








Roxy_3.jpg
Roxy Musicにおいて欠くことができない、サックス。





Roxy_2.jpg
Roxy Musicは、ドラムもギターもキーボードも、ハッキリ言ってうまいと思う。
その中でも、ひときわ個性を放つサックス。

この絶妙なバランスがいいんだな。



だから最近は、お店でお客様がいないときは、
Roxy Musicをガンガンかけてる時が多い。


今になってやっと、ソロのブライアン・フェリーもカッコイイと思えるようになった。



だから先日、あべはりさんが亡くなって、追悼のDVDを作ったとき、
あべさんの写真をスライドショーにしたものも収録したんだけど、
そのBGMには、ブライアン・フェリーの曲を使った。




泣かせる曲だ。


新しめのRoxy Musicのサウンドは、どんどんと洗練された感じになっていって、
それはそれでいいんだけど、俺はやっぱり初期のワイルドな方が好きだな。

「Rockっつーのはこういうもんだ。」っていうものを教えてくれている気がする。




今、ブライアン・フェリーは、音楽活動を続けているのかは正直わからない。



が、可能な限り、これからもいい曲を世に出していってほしいなぁと思う。


 

posted by わこう at 01:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月26日

マイケルジャクソン追悼。

マイケルジャクソンが死んじゃった。




中学生の時、受験勉強をしながら、よく、スリラーを聴いていた。

凄かったよね。マイケル。



数年前、行きつけの飲み屋さんで、マイケルのコンサートビデオを流していたが、
あまりの完成度の高さに、つい見入ってしまった。


そのとき、お店の人や、他のお客さん、共通の見解は、

「なんだかんだ言ってもマイケルはスゴイ。」

だった。



整形失敗だの、性的虐待疑惑だの、化け物だのなんだのと言われても、
やっぱり、エンターテイナーとして、超一流。


マイケルの歌や踊りは、やっぱり見ていてぞくぞくするし、
鳥肌が立つほど感動したりする。


たぶん、いろんな人のBLOGなんかで、
マイケルを追悼する記事はたくさん書かれるだろう。


で、俺が選んだマイケルの動画はこれ。


ニコ動版

11分と、ちょっと長い動画だけど、
すごーくわかりやすく編集されていて、マイケルの偉業がまるわかりだ。





YouTube版 その1。




YouTube版 その2。




死因がどうだのこうだのなんてどうでもいいこと。


マイケルほど、死んで「星になった」という表現が似合う大人はいないんじゃないか。


と、俺は思う。



ご冥福をお祈りいたします。

 
ラベル:マイケル 動画
posted by わこう at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月26日

巨匠 ウーゴ・ファトルーソ。

先日、知人が、仙台より東の街、塩竃市でライヴを主催したので行ってきた。


そのライヴとは、ウルグアイのピアニスト、ウーゴ・ファトルーソと、
日本人パーカッショニスト、ヤヒロ・トモヒロのユニット。

hugo_3.jpg
ウーゴ・ファトルーソ。


俺は正直、今回のライヴの案内を読むまで、この2人を知らなかったんだけど、
経歴を読んだら、いやー、スゴイ人たちだ。

ウーゴ・ファトルーソさんは、ブラジルを代表する世界のトップアーティスト、
ジョイスやミルトン・ナシメント、ハービー・ハンコックなどと競演しているスゴイ人。

パーカッショニストのヤヒロ・トモヒロさんは、
山下洋輔をはじめとするジャズミュージシャンとの競演や、
加藤登紀子やさだまさし、大貫妙子などのレコーディングに参加という、
これまたなんだかすごい人。


俺のジャズの師匠であるIちゃんも、とうぜんこの情報を入手していて、
「これはすごいことだ!泣いてしまいそうだ。」と言っていた。(笑)


さて、会場の塩竃市壱番館は、初めて入ったんだけど、
まだ新しくてキレイなホール。

全席自由なので、前から2列目を陣取った。



ライヴはとにかく凄かった。

ウーゴ・ファトルーソの精確かつ大胆で繊細な、流れるようなピアノ、
ヤヒロ・トモヒロの鬼気迫るカホンやジャンベを駆使した、迫力の大地系サウンド。

いやー、プロって言うのはこういうんだよなーと実感。


特に、ウーゴ・ファトルーソは、
世界のトップミュージシャンと言っても過言ではないほどの巨匠にもかかわらず、
塩釜の小さなホールにやってきて、たぶん200人にも満たない観客を楽しませるために、
気取らずに楽しみながらプレイしていた。

