関西最大級の模型イベント、モデラーズEXPO 2014が終わった。
今年は過去最高の動員で、3日間の会期中、5500人に及ぶご来場をいただいて、
本当に嬉しかったとともに、ビッグなイベントになったなぁ・・
と、思いもひとしおで。
初年度の2012年から運営スタッフをさせていただいて今年で3年目。
特に、昨年度から公式サイトの制作、管理・運営をさせていただいて、
会期中は、音響や映像などを担当させていただき、
自分の得意分野でスタッフの仕事をさせていただけたので、本当にありがたかった。
モデラーズEXPO(以下モデスポ)自体は、今年でいったん活動をお休み。
来年は未開催となり、その次の年に開催になるかどうかは今のところ未定。
で、俺は、再来年、モデスポが開催される、されないにかかわらず、
今年でスタッフを卒業すると決めた。
理由はいろいろあるけれども、
一番は、個人的に今後仕事が忙しくなるだろうと予想されることと、
模型以外のライフワークを充実させていこうと思ったからだ。
あとは、モデスポ運営側の事を考えると、もし今後も続いていくのだとしたら、
もうそろそろ新しい人たちにバトンタッチして、
新しい風を入れたほうがいいと、個人的には思っている。
ということで、今年最後のモデスポスタッフとなったわけなので、
いろいろと思いが交錯して、とても感慨深いモデスポとなった。
ちょっと語りますよ。
モデスポのスタッフ、いやー、正直しんどかったっす。
肉体的にどうこうとかではなく、
だんだんと年を追うごとに来場者が増えていく大きなイベントに育ってきたこともあって、
プレッシャーがハンパないっす。
それに加えて、夏に、モデスポサイトで借りて運用しているサーバー会社、
ドメインキングが、まさかのサーバークラッシュでデータが飛んだ。
ありえねーだろー。
去年、20億(だったかな?)の損失を出したとされる、
ファーストサーバー事件があったけれども、
規模こそそこまでいかないものの、それと同じようなことが起こり、
しかも、俺が運用している中で絶対にトラブってほしくない、
モデスポサイトのサーバーが、よりによってクラッシュ。
モデスポサイトはWordPressで運用しているので、
基本的に操作はすべてクラウド上で行い、ローカルのパソコンには、
意図的にバックアップをとらない限りデータが残らない。
したがって、サーバーがクラッシュするとアウトーーーーー!なわけで、
その、アウトーーーーーーーーー!が起こってしまったわけです。
で、苦労して苦労して更新してきたものがパーに。
それが8月くらいの話。
で、なんとかサーバー会社の努力で、
半年前(2月)の状態までは復旧できたものの、その半年の間に、
大事な更新をたくさんしたもんだから、その作業をもう一度やり直すはめに・・・
もー、怒りを通り越して震えて笑ったのは初めての経験だったよ。
いや、WordPressで運用しているとはいえ、
バックアップをとらなかった俺にも責任はあるんだけどもさ。
で、そんなこんなのあとに、胆石、尿管結石で救急車騒ぎときて、
きわめつけに3番目のニャン、きっちゃんの突然の死。
いやー、なんなのよもー!
って感じだった。マジで。
運営に関してもいろいろあって正直ぶん投げたくなった。
そんな中、ぶん投げないでやってこられたのにはいくつか理由があるんだけども、
一番の理由は、
この男。あべよっちゃんの存在。
よっちゃんは、モデスポ初年度から毎年来てくれて、今年で3年目。
しかも、今年は愛車のS30 Zで来てくれた。
そして、今一度説明すると、よっちゃんは、2009年にこの世を去った俺の親友、
鍼灸師のあべはり(あべ鍼灸院→あべはり)さんの弟だ。
過去記事にも書いたんだけども、あべはりさんが亡くなる直前まで、
俺はあべはりさんと酒を飲んでいた。
だけど、その帰り道、あべはりさんは事故で死んでしまった。
朝、ニュースで事故を知り、慌ててあべはりさんのケータイに電話をしたら、
ご親族の方が出て、亡くなったことを伝えられ、
「最後に顔を見てやってください」と言われて、大急ぎであべはりさんちに向かった。
顔に白い布をかぶせられ、布団に横たわるあべさんをぼう然と見ていたら、
よっちゃんが無言で部屋に入ってきた。
その、悲しいとも悔しいとも怒りともいえない表情を見た瞬間、
俺はよっちゃんに申し訳なくて申し訳なくて、顔向けできなかった。
別に俺があべさんを殺したわけではないし、親御さんからもよっちゃんからも、
「責任を感じることはない」と何度も言われたんだけども、
あの時、俺と一緒に酒飲んでなかったら・・とか、あの時声がけしていたら・・とか、
自責の念がどうしても拭えなかったんだよな。
それなのによっちゃんは、まるであべはりさんのことと全く関係ない感じで、
俺と本当に普通に、自然に接してくれた。
俺は親友を失って、半身をもがれたような喪失感がずーっと抜けなかった。
半年くらいは、毎日のように泣いた。
よっちゃんは、感情をあまり表に出さないからわからないんだけども、
たぶんよっちゃんの喪失感は、俺なんかと比べものにならないくらいだったろうと思う。
それだけあべはりさんは大きい男だったんだよ。
そして俺は、そんなよっちゃんに何ができるんだろうとずっと考えていた。
償いともまた違う、なんと言っていいかわかんないんだけども、
よっちゃんに何か返したいというか・・・このニュアンスわかるかな・・・
よっちゃんは、俺が仙台にいたころからの模型仲間で、模型大好き。
そしてそんなこんなで俺は関西に移住。
そしてそして、巡り合わせの妙により、ナニワ模型界の女王、環さんと出会い、
環さんに誘われるまま、モデスポの初期スタッフに加えてもらった。
ついこの間まで仙台にいて、右も左もわからなかった俺が、
いきなり有名モデラーと一緒にイベントを作ることになって。
さらにモデスポ当日は、超有名モデラーが集結することになって。
その時思ったんだよ。
よっちゃんに何か返せるのならこれだ!
