過去記事にも度々書いてきたけれども、
2010年に大好きだった酒をやめた。
以前の俺を知る人は、俺がどれだけビールが大好きだったかも知っている。
そして、昨日で断酒してから4年が経った。
ちょっと途中でグラっときて、「飲んじゃおっかなー」と思ったこともあったけど、
そのたびにりえさんに、
「えー、せっかくここまで断酒したのにやめちゃうの?」
と言われて、それもそうだなーと思いとどまって断酒を継続。
あとは、札幌に住む俺の(ソウル)ブラザーである、
カフェ 青い空流れる雲のマスター、gakuさんのそのまたブラザーである、
かつらさんも断酒仲間であり、
俺が揺れると、かつらさんから激励が入る。
そんなこんなで、自分一人の力ではなく、
いろんな人達に支えられて断酒を継続している。
そもそもなんでそんなに断酒にこだわるのかということなんだけども、
きっかけは、恩師である山村慎一郎先生から薦められたことだ。
俺の断酒の理由のほとんどが、願かけだ。
今だから話すけれども、あの当時、本当に大変だったんだよ。
恨み節を語るつもりはないが、ある日突然無一文。
金も物も何もかも無くなった。
当時関わっていた多くの人たちを傷つけることになるから、
絶対に争わないと心に決め、ひたすら沈黙を守り続けた。
社会的な制裁も受けた。
だけども、パートナーであるりえさんや、
真実をきちんと見てくれる一部の友人たち、新たに関わり始めた人たちに支えられて、
なんとかかんとか再起を果たしたものの、とにかく何もかもしんどい。
プレッシャーと虚無感と焦燥感。
そして、一番良かった時のことを邂逅しては、
ぐっとこみ上げてくるものを飲み込む・・の繰り返し。
いやー、人生で2番目にしんどい時期だったね。
ちなみに人生で一番しんどかったのは、かつて会社経営していた時、
不慮のトラブルで資金繰りがショート。
手形を切れないもんだから、取引先に多大なる迷惑をかけ、
「あー、俺の命は数百万の価値かー・・安いもんだなー・・」
などと、いつ首をくくるか考えていた時だな。
結局その時は、奇跡の一発大逆転(棚ボタではなく最大限努力したよ)で、
人生最大のピンチを乗り切ったわけだけども・・
まぁ、そのへんの事はあまりにもドロドロでこんなところに書けないので、
直接お会いした人には気が向いたらお話するかもしれない。
と、ちょっと話が脱線してしまったんだけども、
とにかく毎日キリキリと針を刺されるようなプレッシャーの中生きていたわけです。
そんな時に、山村先生から、
「何かを得ようと思えば何かを捨てる。それが陰陽ですよ。」
と言われて、「よーし!いっちょやってみっかー!」と断酒することにした。
という、主な経緯はそんな感じ。
別にアル中だとか、病気が原因だとか、そんな理由じゃないんだよ。
とにかくお酒大好き、ビール大好きだったし、
いやー、しんどかったさー!
でも最初だけ。
2週間がピークで禁断症状のようなものが出たけども、
それを過ぎたらラクになった。
たまに波のようにグワーッと飲みたい衝動が襲ってくるけれども、
そんな時はペリエとか炭酸水飲んで我慢した。
断酒して4年経って、では求めるものを得られたのか?と聞かれたら、
「わからない。でも、今、とても幸せだ。」
と言える。
いや、まだまだ余裕は無いし、大変なこともたくさんあるんだけども、
でも、このBLOG読者の方ならおわかりかと思うけれども、
特に関西に来てから、俺は水を得た魚のように関西を泳ぎまくっている。
苦楽を共にし、心の通じ合った同じ価値観のパートナーやニャン達と暮らし、
早速関西でも親友と呼べる人たちと出会い、近所に信頼と尊敬できる師匠がいて、
ライフワークで自分の好きなことに打ち込め、
吉野や淡路島など、自分の好きな場所ができ、
そして、恩師である山村先生のもとで働かせていただいている。
しかも、関西に来てたった二年弱でここまで。すごいスピードと加速度だ。
そしてとても幸せだ。
俺が断酒するときに得たかったもの。
それはやりがいのある仕事と経済の安定。
それに関しては、「だんだん近づいているけどまだ途中」って感じだ。
だから、「わからない」なのよ。
それを得るためには、断酒を続けないと見えてこないような気がしている。
ホントは、断酒を始めるときに、まずは3年と決めて始めたけども、
3年経ってみると、せっかく3年続けたのにもったいないと思うようになってしまった。
そんなこんなもあって、基本的に「生涯断酒」というスタンスを続けていこうと思う。
断酒したことで、いろんなことがシンプルになって、加速するような気がするから。
とりあえずまた1年、頑張ってみっかな。と。