正直、キャパに満たないガラガラのホールにもかかわらず、
巨匠は本気でプレイしていたように思う。

しかも楽しみながら。



ここにプロの神髄を見たわけですよ。


人数なんて関係なく、自分が大好きな音楽を、
その場にいる人たちと共有して楽しむ・楽しませる。

巨匠ウーゴ・ファトルーソは、人として素晴らしいから巨匠なのだ。


言葉は通じなくても、人としての在り方、人間くささがにじみ出ていた。





hugo_1.jpg
ライヴのあとサイン会があり、2人が、買ったCDにサインをしてくれた。

俺の宝物がひとつ増えた。



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※※※追記※※※

先ほど、主催者の知人からメールが届いた。

以下一部抜粋


今回の全国ツアー中、唯一のホールということで、
他のライブ会場とは一線を引き、
二人は「深く音楽に陶酔した」と語ってました。

多分、ライブ盤として、
CD化してもおかしくないクオリティーだったかと思います。

〜中略〜


後で、ウーゴに彼(←俺のことね)はミュージシャンかと聞かれたので、
「食のミュージシャン」と紹介しときました。




いやー、すごくいい条件でライヴを観ることができたんだねー。

ラッキーだ。



さらに、ウーゴさんが俺のことを覚えていてくれたなんて・・。

しかも、食のミュージシャンとは・・。


恐縮です。


主催者のSさん、お疲れ様でした。



hugo fattoruso関連記事 (あんまり関連してないかも)
posted by わこう at 13:32| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月05日

菅田かおりちゃん。

今日、HMVの通販サイトに注文していたCDが届いた。



319.jpg
菅田かおり ※画像クリックでHMVサイトに飛びます。

Why Was I Born

彼女のBLOGはこちら。


かおりちゃんは、俺が子供の頃に住んでいた家の近所の、
俺の妹の友達。

小学校のころ、俺んちにも遊びに来てたし、
かおりちゃんの家は商店をやっていて、
俺も子供のころはよくプラモを買いに行った。

そのかおりちゃんが、
JAZZヴォーカルでバンドを組んで歌っていたことは知っていたが、
ついに本格的にCDをリリースしたのだ。


今日、届いたCDを早速聴いてみた。

こう・・乾いた丸い声がイイ感じで、
JAZZのスタンダードな曲のカバーなんだけど、選曲も渋ーくてJAZZYな感じ。

なんだかとっても良かったのよ。



「あのかおりちゃんが・・すっかりJAZZヴォーカリストになっちゃって・・。」

と、聴いててちょっとウルッときた。



数年前、あるイベントの仕事を受けたときに、
彼女のバンドに、JAZZを数曲演奏してもらったことがある。

その後も、仙台のジャズフェスの常連なので、
可能な限り彼女の歌を聴きにいったりした。

妹からもちょこちょこ情報は入ってきたりしてたし。



そんな彼女が、今や貫禄のジャズヴォーカリスト。
いいねぇ。そういうの。


彼女は今でも仙台在住で頑張っている。


まくろび庵でイベントするときとか歌ってもらおうかなぁ・・。



仙台発ジャズヴォーカリスト。
どこまで行くのか楽しみだったりもする。


このBLOGを読んでくれている皆さん!

菅田かおりをよろしくお願いします!

HMVでCD買えますよ!



もう一度、HMVサイトはこちら。



かおりちゃん、頑張れ!




ラベル:音楽 ジャズ
posted by わこう at 00:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月08日

今さらながらアンダーワールド。

ウチの店のBGMは、女性のお客様が多いことから、

ボサノバとか、ヒーリング系とか、なんとなくそっち系に偏りつつある。

 

が、ゆったり系だけでなく、たまにビートが利いた曲が聴きたいというか、

そんな衝動に駆られることがある。

 

以前から聴こう聴こうと思っていてなかなか聴く機会に恵まれなかったサウンドがある。

 

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アンダーワールド。

 

MTVなんかを見ては、「超COOL!」(もう古いね。この言葉も。)とか言ってて、

確かにプロモとかもカッチョよくて、「いつかは・・。」とは思っていたんだけど、

なんだかチャンスが無くてねぇ・・。

 

で、最近ヒーリング系とかゆったり系ばっかり聴いている反動で、

も〜我慢できなくなって、CD買いますた。

 

もうね・・・

 

 

 

 

 

 

最高。

 

 

 

も〜、店で聴くのに飽きたらず、パソコンでも聴いてるし、

MP3プレーヤーに入れても聴いている。

もちろん我が愛車、ダッジくんに乗るときもだ。

 

 

もうね・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

綾小路きみまろ以来のヒットだ。

意味がわからない方は、 この記事を読んでください。

 

