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2013年08月28日

1/12 HONDA CX500 TURBO 改。


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またやっとひとつバイク模型が完成しました。


先月、オレンジのカタナを作ってから、ちょっと間が空いてしまった。



製作途中、当初描いたスタイルがいまいちマッチしなくて、
このまま行くか路線変更するかと迷っている時にふくちゃんが死んじゃって、
なんか模型への熱が冷めたというか、モチベーションが一気に転落。

なんぼ「今日は模型しよう!」と奮い立たせても、もう気持ちが上がんないのよ。


でも、モデスポコンペもあるし、
俺の流儀として、製作途中のものをぶん投げて次の製作に入るのはダメなのよ。

製作途中でやめたら、次から次へと作りたいものが出てくるから、
もう二度と続きをやることは無くなってしまうとわかっているから。


結局、模型に触らない日が長く続き、やっと、やっと完成させた。



今回作ったのは、



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HONDAの数ある変態バイクのひとつ、CX500 TURBO。

HONDAはたまに、2ストの3気筒とか、ゴールドウィングみたいなクルーザーとか、
えぇー!っと驚くような変態バイクを出すわけだけども、
このCXは、あのバブルで景気が良かった80年代に出た、
横置き型のV型2気筒エンジンに、さらにターボを組み合わせるというド変態バイク。

と、俺の中では分類している。


景気がいい時代だったから、こういう変わったバイクで冒険もできたんだろうけど、
今の時代はどうなんだろうね。

このCXは、俺が中学生だったか高校生だったか忘れたけど、そのころにデビュー。

雑誌で見て、
いやー、なんてカッコ悪いバイクなんだろうと思った。(オーナーの方ごめんなさい)

しかも、750とかだったらわかるけど、500ccという中途半端な排気量。

さらに当時では珍しい、チェーンじゃなくてシャフトドライブ。


いやー、冒険したなーと。


でも、雑誌のレビューでは、750とかそれ以上のビックバイクに匹敵するパワーと乗り味、
みたいな紹介のされかただったと記憶している。


今、俺個人的には、80年代ブームが起こっていて、
当時は近未来的で先進的すぎてカッコ悪いなーと思ったものも、
今の時代の感覚で見ると、「けっこうカッコイイな」と思うことが増えた。


今の時代の感覚でこのCXターボを見ると






・・やっぱりカッコ悪いな。



だけども、横置きV型エンジンに、グルグルと巻き付くようなターボの配管の造形は、
そこだけ見るとやたらカッコいいなーと思う。


CXは、ノンターボ版は、世界中でカスタムベースとして人気が高く、
ネットで画像検索するといろんなバリエーションのCXがヒットする。

だけど、ターボをカスタムした車両って、ホント無いんだよな。



そこで、模型だったらなんだってできるわけだし、
原型をとどめないほどカスタムして作ろうと思ったわけです。



ということで製作記に入ります。

今回はあんまり製作中の写真を撮ってなくて、改造ポイントのみでいきます。




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ブレーキディスクは、リアリティを出すために薄く削り込みました。






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エンジン組みました。


どうですか。このV型エンジンに巻き付くターボの感じ。

メカメカしくてカッコイイべ?





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前から見るとこんな感じ。




そして、製作開始当初のカスタムの方向性では、
シングルシートカウルにセパハンの、カフェレーサーにしようと思っていた。




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ということで、ストックパーツの中から、CBX400のシートをベースに、
こんな感じでパテを盛ってシートカウルを作った。






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タンクもCBX400のものを持ってきて合わせてみた。



そして、今回はメタリックグリーンのつや消しバージョンにしようと、


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タンクとカウルを塗装。


うーん・・悪くないけどイマイチ・・・




で、ここでどうしようかさんざん悩んでいるうちにモチベーションがヒューッと・・

それに加えてこのタイミングで二番目のニャンだったふくちゃんが逝ってしまって、
完全に模型への情熱が消えた。




二週間くらい(もっとだったかな・・)全く模型を触らず、
でもなんとか完成させたいという思いも少しずつ湧いてきた。


そこで、思い切って路線変更しようと。




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ということで、ハーレーのカスタム系のキットからタンクとライトを流用して、
シートはいつものようにパテで自作。

ハンドルはアップハンにして、
トラッカーというか、そんなスタイルにした。


こんなラフなスタイルなんだけど、
エンジンはターボだぜ!という、シュールな路線で。




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ということで、完成しました。


いやー、長かった。









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ターボから伸びるマフラーには、いつものようにキムワイプを使って耐熱テープを再現。







