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2015年06月29日

シンクロしまくりの吉野弾丸参拝。

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昨日、6月28日は、俺のふたりの親友の大切な日。

宮城にいる親友、ナベさんの誕生日でもあり、
亡くなった親友、あべはりさんの命日でもある。

毎年毎年同じ事言ってるけれども、二人の親友の誕生日と命日が同じ日だっつーのは、
すごいシンクロだなーと思う。


で、この日から、りえさんが広島に出張。


朝早い新幹線で広島に向かうと言うことで、
月参りすると言いつつここ数ヶ月サボっていた、
吉野の金峯山寺と脳天大神にお参りに行こうと。


ナベさんとあべはりさん、それぞれの事も祈ってきたいなーと。





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ということで、りえさんを新神戸駅まで見送った。いってらっしゃい!

この時点で朝の7時20分くらい。



そこから、一気にバビューンと吉野に向かう。



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途中、軽くメシを食ったものの、9時前には脳天大神に着いちゃった。


で、この脳天大神と、修験道の総本山である金峯山寺は、
山と谷にあり、金峯山寺が山、脳天さんが谷。

そして、445段の階段でつながっている。


いつもは、それぞれに車で移動して参拝してるんだけども、
今回は、なんとなく階段で上りたい気分。


腹ごしらえもしたし、イッチョ行くか!ということで、
谷から階段で山の上に向かった。


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こんな感じの急な階段が延々と続く。


いやー、覚悟はしてたけどしんどい!そして汗びっちょり!
着替えを持ってくればよかったと激しく後悔。


しかし、日が昇って暑くなる前に上りきったのでまだよかったな。


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かくして、無事に金峯山寺にお参りさせていただいたのでした。



その後、来た道(階段)をひたすら降りて、脳天さんに参拝させていただき、
いろいろブラブラして写真を撮ったりしたけど、その時点でお昼前。


で、この日は夕方5時に、11月に行うイベントのスタッフミーティングで、
大阪の日本橋に集合する予定だった。


「まだ5時間あるのかー・・」


ということで、

「よし!せっかく吉野にいるんだから、天河大弁財天社にも行こう!」

と思い立った。


ただ、簡単に説明すると、同じ吉野でも、
金峯山寺の山と、天川さんの山はまた別で、
天川さんはもう限りなく和歌山県寄りの深い山の上にある。

ナビで調べると、だいたい1時間くらいだった。


現在12時。

途中寄り道して天川さんに13時半くらいに着いても、
参拝が終わって大阪までゆっくり走っても2時間半で着くから、
夕方5時までは時間的には余裕だな・・などと短絡的に考えて、いざ出発!



ただ、吉野に行ったら寄っておきたいお店がある。


吉野のマニアックな模型ショップ、「R」だ。



Rの平田店長は、俺が3年関わった模型イベント、
モデラーズEXPOの初期スタッフでもあり、普段から大変お世話になっている。


で、いつもイベントやミーティングの時しか会えなくて、
なかなか二人でゆっくり話したことがないんだけども、
昨日はお店ものんびりムードで、はじめてゆっくり店長と話ができた。


で、気付けば結構な時間話し込んで、

「ではそろそろ帰ります。店長、一緒に写真撮りましょうよ!」


と、二人で外に出て、まさしくシャッターを押した瞬間!





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なんか見慣れた車が駐車場に入ってきて驚くの図。(ヤラセではなくマジで驚いてる)






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ババーン!


モデスポのdanke親分と、奥さまのたみさんが!


いやー、俺もRさんに行くこともたまにしかないんだけども、
やはりあまり吉野に来ることもないdankeさんと、
Rさんでバッタリ会うなんてすごい確率だ。


いやー、ビックリしちゃった。


dankeさんもビックリしてたなー。



で、またさらに少し立ち話して、今度こそ本当に天川さんに向かって出発。


ちょっと予定よりも遅れていたので、気持ちのよい山道を攻めて、
あっという間に天川さんに到着。


で、駐車場に停めようとバックしていたら、
なんか手を振りながら走ってくる人がいる。


「あれ?ここ停めてダメなんかな?」


と思ってよく見ると、


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お友達のみよちゃんだった!


みよちゃんは現在は神戸に住んでるんだけども、実家は吉野で天川さんの近く。


で、今回は数日間里帰りをしていて、天川さんに来ていたのだ。


いやー、ビックリしたね。



平田店長と話し込んだり、danke親分が突然来たりして、出発が微妙に遅れたのは、
こうやってみよちゃんと天川さんで会うことになってたからなんだなと。


ちなみに、天川さんに参拝しようとすると、往々にしてこういうことがよく起こる。


なんか遅刻したり、道を間違えたりして予定より遅れていくと、
宮司さんに話しかけられて社務所に通され、長話する・・
みたいなことが過去に二度あるし。


いやー、今回も起きたね。


そのシンクロそのものには、あまり意味がないんだけども、
俺はこういうとき、「神様はちゃんといつも見ているぞ」というサインだと思っている。


今回の、脳天さん、金峯山寺、天川さんの旅では、
いろいろと写真を撮りまくったので、またいつもの如くFacebookのアルバムにして、
張っておきます。


吉野に行ってきたので写真を撮りまくってきました。

Posted by Wako Works on 2015年6月28日


で、天川さんでお参り後、みよちゃんと別れて、
俺は一気に吉野を降り始めた。

その時点で15時15分。



間に合うのか?!




で、結局、飛ばせる箇所はぶっ飛ばして、
イニシャルDよろしく山を下りたところで、腹が減っている事に気付く。

見えない力に引っ張られる感じで山を大急ぎで下りてきたので、
急いで食べればメシ食う時間がある!ということで、
定食屋さんで急いでメシを食い、一気に大阪へ。





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結局、大阪に入って高速を降りてからちょっと渋滞にはまり、
10分遅れでミーティングの集合会場に。

皆さんすいませんでした・・



と、そんなこんなのドタバタで走りに走った6月28日。


あべさんはあの世からどう見てたんかな?



そして、ナベさん、Happy Birthday!!




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2015年06月22日

駆け込み寺の玄さんin三木 2015。

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「たったひとりのあなたを救う。」をコンセプトに、新宿歌舞伎町で、
金銭トラブル、ストーカー、DVなど、様々なジャンルの相談に応える、
駆け込み寺の玄さんが兵庫にやってきた。


今回は、駆け込み寺兵庫サポートセンターが主催で、
兵庫県三木市、小野市限定で、夜回りなどを通じて、地域活性化や防犯をしようと、
新たな取り組みをするにあたって、支援者や有志の方々にお集まりいただき、
勉強会を開催した、という流れ。


俺は、写真撮影などでお手伝いさせていただいた。




さて、今年の4月から、俺は駆け込み寺大阪連絡所の連絡員として、
活動を開始したわけなんだけども、やはり大阪という事もあり、
最近ボチボチと相談の電話がかかってくるようになった。





相談内容は多岐にわたり、その都度アップアップしながらも、
精一杯対応させていただいている。つもり。


そして、今日の玄さんの話も、いろんなジャンルに及んだんだけども、
その中で、「加害者と被害者」という話が出た。

駆け込み寺の活動の中で、最近新しくスタートしたものに、
「新宿駆け込み餃子」という居酒屋オープンがある。


これは、刑務所を出所した人たちの、
社会復帰と再犯防止を目的とした事業で、
行政も巻き込んだ一大プロジェクトとなっている。





玄さん曰く、最近はいつも満員御礼。取材がたくさん来てるらしいよ。


すごいねー。



で、ここからが重要なんだけども、こういった形の更正支援は、
再犯率が非常に低くなるらしい。


そして、玄さんの持論は、
「加害者が減るということは被害者も減るということ。」

もちろん意図的に犯罪を犯す人間もいるけれども、
例えばストーカーとかは、強くゆがんだ愛情が動機となるわけで、
最初から犯罪を犯そうと思って起こすわけじゃ無いケースもある。


だから、駆け込み寺では、ストーカーをしている本人とも話をして、
事件や犯罪を未然に防ぐよう努める場合もある。

「加害者を出さない」ことも大切なことだからだ。



だから、今、玄さんが本気で取り組んでいるこの出所者支援は、
新たな加害者を出さないという意味でも画期的だなーと俺は考えている。



ただ、最近のニュースの中で、個人的に解せない事がある。


神戸のサカキバラ事件の少年Aが手記を出版したことだ。


その出版の目的が、たとえば被害者への賠償が目的なんだったら、
まだ筋が通っていると思えるけれども、
ネットでちょっと調べるといろんな事が書いてあるけれど、
あるソースでは、生活に困って出版社から前金で数百万受け取ったとか。


で、本の内容だとか、出版の目的なんかはいったん横に置いて、
俺がこの件でモヤモヤしているのは、
少年法の保護の下で早々と社会復帰した人間が、
こうやって手記を書き、それが10万部あっという間に完売で増刷。

多額の印税を受け取る構図がまかり通ってしまえば、
今後、短絡的に考えて新たなサカキバラを模倣した、
少年犯罪予備軍を作ってしまうのではないかという危惧だ。


そんなことは絶対にあってはならないと思う。


そういう意味で、太田出版やこの本を取り扱った書店の罪は重いと思う。


そのモヤモヤを、今日、玄さんにどう思うか聞いてみた。


玄さんは、

「出版するなら実名をさらして書くべき」

と答えた。


俺も全く同感だ。



真意はわからないけど、遺族への事前告知もなく、賠償に充てるわけでもなく、
名前は「少年A」のままでプライバシーが保護されている。


実にアンフェアだ。


さらに玄さんは、

「遺族にしてみれば、今さら殺人の動機を手記で出版されて、
子供を2度殺されたようなもんや。」

と語った。


現在、遺族側が太田出版に出版差し止めのための、
裁判のための準備をしているということで、
これが本格化すれば、必然的に実名などが世間に晒されることになる。

というか、もうすでに、実名や写真は、検索すると簡単にヒットするんだけども。


このままでは済まないところまで来ているんじゃないかな。


でないと、第二、第三の犯罪者が出た場合に、
社会がそれを許してしまうことになる。


「少年法に守られてるんだから人を殺しちゃえ!
金に困ったら本を書けばいい。サカキバラに続け!」


となり、ショッキングな事件の手記ほどよく売れるんだろうな。


それはあってはならないと思うし、ここが正念場なんじゃないかな。


かたや、自分の罪を刑務所で償い、
社会復帰しようと新宿駆け込み餃子で働く人もいる反面、
何もかも守られた中で一攫千金を狙う人間もいる。


やはりアンフェアだと思うんだよな。


太田出版は、出版差し止めおよび回収の意思は無い、
とコメントしているようだけども、
とにかく、遺族の方々にとって良い結果になることを願ってやまない。



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なんかちょっとモヤモヤしてたんだけども、
玄さんとこの事を話したこともあり、ちょっと書きたくなった。



玄さん、ありがとうございました。


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2015年06月21日

甲府〜箱根の旅。

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りえさんと共に、甲府〜箱根 爆走1000キロの旅をしてきたのでレポートです。


今回は、ジュエリーアーティストであるりえさんの取引先で、
山梨県甲府市にある宝石商の店舗にお邪魔して、、
直接石の仕入れをするのがメインのお仕事。


そして、山梨のいろんな業者さんを紹介していただき、今後に繋げていこうと。


その後、ぐるっと箱根に抜けて、毎年参拝させていただいている、
九頭龍神社にお参りするのが2番目の目的。


ということで、東京に車で行くことを考えれば(去年は東京に2度車で行っている)、
甲府はずっと近いので楽勝楽勝、とタカをくくっていたら、
名神高速の集中工事で、京都からずーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、
100キロ超に及ぶ一車線規制で大渋滞!

結局、予定より2時間半も遅れて甲府に到着。

いやー、まさかそんなんなるとは思わなかったわ。ナメてたね。集中工事。


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上の写真は、小牧からやっとこさ中央道に入り、
ちょっとだけ休憩しようと立ち寄った駒ヶ岳SA。

愛車(社用車)のボーラも頑張ってくれました。


で、初日は結局着いたのが夕方だったので、もうお仕事は今日は諦めよう!
ということになり、取引先の社長さんたちと一緒に温泉宿へ。

男同士、一緒に風呂に入って裸のつきあい。


そして、炉端を囲んで、メシを食いながら業界の話やビジネスの話、人生論とか・・


今回は、俺たちがお客さんなので接待を受ける側。

寝食を細やかに接待していただいて、本当に恐縮した。



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二日目の朝、甲府の宿で。


和の庭園とボーラが妙にマッチしてたので撮影。



二日目は、宝石の仕入れをしたあと、取引先の社長の計らいで、
老舗の工場を紹介していただき、見学させていただいた。


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甲府は、宝石の町であると同時に、金属加工の町でもあり、
いろんな職人さんがいらっしゃる。


しかし、昨今の不況により、マーケットも縮小傾向。

職人さんの数も減り、跡継ぎが無く高齢化が加速しているという。


それに加えて、最近は3Dプリンターでキャストを作るという波が起きて、
昔ながらの手作業の職人さんがますます少なくなっていくだろうと予想されている。


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使い込まれた道具たち。

この工場は30余年の歴史がある。


いろいろ大変だと思うけれども、
できる限り現役で、長く活躍していただきたいと思う。


そんなこんなで甲府を後にして箱根へ。




富士五湖道路をのんびりと走ったけれども、
この日は雨で、あいにく富士山が見られなかった・・


そして、今回の宿は、現存のホテルでは日本で2番目に古いと言われる、
富士屋ホテルで。

富士屋ホテルで撮った写真をFacebookのアルバムにしたのでどうぞ。


富士屋ホテル

Posted by Wako Works on 2015年6月20日


今回で3度目の富士屋ホテル。

1回目は、りえさんがずーっと憧れていたということで2009年に泊まった。

2回目は、おふくろがまだ元気な頃、富士屋ホテルに泊まりたい!ということで、
おふくろの親友でもあるトンボ玉の遠藤のぶこ先生も一緒に泊まった。

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その時の写真。


この約1年後、東北大震災があり、そのストレスからか、
おふくろは脳溢血で倒れ、重い障害が今も残っている。

本当にこの年、一緒に旅をして良かったなぁと。


そして、久々の富士屋ホテルで、
おふくろと一緒にごはんを食べたレストランでまた食事をしたんだけども、
なんかいろいろ思いだしちゃってさー。

りえさんにそのことを話したら、りえさんも同じ事を考えていて、
ふたりで涙うかべながらごはん食べた。



箱根二日目。


毎年参拝させていただいている九頭龍神社と箱根神社を参拝して、
芦屋に帰る、という旅程。


九頭龍神社の本宮は、箱根でも奥の方にある、
ザ・プリンス箱根(旧箱根プリンスホテル)の脇から、
山道を20分ほど歩いた公園の中にある。

その公園に入ってからも、さらに10分くらい歩く。


これも、Facebookのアルバムでどうぞ。

箱根 九頭龍神社にて。

Posted by Wako Works on 2015年6月20日


俺が初めて九頭龍さんに参拝させていただいたのが2008年。


そのときは、今は亡き親友あべはりさんも九頭龍さんに行きたい!ということで、
箱根で待ち合わせて、一緒に参拝したり、メシ食ったり遊んだりしたんだった。


その次の年、あべはりさんは事故で死んでしまった。


事故で死んでしまったあべはりさんもそう、
脳溢血で倒れ、未だ重い障害が残ってしまったおふくろもそう、
箱根には、懐かしく楽しかった思い出がたくさんあるんだよ。


その思い出をまた、ひとつひとつ辿って、いろんな事をまた思い出して・・


楽しかったことや大切な人を忘れないためにも、
こういった時間は本当に大切だなーと思う。


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これは2010年におふくろと一緒に箱根神社で撮ったおふくろとのツーショット。

