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2010年03月05日

【回想録】信仰。


以前から、俺が体験してきたいろんな出来事を、
何らかの形で書こうとは思っていたんだけど、
なかなかそのとっかかりができなかったのと、
書くことによって傷ついたりする人がいたらイヤだな−と思って躊躇していた。


が、誰も傷つけないように書くことを前提に、
俺の経験を公開することで、逆に誰かを元気づけられるかもしれないと思って、
思い切って書くことにした。

決心するまでひと月かかったよ。


新しく、カテゴリ「回想録」を作ったので、ここに公開していくことにする。




俺は、中学校一年生の時、自分の意志で、ある宗教に入信して、
約10年間活動した。


中1のころ、学校でイジメにあい、
学年全体を巻き込む大きなものに発展していったのがきっかけ。

当時、ウチに家庭教師で来てくれていた人が、その団体の信者で、
イジメで悩んでいた俺を、道場に連れて行ってくれた。


もともと、オカルトに興味はあったんだけど、
その道場で見たものは、かなり霊媒チックな光景で、
かなりショッキングだったことを覚えている。

もちろん、イジメの苦しみから解放されたいという思いもあったけど、
むしろ、オカルト的な要素が、当時中学生だった俺には充分入信の動機になった。


入信後、とにかくあしげく道場に通った。


イジメについてはまたそのうち別記事に書くけど、
結局、イジメは約3ヶ月で沈静化し、もう問題ではなくなっていて、
その分、「信仰」「神の存在」「宇宙の法則」など、そっちの方が重要になって、
とにかく宗教にのめり込んでいった。

大人に交ざって、いろんな勉強会や修練会に参加して、
当時の俺にしては一生懸命だったなー。


今でもそうだけど、何かネガティブな出来事があったとき、

「この出来事は俺の人生にとって必要な出来事で、心の砥石なのだ。」

という考え方は、すでに中学生の時に出来上がっていた。



難しい言葉も多く、チンプンカンプンなことも多かったんだけど、
「神の仕組み」、「宇宙の摂理」というのは、なんとなくわかった。

自分は生かされているんだと。


高校生の時には、団体青年部の高校生部門でリーダー的なことをやっていたし、
全国選抜修練会みたいなのに選ばれて、道場代表で行ったこともあった。


夏は夏で、炎天下の下で、冬は冬で雪の降る中で、修行をしたもんだった。

特に、東北方面の修練会は、全国的にもハードなことで有名で、
「もう二度と行きたくねー。」といつも思うんだけど、結局行ってしまう。



一方で、頭はリーゼントで、短ランにボンタン、応援団だったし、
そういう意味では派手な学生生活だったのに、
学校が終わると、やっぱり毎日のように道場に通って修行や奉仕活動。

ケンカはするけど、お年寄りには優しいみたいな。(笑)


そんな極端な二面性は、その頃からすでにあったんだな。



今、こんななりで、
「マクロビオティックでーす!」なんて言ってるのと何ら変わらない。(笑)



今振り返って思うのは、とにかく「宇宙の絶対意志」の存在と、
「宇宙には法則がある」ということに尽きる。

それが、平たく言えば「神」ということになるんだな−と。



入信から約10年後、俺は、道場の人間関係の中で、
ある人をとても傷つけてしまった。

今でも、その人のことを思うと、申し訳なさで胸がキューッとなる。



それがきっかけで、手放さなくてはならないものも多く、
道場に通うのが怖くなってしまった。

そして、俺のその出来事が道場内の多くの人に、
ゴシップとなって流れていることを知った。


ショックだった−。



かつて、俺も熱心に道場通いをしていたころ、
何か人の噂を聞けば、俺もそれに賛同してゴシップしていたこともあり、
今度は俺がその対象となったわけだ。


因果応報っていうヤツだな。



その後、道場仲間が心配して声をかけてくれたりもしたが、
俺はそのまま団体を辞め、一人で信仰していくことに決めたのだった。


まぁ、逃げたんだな。結局。



あれからもう、約20年経った。

が、俺の中にはずーっと信仰がある。



道場を離れてからも、いろんなひとを傷つけ、失敗もしてきた。

そのたんびに頭をよぎるのは、「宇宙の摂理」だ。


本当は、道場通いをしていれば、
もっと早く、失敗も少なく、そつなくやれたのかもしれない。


だけど、自分で失敗してみないと身にならないタチだから、
長く遠回りしたけど、結局また「宇宙の摂理」に戻ってくる。


よく、「神は自分の内に在る」というけれど、
それはホントで、どこまで行っても「神と自分」しかないのだ。



だから、逆に言えば、俺にとって団体はもう必要ない。

信仰仲間も必要ない。


どこまで行っても、「神」と「自分」しか無いのだから。



そして、俺がそんな境地に達したころに出会った、マクロビオティック。


マクロビオティックを、食事法や料理法だと、
本気で思っている人がいるみたいだけど、それはあくまでもひとつの形でしかない。

マクロビオティックは、やはり「宇宙の摂理」なのだ。

それを表現するために「陰陽」を使う。


ただそれだけのことだ。



いっぱい回り道をしてたどり着いた、ひとつの答え。



80歳まで生きるとして、やっと人生の半分を過ぎたあたり。

まだまだ人としての修行は続いていくし、
これからも誰かを傷つけたり、自分も傷ついたりしていくんだと思う。

その繰り返しが人生だ。


だけど、その繰り返しの質を上げていくことに、
人としての価値があるように思える。


人を傷つけたとき、自分が傷ついたとき、どう立ち回ればいいのか。


結局、「宇宙の摂理」にそって、答えを導き出していくしかないんだな。


と、思う。



それが俺が考える信仰だ。

依存じゃなくてね。



日々精進ッス。

 
ラベル:回想録
posted by わこう at 04:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わこうさんが中1のときに、酷いイジメに遭っていたというのは、

失礼ながら、想像つかなかった。

いつでもどこでもイケイケの人だと思ってたもんだから。

今日のブログを読ませてもらって、

かなりビックリした。

アタシは見てのとおりの変態で、
ビビリ屋でもある。

とある宗教には興味はあったが、入信とまではいかず。

元々1人が性に合ってるというのもあって。

その団体の創始者の本を古本屋で手に入れて、

読み散らかしてるくらいで。

でも、割とその本の内容は好きですな。

そんなことを思い出してしまいました。長文失礼しました。

Posted by いとう at 2010年03月05日 08:22
とても、共感出来る素晴らしい、お話でした。

わこうちゃん。

改めて、素敵です。
Posted by 風知草 at 2010年03月05日 09:47
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