
おふくろの再婚相手である義父が逝った。
口から食べられなくなると、胃ろうや点滴で延命させるけれども、
スウェーデンでは、そういう人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、
必然的に、寝たきりになる前に死ぬ、というわけだ。
家族にさんざん迷惑をかけ、保険がある程度適用されるとはいえ、
それなりなな医療費がかかり、延命の末にやっと死ぬ。
医療費がかかって圧迫したら、あまり意味が無い。
最近は外資系の保険会社が幅を利かせ、日本のお金が海外に流れていく。
とにかくまわりに迷惑をかけずに自然に死にたいということが言いたいんだよ。
身寄りのない関西に移住したわけだけども、先のことを色々考える。
ひとつ言えることは、世界中のどこにいたとしても、
俺はりえさんに、りえさんは俺に、死ぬときはお互いに託すしかないということ。
もし俺が先に逝くんだったら、ヘタに医療費をかけたりなんだりしないで、
りえさんを介護のために縛ったり、迷惑をかけたりしたくないっていう、
そういうことだ。
老々介護はこれからどんどん増えるだろう。
だけども、ウチに限って言えば、りえさんに俺の介護なんてさせたくないし、
俺だって介護なんてされたくねぇよ。
ガンとかで痛みに苦しみ悶えるのもイヤだ。
先日亡くなった義父のように、普通にいつものように布団に入り、
朝、布団の中で死んでいるのを発見される。
みたいなのがいいな。
だから俺は、食事に気をつけ、断酒したり禁煙したり、時には断食したりして、
周りに少し頭おかしいんじゃないかと思われながらも節制を続けている。
俺はりえさんに、りえさんは俺に、死ぬときはお互いに託すしかないということ。
りえさんを介護のために縛ったり、迷惑をかけたりしたくないっていう、
そういうことだ。
俺だって介護なんてされたくねぇよ。
理想は、死ぬギリギリまで普通に生きて、そして死ぬ。
それがいい。
朝、布団の中で死んでいるのを発見される。
周りに少し頭おかしいんじゃないかと思われながらも節制を続けている。
漠然と感じたりするので、その直感を信じることにしている。

ただ、俺は別なケースでアリだなと思ったのは、
俺が通っていた飲み屋のオヤジ、あべひげさんの場合だ。

俺が通っていた飲み屋のオヤジ、あべひげさんの場合だ。
大手術の結果、一命をとりとめ現場復帰した。
また再入院し、そのまま逝った。
あべさんのファンは本当に本当にたくさんいた。
たくさんのファンやお客さんにお別れをしたり、
逝く準備をしていたように感じるんだな。
そして、あべさんが頑張って延命した、もう一つの理由がある。
あべさんはいつも、
「いいか、親より先に死ぬんじゃねぇぞ。」
と言っていた。
その持論通り、あべさんは、
闘病中だった自分のお母さんが亡くなってから、
闘病中だった自分のお母さんが亡くなってから、
その1週間くらい(だったかな)あとに逝った。
おふくろより先に死ぬわけにはいかないと踏ん張ってたんだろうなー。
俺はあべひげさんの生き様には本当に感服する。
その精神力を見習いたい。

ちょっと重たい話だけど大事なことだと思ったんだよ。
あべさんが逝ってもうすぐ4年。
今月の21日が命日でもあるので、振り返りもかねて書いてみた。