 

 

いつものことなんだけど、今さらながらだ。

 

まぁ、このタイムラグがまたいいんだよ。うん。
ラベル:音楽
posted by わこう at 21:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月03日

王様に想う。

最近、まくろび庵開店の準備をしながら、

先日記事を書いたコンポで、家から持ってきたCDを聴きまくっている。

 

いやぁ〜、ノスタルジーに浸りながら、美味いコーヒー飲みながら、

ロックを聴きながら開店準備ができるなんて、何という幸せなんだろう・・・。

 

 

 

さて、ロックを聴きまくっているものの、

一気にノスタルジー熱に火を付け、俺を燃えさせたアーティストは、

ツェッペリンのあのへヴイサウンドでも、ピンクフロイドの渋さでも、

フレディやグラハム・ボネットの強烈なシャウトでもなかった。

 

 

俺を燃えさせたのは・・

 

 

 

 

 

 

 

王様の恩返し〜王様の日本語直訳ロック集
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王様でした。

 

 

ハードロックファンなら一度は聴いたであろう、

言わずと知れた、直訳ロックの大御所だ。

 

 

王様が話題になったころ、俺はまだトラック野郎だった。

今、ジャケットの裏を見たら、1996年って書いてあった。

 

FMでかかっていたのを聴いて、大爆笑してCDを買ったんだった。

 

懐かしい・・・。

 

 

当時、トレーラーに乗って関東を走っていたころ、

「高速道路の星」とか聴きながら、首都高をぶっ飛ばしていた。

 

最高だったねぇ〜。

笑いながら、しかも、日本語だからトラックの中で大声出して一緒に歌いながら。

 

俺は英語がわからないので、

昔から聴いていたなじみの曲を日本語で歌えるなんて、ホント画期的だった。

 

 

しかも、今もこの記事を王様聴きながら書いてるけど、

上手いね〜。この人たち。スゲェ。

 

 

黒い犬(原曲 Black Dog)なんて、俺もドラムやってたからわかるけど、

あの間を合わせるために、スティックを一瞬カチッと叩いてるところなんて、

ホント泣かせる。

 

 

 

結局、色モノ扱いをされて消えていってしまったが、

俺は王様に、ある意味憧れたりする。

 

ジャケットやコスチュームや歌で笑わせながら、

なにげに演奏テクは一流。

 

なんかカッコイイじゃない。そういうの。

 

 

俺も、「さりげなく本物」みたいな生き方をしたい。
posted by わこう at 19:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月03日

LIVE 8だって。

現在夜中の2時。

今、リアルタイムで、世界衛星生中継でLIVEを見ている。

 

スカパのフジテレビ721chだ。フジテレビのサイトはこちら。

 

 

LIVE 8っていう、アフリカの貧困撲滅を意図して、

100組のアーティストたちが参加するイベントで、いろんな所から生中継している。

live8

LIVE 8のオフィシャルサイトはこちら。(上の画像クリックでもOK)

 

LIVE 8 JAPANのオフィシャルサイトはこちら。

 

メジャーなアーティストも多数出演している。

U2、マドンナ、ボンジョビ、ビョーク、グリーンデイなどなど。

こういうイベントに毎度おなじみの人たちも多数。

 

REMも出てたなぁ。カッチョよかったぁ。

 

俺がチャンネルを変えたばかりの時(12時ごろ)は、ズッケロが出ていた。

今、2時15分現在で、アニー・レノックスが出ている。

 

いやぁ・・、思いがけず真夜中にたまげてしまった。

なんか、24時間テレビにも似た、独特のイベントの熱気がムンムンしている。

 

 

さっき、たまたまスカパの番組表を見ていてこんな事をやってるんだと発見。

途中からだけど、録画もしている。

で、オフィシャルサイトなんかを調べてみた。

 

オフィシャルサイトに書いてあるけど、

7月6日にスコットランドで行われるG8サミットで、

 

途上国支援の拠出額を倍増すること、債務を帳消しにすること、

そして公正な貿易ルールをもたらすことの実現可能なプランを話し合う

そうで、それに向けてメッセージを伝えるという意図だそうだ。

 

 

すごいねぇ・・。国連に直結した趣旨と、全世界を巻き込む力。

熱い。

 

 

で、俺等がこのイベントに参加しようと思ったら、

 

・このイベントの趣旨に同意するなら、ここから署名する。

・貧困をなくそう、という声を表すホワイトバンドを身につける。(一個300円)

 

の主にこの2つのようだ。

 

 

俺も早速さっき署名してみた。

 