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全体的に、ちょっと強めにウェザリングしてます。








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反対サイド。

左側の、目立つ耐熱テープを巻いたエキパイとは打って変わってシンプルな右側。








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ななめうしろ。








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反対側。やっぱりエキパイの存在感がハンパないな。










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小さいライト。










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特徴的なドライブシャフト。マフラーはメガホンタイプに改造。







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タンクには白ライン。

今回は、シートをすべて油彩絵具で塗ってみた。










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赤い帯にホンダの文字。

エンジンは、数種類の黒を使った上でウェザリングして金属感を。







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CBXにHONDAマークのエッヂングパーツが付いていたので貼った。

タンクにはサビを表現。









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特大のラジエターと横置きV型エンジン。

ちなみにフロントはフェンダーレス。



と、こんな感じで完成しました。


長いこと苦悩して作った甲斐あって、まぁ細かいところはツッコミどころはあるものの、
個人的にはかなり気に入っている。


ということで、やっと次に進めます。



次はどうすっかな・・・


 
posted by わこう at 22:42| Comment(3) | TrackBack(0) | プラモデル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月18日

ふく 逝きました。

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2013年8月15日の晩、我が家の二番目のニャン、ふくが逝きました。

今年で14歳でした。


今年の4月頃から、痴呆みたいな状態になったと同時に、
急激に老いて痩せこけてしまった。


その時の事を書いた記事はこちら。



あれから4ヶ月、急速に痴呆が悪化して、激痩せし、
トイレにおしっこしないで粗相をするようになり、幼児用の紙オムツをするまでに。


だんだん食も細くなっちゃって、もうこの夏は乗り切れないかもしれないと、
半ば覚悟をしていた。


餌をあげても、フラフラと器に辿り着き、軽く食べたあと、
そのまま器の前に突っ伏して寝ちゃったり。


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かつてはこんなにプリップリしてたんだけど、逝く数日前には、



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こんな感じ。

もう意識も朦朧として、やっと生きているふうに見えた。


でもまだ、自力で餌の器まで歩いて行くし、もう少し大丈夫だろうと思ってた。


だけど、15日の夜、家に帰ったら、もうすでにぐったりしていて。


「ヨォ・・遅かったじゃねぇか・・」とばかりに、一瞬ピクッと動いた。


その姿を見て、「あぁ、いよいよ最後の時が来た・・」と。



もう食べ物を飲み込むこともできないみたいで、
牛乳を軽くあたためて薄めたものをストローで口に運んだら、
満足そうに飲んでた。


それから2時間くらい、りえさんと一緒に、声をかけてやったり、
身体を撫でてやったり。

その時点で、俺はもう、いろんなことを思い出しちゃって涙ボロボロ。



そして最後の時。


ゆっくりと痙攣が起き、静かに、ゆっくりと最後の呼吸が終わり、
そして止まった。


本当に静かに、穏やかに逝った。




ふくは、一番目のニャンのまるちゃんがまだ小さい頃、
動物病院に診察に連れて行った時に、病院内に貼りだされていた、
里親募集の張り紙を見て、二番目のニャンとして迎え入れた。


まだ子猫のころ、誤って、グラグラに沸いた風呂に落ちて、
下半身に大ヤケドを負ったものの、復活をとげた。

とはいえ、痛くてキューンキューンと鳴いているのを見ているのが、
本当に痛々しくて辛かったな。俺の責任だ。


その経験があったからなのか、なんかこう・・人生に達観したような感じで、
妙にふてぶてしいというか、やけに人生に冷めているような、
そんな態度が見え隠れする、なんか変な奴だった。

