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2010年05月22日

【回想録】七面山修行。


昨日、奈良の天河神社に行ってきたという記事を書いた。

その記事はこちら。


天河神社のある天川村は、まるで村全体が神社を守っているような、
共存しているような、そんな不思議な村だった。


そんな氣に触れて、思い出したことがある。


かれこれ10年以上前になるか。

山梨県にある霊山、七面山〈しちめんざん〉登山の修行に参加したことがある。



当時俺は、仕事とは別に、
とあるワークショップのアシスタントなどとして活動していたが、
自分の力不足を思い知らされ、打ちのめされるような出来事があり、
失意の中で生活していた。

加えて、当時はおふくろと一緒に花屋をやっていたんだけど、
考え方の違いから、おふくろとのケンカが絶えず、
とにかくおふくろとの関係をなんとか良くしたいと、真剣に悩んでいた。



そんな中、知人が日蓮宗の宗教団体に所属していて、
毎年、可能な限り七面山修行に参加していると聞いた。

別に俺は、日蓮宗の信者ではないんだけども、
その、七面山修行の話を聞いたとき、何か惹かれる不思議なものを感じて、
なんとかその七面山修行に交ぜてもらえないかと頼んでみた。


その知人が、上の方に掛け合ってくれて、
本当は、信者じゃないとその修行には参加できないんだけど、
前例の無いことだけどOKが出た。

日蓮宗は法華経なんだけども、
俺はお経も読んだこともなければ、日蓮聖人のことも何も知らない。


しかし、なぜOKが出たのか。



いやー、理由を聞いてブッたまげてしまった。


その団体の上の方のかたが、霊視というか力のある方で、
俺の前世を見てくださったそうなんだけども、
それによると、俺は過去世に修行僧の時があり、日蓮聖人に会っていたんだそうだ。

が、しかし、考え方の違いから、日蓮聖人の法華経ではなく、
他の道を選んだんだそうだ。


で、俺の過去世を見て、何百年と経った今、
俺が生まれ変わって、日蓮聖人の歩んだ道に触れるということには、
とても意義があるんだそうだ。

なので、異例の、信者じゃないのに修行に参加するというお許しが出たんだそうだ。


いやー、ホントかどうかはわからないんだけども、
なんだかスケールのでかい話で、自分の事なんだけども実感がない。

っつーか、過去世の話なんだから、実感が無くて当たり前なんだけども。


ということで、お経も読んだことのない俺が、
いきなり五泊六日〈だったかな〉の修行に参加することになったのだった。


とはいえ、実際に七面山登山をするのは最後の方で、
その前に数日、いろんなお寺を回って、それぞれに修行をして身を清める。

その上で、標高1900mの七面山登山をし、
山頂近くの、標高1700m付近にある敬慎院で一泊し、
次の日の夜明け前から展望台に出て読経をしながらご来光を仰ぐというもの。


正直、七面山登山前の数日間、どんなところへ行き、どんな修行をしたのか、
もう、10年以上前なので覚えていない。

ただ記憶にあるのは、ひたすらお経をあげて足が痺れて痛いのと、
ストイックな雰囲気になかなか馴染めないでいる自分との葛藤だった。



その時に一緒に修行に参加した人たちは80名くらいだったかなー。

イマイチ覚えてないんだけど、その中の数名とは、ちょっとだけ仲良くなって、
なんかいろいろ話した記憶がある。


だけど、俺の中では、心にブロックをかけていた。

「これ以上は俺の領域に踏み込むな。」と。



それが当時の俺の人との距離感とスタンスだった。



そんな中、いよいよ、七面山登山が始まった。

登山中、歩くリズムに合わせて、「南無妙法蓮華経」をひたすら唱える。
登山中ずーっとだ。


キツイかなーと思ったんだけど、案外唱えながら登るのは、
呼吸がいいリズムでできるので、苦しくなかった。


途中、下山する一行とすれ違い、

「ご来光見られましたか?」

と尋ねたら、

「いやー、イマイチでしたー。明日、ご来光見られるといいですねー。」

などとお声掛けいただいた。



七面山は霊山なので、どんなに体力があってもバテる人はバテるという。

実際、スタミナがありそうな人がゼイゼイ言ってる場面を何回も見た。


七面山登山でモノを言うのは、「霊力」なのだそうだ。


そういう意味で言ったら俺は霊力があったのか、
全く余裕で、ヒョイヒョイと登山できた。


そしてついに、敬慎院に到着。

食事をとり、読経や修行をし、就寝の時間に。


就寝は、敬慎院の名物とも言える、ダーッと横に長い布団に、みんな並んで寝る。
例えて言うなら、箱に入ったクレヨンのような感じ。


たしか、俺が登山したのは、暑い季節だったと記憶しているが、
たかだかここ数日前に初めて会った他人と、
暑い中、同じ布団に身体をくっつけて寝るのが、どうしても耐えられなかった。