LIVEを見ていたら、参画者数を表しているんだと思うんだけど、

ステージの後ろに数字が出ていて、チャカチャカと上がり続けている。

 

なんとなく、「参加してる」っていう実感が湧いちゃったりする。

 

ホワイトバンドは、タワーレコードや、主要書店で買えるらしい。

オンラインでも販売しているようだが、送料と手数料がバカにならないので、

近所のタワーレコードで買うことにする。

 

 

珈琲の仕事をしておきながら、アフリカなどの途上国では、

貧困のために3秒に一人、子供が死んでいるという現実を知らなかった。

 

というよりは、うすうすは知っていたが、そこまで深刻だとは思わなかった。

正直、他人事でもあり、あまり関心が無かったっていうのもある。

 

いつか、アフリカのコーヒー豆農場を見てみたいと思っているので、

こんな形ででも何かできたらうれしい。

 

 

な〜んて思ったりしている。
posted by わこう at 03:08| Comment(3) | TrackBack(3) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月20日

ミュージックバトン。

最近ちらほらと、あちこちのBLOGで目にするようになったミュージックバトン。

ついに俺のところにもpyoさんから廻ってきました。

 

音楽についての設問に答えつつ、5人にトラックバックするという、

海外のBLOG発祥の企画らしい。

 

音楽ノスタルジーなんてカテゴリを作っている以上、避けて通れない道だ。

 

 

では早速・・・。

 

質問文は、pyoさんのBLOGから引用させていただきます。

 

Q1.Total volume of music files on my computer

(コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

A1. 5ギガくらい。でも、ほとんどMP3転送用で、PCでは聴かない。

 

 

Q2.Song playing right now (今聞いている曲)

A2.なぜかたまに、無性に聴きたくなります。

 PIZZICATO FIVE JPN
PIZZICATO FIVE JPN

 

 

 

Q3.The last CD I bought (最後に買った CD)

A3.ダッジくんでもよく聴きます。

Always Outnumbered,Never Outgunned
Always Outnumbered,Never Outgunned

The Prodigy

 

 

Q4.Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me

 (よく聞く、または特別な思い入れのある 5 曲)

A4.
ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー
ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー
 
ライディーン/YMO

なんと言っても、小学生の耳には衝撃的でした。



Houses Of The Holy
Houses Of The Holy

The Song Remains The Same/LED ZPPElIN

この曲のドラム、マメを潰しながらやったなぁ・・・。


Learning to Crawl
Learning to Crawl

2000 Miles/The Pretenders

過去記事参照。




5150
5150

Love Walks In/VAN HALEN

俺の中にあったハードロックの概念をぶち壊した傑作。




やしきたかじん
<NEW BEST ONE>やしきたかじん
 
やっぱ好きやねん/やしきたかじん

トラック時代、カラオケでよく歌いました。よくリクエストされました。

 

 

Q5.Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す 5 名)

実際に書いてみると、意外に大変だったです。(笑)

関係ない記事にTBすいません。

 

GENのLIFE SIZE/genさん

のんびりうさぎカフェ/13うさぎさん

絃奏水琴樂章/きりしまさん

膝のイソギンチャク/O次郎さん

MOMMYな毎日/妹のさくら

 

皆さん、よろしくお願いしま〜す。
ラベル:音楽
posted by わこう at 13:15| Comment(6) | TrackBack(2) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月13日

LED ZEPPELINに想う。

今回の外泊の行動予定には、


ヨドバシカメラに買い物に行くという任務が入っていた。



結局何を買いに行ったかというと・・・。




これ。



dap.jpg

MP3プレーヤーっつうの?



ケンウッドから出た新製品M512A3


 


入院生活の中で、音楽が欲しくなったのと、


1日40分にも及ぶチャリこぎの時の孤独感を払拭するためだ。


 


iPodとかも在庫があって、どうしようか非常に悩んだが、


HDDタイプよりも、内蔵メモリタイプの方が、


多少雑に扱っても壊れないだろうという理由でこれにした。


 


で、我が愛車ダッジくんの中から、ゴソゴソとCDをおろし、


パソコンに取り込む作業で今日一日が終わってしまった。


 


目に付くところにあったCDだけを持ってきたつもりだが、


約100枚あった・・・。車の中に。


もっときちんと探せば、あと20枚くらいは出てくるだろう。


 


いやぁ〜、実際にこのちっこいプレーヤーに転送してみたが、


ビットレートをちょっと上げたこともあり、アルバム10枚がやっと。


 


やっぱり容量512Mでは全然足りなかった・・・。


 


しかし、ビットレート上げたので、音は歪みのないなかなかイイ音。


ヘッドフォンで音楽なんて、久しぶりに聞いた。


 