今の俺がよっちゃんにできる最高はこれだ!
ぶっちゃけ、いっぱい背伸びしたし、ムチャ振りもされたし、
モデスポスタッフはしんどいこともあったけど、
だけども、ぶん投げなかったのはよっちゃんに返したかったから。
俺ができるかぎりいろんな作家さんと関係を築いて、よっちゃんを繋ぐ。
それができたらどんなにいいだろうかと。
だから、初年度によっちゃんが仙台からモデスポにきてくれた時は、
本当に嬉しかったねー。
いっぱい泣いた。
そして今年は3年目。
俺も少し気持ちに余裕ができて、作家さんにも覚えてもらっていたり、
Facebookを通じて日頃から交流させていただいて人間関係ができたりして、
よっちゃんに、初年度よりも深い関係性で作家さんを繋ぐことができたと思う。
一日目の夜、宿が取れなかったということでウチに泊まってもらったんだけども、
とにかく話は尽きず、とにかくいっぱい喋った。
その時に気がついた。
もう、よっちゃんとの関係は、あべはりさんよりも長く続いていた。
そして、返すとか償いとか関係なく、俺はよっちゃんのことを大事に思っていて、
普通に友人としてもう長いこと付き合っているじゃないかと。
大事なのは、返すとかそういうことじゃなくて、ずーっと長く友人を続けることだ。
モデスポ3日目の朝。
前述のとおり、今後継続するしないにかかわらず、
俺は今年でモデスポスタッフを卒業するので、卒業式の朝みたいな心境。
なんかこう・・死んでしまったあべはりさんのことも含めて、
いろんなものから解放されるような清々しさと、達成感や充足感に包まれて、
家を出る前、あべはりさんに感謝して手を合わせた。
そしたら、よっちゃんになんか感謝の念がグワーッと湧いてきて、
涙がポロポロ出てきてさー。
感謝に包まれながら会場に向かったよ。
3日目もとにかく目が回るような忙しさでクッタクタになったけども、
フタを開けたら3日で5500人という来場数。
そしてみんな達成感に包まれて晴れやかな顔をして。
モデスポ終了間際、同じく仙台から3日間参加してくれた、
霧島くん(左)と共に撮ったよっちゃん。
3日間、キラッキラしてモデスポ会場を見たり、
いろんな作家さんと話しているよっちゃんを見て、なんか涙が出たよ。
あの、あべハリさんが死んでしまった日、
なんとも言えない表情をしていたよっちゃんとオーバーラップしちゃってねー。
3年間ふんばってきた甲斐があったなぁ。マジで。
あとは、きっかけは作ったので、
よっちゃん自身が自分の才覚で人間関係を広げていくだろう。
なんかこういうことを書いちゃうと、重いかなぁと思ったんだけども、
モデスポ卒業にあたり、閉じ込めていた思いを書き殴ってもいいかなぁと思って、
思い切って書いてみたよ。
ありがとう。よっちゃん。
モデスポの撤収も全て終わって、夜、一人で駐車場に向かう途中に撮った、
誰もいない搬入路。
はー、ここを通るのもこれで最期かーと思ったら、ちょっとグッときた。
これからは、また別なやり甲斐を求めて精進しようと思います。
モデスポでご縁をいただいた皆さん、本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。
俺のモデスポは終わりました。
感謝。