奇跡の一枚になってしまったな−。




現在、おふくろはほとんど車いすだ。




実は先月、仙台にちょっと里帰りしたんだけども、

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その時におふくろと一緒に撮った一枚。


車いすだから行けるところは限られるけれども、
おふくろとまたどこかに出かけたいな。




で、ちょっとしんみりしたところで、りえさんが、
せっかく箱根に来たんだから、彫刻の森美術館に行きたい!
ということで行ってきました。

箱根 彫刻の森美術館にて。

Posted by Wako Works on 2015年6月20日


いやー、予想外にシュールでおもしろかったな。


しかもここにはピカソ館があり、
本物のピカソの作品がたくさん展示してあるんだけども、
いやー、よくもまぁこんなに集めたもんだと。


そして、ピカソの類い希なる才能にうーむ・・とうなるばかり。

俺が印象的だったのは、線の描写の正確さと繊細さかなー。
うまく言えないんだけども・・


なんかちょっとした線なのにやたら定規で引いたようにまっすぐだったり、
細く一定の幅でササッとなにげに引いたであろう線のかっこよさっつーか・・

なんかうまく言えないんだけどもさ。


とにかく楽しかったわ。



で、テンションが一気に上がったところで帰ってきたんだけども、
帰りも名神高速の集中工事で通行止区間があり、
普段通らない東大阪を経由して帰ってきたんだけども、
なるほど、この道路がこことつながってんのか・・などなど、
俺の頭の中の道路が、シナプスのようにつながり始めて、
それはそれで勉強になったわ。


走りっぱなしで疲れたことは疲れたけども、
実のある出張だったと、手応えを感じている。


そんなこんなの旅でした。


posted by わこう at 03:11| Comment(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月31日

ヤフオク出品で悪質転売屋にガッカリ&新機能に驚く。


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カメラ一式を、キャノンからPENTAXに変えて約半年。

カメラやレンズにもだいぶ慣れた。


俺にとってカメラは仕事道具なので、自分が使いやすいツールになるまで、
何度も何度も吟味を重ねていく必要があると思っている。


で、PENTAXのカメラと同時に購入したいくつかのレンズは、
自分にとって使いやすい明るさ、画角と焦点距離、クセなどを、
実際に使いながらいろいろ買い変えてきた。


俺が現在使っているレンズは、すべて中古。


以前何かの記事で読んだんだけども、今、定年退職した人なども含め、
趣味にしたいナンバーワンがカメラ(写真)なんだってね。


だからなのかなんなのか、中古カメラ、中古レンズ業界がアツい。

と、そう感じる。


だから、レンズを自分で買ったときと同等の金額で売れるなんてこともザラだ。


実際のところ、レンズは使ってみないと相性はわからない。

だから、程度の良い中古をそこそこの値段で買い、
実際に使ってみて、もし合わないなと感じたらすぐに売る。

人気のあるレンズは値崩れが少ないので、
型遅れとかにならないうちだったら、市場はホットなので、
損することはあまり無い、と思う。

この半年、そんなことを繰り返してきた。



さて、前振りがだいぶ長くなってしまったんだけども、
やっと俺のレンズラインナップもだいたい確定したので、
手元に残っている、もう使わないであろうレンズを売るのに、
久しぶりにヤフオクを使った。


しかし、ある一部の奴らのおかげで、非常に腹立たしい思いをした。



転売屋だ。



いや、誤解を招かないために書くけれども、
俺は転売屋の存在そのものは、それが仕事なんだから、
別になんとも思わないし、良心的な転売屋も存在するので、
そういう転売屋だったらむしろガンガンと利用したいと思う。


しかし、今回俺が頭にきたのは、あまりにも幼稚で短絡的な、
非常に失礼な奴らだ。



先にも書いたけども、カメラの中古レンズ業界は、
今、市場が非常にホットだ。


だから、無数の転売屋が存在し、できる限り安く買いたたこうとする。


いやー、レンズを出品したら、転売屋からの質問が来る来る。


今回俺は、出品したレンズの相場より、
ちょっとだけ安く即決価格を設定した。


にもかかわらず、それよりも安い値段で買いたたこうとする。


実際に来たメッセージの一部を公開する。


はじめまして 出品者様に差し支えなければ●●円にてお譲り頂けませんでしょうか
即日の入金が可能なのですがよろしければご検討お願いします


とか、


突然すみません。 ノークレームノーリターン厳守致しますので、
オークション開始価格に5000円足して●●円で譲っていただけないでしょうか?

今現在入札しております。当方が最高入札者のまま早期終了してくだされば
●●円の方すぐにお振込致します。
もしダメでしたらこの質問に返信は不要ですので、無視して下さい。
突然で申し訳ないですが、ご検討いただければと思います。


・・本当に失礼な奴らだよ。まったく。

こんなんがいっぱい来た。


結局手放すことになったとはいえ、
一度は一緒に旅したり仕事したりした大切なレンズ。思い入れ満載だ。

なんでおまえらのために俺が大損しなきゃねぇんだよ。このクサレ転売屋どもが。



ただでさえ、相場よりも低めに即決価格を設定してるんだから、
欲しいんだったら即決で買えっつーの。


結局、俺が出品したレンズは、入札多数でだいぶ競って、
おかげさまで即決価格で落札された。


と同時に、今回質問してきた奴らはすべてブラックリストに登録した。



ただ、何度も書くけれども、前述の通り、
俺は転売屋自体はなんとも思ってない。仕事(職業)なんだから。

ただ、今回みたいな無礼なのはダメだよ。やっぱり。

思いだすだけで未だにはらわたが煮えるぜ。



まぁ、結局、今回落札していただいた人も転売屋かもしれないけども、
いいお客さんに買ってもらって、また大切に使ってもらうことを願ってやまない。



そして!今回ヤフオクで久しぶりの出品だったんだけども、
オークション終了後の出品者と落札者のやりとりがかなり簡略化されて、
特に出品者にとっては非常に革新的な機能変更があった。


出品者は、あらかじめ口座情報などを登録し、なおかつ送料の設定をしておくと、
オークション終了と同時に、落札者に送料を含めた入金案内が自動で届き、
出品者は、落札者からの入金完了通知が来るまで、ただ待つだけでいいという、
夢ようなシステムだ。


まだベータ版の運用だけども、たぶんこれがスタンダードになっていくんだろう。






オークション終了後、取引ナビをクリックすると、



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こんな感じのダイアログが出て、出品者は何もしなくてよいと言われる。




で、落札者が、送り先や入金方法などの入力が完了するまで、


new_yaho_1.jpg

こんな感じで表示され、実際に入力が終わると、上の表に即時反映される。


で、入金の確認が終わったら、ようやくこっち側の出番になるんだけども、
宅急便で送る場合は、その伝票番号を入力するだけ。

なんの挨拶文も余計な文言も一切必要なし。


いやー、素晴らしい!


俺は、1999年からヤフオクを使っているけれども、
今回の機能の実装は、一番のネックだった、出品者と落札者の連絡の面倒くささが、
一気に解消された近年まれに見る大改革だとおもう。


99年当時だって、詐欺被害はよく聞く話だったけれども、
まだ少しおおらかな部分が残っていて、
出品したときも落札したときも、血の通ったやりとりがあって、
なんかいいもんだなーと思ったもんだ。


だけども、ここ数年はちょっとモラル的におかしい人たちが出てきて、
なんか使いづらくなったなーと思っていた。

その上で、取引ナビのやりとりでさえ、言葉一つ一つにとても気を遣うし、
ヤフオクに出品するにあたり(買うときもだけども)、
そのやりとりがイヤだから、めんどくさくなって出品しない・・
なんてこともたくさんあった。


もう時代が変わって、血の通ったやりとりなんか必要ないんだろうな。


ただ、前述の失礼な転売屋みたいなのも、もっと増えてくるだろう。



取引ナビでのやりとりで、
文章からだいたい相手がどんな人か伝わってくるもんだ。

あ、この人は常識がわかっていて大丈夫な人だ、とか、
ちょっとこの人は要注意だな・・とか。


今回の新機能は、それを徹底的に排除して、
淡々と売り買いに特化させるわけだけども、
浸透するまでちょっと時間がかかったり、慣れない故のトラブルが発生したりとかは、
ある程度覚悟しなきゃないだろうな。


吉と出るか凶と出るか。


今後の動向を見守っていきたいと思う。





posted by わこう at 23:00| Comment(1) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月29日

日本駆け込み寺 大阪連絡所。

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このBLOGに、たびたび日本駆け込み寺のことを書いてきた。






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新宿歌舞伎町で、「たった一人のあなたを救う」をスローガンに、
金銭トラブル、いじめ、ストーカー、DVなどなど、様々な悩みの相談にのっている、
駆け込み寺の玄さんこと、玄秀盛氏。


現在は公益社団法人として活動している。

最近、テレビ出演の機会も増えて、ますます露出が上がってきた感じだ。



で、俺も2011年に玄さんとご縁をいただいて以来、
駆け込み寺の仙台支部開設スタッフなどさせていたたいたりして、
活動に参画してきたんだけども、
このたび、大阪連絡所として、連絡員デビューした。


僭越ながら、駆け込み寺のサイトにも掲載していただいた。





今年の1月、大阪に玄さんに来ていただいてイベントを開催したんだけども、
その時、玄さんに、大阪で連絡所をやりたい旨を伝えたところ、
「おまえならフリーパスや。」と言っていただき、正式に手続きをし、
登録となった、という流れ。


基本的に、連絡員は、相談の電話があったら、
相談内容をある程度聞いて把握した上で、東京の本部につなぐ、という役目。


そして、「連絡員」から実際に相談を受ける「相談員」になるために、
研修を何回か受け、晴れて相談員となるわけなんだけども、
俺はもう相談を受けていいと言われ、実際にすでに何件か相談を受けた。



関西に移住してきて3年経った。

やはり関西と言えば大阪。大阪と言えばミナミ。


ミナミと言えば・・まぁほら、ガラの悪いところなわけで、
そのガラの悪いジャンルの相談を、東北から来た俺が受けているという、
なんとも珍妙な関係性。



相談内容によってはかなりヘビーでダーティーなのもあるけれども、
とにかくぶれずに、真理を外さずに、真摯に相談と向き合っている。




ここからはあくまでも俺の持論なんだけども、
宇宙には大きな流れがあって、我々はその流れの中に生きている。

その流れには、法則のようなものがある。それが真理。


真理からそれずに見ていくと、相談内容問わず、
なんとなく答えがわかる感じがするんだよな。


それはあくまでも、駆け込み寺と出会うずーっと前から、
いろーん相談やサポートに応えてきた経験から、
なんとなーく感じていたこと。


俺のベースはそこにあるわけなんだけども、
ただ、やはりそれだけでは駆け込み寺の相談に対応するには足りないので、
もっと勉強やトレーニングが必要。


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なので、兵庫県の三木市にある、
駆け込み寺三木サポートセンターの天満さんご夫妻のご指導の下、
定期的に研修を受けている。





俺の隣にいるハンチングをかぶった人は、
時を同じくして、奈良で連絡所を開設された、田中さん。

言うなれば同期の桜だ。

田中さんももうすでに相談を受けている。



田中さん共々、いろんなケーススタディをしながら、
様々なジャンルの相談に対応できるよう、スキルアップを目指している。



ご縁あって玄さんと出会い、こうして故郷を遠く離れた土地で、
少しでも人様や社会のお役に立てていただけることに、ただただ感謝です。


大阪連絡所は、所在地は、山村先生の事務所である、
ゴーシュ研究所内ということにはなっているけれども、
常駐しているわけではないので、相談は専用の携帯電話で受けている。


俺の範疇を超えた相談に関しては、東京の本部に繋ぐことになっているし、
ボランティアでやっていることなので、仕事中など出られないこともあるので、
相談を仕事で受けているわけではない分、少しだけ気分的にラクかな。


こういうことは、細く長く続けていくことが大切だと思っているので、
力んで気合い入れてやって、息切れしてリタイア・・
なんてことにならないよう、肩の力を抜いて、いつもニュートラルでいようと思う。


日本駆け込み寺 大阪連絡所
電話番号: 090-6328-0369
受付時間10:00〜19:00


日本駆け込み寺 本部
電話番号 03-5291-5720
受付時間10:00〜20:00


posted by わこう at 00:13| Comment(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月25日

駆け込み寺の玄さんin大阪。

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大阪で、駆け込み寺の玄さんのイベントをが開催され、
今回は、スタッフとして参画させていただいた。


本当にざっくり説明すると、新宿歌舞伎町で、
「たった一人のあなたを救う」の理念のもと、
DVやストーカー、多重債務、いじめ、自殺などで悩む人々のサポートをし続けている、
玄秀盛という人がいる。

最初は小さなNPO法人からスタートした駆け込み寺だったが、
現在はたくさんのご縁の支援のもと、公益社団法人となった。





玄さんはたくさん本を出しているので、玄さんの人となりや活動のことなどを知るのには、
玄さんの本を読むのが一番だと思う。



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で、去年の6月に、兵庫県の三木市で玄さんのトークイベントがあったわけなんだけども、
そのイベントで、主催をされた天満さんとご縁をいただき、
イベント後もなにかと連絡を取り合ったりしていた。




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三木市でのトークライブ後の懇親会で玄さんとツーショット。



そんな流れから、今度は大阪に玄さんを呼びたい!という流れとなり、
俺が大阪でお仕事をさせていただいている、望診法の山村先生に、
事務所を使ってもいいと快諾をいただき、
「よーし!やろう!」という流れとなったわけです。


ちなみに、山村先生も玄さんの大ファンで、
このイベントで玄さんに会えるのを本当に楽しみにしていたんだけども、
講演会のお仕事が入っちゃって結局来られず。

先生の落胆ぶりはハンパなかった・・・


なので、山村先生とは、いずれ一緒に新宿の駆け込み寺を訪れようと思う。



今回のイベントは、主催の天満さんや小山さんといろいろと意見をすりあわせた結果、
マスに向けた大きいイベントではなく、
自分たちが日頃からお世話になっている大切な人たちや、
何か思いや熱いものを持っている人、
人や社会のお役に立ちたいと考えているGIVERな人に、
直接お声がけして、まずは駆け込み寺のことや玄さんの人となりを知ってもらおう!