 


さて、今回このプレーヤーに入れたアルバムの中に、


レッドツェッペリンのリマスターズベストがある。



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久しぶりに聴いた・・。ZEPPELIN。

久しぶりにシビレた・・・。

体に電気が走るような感じだ。



こう・・・なんて言っていいのか、
図太さと、儚さと、危うさっていうのか・・うまく言えない・・。




俺は高校の頃にバンドを組んでいたが、ZEPのコピーもやった。
とはいえ、ZEPをリアルタイムで聴いていたほど歳は取っていない。


なんつったって、俺はZEPが結成された1968年生まれだからだ。


高校の時に、なにげに友人から貸してもらったカセットテープ。
その中に、このサウンドはあった。


友人がセレクトしたZEPのベスト。


めんどくさいので、邦題でいくが、

・グッドタイムス・バットタイムス
・胸一杯の愛を
・ロックンロール
・永遠の詩
・レインソング
・コミュニケーションブレイクダウン
・移民の詩
・ブラックドック
・天国への階段

そんな感じの内容だった。


「なんじゃこりゃ・・。」と開いた口がふさがらなかった。

こう・・泥臭く、図太いサウンド。

ロバート・プラントの、絞り出すようなはかない声。

ジミー・ペイジの危ういながら、
何とも味のある歪み感、大胆で繊細なギター。



そして、何と言ってもボンゾの力強くトリッキーなドラム・・。





なんか、こんな陳腐な表現しかできないのが、
非常にもどかしいのだが、とにかく脳天からつま先まで痺れた。



で、なんとしても、ボンゾのようなドラマーになりたいと、
(あ、俺、ドラムだったんです。)
ドラムの練習パットを指の皮が剥けても叩き続けていた。

特に、ワンバスでツーバス並のドスドス感を出すために、
足のペダルのダブルとか、メチャクチャ練習した。

永遠の詩のリズムが難しかったなぁ・・。

時には、ボンゾのマネして、素手でスネア叩いたり。(笑)



当時、バンドと言えば、男はBOOWY、女はレベッカの時代。

俺等のバンドもBOOWYとかもやったけど、
ZEPやパープルのコピーがメイン。


LIVEやったり、いろんなコンテスト受けたり・・。


いやぁ〜、懐かしい。



久しぶりのZEPを聴いて、そんなことを思い出していた。





15年くらい前、「ネプワーズ」という、
麻薬撲滅だかのテーマで行われたLIVEに、
ロバート・プラントとジミー・ペイジの競演があり、
マスコミは

「ZEPPELIN再結成か?」

などと騒ぎ立てたが、実際は、ペイジのギターもぐだぐだ、
プラントも、あの絞り出すようなキンキン声の面影もなく、
非常に歳月を感じてしまってとても悲しかった事を思い出す。


さらに、その数年後、
クイーンのフレディ・マーキュリーが亡くなり、
その追悼LIVEにも、ロバート・プラントの出演があったが、
年老いて、気の毒なほど声が出ず、

「もういいよ、もうやめてくれぇ〜!」

と、さらに悲しかったことも思い出す。



しかし、今、あらためて当時のZEPを聴いているが、
時代こそ感じるが、
今でも強烈なこの圧倒的な存在感は何なんだろう・・・。

この神がかり的な存在感・・。


なんか、軽々しくZEPの事を語れないような、
ZEPに思い入れのある人たちには、そんな感覚があるはずだ。


俺は半年くらい前からmixiという、
ソーシャルネットワークコミュニティに登録していて、
ZEPのコミュにも参加している。

俺がそのコミュに参加した時点で300番代くらいだったと思うが、
現在は800人を越えている。


それなのに、このコミュはトピックを立てる人がとても少ない。



俺が登録した頃なんて、
だ〜れも新しいトピックを立てなかった。



だけど、日に日にメンバーだけは増えていくという、
変わったコミュニティだ。



それだけ、ZEPをこよなく愛す人たちが多く、
また、思い入れが強いだけに、軽々しく語れないという、
そんな感覚でいる人が多いのではないだろうか。


ZEP歴、ン十年っていう、いぶし銀の人たちだっているはずだ。



俺、現在36歳。

ZEPをリアルタイムで聴いていた人たちは、
50代を越えている人たちも少なくないはずだ。


そういう人たちがZEPを聴いていた背景なんかを、
ジックリ聞く事ができたら、ホント面白いだろうなぁ・・。


それこそ、「コア度自慢」とか。



ボンゾが死ぬのがあと10年遅かったら、
イギリスだけじゃなく、
世界中の音楽シーンはどうなっていただろう?

