もうそろそろあの交通事故から二年になる。
まくろび庵オープンやいろんなことがあったから、
本当にあっという間の二年間だった。
やっと示談の目処もついて、すっきりした気分で年を越せそうだ。
結局、膝に入っているボルトの除去手術は、行わないことにした。
主治医の先生に聞いたら、除去手術後、また膝も腫れるだろうし、
靱帯に触るので、もしかするとその影響で、リハビリが必要になるかもしれないと。
それに、思いのほか膝はよく曲がるようになったし、
短い時間だったら正座もできるようになった。
そういう意味では、もう一度入院したり手術したりするのは、
リスクも伴うし、逆に手術の必要性もあまり感じなくなった。
ただ、まだ階段の上り下りにちょっと苦労するのと、
走ることができないのが難点だ。
特に、走れないのは正直しんどい。
今後走れるようになるのかもまったくわからない。
話は変わって、先日、仙台の北部にある色麻町から、
以前記事を書いた、芸術家でもあり豆腐職人でもある伊藤さんが、
突然ご夫婦でウチの店に来てくれた。
伊藤さんの過去記事はこちら。
相変わらず伊藤さんは熱くて豪快なキャラである反面、
とてもピュアな人でもあるので、ついついお互い語り合っちゃう。
そんな話の中から、俺の事故と膝の話になった。
俺は半分愚痴まじりで、
「いやぁ〜、走れなくなっちゃったんだよね・・。」
とこぼしたら、
「走らなくてもいい人生になったんだよ。その方がかっこいいじゃねぇか。」
と。
走らなくてもいい人生。
そんなふうに考えたこともなかった・・。
同じ出来事でも、そう捉えるとポジティブに受け入れることができる。
確かに、普通に歩けるし、車の運転もできるし、自転車やバイクにだって乗れる。
そう考えると、肉体的に走ることにはもう、あまり意味を持たないんだなぁと。
緊急時って言ったって、こないだ火事に遭っても走る必要性はあまり感じなかったし。
それよりも、精神的な部分や、起きる出来事なんかを見ると、
肉体的には走れないけど、俺は充分人生を走っている実感がある。
肉体的に走ることは、俺の人生にはもう必要なくなった。
そう思えばいいのだ。
2006年12月24日
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トラックにも乗って、もう、一生分走ったんじゃないの?
早く走っていると見えない景色があるから、これからは、一歩一歩景色を楽しんで歩もうよ。
新しい展開に、胸躍らせながら♪
おっとりと座って、「あの〜」と話す、わこうちゃんが、とっても素敵だよ〜〜(^^)
そのままでいいよ〜〜(^^)
「走らなくても良い人生」そうおっしゃった伊藤さん。
そして、それを素直に受け取れる、わこうちゃん。
自分の身に大きな出来事があって、
初めて、立ち止まって考えることが出来た私も同感です。
私も走り続けてましたから・・
身体の傷はすっかり良くなることはお互いないけれど、
代わりに、生きている今の時間を大切に出来るようになったと思いませんか?
今年は本当にお世話になりました。
言葉では言い尽くせません。
ありがとうございます。
■マクロ美風さん
いつもありがとうございます。
> 早く走っていると見えない景色があるから、
> これからは、一歩一歩景色を楽しんで歩もうよ。
そうですね〜。
今まで、自分で「到達点はここだ」って決めて、
それに向かっていたから見えなかったことがたくさんあります。
そういう進み方も、時として必要だとは思うんだけど、俺はもういいんだなぁと。
なので、これからは風さんのおっしゃるとおり、景色を楽しむために進みます。
今年はもうお会いできないでしょうけど、
来年は今年よりも濃く濃〜くお付き合いをお願いします!
胸借ります!押忍!(笑)
■風知草さん
いつもありがとうございます。
> 身体の傷はすっかり良くなることはお互いないけれど、
> 代わりに、生きている今の時間を大切に出来るようになったと思いませんか?
まったく同感です。
最近、あまり小さなことは気にならなくなりました。
こう・・踏みしめながら生きてるっていうか。
来年もお互いさらにいい年にしましょうね!