そして、なにかひとつでも感じたり、心が震えたり、動いたり、
気付いたり、受け取ってもらって元気になってもらいたい!


というコンセプトで行い、Facebook内では友人限定で情報を公開したものの、
大々的な周知活動は一切しなかった。


ただ、このイベントの取材に来てもらって、
駆け込み寺の活動を関西の多くの人たちに知ってもらいたいなぁと、
大阪の新聞社やテレビ局にプレスリリースはした。

結局、取材は来なかったんだけども、
あとから書くけれども、玄さんにそのことで「ハッ」とさせられたことがあった。



さて、話はイベントの中身に戻って。



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朝早くから、1時間半もかけて、天満さんたちが三木から来てくださって会場設営を。







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今回は、玄さんのトークの他に、
書家の高野こうじ氏によるパフォーマンスをしていただくので、
厚手のコンパネに和紙を貼ったりして準備。






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そんなこんなのうちに、玄さんと高野さんが到着。







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天満さんと、進行について打ち合わせ。








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そして、ついにイベントスタート。


今回は、玄さんの事を知らない方もいらっしゃったので、駆け込み寺開設までの経緯や、
玄さん自身のことなどを中心に話していただいたんだけども、
テレビや本では語られないけっこう生々しい話を、玄さん自身の口から聞けて、
今まで玄さんといろいろお話したけれども、今回の話が一番おもしろかった。

玄さんも大阪だからか、なんかノッてたなー。


そして、高野こうじ氏による感字パフォーマンス。




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すごい気迫。







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仕上げの一振り。







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コンパネ一杯に書かれた、龍の絵と「一途一心」の文字。

素晴らしいの一言。



こんな感じで熱く熱くなったところでイベント終了。


今回のイベントがきっかけで、駆け込み寺の連絡所や相談員をやりたい!とか、
職場に募金箱を設置する!とか、
困った人がいたら駆け込み寺のパンフレットを渡すわ!とか、
次のアクションにつながっていったら、主催側として本望であります。


で、イベントのあと懇親会があり、
天満さんの計らいで、玄さんの向かいの席にしてもらったので、
久しぶりにじっくりと玄さんとお話しすることができた。


その話の中で、先に書いたプレスリリースの話を玄さんにしたところ、

玄さん「わこう、お前がプレスリリースした目的は?」

俺「多くの人に駆け込み寺の活動を知ってもらって支援者を増やすこと。」

玄さん「それがまちごうとんねん。」

俺「???」


玄さん

「俺たちはどこまでいっても「たった一人のあなたを救う」やねん。
目の前にいる一人が救えたらそれでええねん。

多くの人に知ってもらう?支援者を増やす?そんなのどうでもええねん。

自分の目の前にいるたった一人。どこまで行ってもそこや。
だから10年以上やってもぶれないでやってこれんねん。

そもそも取材が必要なら、本部から正式オファーしたら動くて。」



目からウロコだったね。

そういう視点から見ると、俺がプレスリリース用に作った書類は、
ポイントがイマイチぼやけてたし、そもそもプレスリリースの必要も無かったんだと。


ただ、今回、大阪の市政記者クラブや司法記者クラブ、
大阪の主要テレビ局などに問い合わせたりして、
プレスリリースの仕組みややり方も分かったし、
今後の情報発信に役立つだろう。うんうん。

人生に何ひとつ無駄はないのだ。



そんなこんなで、俺も駆け込み寺の相談員としてデビューすることにしました。


三年前、なんのツテもない関西に移住してきて、
はたして関西に俺の居場所はあるのか?と不安になったこともあったけど、
こうやって確実に自分の居場所を作っていっている実感がある。


とにかく頑張るのじゃー!



posted by わこう at 17:52| Comment(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月22日

ナイナイナイナイ。

突然だけども、最悪のシナリオという言葉がある。


以前、リスクマネジメントの勉強会や、
自己啓発的な勉強をしていたときに、度々出てきた言葉だ。


ザックリ言うと、、最悪の場合に備えて、防衛策を用意しておいたり、
目標や自分が思い描く最高の結果を得るために、それに伴うリスクも考えて、
可能な限りそのリスクを回避して目標を達成させるために使う。



日常生活の上でも、何かの折々で、
「もしこの場合の最悪のシナリオを考えるとすれば・・」と、考える。


たとえば、本当に細かいことを言えば、
包丁を使っていて、盛大に指を切ってしまうのが最悪のシナリオだとしたら、
慢心にならず、常に意識を集中して細心の注意を払う・・


仕事に関しても、最悪の失敗を考えて、それを回避する計画を立てる・・


人間関係においても、最悪のシナリオは、
自分が好きな人と喧嘩別れしてしまったり関係が終わってしまうことだ。

そのために自分はどう立ち振る舞うのかを考える・・・


などなど、日常生活を営む上で、可能な限りのリスク回避を考えることは、
一日に何度もあることだと思う。


模型をやるときも、たとえば最後の最後に塗装を失敗して、
シンナープールにドボンして塗装をいったん落とし、
また最初から塗り直し・・・とか最悪だ。

実際やったことあるし。


だから、可能な限り、リスクを回避する方法を考える。



しかし、この、最悪のシナリオのイメージを想像するのは、
いい側面では「リスク回避」という面があるけれども、
悪い側面としては、いいイメージも持たなければ、
ただのネガティブ思考で終わってしまう。


で、俺はこのリスクを優先的に考えてしまうが故に、
こう・・瞬間的にネガティブなイメージを想像しちゃうんだよな。


例えば、車を運転していて、違反で捕まったり事故を起こしたり。

はたまた、タコ足配線から火事になったり。

新たに自分とすごくウマが合う人と出会った時、その人とケンカ別れするとか・・



で、俺はりえさんから常々、


「たかちゃんは念が強いから、良くも悪くもイメージが具現化しやすい。
だから、ネガティブなイメージも具現化しやすいから注意したほうがいいよ。」


と言われている。


とはいえ、瞬間的にネガティブなイメージが出てきてしまうのは、
感情と同じで、自分でコントロールできないので困ってしまう。


そこで、やっと本題に入るんだけども、
りえさんは、瞬間的にネガティブなイメージが頭に浮かんだときは、
そのイメージを、頭の中で消しゴムをかけて消すんだってさ。


で、俺もそれを教えてもらった時は、頭の中で消しゴムをかけて、
ネガティブなイメージを消していた。


でも、なかなかこの「頭の中で消しゴムをかける」という作業は、
しっかりイメージするのにちょっと時間がかかったりして、
その間行動がフリーズしたりするし、俺はちょっと苦手なんだよな。



そこで、俺が最近使っているのは、
瞬間的にネガティブなイメージが湧いてしまった時は、
それを瞬間的に「それはナイナイナイナイ」と頭の中で否定して消している。


時には、あまりに強烈にネガティブな時は、
口に出して「それはナイナイナイナイ」と言って否定する。


一度、自分の中で完璧にネガティブなイメージを消してしまえば、
あとはそのリスク回避の方法を冷静に考える事ができる。


対策を立てようがないようなネガティブイメージの場合でも、
ナイナイナイナイと消すことにより、その解消したイメージが具現化するように、
念じることができる。


例えば、飛行機に乗るときに、トラブルで落ちるイメージが湧いたとき、
本当にそうなったら、自分ではどうしようもないっちゃ?

そんな時に「ナイナイナイナイ」と否定して、
無事に着いているイメージが具現化するよう念じる。



これは結局、セルフコントロールの手段でもあるわけだけども、
自己暗示的な作用以外にも、
変な「魔」とつながることを断ち切れると信じている。


よく「魔がさす」って言うけれども、
ネガティブなイメージが湧いたときが心に隙ができやすく、
「魔」はその隙につけこんでくると俺は思っている。

だから、「魔」がつけ込む前に、
「ナイナイナイナイ」と否定してしまうわけだ。


俺がこの「ナイナイナイナイ」という方法を使い始めて、
そろそろ1年くらいになろうとしているけれども、
なんか手応えいい感じよ。


名付けるなら、「わこう式ナイナイ法」とでもしておくか。(笑)


これをするようになってから、
消しゴム消去法よりスピーディーにできるようになったので、
根拠の無いネガティブ思考に支配されることが無くなってきたかなー。


根拠や原因がわかっているネガティブは、
それを回避や改善する具体的なアクションを考えるわけだ。


なんか抽象的でワケわかんないかもしれないけど、
備忘録として書き残しておきます。




posted by わこう at 03:24| Comment(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月23日

仙台でパーティ。その他いろいろ。

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二泊三日の旅程で仙台に行ってきた。


今回の出張の最大の目的は、パートナーであるりえさんのブランド、
YUKINEのブランド創立10周年の記念パーティーをスタッフとして参加すること。


YUKINE公式サイトはこちら。

りえさんは、自分でジュエリーを作り始めて20年、
ブランド名をYUKINEにして10年と、
今回の記念パーティはいろんな意味が込められているということで、
りえさんもだいぶ緊張していたし、準備に余念がなく、本当に気合が入っていた。


で、俺はりえさんを精神的な面で支えつつ、当日会場で上映する、
YUKINEの軌跡を説明するためのスライドショーを作ったり、
当日の会場設営や写真撮影などを担当。


今回の会場は、仙台の会館的な中では箱が綺麗な勝山館で行ったんだけども、
会場に合わせて、ドレスコードをちょっとだけ高目に設定。

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俺もこういった装いで参加した。


パーティの所感は後から詳しく書くとして、いやー、なかなかすごいパーティだったよ。



さて、そのパーティが、二泊の旅程の真ん中の日の夜。




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前日に仙台入りして、空港からそのままYUKINEに直行。

そしてそのまま打ち合わせに。


俺は普段は仙台にいないし、今回のパーティの企画や組み立ては、
仙台スタッフのかなえさんと、ともみちゃんに丸投げで、
俺は依頼があったことをただただ淡々と、っていうスタンスで、
とにかく俺自身が楽しもうと。


だって、主役であるりえさんも、当日は昔からお世話になっている恩師もいらっしゃるし、
もう余裕無くてパッツンパッツン。

それに輪をかけて、パートナーである俺まで一緒になってパッツンパッツンになってたら、
なんか息が詰まるっちゃ。


だから俺は半分主催者側だけども半分ゲストみたいな感じで、とにかく楽しみました。


なので、かなえさんと、ともみちゃんには本当に感謝してます。




さて、YUKINEでの打ち合わせが終わって、

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今度は仙台の模型仲間が集まってくれたので、一緒にメシ食った。


いやー、平日だったにも関わらず、こうやってわざわざ集まってくれて、
本当に嬉しかったわー。


仙台の模型部で、来春くらいに一度、小さなプレイベントを行い、
来年の夏か秋くらいに、本チャンで模型イベントをやることに決めた。


詳細はまた決まり次第お知らせします。


いやー、楽しみが増えたぞー!




そして2日目。


パーティは夜からだし、りえさんのお母さんから車を貸してもらえたので、
いろいろとお墓参りとか行きたいところをフラフラーっと一人でドライブ。

りえさんは、ヘアのセットとかメイクアップとか、早い時間から準備。


こういうとき男はラクでいいなーと思う。






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若生家のお墓のあと、去年亡くなった義父のお墓にお参りしたあと、
義父の墓地が大年寺山なので、そこから撮ったテレビ塔と紅葉。







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博物館の奥にある小さな池。







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青葉城址にも行って、政宗像を。




で、今度は街に降りてきて、


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あべはりさんのお墓参り。








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それでも時間が開いたので、仙台駅の東口にあるカフェ、タピオラで時間調整。




そしてついに、


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パーティの本番!