な〜んて事をちょっと想ってみたりした。


ね。天国のジョン・ボーナムさん。
posted by わこう at 00:56| Comment(8) | TrackBack(2) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月09日

デフ・レパードに想う。

昨日仙台のFMで、デフ・レパードの曲がかかっていた。

グワ〜ッと血が踊るような、懐かしいような思いで聴いていた。



最近、I氏の事もあり、トラック野郎時代の事をよく思い出す。


何となく、トラック野郎が聴く音楽は演歌

みたいなイメージがあるが、実際は様々だ。


俺もトラックに、潰した乗用車に積んでいた、
オンボロ10連装CDチェンジャーを搭載し、ハードロックやヘヴィメタをよく聴いた。

やはり、真夜中に眠い目をこすりこすり走っているので、
そういうのを聴くと、テンションが上がっていくのだ。


俺のいた会社には、他にもヘヴィメタに狂ってるヤツがいて、
トラックの寝台には、いつもギターが置いてあった。


そいつと、よくドライブインで

「何かいい新譜は入ったか?」

という話題で盛り上がっていた。


デフ・レパードは、そいつから教えてもらった。



ブリティッシュなのに、明るくて爽やかなサウンドで、

「なんだこりゃ。アイドル系か?」

とも思っていたが、ノリがいいので運転しながらよく聴いた。



ある日、フレディー・マーキュリーの追悼ライヴがWOWWOWで放送され、録画した。


その中に、デフ・レパードの姿があったが、ガムをクチャクチャしながら出てきて、

「追悼なのに、なんて無礼なヤツなんだ」と思って見ていた。


しかし、ドラムが映った時にギョッとした。


左腕が無いからだ。


リック・アレン。


ドラムのリック・アレンは、事故で左腕を失ったが、
スネアドラムを叩く左手が無いかわりに、足のペダルでスネアの音を出していた。


たまげた。 たいした根性モンだと思った。


それまで感じていた、デフ・レパードの軽薄なイメージは吹き飛び、
何という結束の堅さなんだ・・と、感動さえ覚えた。


デフ・レパードに関する資料を読むと、
やはりその苦労たるや、並ではなかったらしい。


俺もバンドを組んでいた時代があり、ドラムを叩いていたので、ある意味尊敬に値した。



それからというもの、トラック運転中に眠くなると、
いつもデフ・レパードをガンガンかけて、テンション上げていた。


東北道から首都高に入り、環状線をブッ飛ばしながら聴くデフ・レパードは最高だった。



かなり無茶もしたけど、そんな20代を、昨日のFMで思い出し、
一人胸が熱くなっていた。


もちろん、ガサゴソとCDを探しだし、ダッジくんで聴いている。

もう無茶はしないけど。

Vault: Greatest Hits
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posted by わこう at 18:57| Comment(11) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月19日

