りえさんと一緒に暮らし始めて15年目になった。
お付き合いを始めたばかりのころ、
当時のビジネスパートナーにハメられて一文無しに。
でも、そんなどん底になっても、りえさんは支え続けてくれた。
おかげて奮起して再起し、いろいろあって今に至ります。
たまに当時のことを思い出すと、抑えきれない怒りで眠れなくなったり、
弁護士さんから裁判すれば勝てると言われたけれど、
(相手は被害者ヅラしてるけど、そっちのほうが相当エグいことしてる)
争わないと決めて、そのエネルギーを良い方に使ってきた。
それもあってか、前記事のとおり、このたびドバイ進出が決まった。
そして、ここ最近特に感じることがあって、書き残しておこうと思った。
今回、りえさんが長年やってきたジュエリーのデザインが、
中東最大のジュエリーショップのオーナーのお眼鏡にかなって、
YUKINEジュエリーがドバイに進出することとなった。
これは自分たちでも快挙だなーと、つくづく思う。
あらためて思うのは、りえさんはずーっとブレないで、
ジュエリーというひとつ事を一貫してきた。
1994年からずーっとだ。
約30年。
これはすごいことですよ。
一貫してジュエリー。
一緒に暮らしていて彼女を見ていると、
まー、頭の中はジュエリーですわ。
一日中ジュエリーとお客様のことを考えている。
ジュエリーバカですわ。
約15年一緒にいても、その部分はずーっと変わらない。
飽きずにずーっと考えている。
ある意味、そこの部分に関して羨ましいなぁと思う。
ひとつ事を貫けるのも、才能だなぁと思うからだ。
一方で、自分はというと、高卒で地元の事務機屋に就職してから、
メイクアップアーティストを目指して勉強したり、
運転代行、印刷屋の営業、トラックの運ちゃん、花屋さん。
起業してからは、ブライダルプロデュース業、ホームページ制作、
広告の営業、不動産、カフェオーナー、印刷デザイン、カメラマン、
パソコンレスキュー、一般事務・・
と、いろーんな仕事をしてきた。
ライフワークとして、
日本駆け込み寺の相談員のボランティアをやったりしたこともあった。
駆け込み寺の玄さんについてはいろんな記事を書いたけど、
まぁ、我ながらいろんなことをしてきたもんだ。
そして、数年前からYUKINEの事務方として、
YUKINEのお客様とのやり取りや、お金のこと、
対外的なことや折衝ごと、たまにジュエリーデザインをしている。
ひとつ事をずーっと貫いてきたりえさんに対して、
結局何者でもない自分。
りえさんと比較して、自分は何も残せてないなぁと思って、
焦燥感や虚無感を感じることもあった。
しかし、私も今年は55歳になるわけだけども、
ここにきてやっと、今まで自分がやってきたいろんな仕事は、
ひとつも無駄ではなかったなと思い始めている。
一番は、いろんな職種それぞれに、「業界」というのかあるから、
いろんな業界事情を知ることができたのはとても大きい。
いろんな人の経験談を聞いたり、本やネットで得た情報は、
あくまでも「情報」であって、「経験」ではない。
私が知った業界事情なんてたかが知れてるかもしれないけど、
それでも生で肌で感じたものは、今の自分にとても役に立っている。
そして、ジュエリーバカのりえさんが、
安心して1年中ジュエリーのことだけを考えていられるように、
私の雑学に近い経験や知識が役に立ててるなと実感している。
そして、いろんな世界のいろんな人達と出会えたのも大きい。
自分の範疇を超えたことに関して、どんなジャンルの事だとしても、
誰かしら力を貸してくれる人がいる、それは自分にとっての財産た。
今回、ドバイからいろんな宿題を出されたけど、
今までの自分のスキルや人脈を総動員して、約10日でクリアした。
自分で言うのも何だけども、
私はコミュニケーションスキルは高いほうだと思う。
そして、大概のトラブルに関しても、
人脈とスキルを駆使してなんとかできると思っている。
そして、出会った人たちに心からの感謝とリスペクトがある。
そんなことを考えていくうちに、自分は何者でもないことは、
自分の人生において別にどうでもいい事なんだと思った。
りえさんと比べてどうこうなんてことも、思わなくていいんだよなと。
自分の知識、スキル、人脈が、
自分の大切な人たちのお役に立てば、それ以上に嬉しいことは無いなと。
50も過ぎると、若い頃のような遠回りや無駄なことに時間をかけるのが、
もったいなく感じてしまうけれども、
でも許す限りで、これからもいい無駄をしていこうと思った。
ますます何者でもなくなって、自分が死んだときに、
「わこうさんって結局なんの人だったんだろう・・」
って疑問符を残せるように死ねたら面白いじゃない。
そんなことを思っている今日このごろ。