あの大震災から5年が経った。
なんか、5年というのはいろんな人にとってひとつの区切りみたい。
俺自身も、5年かぁー・・と思うと、いろんな思いが湧いてくる。記憶も。
関西では、東北からの移住者のための支援活動をしている団体も、
5年で一区切りということで、活動を終了したり、
いったんお休みするところがあると聞いた。
それでも、5年間にわたって、様々な支援をしてくださったことに、
本当に心から感謝します。ありがとうございました。
その地震に絡めた話になるんだけども、
先月、震度8の地震が来ると言った人がいて、
結局、地震が来なかったじゃねぇかとかなんとかと、
大炎上したことは記憶に新しい。
そのことに関してどうこう言うつもりはないんだけども、
こういうのって、誰かのせいとか何のせいとかといった、
責任が自分の外側にあるという世界の中に生きていると、
常に何かに振り回されることになって辛いと思うんだよな。
こういう非常時っていうのは、
結局、自分はどうするか?家族はどうするか?に尽きると思うから、
情報が正しかろうが、間違っていようが、そこはあまり問題じゃないというか・・・
結局、主体的に生きているかどうかがカギになると思うんだよな。
どんな状況になっても、何もかも自己責任だと思えば、
必死になって、その場その場のベストはなんだろうと考えて行動する。
それはそれで全て自己責任だから大変は大変だけども、
人の言うことや状況のせいにしないで済むから、
俺はそっちのほうが楽だと思うんだよな。
俺は大震災は仙台で被災したわけだけども、
その震災の数年前から、
「ここ数年来のうちに、宮城県を震源とした大きな地震が起こる」
と、学者さんだったかが警告していたこともあるし、
もともと宮城県はとにかく地震が多いので、俺も、俺の周りの人達も、
いつか来るであろう大地震には柔軟に対応しようと思っていた。
だから、あのとんでもない揺れが起こった時は瞬時に、
「ついにきた!」
と思った。
心の準備ができていたから、自分なりに冷静に行動できたと思う。
宮城はもともと地震が多いところだから、
良くも悪くもみんな地震慣れしていて、パニックなどにならずに、
冷静沈着に行動していたように思う。
停電で信号機も消えていたけれども、
混乱なくみんな節度を守って交差点を通過し、
危険箇所には、率先して交通整理を買って出てくれる人たちがいて、
みんな譲り合って、本当に素晴らしかったし感動したのを覚えている。
「誰のせいにもしない。誰も悪くない。全て自己責任である。」
どんなに厳しい状況になったとしても、これを意識していると、
人の言うことや状況に、いちいち流されなくていいから、
結果的にそっちのほうがラクだと思うんだよな。
誰かや何かのせいにすると、それを変えようとして争いや衝突が起こる。
特に非常時には、そんなことに貴重なエネルギーを費やしていられない。
しかしこれは、非常時だけじゃなくて、普段の生活でも言えることだと思う。
仕事でも人間関係でも、
自分と考えが合わない人とか、うまくいかない状況に対して、
あいつが悪い、組織が悪い、この状況が悪いと思っていると、
否定したり、無駄な怒りが湧いたりして、結果的に自分が疲弊していく。
それよりも、主体的に生きていれば、
その人や状況を受け入れるためにはどうするか、改善するにはどうするかといった、
いい方向にエネルギーを使えるわけだから、そっちのほうがいいと思うんだよな。
トライしてみてたとえうまくいかなくても、
相手や状況のせいにしないで、やり方を変えてみるとか、
常にプラスにエネルギーを使える。
「あいつが悪い、あいつのせいだ」と思っていては、
恨み、妬み、嫉みといった、マイナスのエネルギーと思考パターンに支配される。
誰も悪くない。何も悪くない。自分も悪くない。
というところから物事を見るようにすると、
自分の気持ちひとつで、その状況はプラスにもマイナスにもなるんだな、
というふうに俺は感じている。
頭にくるような状況が起きた時、その渦中にいる時は、
感情に支配されてなかなかそう思うのは難しいんだけども、
まずは心を落ち着けて、一呼吸置いて、客観視するように心がけている。
以前は感情にまかせてすぐ手が出て暴力沙汰になって、
トラブルばっかり起こしてたんだけども、
暴力を使ってその時の状況に勝利したとしても、人として負けてるんだよね。
そして、それに伴う代償も大きい。
それに気付いてからバカバカしくなってやめた。
と、話が脱線してしまったんだけども、
主体的に生きるということは、自分がとても自由だということが言いたかったんだよ。
だって人に左右されなくていいんだもの。
そんなことを思った5年目の3.11でした。