YMOに想う。

俺が子供の頃に住んでいた家の隣は、いとこの家だった。

忘れもしない、俺が小学校三年生の時、
いとこの家に、「テープレコーダー」なるものが登場し、
ザ・ベストテンなんかを録音している場面を見ては、


「ムキ〜ッ!悔し〜ッ!」


と思っていた。





それから約二年・・。




ついに我が家にも「テープレコーダー」が導入された。

しかも、いとこんちは「モノラル」だったが、俺んちは「ステレオ」

あのときの感激は今でも忘れられない。



導入されたのが年末だったので、年末特番や紅白なんかを、
家族全員「シィ〜ッ!」と息を殺しながら録音した。

でも、そういう時に限って父が屁をこいたりして、耐えきれずに爆笑。

しっかり屁の音が録音されていたりして、バツの悪そうな父の顔が忘れられない。



さて、年が明け、子供の特権としてお年玉がもらえるわけだが、
テープレコーダーが家にある喜びから、一本のミュージックテープを買った。

「YMOベスト」

当時、俺は小学校五年生。

レコード屋さんでアニメソング以外のモノを買うなんて、
ちょっと大人になったような気がした。


・ライディーン
・テクノポリス
・東風
・中国女
・コズミックサーフィン

などなど、子供心に「カッチョエエ・・。」と、
鳥肌を立てながら聴いていた。



思えば、これが俺の音楽歴のはじまりだ。



このタイミングでYMOと出逢えなかったら、
俺の音楽遍歴は大きく変わっていたと思う。



それからさらに二年、中学一年になった。

五年生の時に買ったテープは、擦り切れて磁気がおかしくなるほど聞き込み、
俺のYMO熱は、一層ヒートアップしていった。





そして、俺の人生の中で、今でも大事件とも言える出来事が起こる。




中学一年の時、YMOが仙台に来ることになった。

宮城県民会館で、たしか6〜7000円くらいだったと思う。
中学生としては、けっこう大金だ。

YMOの熱狂的なファン友達3人組で、チケットをとることを決めた。

俺からすると、YMOが仙台に来るだけでも鼻血が出るくらいの大事件だ。


ソッコー家に帰り、おふくろを拝み倒し、

「家の手伝い何でもします!悪いことしません!真面目になります!」

という条件で、チケット代を出してもらえることになった。



そして、コンサート(LIVEと言った方がいいのか。)当日。


何を着ていったらいいのかわからないし、
第一、そんなカッチョエエ服なんて、中学一年だから持っていない。


Gパンに、PUMAのウィンドブレーカーを羽織り、

なぜか近鉄バッファローズの帽子。




ちなみに、俺は阪神ファンだ。



さて、LIVEは、ナマ細野さん、ナマ教授、ナマユキヒロが見られただけで、
もう失神寸前。

あまりに興奮しすぎて、LIVEの内容って覚えてない・・。


そして、LIVEが終わって、自然な流れで、
県民会館裏の、搬入口から、3人が乗った車が出てくるのを待ち伏せ。


とにかくもの凄い人だかり。


みんな今か今かと、3人が乗った車が出てくるのをひたすら待った。




「キタ〜ッ!」


という、誰かの叫び声の後、

「ワァ〜ッ!」


という歓声。

その歓声を聞いただけで、今、この場にいられることがとても幸せに思え、
涙が出そうだった。



ついに中から3人が乗ったワゴン車が登場し、
ゆっくりと俺たちの前を通過していった。


確かに3人が乗っていた。



凄い群衆の中から数人が、そのワゴンを追いかけはじめ、
俺も必死こいて走りに走った。


一人脱落、二人脱落と、みんな追いかけるのをあきらめ、
ついに、バカみたいに必死こいて走っているのは俺だけになった。

ちなみに、当時、俺はけっこう足が速かったのだ。


400mほど走っただろうか。


全力疾走だったから、アゴがあがり、脇腹が痛くなっていたが、
その苦労が報われて、ついに信号待ちのワゴン車に追いついた。


「お、追いついたぁ〜ッ!」


ワゴン車の後部座席付近の窓にベッタリと顔をくっつけ、中を覗いた。


「い、いた・・。いたよ・・・。」


中に、3人仲良く並んで座ってこっちを見ている、YMOの3人がいた。

あの世界のYMO。夢に焦がれたYMO。


俺の音楽好きのきっかけを作ってくれたYMOの3人が、
俺だけを見てくれている。













失笑で。





失笑でも何でもいい。
とにかく今、俺はYMOの3人に見られているのだ。



そしたらなんと!
真ん中に座っていた細野さんが、苦笑しながらも手を振ってくれた・・。



失神しそうだった。



そのうち、「ピッ」とクラクションを鳴らされ、
信号が変わったので、ワゴンは仙台の街の中に消えていった。





窓には俺の手と顔の油がベッタリ付いて光っていた・・。
posted by わこう at 19:08| Comment(13) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月28日

プリテンダーズに想う。

先日のa-haネタでちょっとノスタルジー熱に火がつき、
またまた音楽ネタで。

ここ最近、スカパのミュージックエアーチャンネルを見ることが多くなった。

昨夜、プリテンダーズのヴォーカル、
クリッシー・ハインドのインタビューとドキュメンタリー番組をやっていた。

オォ!プリテンダーズ!

プリテンダーズって、純粋な「ロックバンド」「ロックスター」という感じがする。

クリッシー・ハインド カッチョエエ〜!

クリッシーハインド。

この貫禄!超COOL!


さて、俺とプリテンダーズとの出会いに欠かせない人がいる。

俺は中学の時、生意気に家庭教師なぞ付けてもらっていた。
愛媛から東北大に来ていたHさんだ。(男性)

Hさんは、プリテンダーズの熱狂的なファンで、
Hさんの部屋には、クリッシーのポスターがベタベタ貼ってあった。

俺はHさんが大好きで尊敬もしていた。
ガキだったので、Hさんに悪態をついたりもしたが、
Hさんは、投げることなく、辛抱強く俺の面倒を見てくれた。


Hさんのおかげで、無事に公立高校に合格し、
Hさんが俺にくれたお祝いが、
プリテンダーズの「情熱のロックンロード」というアルバムだった。

当時の俺は、正直プリテンダーズを聞いてもピンと来なかった。


Hさんは東北大の工学部で大学院まで進んだ人。
俺は工業高校だったので、高校に入ってからも、
たまにHさんに工業系の勉強を教えてもらいに行ったり、
一緒に遊びに行ったりもしていた。

