2011年06月06日
どんなおふくろでも。
おふくろが脳溢血で倒れてから約2ヶ月半。
現在、手術を受けた病院から、リハビリに強い病院に転院して、
毎日リハビリを頑張っている。
とにかく可能な限り毎日病院に顔を出すようにしている。
右半身が麻痺しているから、身体の右側のコリがひどく、
見舞いに行ったときには足から肩までマッサージしている。
まだ人の手を借りないと、立ったり車椅子に乗ったりできないけど、
リハビリでは、右足に歩行器を付けて歩く練習も始めた。
リハビリに対する執念というかガッツは相当なもので、
かなり意欲的にリハビリに取り組んでいるので、それが救いだ。
しかし、もう一つの大きな問題は、「失語症」だ。
幸いにして、聞いたことは完璧に理解をしていて、今のところ認知症的な心配は無い。
だけど、まだろれつが回ってないこともあるんだけども、
それよりも、単語が出てこない。
そして、覚えられない。
だから、おふくろ自身の名前も覚えられないし、俺の名前も言えない。
ウィキペディアで調べてみたら、症状としては、「運動性失語」に近いかな。
ウィキペディアのリンクはこちら。
一部抜粋すると、
発話量が少なく非流暢、一般には努力性でたどたどしい話し方、
言葉の聴覚的理解面は比較的良好に保たれているのが特徴である。
俺が話したことは、完璧に理解しているので、
複雑な会話をしてもおふくろが聞く分には全く問題ない。
だけど、おふくろが話すと、単語がすべて、「アレ」と「あの人」になる。
だから、
「今日はアレでアレしたら、あの人がアレしてアレしたんだけども、
アレだったもんだからアレしたのよ。」
っていう会話になる。
まぁ、もともと「アレ」が多いおふくろだったから、
あんまり違和感がないんだけども。(笑)
だから、あまりにも「アレ」が多いもんだから、俺もおかしくなって笑う。
そうすると、おふくろ自身もアレしか言えないことにおかしくなって笑う。
けっこう本気で「アハハハ」と笑う。
いずれにしても、笑えるようになったってことはいいことだなと思う。
自分が失語症になったことも理解しているようで、
「アレ(頭の中)にはあるんだけども、アレ(言葉)が出てこないのよ。」
と、ゼスチャー付きで説明するから、俺も理解できる。
だから、俺が一生懸命カンを働かせれば、
一応、ある程度複雑な会話も成り立つ。
毎日、話す訓練もしているから、使える単語もちょっとずつ増えてきている。
そんな中、昨日退院後どうするかなーなんて話をしていたとき、
おふくろが突然、
「あたし、アレ(右半身)がアレ(動かない)だし、
アレ(言葉)もアレできない(出てこない)んだけども、
それでもいいんですか?迷惑じゃないですか?」
と。
「迷惑なわけないでしょ!どんなおかあさんだって、
俺にとってはおかあさんはおかあさん。
迷惑だなんて思わなくていいから!」
って言ったら、俺の手をぎゅーっと握りしめて嗚咽した。
病室に響き渡るほど大きい声で、「うぉぅうぉぅ・・」と嗚咽した。
俺もたまらず泣いた。
ひとり病院で、そんなことを考えていたのかと想像しただけで、
胸が苦しくなる。
ひとしきり泣いたあと、また冗談を言っておふくろを笑わせた。
考えてみたら、子供の時に、おふくろに手を引いてもらってたとき以来、
おふくろの手を握った事なんて、何十年も無い。
握手すらない。
数十年ぶりに握ったおふくろの手は、すっかりシワとシミだらけだけど、
だけど、温かく力強かった。
逆に言えば、こんな事でもない限り、おふくろの手を握る事なんて、
もう一生無かったかもしれない。
今回のおふくろの入院は、確かにいろんな意味で大変なことも多いけど、
親子の繋がりみたいなものを再認識できた大切な出来事のようにも思う。
俺はまぎれもなく、このおふくろから生まれたのだ。
おふくろが生きているうちにそれに気付けただけでも、
本当によかったなーと思う。
おふくろは、3級の障害認定を受けることになったが、
どんなおふくろでも、俺のおふくろには変わりなく、大切であることに変わりない。
おふくろはおふくろだ。
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コメントできなかったけど、でも、応援してました。
おかあさんには、わこうさんがいるから大丈夫。わこうさんには、おかあさんとりえさん、それに仲間がいるから大丈夫。ですね。
辛いこともたくさんあるでしょうけれど、こうやって一緒に泣けて、その後一緒に笑えれば、また力がわきますね。
頑張って下さい、とはいえないけど、とにかく、これからも応援してます。
辛抱強く、会話を続けていってあげるのが一番のリハビリだと思います。
2回頭を手術し失語症になりましたが、倒れてから
10年以上、毎週リハビリに通っていました。
言葉は理解できるのに、思うように話せないので、
イライラする時もあったようです。
適切な言葉でなくても、ろれつが回っていなくても、
言いたいことはわかりました。
義父の口癖「大丈夫だよ!」が今でも耳に残ります。
時間はかかるけれど、支える家族がいる限り大丈夫。