
被害に合われたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。
発熱とひどい下痢でギリギリまで寝込んでいた。
見事大当たりー!って感じだ。
それに伴って口の中いっぱいに口内炎ができて、
とにかく痛くて痛くて物が食べられない・・・という最悪なスタートとなったわけです。
まずはなんといっても、おふくろのところに顔出さなきゃ。

おふくろも交えて4人でいろいろと語り合いました。
意識はかなりシャンとしていて、一時認知症なんじゃないかと疑ったくらいだったのが、
まるでウソみたいにしっかりとおふくろだった。
クラッシュナッツたっぷりのチョコ。
そりゃーもー地獄の苦しみなわけで。
平気な顔して食べたさー!

今回の口内炎にはホントまいった。
しょせん付け焼き刃じゃダメだね。

その後、前回帰郷した時には会いたくて会えなかった、
公益社団法人 日本駆け込み寺の仙台支部である、国分町駆け込み寺スタッフの千葉さんと、
高校の後輩の石橋と三人で食事。
公益社団法人 日本駆け込み寺の仙台支部である、国分町駆け込み寺スタッフの千葉さんと、
高校の後輩の石橋と三人で食事。
石橋はその立ち上げ当初から共に奔走した仲間でもあり、
震災直後、津波の被災地に救援物資を届けに行く活動を一緒にしてくれた同志でもある。
いやー、ホント楽しかったな。
国分町駆け込み寺を頼むぜ!

お友達のひろみちゃんがめでたく結婚することになり、
結婚式に参列するためでした。

司法修習時代の一年間を仙台で過ごして以来、仙台大好きっ子になり、
休日にはよく新幹線に乗って仙台に遊びに来ていた。
二人は数年前に、あるイベントで一緒になった。
あとで送ると言いつつも、仙台に暮らすひろみちゃんと東京で暮らす須田くん、
接点がなかなか見いだせないまま時間が経って何年も過ぎた。
俺とりえさんが仙台から関西に移住することになった時、
有志が集まって送別会を開いてくれたんだけども、
その時に、須田くんと、上の写真でピースしている麻生さん夫婦が出会った。
麻生さん夫婦と遊んだりする機会が増えた。
麻生さんがFacebookにアップ。
麻生さんに、写真を渡したい旨を伝えたところ、
麻生さんが機転を利かせて須田くんとひろみちゃんが直接会う場をセッティング。
やっと須田くんに渡すことができた。
交際が始まり、結婚に至った。
奇跡的なケースなわけなのですよ。

麻生さんと須田くんをくっつけたのは俺。
そりゃーもー、飛び上がってビックリしたもんだった。
俺を始め自営業や、勤め人でも特殊な職、叩き上げの役職付きなどなど、
泥水すすってのし上がった苦労人が多いから、新婦側のお友達よりもガラは悪い。
それを乗り越えてきたタフネスさを持っている強い人たち。
なんて幸せなんだろうと。
いつまでも仲良くね。俺たちみたいに。わははー。
そして最終日の三日目。
もう一度おふくろに会いに行ったり、りえさんのYUKINEで打ち合わせしたりして、
あっという間に帰る時間。

YUKINEのベランダから見える大年寺山の上に立つテレビ塔。
俺は伊達政宗像よりもこっちのほうが仙台のシンボルだと思っている。
子供の頃から、いつも視界に入っていたテレビ塔。
このテレビ塔を見ると、「あぁ、仙台にいるんだなー」って実感できる。
俺の心の故郷でもある。

ちょうど夕暮れに差し掛かったころに仙台を出発。
空港に向かう電車の中で、ちょっと胸がキューッと切なくなった。
そんなこんなの三日間でした。
沢山の人に会ったけども、会いたくてもまだ会えてない人もいて・・
4月から、神戸空港~仙台空港便が就航するみたいだし、
また暖かくなったら仙台に帰るよ。
皆さん本当にあざした!
あっという間に帰る時間。


また暖かくなったら仙台に帰るよ。