最初ピンとこなかったプリテンダーズも、
Hさんといると、何だかスーッと入ってきて、
だんだんその渋さがわかってくるようになった。

結局なんだかんだで、Hさんと一緒に過ごした年数6年。
笑いあり、涙ありの6年間。

俺はHさんを本当のアニキのように思っていた。



俺の高校卒業と、Hさんの大学卒業が同じ年になり、
Hさんが仙台を離れる日、
俺は就職した会社の新人研修が始まっていて、
Hさんの見送りに行けなかった。


「でも、どうしても最後にHさんの声が聞きたい!」

「ありがとうを言いたい!」


と思い、研修の最中、ちょっと時間をもらい、
外の公衆電話からHさんのアパートに電話をかけてみたら、
まだ電話が繋がっていて、Hさんがいた。

間に合った・・・。


「俺、社員研修だから見送り行けなくて・・でも行きたかった。・・」

「いいよ。たかひろが来ると俺もシメっぽくなっちゃうから。」

「Hさん、今までいろいろありがと・・。」

「元気でな・・。」


会社の前の公衆電話で、人目をはばからずわんわん泣いた。
涙が止まらなかった。

頭の中には、プリテンダーズの「2000マイル」という曲が、
グルグルと鳴り響いていた。


な〜んていう18の頃の事を思い出しながら、
プリテンダーズのドキュメンタリーを見ていた。

ちょっとウルっときた。


Learning to Crawl
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プリテンダーズの最高傑作
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posted by わこう at 16:42| Comment(20) | TrackBack(1) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月26日

A-HAに想う。

先日、スカパのミュージックエアーネットワークチャンネルで、
A−HAのライヴ2001をやっていたので録画した。


以前、イベントネタで、俺の珈琲バカ歴の始まりは、
高校の時にバイトしていたパスタ屋で、
有線で流れていた「テイク・オン・ミー」と
煮詰まった珈琲だという記事を書いたこともあり、

「オォ!懐かしい・・・。」

という思いから、衝動的に録画。
昨日やっと見ることができた。


正直言うと、A−HAは「テイク・オン・ミー」しか知らないし、
メンバーの名前すらわからない。

俺の中では、どこまで行っても、


A−HA=テイク・オン・ミー


なのだ。



ライヴそのものは、約20年前結成のグループにもかかわらず、
メンバーはみんな若く感じた。

特にボーカルの人(名前わからない・・・。)
は、カッチョよかったなぁ。

A-HAのボーカルの人。

80年代のテイストがプンプン漂うナンバーが続き、
すごい懐かしく、高校時代の事を思い出しながら見ていた。


俺がバイトしていたパスタ屋さんは、
元暴●団の組長だった人がオーナーだったが、
俺はオーナーに可愛がられ、親子のような関係だった。

当時の俺は、銀蠅一家のようなリーゼント頭にボンタン、
そんなナリなのに、エプロンを付けてウェイターをしていた。(笑)

それでも、誰にも何も文句を言われることがないという、
ある意味いい時代だった。


7時頃になると、仕事帰りのOLさんもたくさんきたが、
オーナーの旧友の暴●団関係者もよく来て、

「オォ、ニ〜チャン・・。ずいぶんトッポイ格好しとんなぁ・・。」

「俺の舎弟になるか?」


などとからかわれながら、楽しくバイトしていた。
いろんな人と出会えるそのパスタ屋さんが、俺は大好きだった。


そのパスタ屋さんでは、珈琲はオフィスコーヒーにあるような、
デッカイ業務用のコーヒーマシンだったので、
時間が経つとすぐ煮詰まっていた。

接客が落ち着くと、俺はその煮詰まった珈琲を飲んでいた。

実は、それまで珈琲には砂糖を入れなければ飲めなかったのだが、
そのパスタ屋さんで初めて「ブラック」に挑戦し、
ブラックで飲む習慣が付いた。


厨房のコックさんたちと、煮詰まった珈琲飲みながら、
いろんなバカ話をする中にかかっていた、80年代のポップス。

その中でテイク・オン・ミーは、耳にタコができるほど聞いた。

煮詰まった珈琲と、食材のニンニクと、タバコの香りとテイク・オン・ミー。



A−HAのライヴを見ながら、そんな青春時代を思い出していた。
ラベル:ノスタルジー
posted by わこう at 17:22| Comment(4) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする