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2010年05月26日

【回想録】なまりと無線。


突然だが、俺の言葉はなまっている。

あんまり自分でなまっている自覚はないんだけど、
どうやらなまっているらしい。(笑)


仙台弁というか、東北特有のなまりだ。
「●●たべ。」とか、「んだっちゃー。」とか、「したっけ〈そうしたら〉さー。」とか。


最近は、俺に影響されてか、りえさんまで軽くなまり始めた。

大変だ。こりゃ。




さて、話はググーッとさかのぼって、
俺は高校生くらいまでは言葉はきれいだったと記憶している。


以前記事にしたけど、某宗教団体に所属していたころ、
よく、全国の集まりで、東京だの名古屋だの飛騨高山だの伊賀だの、いろいろ行った。


その時は、

「わこうくんって言葉使いがキレイねー。東京の人みたーい!」

と、よく言われていた。



しかし。


なぜ現在はこんなになまりがひどくなってしまったのか。



原因はわかっている。






無線だ。


無線が俺の人生を変えたのだ。



俺がまだ二十歳くらいのころ、パーソナル無線が大ブレイクして、
トラックみたいに本業で使う人たちではない、
普通のサラリーマンや学生までが、パーソナル無線をやっていた。

パーソナル無線は、アマチュア無線のような免許がいらずに、
誰でも気軽に使えるのが大流行の理由だ。


車に無線機を積んで、移動しながら無線をする「移動局」と、
家に無線機を置いて無線をする「固定局」など、いろーんな人たちが、
だいたい夜になると誰かが開局して、交信を始める。


俺もご多分に漏れず、先輩に安く譲ってもらった無線機を車に積んで、
電波のロケーションのいいところを探しては、交信に参加していた。



無線には、「無線用語」や、「ルール」があって、
モラルやマナーが問われる、ちょっと独特な世界がある。

初めて開局したときなんかは、先輩に紙に書いてもらった話し方の台詞を棒読みして、
ドキドキしながらマイクを握ったもんだった。


で、だんだんと慣れてきて、少しずつ仲間を増やしていった。



当時の仙台は、どこの無線クラブにも所属しない、
無線用語で言う「民間局」と言われるフリーの人たちがいっぱいいて、
誰からともなく開局し、多いときには10局ネットなんて時もあった。

昼間は無線クラブの人たちがチャンネルを使っているから、
夜になってチャンネルが空くのを待ってのネット。

で、他愛のない話を夜中まで何時間もするなんてことがほぼ日課のように。


みんな会ったことのない、無線だけの関係。

声から、どんな人なんだろうと想像するのもまた楽しいもんだった。


そのうち、仲のいい人たちが、「グランド(直接会うことの無線用語)しましょうか。」
となって、夜の仙台港や、広い駐車場があるところに集まってグランドする。

声しか聞いたことのない人と実際に会うと、
予想通りだったり大きく予想から反していたり、いろーんな人がいて、
ドキドキで、かつ、それが本当に楽しかった。


自販機で買った缶コーヒーなんかを飲みながら、駐車場で何時間も立ち話して。



ケータイも一部の人しか持っていない時代。

ネットで知り合った人たちがオフ会するのなんかとおんなじだ。
ただ、ツールが無線なだけで。


楽しかったねー。



さて、そんなこんなで、無線にすっかりハマッた俺は、
トラック仲間の誘いで、パーソナル無線では珍しい、全国クラブに誘われて入会した。


もともと民間局としてガツガツやってきたし、一応それなりにマナーも心得ている。


だから、クラブに所属しても、あっという間に管内(地元)の人たちに馴染んでいった。




ところが・・。

もちろん、俺みたいに関東便とか走っている人もいたけど、
管内のメンバーたちは、だいたいおっちゃんたち。


そして、ほとんどの人がなまってるんだよ。

仙台弁をはじめとした、俗に言う「ズーズー弁」っていうヤツだ。


で、やはり、無線で話すときは何と言っても楽しい方がいい。

特に当時の俺は、無線でおっちゃんたちを笑わせるのに命をかけていたから、(笑)
当然、俺もなまりを意図的に使うようになる。


結果、普段の生活もすっかりなまっている。


というスパイラルのできあがり。



いやー、落ちていくのはあっという間だったね。わははー。



高校生のとき、東京の人みたいなんて言われたことも、もう見る影もない。

特に、関東や関西の人たちには、東北弁ってウケるんだ−。これが。
だから、調子に乗ってまたなまりを駆使して話す。

そして、もう戻れないドロ沼に・・・。



いつしか、「仙台支部のハナちゃん(俺のニックネーム)はおもせー。」
となって、まだ当時26歳かそんくらいだったと思うんだけど、
諸先輩方を差し置いて、仙台支部長に大抜擢。


ますます無線のドロ沼に浸かっていったのだった・・。





あれから15年あまり。

もう、なまりはすっかり俺のネイティブな言語となった。


以前、四国の人と電話で話したときがあり、仕事の電話だったので、
俺的に標準語バリバリで話したつもりだったんだけども、
そのあと、相手の方から、


「わこうさんの、東北の方特有のイントネーションが
とても暖かく感じ・・。」



みたいな内容のメールが来た。


もうダメだこりゃ。



一時は、なまりを真剣に悩んだこともあったが、
今はもうすっかり開き直って、率先して使っている。



りえさんファンの皆さん、今以上にりえさんがなまったらごめんなさい。

 
posted by わこう at 01:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。いとうです。

なまり万歳。

わこうさんの口からそのうちこんな言葉を聞ける日が来るかも・・

「けんちゃん、そこのまなぐ〔眼鏡〕とってけろ」
もしくは「またまた、かばねやみ〔謙遜と似たよな意味〕して」
もひとつ「おどげでねえごだ」
Posted by いとう at 2010年05月26日 10:27
懐かしいですね〜、パーソナル無線(^^)
私も一時期やってたなぁ・・・。

なまりはなかなか抜けませんね。
東北人は結構若い人だと都会行くと隠しますが、西の人は、関西は市民権得てるので別として、九州なんかはそのまま喋ってますもん。


Posted by sato at 2010年05月28日 17:44
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