いやー、なかなかすごいパーティだったよ。


この日本で、結婚式や会社行事とかの堅苦しいパーティではなく、
大人たちが、自分が楽しむために着飾ってパーティに行く。

そんな事って人生の中であんまりないでしょ。


海外だったらそれなりにあるのかもしれないけどさ。


参加者の皆さんは、本当に楽しそうだったもんなー。


大人になって、ドレス着て、純真にキャッキャ言いながら楽しんで、
お酒や料理をたしなみながらおしゃべりに夢中になったり。


そういう場を提供できた意味や意義は、本当に大きかったなぁと思う。


パーティが始まるあたりから、俺のFacebookのニュースフィードには、
パーティ参加者の方々がポストした写真が流れ始め、
終わってからも2日くらいは、ニュースフィードにはドレスの写真で埋めつくされていて、
本当に圧巻だったし、みーんな楽しそうで、つくづくパーティをやってよかったなぁ・・と。


あえて大げさに言えば、一石を投じたね。いろんな意味で。


パーティの写真は、FacebookのYUKINEの公式フェイスブックページに、
アルバムにしてアップしたのでどうぞ。









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パーティのあとも、二次会的な交流会で盛り上がりんぐ。


今回は、仙台の方のみならず、一番遠いところでは、広島、
次いで、岡山、大阪、名古屋、東京などなど、
はるばる遠くからのゲストもいらっしゃって、本当に本当に感謝です。


りえさんはいろんな人に愛されてるんだな。

そして、そんなパートナーを誇らしく思ったよ。


これからも、俺のスタンスでりえさんを支え、一緒に昇っていきたいと思う。

昇り龍の如く。




そして、仙台3日目の最終日。


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おふくろに会わないわけにはいかないっしょ。


ということで、妹が会社をわざわざ半ドンで切り上げてくれて、一緒におふくろのもとへ。


で、おふくろが外に行きたいというので、施設から外出許可をいただいて、
施設の近所にあるカフェで、親子水入らずでケーキ食べてお茶飲んで。


おふくろの脳溢血後の経過は、良くも悪くも変わりなく。

右半身麻痺と重度の失語症はそのままなんだけども、
会話の中で何を言いたいのかという重要な単語が出てくるときは、
たどたどしいながらもまぁまぁ普通の会話ができるんだけども、
単語がどうしても出てこなくて、こちら側も察しきれない時は、
おふくろも諦めて「もういいわ」と会話を諦めてしまう。

でも、案外根気よく聞けば会話が成り立つので、あんまり不便な感じは無いな。

ただ、俺の名前が言えない(出てこない)のはちょっと悲しいかな。


去年、義父が死んでからおふくろはかなり意識がシャンとして、
今のところ認知症の気配は全く無いのが救いだ。





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もともとおふくろは石が大好き。
YUKINEでも過去にいくつかアクセサリーを作っている。

このラリマーのブレスレットは俺がしていたんだけども、
おふくろはラリマーが大好きだったし、なんか欲しそうにしていたので、
あげることはできないけど、半永久的に貸してあげるよと、手首にしてあげた。

なんかすごーく喜んでたな。




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施設に戻ってツーショットを。




と、今回も二泊三日の旅程を十二分に満喫した出張でした。





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いやー、でもこのパーティはマジで凄いインパクトだったわ。


来年は芦屋でこんな感じのことをする予定で、
今度は俺がその企画を進めければいけないんだけど、楽しんでやるっちゃ。


今回関わっていただいた皆さん、本当にありがとうございました。


また仙台に行きまーす!


posted by わこう at 19:00| Comment(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月05日

モデスポスタッフ卒業にあたり。

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関西最大級の模型イベント、モデラーズEXPO 2014が終わった。

今年は過去最高の動員で、3日間の会期中、5500人に及ぶご来場をいただいて、
本当に嬉しかったとともに、ビッグなイベントになったなぁ・・
と、思いもひとしおで。


初年度の2012年から運営スタッフをさせていただいて今年で3年目。


特に、昨年度から公式サイトの制作、管理・運営をさせていただいて、
会期中は、音響や映像などを担当させていただき、
自分の得意分野でスタッフの仕事をさせていただけたので、本当にありがたかった。


モデラーズEXPO(以下モデスポ)自体は、今年でいったん活動をお休み。
来年は未開催となり、その次の年に開催になるかどうかは今のところ未定。



で、俺は、再来年、モデスポが開催される、されないにかかわらず、
今年でスタッフを卒業すると決めた。


理由はいろいろあるけれども、
一番は、個人的に今後仕事が忙しくなるだろうと予想されることと、
模型以外のライフワークを充実させていこうと思ったからだ。


あとは、モデスポ運営側の事を考えると、もし今後も続いていくのだとしたら、
もうそろそろ新しい人たちにバトンタッチして、
新しい風を入れたほうがいいと、個人的には思っている。


ということで、今年最後のモデスポスタッフとなったわけなので、
いろいろと思いが交錯して、とても感慨深いモデスポとなった。



ちょっと語りますよ。



モデスポのスタッフ、いやー、正直しんどかったっす。

肉体的にどうこうとかではなく、
だんだんと年を追うごとに来場者が増えていく大きなイベントに育ってきたこともあって、
プレッシャーがハンパないっす。


それに加えて、夏に、モデスポサイトで借りて運用しているサーバー会社、
ドメインキングが、まさかのサーバークラッシュでデータが飛んだ。


ありえねーだろー。


去年、20億(だったかな?)の損失を出したとされる、
ファーストサーバー事件があったけれども、
規模こそそこまでいかないものの、それと同じようなことが起こり、
しかも、俺が運用している中で絶対にトラブってほしくない、
モデスポサイトのサーバーが、よりによってクラッシュ。


モデスポサイトはWordPressで運用しているので、
基本的に操作はすべてクラウド上で行い、ローカルのパソコンには、
意図的にバックアップをとらない限りデータが残らない。

したがって、サーバーがクラッシュするとアウトーーーーー!なわけで、
その、アウトーーーーーーーーー!が起こってしまったわけです。


で、苦労して苦労して更新してきたものがパーに。

それが8月くらいの話。


で、なんとかサーバー会社の努力で、
半年前(2月)の状態までは復旧できたものの、その半年の間に、
大事な更新をたくさんしたもんだから、その作業をもう一度やり直すはめに・・・


もー、怒りを通り越して震えて笑ったのは初めての経験だったよ。


いや、WordPressで運用しているとはいえ、
バックアップをとらなかった俺にも責任はあるんだけどもさ。


で、そんなこんなのあとに、胆石、尿管結石で救急車騒ぎときて、
きわめつけに3番目のニャン、きっちゃんの突然の死。


いやー、なんなのよもー!


って感じだった。マジで。


運営に関してもいろいろあって正直ぶん投げたくなった。


そんな中、ぶん投げないでやってこられたのにはいくつか理由があるんだけども、
一番の理由は、


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この男。あべよっちゃんの存在。


よっちゃんは、モデスポ初年度から毎年来てくれて、今年で3年目。

しかも、今年は愛車のS30 Zで来てくれた。



そして、今一度説明すると、よっちゃんは、2009年にこの世を去った俺の親友、
鍼灸師のあべはり(あべ鍼灸院→あべはり)さんの弟だ。



過去記事にも書いたんだけども、あべはりさんが亡くなる直前まで、
俺はあべはりさんと酒を飲んでいた。


だけど、その帰り道、あべはりさんは事故で死んでしまった。


朝、ニュースで事故を知り、慌ててあべはりさんのケータイに電話をしたら、
ご親族の方が出て、亡くなったことを伝えられ、
「最後に顔を見てやってください」と言われて、大急ぎであべはりさんちに向かった。


顔に白い布をかぶせられ、布団に横たわるあべさんをぼう然と見ていたら、
よっちゃんが無言で部屋に入ってきた。




その、悲しいとも悔しいとも怒りともいえない表情を見た瞬間、
俺はよっちゃんに申し訳なくて申し訳なくて、顔向けできなかった。


別に俺があべさんを殺したわけではないし、親御さんからもよっちゃんからも、
「責任を感じることはない」と何度も言われたんだけども、
あの時、俺と一緒に酒飲んでなかったら・・とか、あの時声がけしていたら・・とか、
自責の念がどうしても拭えなかったんだよな。


それなのによっちゃんは、まるであべはりさんのことと全く関係ない感じで、
俺と本当に普通に、自然に接してくれた。


俺は親友を失って、半身をもがれたような喪失感がずーっと抜けなかった。
半年くらいは、毎日のように泣いた。


よっちゃんは、感情をあまり表に出さないからわからないんだけども、
たぶんよっちゃんの喪失感は、俺なんかと比べものにならないくらいだったろうと思う。


それだけあべはりさんは大きい男だったんだよ。


そして俺は、そんなよっちゃんに何ができるんだろうとずっと考えていた。

償いともまた違う、なんと言っていいかわかんないんだけども、
よっちゃんに何か返したいというか・・・このニュアンスわかるかな・・・



よっちゃんは、俺が仙台にいたころからの模型仲間で、模型大好き。


そしてそんなこんなで俺は関西に移住。



そしてそして、巡り合わせの妙により、ナニワ模型界の女王、環さんと出会い、
環さんに誘われるまま、モデスポの初期スタッフに加えてもらった。


ついこの間まで仙台にいて、右も左もわからなかった俺が、
いきなり有名モデラーと一緒にイベントを作ることになって。


さらにモデスポ当日は、超有名モデラーが集結することになって。



その時思ったんだよ。

よっちゃんに何か返せるのならこれだ!

今の俺がよっちゃんにできる最高はこれだ!



ぶっちゃけ、いっぱい背伸びしたし、ムチャ振りもされたし、
モデスポスタッフはしんどいこともあったけど、
だけども、ぶん投げなかったのはよっちゃんに返したかったから。


俺ができるかぎりいろんな作家さんと関係を築いて、よっちゃんを繋ぐ。

それができたらどんなにいいだろうかと。




だから、初年度によっちゃんが仙台からモデスポにきてくれた時は、
本当に嬉しかったねー。

いっぱい泣いた。




そして今年は3年目。


俺も少し気持ちに余裕ができて、作家さんにも覚えてもらっていたり、
Facebookを通じて日頃から交流させていただいて人間関係ができたりして、
よっちゃんに、初年度よりも深い関係性で作家さんを繋ぐことができたと思う。


一日目の夜、宿が取れなかったということでウチに泊まってもらったんだけども、
とにかく話は尽きず、とにかくいっぱい喋った。


その時に気がついた。


もう、よっちゃんとの関係は、あべはりさんよりも長く続いていた。


そして、返すとか償いとか関係なく、俺はよっちゃんのことを大事に思っていて、
普通に友人としてもう長いこと付き合っているじゃないかと。


大事なのは、返すとかそういうことじゃなくて、ずーっと長く友人を続けることだ。




モデスポ3日目の朝。


前述のとおり、今後継続するしないにかかわらず、
俺は今年でモデスポスタッフを卒業するので、卒業式の朝みたいな心境。


なんかこう・・死んでしまったあべはりさんのことも含めて、
いろんなものから解放されるような清々しさと、達成感や充足感に包まれて、
家を出る前、あべはりさんに感謝して手を合わせた。

そしたら、よっちゃんになんか感謝の念がグワーッと湧いてきて、
涙がポロポロ出てきてさー。



感謝に包まれながら会場に向かったよ。


3日目もとにかく目が回るような忙しさでクッタクタになったけども、
フタを開けたら3日で5500人という来場数。


そしてみんな達成感に包まれて晴れやかな顔をして。






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モデスポ終了間際、同じく仙台から3日間参加してくれた、
霧島くん(左)と共に撮ったよっちゃん。


3日間、キラッキラしてモデスポ会場を見たり、
いろんな作家さんと話しているよっちゃんを見て、なんか涙が出たよ。

あの、あべハリさんが死んでしまった日、
なんとも言えない表情をしていたよっちゃんとオーバーラップしちゃってねー。


3年間ふんばってきた甲斐があったなぁ。マジで。


あとは、きっかけは作ったので、
よっちゃん自身が自分の才覚で人間関係を広げていくだろう。


なんかこういうことを書いちゃうと、重いかなぁと思ったんだけども、
モデスポ卒業にあたり、閉じ込めていた思いを書き殴ってもいいかなぁと思って、
思い切って書いてみたよ。



ありがとう。よっちゃん。





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モデスポの撤収も全て終わって、夜、一人で駐車場に向かう途中に撮った、
誰もいない搬入路。


はー、ここを通るのもこれで最期かーと思ったら、ちょっとグッときた。



これからは、また別なやり甲斐を求めて精進しようと思います。



モデスポでご縁をいただいた皆さん、本当にありがとうございます。

これからもよろしくお願い致します。



俺のモデスポは終わりました。

感謝。




posted by わこう at 01:16| Comment(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月23日

胆石と尿管結石。

ここ1ヶ月くらいで、なかなか貴重な体験をした。


胆石か尿管結石か。

もしくはどっちもか。



ある日、大阪に出勤する前に、ちょっと脂っこいものを食べた。


そしたら、その一時間後くらいに、だんだんとお腹と腰が痛くなってきて、
最初は何か食べ物にあたったのかと思ったんだけども、なんか違う。


そのうち、立ってても座ってても、どうにも痛くてもうどうすることもできない。


一人事務所でウンウン唸って、救急車呼ぼうかと思ったくらいなんだけども、
しょうがないから事務所の床に直に横になった。


右側を下にしたらとょっとだけ楽になったので、
そのまま耐えたら、30~40分したらウソのように痛みが引いた。


その後も、何かを食べたり飲んだりすると、
決まって一時間後くらいに激痛が襲ってくるんだけど、
右を下に横になって40分くらいしてると痛みが消える・・の繰り返し。


これは一体なんなんだと。


で、病院に行くのが嫌なもんだから、自分なりにいろいろ調べたら、
どうやら胆石みたいだぞ。と。


さてどうすっぺ・・・



そこで、ピピーンとあることを思い出した。


新潟のマクロビオティックカフェ、マリー・ルゥのオーナーのスタンくんご夫婦が、
以前、レバーフラッシュプログラムというのをやって、
肝臓のクリーニングと胆石の排出をしたと言っていたのを思い出した。


レバーフラッシュプログラムとは、簡単に言うと、
一晩だけ断食に近い感じで行い、胆管を広げつつ、
あるタイミングでオリーブオイルを一気飲みして胆汁を一気に出し、
胆管に詰まっている胆石を排出する、というもの。




そして、レバーフラッシュに必要な物がすべて入って、
キットになっているものがあり、今回はそのキットを使った。



レバーフラッシュをする日の午後二時以降は、飲み食いを一切せず、
夕方から飲むことになる、エプソム塩水溶液を作り置きし、冷蔵庫で冷やす。

なんでかというと、エプソム塩水溶液がマズすぎるので、
常温で飲むよりは、冷やすと少しマシになるんだそうだ。


で、夕方から何回かに分けてエプソム塩水溶液を飲み始める。

これは、胆管を広げるとともに、下剤の役割もあるので、
とにかくお腹がゴロゴロし始まって、何回もトイレに行った。


で、胃腸を空っぽの状態にしたところで、
寝る直前に、オリーブオイルとグレープフルーツを絞ったジュースを混ぜたものを、
一気飲みしてすぐに布団に入る。


とにかくこれを飲んだらすぐに横になるのが大事なんだそうだ。


お腹が空っぽなところに、油を一気飲みするわけだから、
それはそれは大変よ。

でも、最低20分は横になるようにと説明書に書いてあるので、
ひたすら耐えてからトイレに直行。


で、やっと落ち着いて就寝。


さして次の日の朝、
緑色の泡みたいなのと、石っぽいものが出た。

それが胆石らしい。


けっこうな量出たよ。


そんなこんなで、人生初のレバーフラッシュは終わった。


ただ、説明書によると、一般的な人の場合、
200個くらいの胆石を持っているらしく、
アレルギーを完璧に克服しようと思えば、それをすべて出し切る必要があるので、
定期的に継続してレバーフラッシュを行う必要があるんだそうだ。


それ以降、食べたあとで起こる激しい腹痛はピタッと無くなった。


これで安心安心。






と思ったのに・・・







その1ヶ月後くらいに、またあの時と同じようにな痛みが襲ってきた。


だけど、 今度は食事と全く関係ないタイミングて、
なおかつ、胆石だと思った時は、右側を下にして横になったら楽になったんだけども、
今度のは何をやってもダメ。

とにかく痛い。何をやっても痛い。


しかも、りえさんが出張中の夜10時ごろ。


一人でウンウン唸って、もうどうしようもなくなって、結局救急車を呼んだ。


芦屋病院に運び込まれ、早速CTスキャン。


俺はてっきり、また胆石が詰まったのかなーと思ってたんだけども、
CTの結果、尿管結石と判明。


いやー、正直ショックだった。


胆石かと思ってレバーフラッシュした時は、病院に行かなかったから、
正直なところ、本当に胆石かどうかはわからない。

で、俺はそれでもう終わりだと思ってたのに、尿管結石・・・


はたして前のやつは胆石じゃなくて尿管だったのか、
それとも、胆石と尿管結石両方発症したのか、
今も正直わからない。


で、結局、先生の見解では、そんななに大きい石じゃないから、
自然排出でいいと思いますよと言われた。

とにかく水をいっぱい飲んで早く排出するようにと。


それからというもの、水をガブガブ飲んだり、
大根湯を1.5リットルくらい作って一気飲みしたり、
ピョンピョンジャンプしたりと、いやー、とにかくいろいろやった。


結局、救急で運ばれてから2週間くらい経って、
やっと膀胱入口まで落ちてきたのは感覚でわかったんだけども、
そこからなかなか膀胱に落ちない。


なんでも、尿管って膀胱の入口付近は細くなってるんだそうだ。



そんなとき、突然車が調子悪くなって修理に出すことになった。

代車が無いということで、修理に出している数日間は車ナシ生活。


どこに行くにも電車。



駅まで歩き、階段を何回も登り降りし、乗り換えでまた歩き・・・

なーんてことをしていたおかげで、ある朝、ポロンと石が出てきた。


黒くて四角くて、1辺が3~4ミリくらいあったかなー。

これは痛いわ・・・って感じの形と色。


出たあともしばらくチン●ンが痛かったから、
それが尿管に引っかかってたんだと思ったらゾッとしたね。


でも、無事に自然排出できてよかったよかった。


そんなこんなで、胆石(本当に胆石だったのかは謎)と尿管結石を、
ここ1ヶ月くらいの短い間に両方体験したわけだ。


いやー、でもどっちももう嫌だわ。


特に尿管結石の痛みは、出産の痛みに匹敵すると聞くし、
もうあの痛みはこりごり。


再発しないように気をつけよう。





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2014年08月27日

マラソン夏休み2014。


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今年のお盆休みはメッチャ忙しかった。


こう・・たとえば親戚がドドーッと訪ねてきて云々とかそういう忙しさではなくて、
思い切り遊びましたー。わははー。


実は、以前乗っていた車も走行距離が、
14万キロを軽く超え、いよいよ引退かなーということで、


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関西に越してきて2年半でようやく神戸ナンバーになりました。

VWのBORA V6 4Motion。

珍しい狭角2800cc V6エンジンと四駆の組み合わせ。
しかも左ハンドルでマニュアルシフト。

もう中古車市場でも絶滅危惧種の部類に入ってきたこともあり、
乗りつぶしてやろうジャマイカと。


震災直後の被災地支援活動でお世話になった、
関東の大熊さんに見つけてもらった。


ということで、新しい相棒で出かけまくりで。



ということで、いろんな所に行ったけども、
写真が多いので、説明を最小限にします。





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まずは、大阪でりえさんと俺にとって欠かせない存在である、


奈良の山の上にあるスリランカ料理店、ラッキーガーデンでご飯をたべたあと、




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奈良市内にある和菓子屋さん(名前忘れた・・)でかき氷を。




そしてなぜか突然、水族館に行きたい!となって、


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大阪に戻ってきて海遊館に。





魚も良かったんだけども、ハートをわしづかみしたのは、









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ペンギンちゃん!


いやー、めんこいなー。

連れて帰りたい。






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りえさんも






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まさよさんも、もーメロメロで。





そして次の日。


浜松ジオラマファクトリーで開催された、ジオラマグランプリに先日エントリーした、



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このベアッガイのジオラマを搬入しに、浜松までビューンと・・・

行きたかったんだけども、
実際は京都で25キロ、四日市と岡崎でそれぞれ12キロの渋滞にハマり、
通常三時間くらいで行けるはずなんだけども、6時間半かかってやっとこさ到着。


結果についてはまた別記事で書きます。




そして、浜松に住むモデラー仲間である脇村さんと合流。





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浜松市美術館で開催中だった、ウルトラマン創世記展を案内していただいた。


いやー、実際の撮影で使われた衣装とか、ウルトラマンのカラータイマーとか、
撮影で使われた本物のキングジョーとか、本物の台本とか、なんかいろいろ凄かった。

りえさんも珍しくかなり食いついて見てたもんなー。



そして、浜松市美術館のイベントにいらっしゃっていた、
巨匠 ヤマタクさんこと山田卓司氏に思いがけずお会いすることができ、
立ち話程度だったけれども、ご挨拶方々お話しすることができてうれしかったなー。





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そして、静岡県民のソウルフードとなりつつある、「さわやか」のハンバーグを。

脇村さんの笑顔が渋いっす。


脇村さんも同い年。

環さんや吉岡さんといい、同い年の仲間がいてうれしいなーと。




帰りも12キロの渋滞にハマり、ヘロヘロになって帰ってきたんだけども、
心地よい疲労感というか、達成感で充実した一日だった。




さらにその翌々日。



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今度は、りえさんのマブダチであるけいちゃんに会いに、
一気に日本海側の豊岡までビューンと。


この素晴らしい古民家とBORAが、またなぜか似合うんだな。



で、本当は、サザエや貝が採れる浜があるということで、
そこで貝をとりつつBBQをする予定だったんだけども、
あのすごい豪雨のために予定を変更。


けいちゃんちから鳥取砂丘まで1時間半くらいということで、




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人生初!鳥取砂丘!


真夏日は暑すぎて脱水症状や熱中症になる人が多いそうなんだけども、
ちょうど雨が上がって、適度に砂が湿ってるし、湿気はあるものの浜風が涼しいしで、
ベストなときに行ったんじゃないかなー。





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いやー、なんか想像を超えたスケール感で、感動したわ。マジで。


だけど、1回見たら結構おなかいっぱい。
現世ではもう行かなくてもいいくらいだ。


でも、死ぬ前に一度は見ておいたほうがいいという、そんな場所だった。(笑)









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はい、チーズ。







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はいチーズ。 ※パラパラ動かない時は画像をクリックすると別画面で開き、動きます。


これは、りえさんとふたりで和傘を買ったので、
メリーポピンズよろしくプロモーションね。(ウソ)


もー、風が強くて俺の頭が蛾次郎みたいになっとるでしょ。






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そしてこのふたりは仲がいいんだー。







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で、俺はといえばタオルが風になびいて顔にバシーっと。
※パラパラ動かない時は画像をクリックすると別画面で開き、動きます。

いったいなにがしたかったのか・・・










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ほんでもって、鳥取といえば、スタバが無い県としても有名なわけだけども、
スタバはないけどすなばはあるぞ、と。


あまりお店の事を悪く書きたくないんだけども、俺、人生の中で、
飲食店に入って、店員さんがこちらに気付いているのににガン無視されて、
案内もしてくれないという体験は初めてだったよ。


まぁ、これ以上はやめておく。




そして、鳥取にいるとFacebookに書いたら、
脇村さんから、「隼駅がある」と教えてもらった。


鳥取駅前からそんなに遠くなかったこともあって、


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スズキのバイク、「隼」の聖地として有名な隼駅に。






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かなり味のある無人駅だった。





そんなこんなで、ドタバタ鳥取の旅が終わり、豊岡に戻り、
けいちゃんちに泊めていただいて、次の日。


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今度は、日本三景のひとつでもある天橋立に。




展望台までリフトで登ったんだけども、途中で傘を落としてしまい、
係の人に拾ってもらった。




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受け取ったところ。反省してます。ゴメンナサイ。




展望台への最終の階段で、なぜか突然だるまさんがころんだが始まり・・・


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こんなアホなことしてます。
※パラパラ動かない時は画像をクリックすると別画面で開き、動きます。








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はい、りえさんとけいちゃん、ふたり並んで・・







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股のぞき。




こうして天橋立を見ると、天にはしごがかかってるように見えるんだってさ。









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ということで俺もやってみました。


どうみても落ち武者です。本当にありがとうございました。



と、そんなこんなのマラソンお盆休みでした。


忙しかったけど楽しかったなー。





来年はどんなお盆休みになるのかな・・・



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2014年08月12日

修行としてチャレンジ。


以前から何回か記事にしてきたんだけども、
メッチャ大好きだった酒(主にビール)を断って4年半が経った。


もうこのくらい断酒すると、飲まないことがあたりまえになって、
浴びるように酒を飲んでいた時のことなんて忘れてしまいそうだ。





最初はただの軽いチャレンジのようにはじめた断酒から、
3年で解禁しようと思っていた。

だけども、実際に3年経つと、せっかくここまで断酒を続けたのに、
やめるのがもったいなくなってしまって、そのまま継続することにした。


だけども、やはり酒を飲みたい衝動はたまに波のように襲ってくる。


そんな時に思ったのは、「これは修行。修行と思えばいいのだ。」と。


ただのチャレンジよりも、俺の場合、「修行」という理由付けをすると、
俄然重みを増して、継続するモチベーションが生まれるのだ。


あくまでも俺の場合ね。


酒だけでなく、タバコもそうだ。


ただね、体験上、酒よりもタバコのほうが依存性や中毒性が強い感じがする。

だから、俺の場合、断酒よりも禁煙のほうがキッツいな。


これはどうなんだろう、
個人差があるのか、みんなそうなのかよくわからないんだけども。


なので、足掛けで言うと、禁煙期間はかれこれ10年になるけれども、
途中何度か、波のように襲ってきたタバコを吸いたい衝動にパクっと食われて、
何度かタバコが復活。

だけども、現在はまた禁煙してもうそろそろ一年になる。


やはり波のようにタバコを吸いたい衝動がグワーッと襲ってくるけれども、
最近はそれも、「修行修行。」と思えば、強い意志でブロックできるようになった。



で、俺の場合は、「修行」と思うとモチベーションが上がって継続できるので、
それを利用して、新たなチャレンジを課している。

逆転の発送ってやつね。



例えば最近チャレンジしてるのは、「禁 争い」。


以前はとにかく喧嘩上等、トラブル大好き、
トラブルの中にあえて首を突っ込んでいく節があったんだけども、
りえさんというパートナーを得てから、もう少し丁寧に生きようと思ったんだよ。


もし俺がトラブルを起こせば、りえさんにも迷惑がかかる。

なんかこう・・りえさんにはそれをしちゃあかんって思っちゃうんだよな。


俺の人生は俺のものだけども、俺一人だけのものでもない。


だから、修行として「禁 争い」として自分の中に入れておけば、
腹がたつことがあっても、関わらないようにしたり、和解や解決の道を探ったり、
争いや暴力ではない方法を探す。


いや、もともとまっとうに生きている人からしたら、
「そんなのあたりまえだろ!」って思うんだろうけども、
俺は人間として未熟だから、そういう風に自分に課さないとダメなんだよな。


あと、最近もう一つ加えたのは、「禁 交通違反」。


関西に越してきてから、
たて続けに3回もスピードでキップ切られて免停になってしまった。


それまでの俺の意識は、

「交通違反は捕まるときはしょうがない」

という感じだった。


だけども、これも逆転の発送で、修行として「禁 交通違反」とすると、
「絶対に違反をしてはいけない」というふうに、1ミリも自分への甘えがなくなるので、
モチベーションを維持できるかなーなどと思ったりして。


さらに、それを何年も何年も継続すれば、ゴールド免許になることもできる。


俺はとにかく車で移動することが多いので、
以前はそんなんでゴールド免許なんてムリやろと、最初から諦めていた。


だけども、修行としてチャレンジし、
「絶対に違反してはいけない」と自分に課すことで、甘えを消すことができる。



まぁ、いろいろ書いてきたけれども、なかばこれは心理ゲームみたいなもんで、
コミットメントするのに、より強力に自分の中に入れ込むための手段だということだ。


毎年毎年、「今年も達成できた」という積み重ねが、
きっと自分を強くしてくれると思っている。


人生修行修行。


だけども、修行は辛いだけじゃなく、楽しい側面もあるはずだ。

それが陰陽だ。



それをふまえた上で楽しみながらこの修業を続けていこうと思う。



posted by わこう at 13:14| Comment(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月04日

尋常性乾癬。

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数年前から、頭皮に湿疹のようなものができるようになった。

思い返すと、断酒を始めた年から出始めたような気がする。


で、あの大震災のあと、急激に酷くなった。



季節や食べ物で頻度が変わるんだけども、
ひどい時はとにかくかゆくて、血が出るくらいかきむしる。


そんなことをすると、余計に酷くなって広がって・・・のループに入ってしまい、
いやー、とにかくしんどかった。


で、俺はてっきり、自分で勝手に、脂漏性皮膚炎と思い込んで、
それ用のシャンプーとか使っていたんだけども全く効果がなく・・・



そこで、やはりちゃんと皮膚科で診断していただいたほうがいいなと。


そして皮膚科で、尋常性乾癬(じんじょうせいかんせん)と診断された。


脂漏性皮膚炎が、真菌という菌によるものなのに対し、
尋常性乾癬は、免疫性の病気で、現在は完治できないらしい。


通常、皮膚の再生サイクルはだいたい3週間くらいと言われてるんだけども、
尋常性乾癬の場合は、皮膚病ではなく免疫性の病気で、その部位だけ、
4~5日くらいというすごいスピードで再生サイクルが行われるんだそうだ。