1時間くらい、なんとか寝よう寝ようと頑張ったんだけど、
そう思えば思うほど気持ち悪さが気になって、目がどんどんさえていく。


ついに布団に入っていられなくなって、布団から出て、
ひとり、お寺の廊下でボーッと座っていた。


そうしたら、見回りの住職さんがいらっしゃって、

「どうしたんですか?眠れないんですか?」

と。


俺は正直に、

「他人と同じ布団で身体をくっつけて寝るのが、どうしても耐えられないんです。」

と答えた。



そしたら、

「それが今のあなたの、人との距離や関わり方を映していますね。
そのことから気づくことや学べることもあるんじゃないでしょうか。
この機会に、よく自分に問うてみたらいいですよ。」


と。



「・・・・。」

絶句した。



今、俺の目の前にある現実は、同じ布団に他人と一緒に寝られないこと。

だけど、そこに映し出されている自分は、
一見、人とオープンに話しているように見えるけれども、
実は、その奥底にガッチリとしたブロックがあって、
最後の最後で、人を信じていないという自分。


そして、そんな自分に嫌悪感を抱いている自分。


人を信じたい。だけど信じられない。

人は裏切るのだ。気持ちが変わるのだ。絶対なんてあり得ないのだ。


そして、それを恐れるあまり、傷つきたくないから最初から関わらない。
関わっても、最後の砦は残しておいて、その安全な範囲の中だけ。


そんな自分をまざまざと見せつけられ、
どうしていいのかわからず、寺の真っ暗な廊下でひとりで泣いた。


結局、最後まで俺はその布団に入ることができなかった。



明けて次の日。

夜明け前に起床し、全員で暗い山道を進み展望台へ。

そして、夜明けまでの数時間、ひたすらお経を唱え、日の出を待つ。



だんだんと日の出が近づき、空が明るくなってきたころ、
展望台の先に、富士山があることに気づいた。

標高1700m付近。
眼下には雲海が広がっている。


そしてついに、光が雲の地平線にバーッと横に走った次の瞬間、
素晴らしいご来光を拝むことができた。


素晴らしい太陽だった。


その後、雲海の下からの気流に乗って、
まるで雲海から龍が天に昇っていくように、いくつもフォーッと縦に雲が伸びていく。

この世のものとは思えない素晴らしい眺めで、
お経を唱えながら、みんな涙を流していた。


後で聞いた話だけども、その時のご来光は、
敬慎院に長年住んでいらっしゃる住職さんがかつて見た中でも、
3本の指に入るほどの素晴らしいご来光だったそうだ。

確かに、住職さんは写真をパチパチ撮っていた。


そんな感動の中、敬慎院での修行を終えて、無事に下山してきたのだった。


正直、その修行で、俺が誰にでも、
心を開いて接することができるようなところまでには至らなかった。


だけど、この修行のおかげで、
自分が人との間に無意識にバリアを張っているんだという事に気付き、
それが始まりで、長い年月をかけて、そのブロックを外していくに至ったわけだ。


俺が関わる人たちに対しても、おふくろに対しても。


だから、この修行に参加できたことは、本当にラッキーであり、感謝しかない。




日蓮聖人が歩んだ道を、俺が現世で歩くことで得た、大きな気付き。


10年以上経った今、こうしてBLOGに書けるということは、
俺の中でも整理がついて、もうすでに過去のことになったということだ。


俺を七面山に導いてくれた、Yさんに感謝。



そして、今こうして振り返ることが出来るということに感謝。




人生いつまでも精進精進。



※※※※※※※※※※

追記があります。ここをクリック。

 
ラベル:七面山 天河
posted by わこう at 01:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
心にバリア。

アタシもがっちりと張ってます。

いつ解こうか。いま解こうか。
Posted by いとう at 2010年05月22日 07:58
今の私もそうです。
Posted by IS at 2010年05月22日 16:08
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