
突然ですが、2016年春、ジュエリーデザイナーとしてデビューします。
りえさんが、ブログに俺がデビューすることやブランド名を書いてくれたんだけども、
ここでは、なぜそうなったのかという流れを書こうと思います。
2012年、俺は7年間やってきた飲食店をやめて、
りえさんと共に関西に移住してきた。
おかげさまで、様々な御縁で、いろんな仕事をさせていただいて、
なんとかかんとか生活を維持できるようになったものの、
だんだんと、「一生涯かけてやる仕事」はなんなのか?と模索するようになった。
そんな中、去年の夏、大阪のチャネラーさんに相談しに行ったわけです。
余談だけども、一時間とった予約枠の中で、
この仕事の話はあまりにも明確かつシンプルで、
15分くらいで終わっちゃって、45分も時間が余ったので、
死んじゃった愛猫のまるちゃんや、事故で死んでしまった親友あべはりさんから、
思いがけずメッセージをもらうこととなったわけです。
さて、肝心の仕事の話なんだけども、チャネラーさんが言うには、
「ものづくりの仕事がいいみたいですね。」
「パートナーさんは何をしている人なんですか?
パートナーと一緒にクリエイションするといいみたいなんですが・・」
そこで、りえさんがジュエリーデザインをしていることを伝えると、
「あぁ!まさにそれです!」
でも、俺、46歳だし、いまから勉強とかしても間に合うんですかね?
と聞いたら、
「全然間に合います。」
と。
続けて、
「パートナーがジュエリーデザイナーなんですから、
一番身近な人から教えてもらえるという、
恵まれた環境を最大限に活かすべきです。」
と。
突然だけども、りえさんは車の免許を持ってない。
だから、今まで、神戸や大阪、東京、山梨などなど、
いろんなところにりえさんを乗っけていって、石の仕入れに付き合ってきた。
仙台にいた頃からだから、もうかれこれ7年だ。
宝石商の社長の皆さんも、「雪音さんの旦那さん」で俺のことを知っている。
去年は、甲府にあるジュエリーの原型製作を手掛ける業者さんに、
りえさんと一緒に挨拶と見学をしてきた。
そして、何よりも、りえさんがジュエリーデザインをしたり、
石の目利きや値付けをする様を、一番近くで見てきた。
そして、りえさんがデザインしたジュエリーの写真を撮り続けてきたわけだけども、
どう見ると一番カッコいいかとか、とにかく見まくってきた。
ジュエリーデザインを学び、クリエイションしていくのに最高の環境だ。
そして、関西には模型業界においても、素晴らしい作品を作る人達がたくさんるし、
モデスポやMa.K関連でも、すごい人達にたくさん出会ってきた。
数年前までは考えられなかった様々な刺激を受けていて、
俺の感性にかなり影響しているのは間違いない。
なんかいろいろとストンと一気に腑に落ちた。
りえさんにそのことを伝えたら、
鳩が豆鉄砲を食らったような顔して、
「なんでそこに気付かなかったんだろう・・・」
と。
ちょうど、りえさんもメンズジュエリーに、
もっと注力しようと思っていた矢先だっただけに、渡りに船って感じみたい。
今までもそうしてきたように、
これからもりえさんと二人で動くことは変わらない。
それだったら二人で作っていったほうがいいもんね。
今、業界にも3D化の波が押し寄せ、
CADを使ったジュエリーデザインも増えてきた。
今はまだ、りえさんから図面の書き方を教わりながら、
完全アナログでデザインをしているんだけども、
そのうち俺も、CADを使ったデザインもしていくことになるんだろうな。
俺がメンズジュエリーを作るにあたり、
ブランド名を決めなくちゃいけないなと、去年からずっと考えていた。
もともとジュエリーは装身具であり、
ルーツは、神様と繋がりやすくするために身につけるものだ、
と、吉野の天河大弁財天社の柿坂宮司がおっしゃっていた。
だから、ジュエリーと神様は、切っても切れないものだと、俺は考える。
そして、俺はなぜか淡路島が大好きで、
二ヶ月にいっぺんくらいは行ってるんだけども、淡路島といえば伊弉諾神宮。

「イザナギ」という音霊は頭のなかに入ってきたものの、
恐れ多くて簡単に使っちゃいけないような気がしたので、
先月、伊弉諾神宮に参拝させていただき、お伺いを立ててみた。
お祈りの瞬間、ブワーッといい風が吹いてきて、
あぁ、許可がおりたんだなと思った。
そんなこんなで、ブランド名は「IZANAGI」にしました。
男が身につけるメッセージ性の強いハイジュエリー。
現在、俺のデビュー作となる「GRAVITY」を制作していて、
来月にはできあがってきます。
コンセプトなんかは、写真と一緒に公開しますので、少しお待ち下さい。
ということで、これからはジュエリーデザイナーとして、
残りの生涯を生きていきます。
皆さん、よろしくお願い申し上げます。