皮膚科の先生が、念のために皮がむけたものを顕微鏡で見てくれたんだけども、
菌は発見されなかった。



で、ここからがポイントとなるんだけども、
前述のとおり、尋常性乾癬は完治しない病気なので、
現在のところは、症状を抑えることしかできないんだってさ。


そこで先生からはステロイドを処方され、紫外線をあてる治療を勧められた。


だけどもさ。

やっぱりステロイドを使うのには抵抗がある。

結局症状を抑えるだけだし、常習的に使っていって、もし使用をやめようとすると、
抑えていたぶん一気に反動がきて大変だという話を、
アトピーなどで苦しんでいる人のいろんなサイトやBlogで読んだ。



ということで、ステロイドを使わず、完治までいかないまでも、
別な方法で改善することはできないもんかと、自己流でいろいろ調べ始めた。


基本的に病院嫌いだからさー。


なるべく行かずに済むなら行かない方法を模索したい。



ということで、いろいろ調べた結果、2つのあるものに辿り着いた。


「紫イペ」と「タールシャンプー」


紫イペっていうのは、別名「パウダルコ」と言われるようで、
南米の広葉樹の薬木の樹皮なんだそうだ。


で、日本でも紫イペのサプリメントを取り扱っているサイトとかあったんだけども、
国産品はとにかく高い!べらぼうだ。

サプリメントのボトル一本数万円とか。


いやー、確かに質の良し悪しとかあるんだろうけども、
常習的に摂取していくのに一本数万円のものを飲み続けるなんて現実的にムリ。


で、なにげにアマゾンで検索したら、


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なんだ。あるじゃねーか。

100粒2本セットで1500円くらい。


ただ、海外直送品なので、注文してから届くまで少し時間がかかる。


俺が頼んだときは、2週間くらいだったかなー。



ちょっと大きめのカプセルで、たまにのどに引っかかるんだけども、
一日4錠を目安に飲むといいらしい。


そろそろ飲み始めて二ヶ月くらい経った。


この、紫イペで内面から作用させつつ、




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外側からは、パインタールのシャンプーと石けんを使っている。


パインタールって、松ヤニのことなんだと、このシャンプーを調べて初めて知った。


この、尋常性乾癬っていう病気は、もともと欧米では昔からある病気みたいで、
日本では戦後あたりから出始まったというのをどこかのサイトで読んだ。


俺はたぶん小麦ものでも、特に焼いたもの、
つまりパンとかクッキーとかが関係してるんじゃないかと思っている。

あとは油。


実際、トーストとか食べると、今でもすぐ真っ赤になるよ。


で、話を戻すと、


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このグランパのパインタールシャンプー&コンディショナー、


そして、


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パインタール石けんを、紫イペとほぼ同時期に使い始めた。


ちなみに、このグランパの製品も、海外直送品なので、少し時間がかかる。


でも、今回は10日くらいで届いたかなー。


なぜ、尋常性乾癬に松ヤニが効くのかは、
調べたけどもイマイチ明確な答えを見つけることができなかった。


だけども、「なんでかわかんないけど効く」。


そして、この製造元であるグランパは、創業1878年の伝統ある石けんメーカー。


いや、正直、最初は「タールで作ったシャンプーだー?!大丈夫なのか?それ。」

って思ったよ。


でも、背に腹は代えられない。

とにかくひどくなった時のかゆみは本当に耐え難い。



とにかく良くなることを信じ、害にならないことを信じて使い始めた。



パインタールのシャンプーや石けんは、
独特のゴムみたいなタイヤみたいな香りがするんだけども、
俺はもともとそういう系の香りは嫌いじゃないので、抵抗なく使っている。



で、以前は、

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このように、額の真ん中の髪の毛の生え際あたりが、
赤くなっているのがわかると思うんだけども、
このころは、会う人会う人「いやー、ひどそうやねー。」とか「どしたん?」とか聞かれた。


で、最近はどうなったかというと、


IMAG2913.jpg


こうです。



やはり焼いたパンとか食べるとグワーッと赤くなったりするけども、
時間が経つとおさまって目立たなくなるくらい。


そして、あの掻きむしるような痒みは、今のところ襲ってこなくなった。


紫イペとパインタールの製品。

同じ時期に使い始めたから、正直どっちが効いてるのか、
どっちも効いてるのか、よくわからない。



今は夏だし、アトピーもそうだけども、夏場は逆に症状はあまりひどくならない。

勝負は冬ね。


冬の乾燥する季節は、こういう皮膚の症状は強く出るので、
はたしてどうなるかなーと。



あとは、食事の部分では、粉ものをあまり食べずに、
お米や蕎麦を中心とした食生活にしてるんだけども、
そういう時はやっぱり症状は軽い。っていうかほとんど出ない。


特に、玄米を食べてる時は調子いいね。やっぱり。



症状が一発で出る食べ物は、


・パン(特に焼いたもの)

・クッキーとかの焼き菓子

・小麦を使って揚げたもの(揚げたお菓子とか)

・チョコレート


あたりが顕著かなー。


小麦と油のコンポもすごいね。



そして、そういうものが好きなんだ。これが。


だから、症状がひどい時は、食べたいのを我慢している。


で、それで2~3日調整すると症状がおさまるので、
調子いい時にまた少し食べて、また我慢する・・

というふうに、常習的に食べ続けないように、メリハリをつけるようにしている。


だって食べたいときは食べたいもんな。



この記事が、尋常性乾癬に悩むすべての人に当てはまるわけではないと思うけども、
体験談として何かのお役に立てば幸いです。


posted by わこう at 20:51| Comment(7) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月29日

対等であること。


ここ最近、関西でまた新たな人間関係がグワーッと広がり始めている。


で、仙台にいた時からいつも思っていたことなんだけども、


「俺は関わる人たちに、どんな玉を投げられるだろうか?」


ということを考える。



そして、その人からもしっかりと受け止めようと思う。


それは循環だ。



例えばお互いが持っている何かのスキルやノウハウ、
楽しい時間や会話、共同作業などなど。


そして、その関係性が確立したら、年齢や立場の上下は多少あれども、
基本的に対等な関係であると考えている。

俺がその人よりも年上だろうが年下だろうが関係ない。


俺もその人に何かしてあげたいという気持ちのままに動き、
その人が俺に何かしてくれたらそれを感謝して受け取る。



それが、本当に意味で、先に書いた
「対等な人間関係」であると言えるのではないかと。



そのためには、人間的なスキルの向上も大切だと考える。


そして、何回も書くけれども、自分もその人に与え、
その人から返ってくるものもしっかりと受け取り、
その循環がいい人間関係を作ると考えている。




ちょっと話はそれるんだけども、こういうことを考えるときに、
いつも思い出す数年前の出来事がある。



当時、俺は有限会社の社長をしていたんだけども、
あるイベントで一人の男性と出会った。


名刺交換をしつつ自己紹介をし、
立ち話から人生観や仕事の話になったんだけども、
俺は正直、その時だけの会話で終わって、次に会うことはないだろうと思っていた。


しかし、その数日後、その男性から電話があり、

「わこう社長のお話をもっと伺いたいので、ぜひお会いできないでしょうか?」

と。


俺は何かビジネスの話なのかなと思い、
まぁ、乗るにせよ乗らないにせよ、話だけは聞いてもいいかなぁとは思ったものの、
当時、超忙しくて時間を作るのが難しかったんだけども、
調整してやっと時間を作って、その男性とファミレスで会うことになった。


再会してすぐ、その男性が、

「わこう社長はいろんな体験をされていらっしゃるので、
ピンチを切り抜けた時の武勇伝などお聞かせいただけないでしょうか?」

と。


俺はちょっと変だなとは思いつつ、話したよ。

人生最大のピンチになって、それをギリギリ首の皮一枚で切り抜けたこととか、
どうやって起業したのかなどなど。


で、けっこう長い時間、いろいろきかれるもんだから話したんだけども、
なんだか話し疲れちゃって、


「で、結局今日俺と会おうとした目的はなんですか?
どんなビジネスの話ですか?」


と質問したところ、


「いえ、今日はわこう社長のお話をお聞かせいただきたくてお会いしました。」


という返事が返ってきた。



「え?ただそれだけ?」


と聞き返したら、


ニコニコしながら「はい!」と答えやがった。


なんでもその野郎は、経営の勉強をしていて、
なんかそういう系の偉っぽい人から、


「いろんな経営者の話を聞いて吸収しろ!」


みたいなことを言われているらしく、
俺がたまたまその野郎のターゲットとなったわけだ。




で、そこで、腸が煮えくり返るのを抑えつつ、


「あなたに俺の体験を話すことで、
あなたの身になるようなことがあるならそれはそれでよかったんだけども、
あなたからは何かこう・・なんか無いんすか?」


と質問したら、


「はい!ありません!」


とニコニコして答えやがった。




まだ30代前半で血の気が多かったこともあって、
プチーンと切れちゃったんだよね。


「オイオイオイオイふざけんじゃねぇよ。

俺とお前にそれなりに人間関係ができあがってるんならまだしも、
こっちは忙しい中調整して時間を作ってきたのに、
なんでよく知りもしないお前なんかに俺の話をするだけなんだよ。

こういうのってお互いに持ってる玉を出し合って、
人間関係を築いていくもんじゃねぇのか?」


俺も興奮してちょっと声が大きくなっちゃって、
ファミレスがシーン・・となってたね。


で、その野郎、


「でも今の僕にはわこう社長にお返しできるようなものはものは
なにも無いんですぅ〜・・うぇーん・・」


と泣き始まっちゃった。



なんなんだ・・この生き物は・・・
いい歳してアホアホアホアホアホアホアホアホアホ!


と思ったね。




で、そんな自分にも情けなくなって、
ファミレスを飛び出してさっさと車に乗って帰ろうとしたんだけども、
その野郎、ファミレスの入口で、俺の車を綺麗な90度のおじぎで見送っとったわ。


最後までわけわからんかった。


もちろん二度と会うことはない。




こういう感じの人ってたまに会うんだけども、
俺は「クレクレ野郎」と言っている。


人からもらう、受け取ることばっかりの人。



いや、俺だって自分の力が足りなくて受け取るだけのときもあるよ。

だけども俺は絶対にリベンジすると約束している。


もしくはメシごちそうするとか。


人間性で返せない時は、ひとまずそういう返し方をして、
自分がその人に人間性で返せるようになったら返す。


でも、誤解なきようもう一度書くけれども、ここでいう循環というのは、
例えばお互いが持っている何かのスキルやノウハウ、
楽しい時間や会話、共同作業などでも充分成り立つと思うんだよな。


その積み重ねが対等な関係を生む。


そう考えている。




対等であること。


それは自分がどれだけその人に投げられる玉があるかということ。


言わば人間力とか人間的な魅力というか・・



だから、人生はどこまで行っても終わりがなく、修行だと思う。

だけども、その修業を最大限に楽しもうと思う。



後悔しないように生きたい。




posted by わこう at 01:30| Comment(1) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月28日

カミナリ。


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最近、「カミナリ」っていうブランドのTシャツを集めている。

上の写真の他にもまだ数枚あるんだけども洗濯中。


カミナリブランドは、


コンセプトを「JAPANESE BADBOY KULTURE」から「OLD SCHOOL SHOWA MODERN」(古き良き時代の昭和モダン)に改め、ノスタルジーを感じさせる当時の不良っぽくイカシタ文化、風俗、流行などをウェアに落とし込み、独自の世界を展開。


とある。


超お気に入りのために、逆にあんまり流行ってほしくないので、
サイトは自分で検索して見つけてください。(笑)




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もともとは、6年前の俺の誕生日に、
親友のあべさんからプレゼントされたのが始まり。

その誕生会の模様。一番左の帽子かぶってるのがあべさん。




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これがそのTシャツね。

「I LOVE 昭和車」「アイアンバンパーオーナーズクラブ」とある。





DSCN9242.jpg

当時乗っていたアストロ。

アメ車でも古いのが好きで、歴代鉄バンパーの車を乗ってきたこともあって、
あべさんがこのTシャツを選んでくれたらしい。



しかしその後、あべさんは事故で突然死んでしまった。





で、このTシャツもなんとなく普段使いでは着られなくなってしまって、
なにか思い入れのあるときなんかに着るくらいでほとんど出番がなかった。




しかしあべさんが亡くなって5年が経ち、
ある日ふとしたきっかけで目に止まったTシャツに、心を奪われてしまった。


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このチーム久光を称えるハコスカのTシャツ。


このハコスカのTシャツは、
カミナリのTシャツラインナップの中でもかなり人気があるらしく、
俺が見つけた時は新作で発表されていたにもかかわらず、既に完売寸前。

普段はLサイズなんだけども、Lはあっという間に完売。
Mならかろうじて一枚在庫が残ってて、滑り込みで手に入れた。


この辺りからじゃないかなー。カミナリが流行りだしたのは。


で、あべさんが生前、

「このカミナリブランドのTシャツ、
わこうさんに集めてほしいなー。似合うと思うんすよね。」


って言ってたのを思い出したのもあり、
同時に、カミナリもなかなかツボなデザインのものを出し始めたことも相まって、
去年あたりから少しずつ気に入ったデザインのものを集め始めた。


まぁ、ちょっと派手なんだけども大阪あたりでは全然普通ね。



芦屋では・・・・





これ着て出かけると、関心がある人は2度見、3度見する。


どっちの意味で2度見してるんかなーと一抹の不安はあるが、
でも、気に入って着てるからいいのだ。



べつに、あべさんの意志を継いでだとか、供養がなんちゃらとか、
そんな重い意味合いで着ているわけじゃないんだけども、
俺がカミナリを着てると、あべさんが笑って見てるような気がするんだよな。


「おっ!今日はハコスカいくんすか。」


みたいな。




と、今日6月28日は、あべさんの命日なのでカミナリにまつわる話を書いてみた。




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と同時に、今日は現在の俺のブラザーであるナベケンことナベさんの誕生日でもある。


毎年おんなじこと書いてるけども、二人の親友の命日と誕生日が同じってすごくね?



そんなこんなもあり、ナベさんも俺と車の好みが似てるし、古いコルベットとか乗ってたし、
よし、ナベさんにもカミナリの泥沼に浸かっていただこう(笑)という思惑もあり、



kaminari.jpg

送ったさー!新作のハコスカ!



こうして、カミナリの輪が広がっていくといいな。



故 あべさんを偲び、なべさんの誕生日を祝い、仙台に思いを馳せるのだった。




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2014年06月26日

関西で玄さん。

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先日、日本駆け込み寺の玄さんが、兵庫でトークライブするというので会いに行ってきた。





玄さんは、新宿歌舞伎町で、「たった一人のあなたを救う」という理念のもと、
DVや金銭トラブル、ストーカー、自殺などなどで悩む人達を救う活動をしている人で、
これまでにたくさんの著書があり、玄さんをモデルにしたVシネマがあったり、
俳優の渡辺謙が、玄さんの活動に感銘を受け、自ら主演でドラマ化されたりもしている。


今まで相談を受けた件数はざっと3万件と言っていた。


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以前玄さんに、ドラマなんかでいろいろ取り上げられてるけども、
一番事実に近いのはどれか聞いたら、この「実録 無敵道」だと言っていた。


このVシネの中で、ヤ●ザとの命がけのやりとりや、
組事務所にダンプで突っ込むシーンがあるんだけども、

「あぁ、あれはほんまやで。」

と、あっけらかんと答えたのは忘れられない。




そもそも俺と玄さんは、どんなつながりがあるのかというと、
俺は駆け込み寺の仙台支部である、「国分町駆け込み寺」の立ち上げスタッフだった。





簡単に時系列で説明すると、仙台に俺の友人の「斉藤さん」という男がいたんだけども、
ある日、斉藤さんが玄さんの活動を知り、新宿まで押しかけていき、
玄さんの一番弟子として、新宿に住み込みで駆け込み寺スタッフとなることとなった。


その目的は、いつか仙台に駆け込み寺を作ること。


仙台を離れる前、斉藤さんは、

「もしも仙台に駆け込み寺を作るような動きになったら協力してほしい」

と俺に言い、俺も喜んで受けると約束した。



斉藤さんが新宿に行って1年くらい経ったころ、あの東北大震災があり、
玄さん自身も、阪神淡路大震災の経験者だということもあって、
仙台でいろんな悩みを抱える人たちのサポートをせなあかん!という動きになり、
急きょ、国分町駆け込み寺を作ることになったので協力してほしいと要請があった。


そこで、俺が信頼している関わりの中で、
そういう活動を快く引き受けてくれる人たちとつないだり、
仙台で玄さんを囲む会を開いたり、仙台支部初期スタッフを募ったりした。



そしてついに、2012年3月12日、仙台支部開設準備室が立ち上がり、
同年7月7日に仙台支部が正式スタートとなった。





という流れ。





斉藤さんから仙台支部立ち上げの話が来たとき、
俺はすでに関西移住が決まっていて引っ越し準備段階。

だから、俺が関わったのは、「開設準備室」の立ち上げまで。






玄さんは、

「わこうが関西に行くんやったら、また関西で頼むで。」

と、言ってくれたものの、関西での生活でアップアップしているうちに、
あっという間に2年が過ぎた。



そうしたら実は、兵庫県の三木市にとても熱いご夫婦がいて、
NPO法人 自立生活支援センター 歩(あゆみ) という活動の一環で、
駆け込み寺の兵庫支部が発足したのだった。







そして、やっとここから本題に入るんだけども、
今回の三木市での玄さんトークライブは、この兵庫支部の天満さんご夫妻が主催。


その情報を、仙台支部スタッフの千葉さんが教えてくださって、
「よし!玄さんに会いに行こう!」となったわけです。


そして、二年前に玄さんから「また頼むで」と言われたこともあり、
どんな形での関わりになるかわかんないけども、
お手伝いできることを見つけにいくのも目的だった。



とにかくイベント前なので、主催の天満さんともあいさつもそこそこに、
バタバタ〜っとお手伝いを。


そんな時、奥さまから、

「実はカメラの撮影スタッフがいないので、写真をお願いできませんか?」

と。


うぉー!願ったり叶ったりじゃー!



ひょっとしたらそんなこともあろうかと、カメラを持っていってたのだよ。ワッハッハ。



ということで会場をカメラを持ってウロウロ。



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さっそく玄さんを発見!


俺の顔を見るなり、


「わ・・わこう!そうや!わこう!わこう!」



で、ふたこと目には、


「そう!フィギュア!フィギュア!ガンダム!」



ってどんな覚え方されとんねん。俺。(笑)



で、周りにいた人が、俺を見て、


「フィ・・フィギュアですか!?」



と困惑気味に見る。


みたいな。




こう・・懐かしさとか感動とか無い、あっけない再会でした。



ということで、当日撮った写真の中から数枚紹介します。






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会場となる兵庫県立三木山森林公園の音楽ホール。

緑に囲まれて素晴らしいところでした。








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開場時の受付の様子。








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熱心にパンフレットを読む人たち。







そして、主催の天満さんのあいさつが始まり、


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天満さんとかたわらで見守る奥さま。







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トークショーは、玄さん節全開で、スパッスパッと切れ味のいい話を。




今回の話の中で一番特徴的だったのは、玄さんは一貫して、
「たった一人のあなたを救う」の「一人」に完全にフォーカスしていること。


例えば、「グループ」や「クラス」や「組織」全体を良くするのに、
全体がテーマであったとしても、見るのは「一人」。


だから一度に複数の相談は受けないし、
複数人が解決するようなサポートの仕方はしない。



玄さんがこだわるのは、目の前にいる「一人」。



ここをぶれずに一貫しているところはさすがやなーと思った。




その後、懇親会にも加えていただいて、
とにかくジェットコースターのような時間が過ぎた。



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懇親会の最後、兵庫支部天満さんご夫妻との思いを語る玄さん。


とにかくこのご夫妻の本気度に心動かされたと言っていた。



天満さんとゆっくりお話したかったけども、主催者だしとにかく忙しい。


だけども、トークショー開場から懇親会開場までの移動のおよそ15分間くらい、
車中でお話させていただいたんだけども、その15分でしっかり伝わる誠実な人柄。


みんなその実直さに惹かれてこのご夫婦を応援してるんだろうなーと実感した。



今後、俺もいろんな形で兵庫支部の活動に参画させていただいて、
このご夫妻のお手伝いをさせていただきたいなーと、心から思った。


久しぶりに、人を見て魂が揺さぶられた。


これから天満さんともっとお付き合いを深くして繋がっていきたい。


そのためには、まずは俺はどんな玉が出せるのかをきちんと伝えることだ。

まずはそこからだ。



関西での生活を、より充実したものにしていきたいと思った。



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玄さん、またこれからもよろしくお願いします!




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2014年06月21日

FIGHTING梅干し。


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芦屋に来て2年。

なんかいろいろ必死でイッパイイッパイな2年だった。


しかし、もうそろそろ気持ち的にも余裕ができたし、環境にも慣れた。


ということで、ことしは関西に来て初の梅干しを漬けようと思い立った。



そもそもは、りえさんの大分のFacebookのお友達がお声がけくださって、
無農薬の梅を手に入れることになったことがきっかけ。


ちゃーんとこうしてタイミングよく事は運ぶようになっているのだよ。うんうん。


仕事で家を開けっ放しでなかなか荷物を受け取れずに数日経っちゃって、
もう熟してるんじゃないかと心配してたんだけども、




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まだまだ青かったので、少し熟させることに。








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こんな感じで少しずつ熟してきて・・・












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いい感じになったので、りえさんと「漬けっぺ!」と。


ちなみに、仙台にいた時は毎年漬けていたんだけども、
いつもお店で漬けていたから、りえさんは梅干しを漬けるところが見たことがなく。

今回はいい機会なので、りえさんに手伝ってもらって、実際に体験してもらおうと。


ということで、塩もみして・・





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こんな感じで漬かりました。




ここでハッと気づく。




漬物石が無い!!





仙台にはいい感じの「マイ漬け物石」があったんだけども、
引っ越しの時に置いてきちゃった。



そこでなにかいいものはないかと頭をフル回転・・・











ひらめいた!










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ダンベルのウェイトじゃー!



小ぶりで重く、平べったくて安定が良い。


漬け物石にぴったり!



ちなみに、上の写真はあくまでも撮影用で、実際は、






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熱湯消毒してラップで包んでます。


雑菌繁殖やカビ予防ね。




あと数日すると、岡山から赤しそが届くので、白梅酢が上がるタイミングを見て、
また漬け込むのだ。





ところで、2006年から梅干しは毎年漬けていたんだけども、
最初の頃は2~3キロと少なかったり、いろいろあった時に持っていかれちゃったりして、
少し多めに梅を漬け始めたのが2009年から。



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その中で、現在、開けずにずーっと漬け続けているカメが2つある。

これは、関西に引っ越しする際に、業者さんに手荒く運ばれるのがイヤだったもんで、
自分の車に積んで持ってきた。



2009年ものと2011年もの。


2011年は、あの大震災と放射線問題があったわけだけども、
奇跡的に伊豆産の未検出梅が入手できたので漬けた。



そして、2009年の梅は、


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俺の妹分である、相馬ののほずみちゃんのおじいちゃんの山から摘ませていただいた梅。





あの時は本当に楽しかったな。


ほずみちゃんのおじいちゃんもお亡くなりになり、福島原発事故があり、
現在はあの梅の木はどうなってるのかな・・


なんかこの時の梅摘みの写真とかブログ記事とか読んだら、
切なくなってちょっと泣いた。



ということで、我が家にある2つの開かずのカメの梅干しは、俺にとって、
どちらも超ー貴重な、思い出や思い入れがイッパイ詰まった宝物なのだ。




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今回漬けた梅も、関西第一号として記念すべきカメになるだろう。


美味しくなれよ。



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ファァァァァァーイッ!



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2014年05月19日

メタルギアにハマる。(ネタバレあり)

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今回は、ゲームの内容について語りたいと思います。

関心のない人には全く関心がないと思うんだけども、
なるべく初見の人にもわかりやすく書こうと思います。

マニアックな内容でゴメンナサイ。



二ヶ月くらい前から、いろいろあって数年間禁じていたゲームを解禁した。


もともと俺はインベーダーゲーム世代なので、根っからのゲームっ子。

ファミコンよりももっと前の家庭用ゲーム機、ブロック崩しとかの世代。


その頃からのゲームの進化は目覚しいものがあり、ハード、ソフト共に、
新しくなるたんびに「うぉー!スゲー!」とかいちいち感激していたもんだった。


でも、数年前、あるゲームをやり込むことで、俺の長年のゲーム欲は完全に満たされた。

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メタルギア 3。


いやー、とにかくハマったハマった。

そしてエンディングでは泣いた泣いた。


もー、何回も何回もプレイして、
俺はもう一生ゲームしなくてもいいと思うくらい満たされた。


そして2005年、自分の店をオープンする運びにもなり、
もうゲームは封印しようと決めた。



あれからもう9年。



俺がメッチャハマったメタルギアシリーズも、
4が出て、ピースウォーカーが出て、ついに5が出た。


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メタルギア3の10年後の話がピースウォーカーで、
この5 グラウンド・ゼロズは、さらにその数年後の話みたい。


もういてもたってもいられなくなって、ついに解禁したという次第です。はい。



そこで、いきなり5をやってもいいんだけども、
もう何年もブランクがあるし、ストーリーももう忘れちゃったこともあって、
歴代1~4 +ピースウォーカーをすべてプレイしてから5をやろうと、
全部やったー。やりきったよ。


俺は歴代メタルギアシリーズはバラバラのソフトで持ってたんだけども、
今は1~4+ピースウォーカーまで入っているパッケージがあるのね。

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これはいいなー。

もっと早くに知っておけばよかった。


ちなみに1は、ディスクに収録されているのではなく、
ダウンロードコードが入っていて、PSストアからダウンロードするみたい。

だから、ネット環境必須のようです。



さて、先日、5のグラウンド・ゼロズの本編をクリアしたわけなんだけども、
いやー、なんか救いの無い終わり方と、かなり鬱な展開で凹んだー。

とはいえ、このグラウンド・ゼロズは、
年内に発売か?!といろいろ噂されているこの続編
「ファントムペイン」の序章ということもあり、
ファントムペインで救われるような展開であることを祈る。個人的に。


グラウンド・ゼロズとファントムペイン、
それぞれのトレイラーを貼っておきます。

ファントムペインの方は残虐なシーンがあるので閲覧注意です。


ゼロ トレイラー 字幕版




ファントムペイントレイラー 閲覧注意


しかしながら、このへんの話である1970年代はなかなか凄惨なんだけども、
数十年後の未来には、一応主人公のビッグボスこと初代スネークは、
一応ハッピーエンドというか、幸せな死に方をすることになる。

メタルギアシリーズは、1~5+ピースウォーカーとバリエーションがあるけれども、
時系列がバラバラでちょっとわかりづらい。

そして、今のところシリーズ最終回は、時系列で言うと4がすべての最終回ということなる。

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ここからは、俺なりの解釈でスネークの説明と、
なぜこんなにスネーク(初代)に感情移入しているのかということを書いていきます。


ネタバレ多数なので、プレイしたことがない人はご注意願います。



いやー、メタルギアのストーリーを説明するのに、
いろんな伏線があるので、全体を簡潔に説明するのはとても難しい。

なので、ふたりのスネークの部分に特化して書きます。


俺も1からピースウォーカーまで続けてやって、やっと理解できたというか・・


まず、「スネーク」は二人いる。


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初代スネーク。後のビッグボス。


時系列で言うと、メタルギア3がすべてのメタルギアシリーズの始まり。
一番最初のストーリーで、1960年代の話。

その中で、スネークは片目を失う事になり、
後に出てくるもう一人のスネークとの違いは、眼帯の有無で見分ける。



俺はこのビッグボスこと、初代スネークに、とても感情移入している。

メタルギア3で、任務だとはいえ、自分の師匠である、

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ザ・ボスを殺さなければならなかった。

だけども、これにはCIAのいろんな都合が絡んでいて、
国を裏切ったと思っいたザ・ボスは、実はアメリカのスケープゴート的な存在として、
汚名を着せられたままスネークに殺されなければならなかった。


そのことは任務中はスネークには知らされておらず、ザ・ボスの死後に、
この時の協力者であるEVA(後のビッグママ)から真実を聞かされる。


師匠であるザ・ボスは、国を裏切ったのではなく、
国のために命を捨てることを決意し、弟子であるスネークにあえて殺された。


それがメタルギア3のエンディングであり、
EVAが語る真実に、俺を始め多くの人が涙を流したのではないかと。


メタルギア3エンディングとザ・ボスの真実。

いやー、何回見ても泣くわ。


で、この10年後の話、ピースウォーカーでも、
さらに数十年後のメタルギア最終回である4の中でも、
任務とはいえ、聞かされていなかったとはいえ、
自分が愛する師匠を殺してしまったことで、自責の念にとても苦悩する様子が伺える。

そのあたりがなんとも切ないというか・・


俺が感情移入するのはそのあたりなんだなー。



そして、どこの国にも属さない、「国境なき軍隊」を作ろうと決意。


そのあたりがピースウォーカーのストーリーになり、
いろいろあって軍隊を作って決起することになる。


ピースウォーカーエンディング。

最後のスネークの演説がかなりのポイントとなる。




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その中で、仲間だと思っていたパスという女の子が実は、
CIAとKGBと謎の組織サイファー(後の愛国者達)の三重スパイで、
この女の子のせいで大変なことになる。


しかも、このパスがスネークの仲間だったころ、パスに想いを寄せていた、

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チコっていう少年がいて、パスがキューバに囚えられているという情報をつかみ、
パスを助けようと単独で潜入するも捕まってしまう。

そこで、囚えられたチコとパスを救い出すために、
今度はスネークが単独で潜入するのがメタルギア5のグラウンド・ゼロズというわけです。


mgs10.jpg

こんなだったパスは、



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こんな感じで髪の毛は丸刈りにされ、ひどい拷問を受けて囚われていた。



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それを、敵に見つからないように、ヘリの回収可能ポイントまで担いで連れ出すという内容。


で、救いだしたあとに、
ヘリの中で実はパスのお腹の中に爆弾が埋め込まれていることが判明。

時間が無いため、麻酔ナシで開腹処置をして爆弾を取り出すという、
いやー、なかなかグロい展開。

人によってはトラウマレベルなんじゃないかと。


しかも、意識を取り戻したパスは、体内に爆弾がもう一つあることを告げてヘリから飛び降り、
空中で爆発。木っ端微塵という、本当になんの救いもない鬱展開。



数年ぶりにゲームを解禁して、グラウンド・ゼロズを楽しみにプレイしたのに、
「えー・・これかよー・・」とかなり落ちた。


一応その動画を貼っておきます。

かなりグロいので本当に閲覧注意。
しかもゲームクリア後のエンディングなので完全にネタバレです。





ただ、救いがあるとしたら、ずっと先の数十年後、最終回であるメタルギア4の中で、
初代スネークが一応ハッピーエンドとなることかなー。


メタルギア4は、それまでのいろんな伏線を回収するためのストーリーになっていて、
それぞれに一応ハッピーエンドになっている。




次に、「恐るべき子供たち計画」という名のもとに、
伝説の兵士である初代スネーク(ビッグボス)のクローンを作ろうと、
遺伝子操作の末に三人の子供が生まれた。


その中のひとりが、

mgs6.jpg
「ソリッド・スネーク」と言われる二代目スネーク。

三人いる初代スネークのクローンの中のひとり。


メタルギアシリーズの中で、この二代目スネークが登場するのは、
1,2,そして時系列としては最終回にあたる4。

初代スネーク登場であるメタルギア3の約30年後の設定。



二代目スネークは、遺伝子操作で作られたということもあり、急激に老いが進行。


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見た目はこんなおじいさんになってしまう。


メタルギア4では、この二代目スネークが、自分の身体の真実を探りつつ、
世界の戦争を牛耳っている「愛国者達」というシステムを破壊して、
世界に平和をもたらす・・・というストーリー。


ストーリーの中では、国境なき軍隊を作って決起した、
初代スネークを二代目スネークが殺したということになっているんだけども、
実はこのスネークと一緒に生まれた他のふたりのクローンの身体をつぎはぎして、

mgs4.jpg
初代スネークは死なずに復活することになる。


どういう経緯で、初代スネーク(ビッグボス)のクローンを作ることになったのか、
代理母となったEVA(ビッグママ)が登場してとつとつと語る。


ビッグママの話。



そして、愛国者達を作った経緯の説明と、初代スネーク(ビッグボス)の最後のとき。


初代ゴッド・ファーザーよろしく、自分の息子(厳密にはクローン)に看取られて、
穏やかな最期を迎える。


二代目スネークは、宿敵だったと思っていた初代スネークが実は敵ではなかったんだと、
初めてここで悟り、存在を受け入れることとなる。


さらに、初代スネークは、やはり世界を変えようと、
自分を犠牲にしてまで任務を遂行している二代目スネークに、
尊敬の念を抱いていることを告げる。


4エンディング。初代スネークの最後。(メッチャ長い動画です。)

初代スネークであるビッグボスは、師匠を自分で殺してしまったり、
多くの仲間の犠牲の上で生きていることへの呵責のような思いを持って生きてきたと、
俺は考察する。


いわば、形はどうであれ、世界に平和をもたらすために、国境なき軍隊を抑止力としようと、
独自の考えのもとに行動したけれども、それが正しかったかどうかは正直わからない。


初代スネークの人生は、波瀾万丈と言ってしまえば簡単だけども、
やはり大変な思いを抱えて生きていて、でも、最後に尊敬する息子に看取られて死ぬ、
そんな最後で本当に良かったなぁと。


グラウンド・ゼロズは鬱展開だったけれども、
シリーズの最終回でこのエンディングがあるからまぁいいやと思える。


まぁ、なんやかんやで、ファントムペインが発売されたら、
やっぱりプレイすることになるんだろうな。



と、なんだか熱く語ってしまったんだけども、
とにかくそれだけメタルギアにハマっているということで、
なんかちょっと吐き出したかったんだよ。



とりあえず、グラウンド・ゼロズまで終わったし、
ファントムペインをプレイするまでは、もうしばらくゲームしなくていいな。


最後に、メタルギアシリーズには必ずどこかにお笑い的な要素が入ってるんだけども、
グラウンド・ゼロズには一切そんな要素がなくシリアス設定。

なのでオマケとして、カズとスネークのお笑い会話の動画を。


オマケ動画 カズとスネーク、お菓子について語る


スネーク万歳!


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2014年04月16日

ホームシック。

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突然、仙台のおふくろから絵手紙が届いた。


大震災後に脳溢血で倒れ右半身麻痺になってしまったので、
おふくろから絵手紙が届くなんてビックリ!


たぶん左手で一生懸命書いたんだろうなーと。



そして、この絵手紙が届いてからというもの、少しホームシックになってます。

というか、仙台がとても懐かしく、飛んで帰りたい気持ち。


それと同時に、関西に引っ越してきてもうすぐまる二年が経ち、
三年目に入ろうとしてます。


二年前の今頃は、仙台を離れる寂しさで、
泣きながら荷造りしてたっけなー。わははー。




俺は仙台がとにかく大好き。

友人も多いし、勝手知ったる街だから何をするにもラク。



しかし、あの大震災があり、いろんなことが変わった。


関西に引っ越すことにした最大の理由は、りえさんの体調悪化だ。

震災後、とにかく持病の喘息の発作が劇的に増えた。
お手当してもおっつかない。


だんだんやつれていくりえさんを心配していた時に、
突然提案された関西移住。


いやー、ビックリしたさー。


でも、今思えば、あのタイミングで関西移住を決意し、実行したことは、
結果的に本当に良かったなーと実感している。

おかげさまで、りえさんの体調も改善し、今はすこぶる元気。



引っ越しの日は大雨だった。


高速の深夜割を使うために、真夜中に起きて、
4匹それぞれ思い思いの場所にいるニャンたちを捕獲してキャリーバックへ。

そして、どしゃ降りの中、誰にもさよならを言うわけでもなく、
りえさん、ニャンたちと共に芦屋に向けて出発。

友人たちの顔や仙台のあったかさを思い出しては、
こみ上げてくるものをグッとこらえてとにかく走った。


俺はあの夜のことは一生忘れないと思う。




関西に来て二年も経てば、こっちはこっちで友人や知り合いもたくさん増えたし、
居場所もできたし、すっかりこちらの生活になじむ。

今では関西での生活がとても気に入っている。



だけど、不意に届いたおふくろからの絵手紙は、
ノーマークのところにストレートがガツーンと入るような衝撃。

一瞬にして、仙台の空気感や俺が好きだった場所、
大切な人たちの顔がフラッシュバックでバババーッと浮かぶ。


いやー、まいったね。仙台に飛んで帰りたい衝動。


さらに、ネットニュースやFacebookなんかで、
震災復興が遅々として進まないことや、放射能汚染や東電のことなんかを見ると、
心がかき乱されてやっぱり仙台に飛んで帰りたくなる。


だけどもさ。

たとえ俺が仙台に帰ったところで何が起きるわけでもない。



関西移住を決意するに至るまで、
りえさんの体調の他に、移住の理由をいろいろ考えたわけだけども、
一番俺の中で大きかったのは、

「東北の外から東北を応援する」

ということ。


例えばお金ひとつとっても、
東北が潤うためには、東北以外からのお金も要る。


二年経った今でもその考えは変わらない。


俺にできることなんて微々たるもんだけれども、
それでも、そういう志を持つ人が何人、何十人、何百人と増えていったら、
少しだけなにかできるんじゃないかなぁと。


だから、ホームシックになったとしても、
俺にはその大義があるのでブレない。


関西に来て、仙台にいた頃よりも、
自分ができることのフィールドやスケールが広がっているのを実感している。



仙台を愛すればこそ、頑張って自分が関西でできることを精一杯やることが、
ひいては仙台や東北のためになると信じている。


おふくろからの絵手紙は、
自分が関西に来た意義をもう一度考えさせてくれたきっかけとなった。


そして、そんなおふくろに俺はなにができるんだろう・・



そのうちまたおふくろに会いに行くか。



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2014年03月26日

九頭龍神社参拝2014。


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箱根の九頭龍神社に参拝させていただいてきました。


九頭龍神社は、箱根プリンスホテルの敷地内にあり、
ホテルから芦ノ湖畔を20分くらい歩いた一番奥にある小さな神社。

かつては、歴代総理大臣がお忍びで参拝をするほど厳かな場所だったが、
数年前に女の子のファッション雑誌で
「恋愛に効く神様♪」的な紹介をされてからというもの、
最近はあまり隠れた名所的な感じは無くなってしまったような気がする。

良くも悪くも。


2008年にご縁あって初めて参拝させていただいてからというもの、
毎年欠かさず参拝させていただいたんだけども、
去年は参拝できずに非常に残念に思っていた。


しかし、りえさんの東京出張があり、その後、甲府の取引先に行きたい!ということで、
甲府まで行くんだったら少し足を伸ばして、
箱根まで行こうじゃないかとなったわけです。


前振りが長くてごめんなさい。




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先にりえさんが東京に前乗りしていたところに合流する流れとなり、
ETCの深夜割を使うため、ひとり真夜中に芦屋を出発。


3月だけど、京都から亀山のあたりで吹雪で雪が積もってて、
ノーマルタイヤだったこともあってかなり緊張したけども、
名古屋に入る頃にはすっかり乾燥路面で安心したー。

久々に緊張のあまりキン●マがヒューンとなったわ。



そんな苦労が報われてか、静岡に入る頃にはピーカンで、



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富士山もバッチリ!


いやー、何度見ても美しいフォルムに惚れ惚れするなー。







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風が強く、山頂の雪がフワーッと煙のように舞っていて、
それはそれは綺麗だった。



で、無事に東京に到着してりえさんと合流。


その後、俺は打ち合わせのために、りえさんは石の仕入れのために、
御徒町に移動してそれぞれの用事を済ませお仕事終了。

次の日の朝は都内で別件で打ち合わせのあと甲府へ。


甲府でまた石を買い付けたあと、箱根に移動。


着いたのはすっかり夜だった。


いやー、とにかく走った走った。
この時点で2日で約800キロ。


そしてついに次の日の朝、九頭龍神社に参拝となったわけですよ。念願の。


初めて参拝させていただいたのが2008年。

3年目まで、「来るなら来てみろ」的な感じで、
なんかこう・・試されるような厳しい感じがあったんだけども、
3年を過ぎた頃から九頭龍さんが優しくなったような感じがしたんだよな。


今回も、九頭龍さんのお社が近づくにつれ、
心地よい風がヒューッと吹いて、木々がワシャワシャと揺れて、
歓迎されてるような感じがした。

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お社そのものは本当に小さいんだけども、なんかこう・・異次元な感じなんだよ。


俺が九頭龍さんに強烈に惹かれる理由は、過去に何回か書いたけれども、
九頭龍さんはもともとは、人を食らう悪龍だったんだけども、
改心して国や人を守る神様へと昇華した。

こう・・厳しさと優しさを兼ね備えてるような、怒らせたら怖いでー的な感じ。


その、昔は悪かったんだけども改心したっていうところを、
なんか自分と重ね合わせて見てしまうんだよなー。


おこがましいんだけども、
そこにとても親近感というか近しいものを感じてしまうわけです。



お参りして手を合わせたら、「よく来たな」みたいな感じで、
一瞬フワーッとと風が吹いた。


今年も参拝させていただいてありがとうございます。





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で、お社を撮ったら、なにげにオーブが写ってました。



その後、箱根プリンスのところからロープウェイがあって、
駒ケ岳の頂上まで行けるようになっている。


頂上には、


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箱根神社の元宮があります。

ここもなんか外界とは全く違う異次元な場所でねー。



まだ雪がたっぷり残っていて、普通の革靴で行っちゃったもんだから、
登るのが大変だったんだけども
なんとかかんとか辿り着いてお参りさせていただきました。



この元宮のすぐ脇には展望台があり、

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富士山頂がぼんやり見えた。

これはこれで幻想的だったなー。






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この日は暴風で、とんでもない風が吹いていた。

で、俺たちが乗ったロープウェーが最後の便でその日は強風のため運休。

ラストチャンスでギリギリ参拝を許されたという、これもまたラッキーだった。



その後、山を降りてきて、

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箱根神社の本宮に参拝させていただいて帰路についた。


いやー、なかなかハードなマラソン出張だったけども、
俺とりえさんが車で移動するときは、毎回こんな感じでハチャメチャな旅程になる。

だけども、俺はもともと長距離トラックの運ちゃんだったし、
旅程を組むのも好きだし、長距離の運転も苦にならない。


トラックの運ちゃんをしていた経験が、今、こんな形で役に立っているわけだ。

いやー、人生にはなにひとつ無駄はないってホントだな。


今回の東京~甲府~箱根で撮った写真は、
Facebookのアルバムにアップしているのでよかったらこちらからどうぞ。


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芦ノ湖で釣りをする人。


またここに来られるようにいろいろ頑張ろうと思った。

 

posted by わこう at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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