まるで、猫に生まれてきたことに不満をいだいて生きているような。


俺に反抗的な態度をとったかと思うと、急に膝の上に乗ってきて甘えたり、
なんか掴みどころの無い奴だったよ。


そして、人間が話すことをジーっと聞いていて、理解しているようでもあった。


ウチの他のニャンたちは、とにかく自己主張が強いし、個性も強い。

だけど、ふくは、我が家の猫社会の中では、
他のニャンたちに常にジェントルだった。


こう・・ムードメーカー的な、ご意見番的な、そんな感じ。


ふく自身は、晩年は自己主張無く、なんかいつもシラケた感じで、

「あぁ〜早く猫人生終わんねぇかなぁ~。」

みたいに生きているように見えた。


年をとるにつれ、そして、芦屋に引っ越してから一層、
だんだんと人生に冷めていく感じが強くなって、そしてボケた。


わかんないけど、ボケたのはふくが自分で望んだことなのかな。

もう、猫人生にホトホト嫌気が差して、
自分でシャットアウトしちゃったのかな。



正直、ふくの痴呆が始まって、同時に一気に痩せこけていった頃、
病院に連れて行こうかどうしようか、本当に悩んだ。


だけど、仮に治療の末に少し回復したとしても、
多少延命したところでそれが何になるとも思った。

人間は、本人が望めば多少延命して、
その間にやるべきことをやるという理由や責任があるけど、
ふくにはそれが当てはまるのかな? と。


それならば、自然の流れに逆らわず、
そのまま逝かせてあげたほうが、ふくのためなのかなぁと。


でも、本当にこれは揺れたし、迷ったし、
今でもそれでよかったのかわかんない。


だけど、ふくの死に際の、あの本当に穏やかな最期の姿は、
ある意味、死に方としては本当に理想的だったと思うし、
それでよかったと思いたい。


まぁ、そう思って俺が楽になりたいだけなんだけども。



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ふくが死ぬ10日くらい前、もう最後の日が近いかもしれないと思って、
寄り添って昼寝したり、ふくとの時間を大切に過ごしたよ。



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最後の日の3日くらい前のふく。

目に膜が張った感じで、この頃はあまり目が見えてなかったかもしれない。



最後は、俺とりえさんと2人で、「ありがとう。楽しかったよ。」って声かけて、
穏やかな顔して逝った。

看取ってあげることができたのが救いだなー。ホント。



覚悟はしていたし、わかってたんだけども、
でもやっぱりさー、死んじゃうと寂しいねー。


6人家族が5人になっちゃった。


ここ最近のふくは、ほとんど寝ていたし、空気みたいな存在だったけど、
だけど、いつもあった命がもう無いって実感したら、
その喪失感はやっぱり大きいな。


思い出しては泣いてたよ。


朝起きて、ふくがどこかにおしっこ漏らしてないかチェックすることが日課。

だけど、もうその必要もなくなった。



ニャンの器もひとつ多い。



物置を開ければ、ふくのために買った紙オムツ。




もー、ダメよ。涙腺崩壊。



掴みどころのない奴だったけど、大事な家族だった。






お盆中だったもんだから、芦屋市営の火葬場がお休みで、
結局、民間の業者さんに火葬してもらって、骨は全部返骨してもらった。


いろいろ考えたんだけども、ふくに関しては、
ペット慰霊碑とか、骨をどこかに埋めるとか、イマイチピンとこなくて、
俺とりえさんが大好きなスポットでもある、芦屋の海に流そうと決めた。





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骨になったふく。

駆け足で俺達の人生を通り過ぎていったふく。


14年間、本当にありがとう。




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ふくの骨は、海に呑まれていった。






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月を見ながら、りえさんと2人、浜辺でふくを偲んだ。


こんな別れ方があってもいいのかなと。




家族でいられて本当に楽しかったよ。


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またこんなふうに、どこかで会えたらいいな。





本当にありがとう。

そしておつかれさん。



バイバイ、ふくちゃん。


 
posted by わこう at 02:42| Comment(2) | TrackBack(0) | なぜか猫。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月07日

人として。

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最近、りえさんと仲がいいです。

いや、以前から仲がいいんだけど最近特に。

もしかすると、最近俺の中に心境の変化があったので、
俺が特にそう思っているのかもしれない。


どんな心境の変化があったのかというと、
俺は最近りえさんに「降伏」した。

別に何かを競ったり争ったりしていたわけじゃなくて、
それもこれもすべて、俺が勝手に思っていたことなんだけども。


結論から言うと、りえさんは俺よりも、人として一歩先を行っていて、俺は、


「いや、俺もそれなりに人として頑張ってる、やっている」


と思ってたんだけども、最近、やっぱり敵わないわー
と思ってバンザイしたのだ。




ちょっと話は変わって、過去記事に何回か書いてきたとおり、
俺の昔のあだ名は「瞬間湯沸し器」。

すぐ頭に血がのぼって暴力沙汰やトラブルを起こす。


そんな俺が、事故で足に障害を負い、理不尽な目にも遭い、
肉体的にも精神的にもコテンパンにやられて、はじめて改心する。


そんなどん底の時にマクロビオティックがきっかけで東洋思想に触れ、
太極で人生を見ていく、この世界の大いなる流れに沿って生きることを知った。


その後もいろんなことがあって、だんだんと、「社会と自分」を意識するようになり、
社会のお役に立てる自分で在ることを強く意識するようになり、
社会貢献としていろんな活動をしてきた。




だけどもりえさんは、俺が出会った時から、すでにもうそのスタンスで生きていて、
ジュエリーデザインを通して、自分がお役に立つこと、
自分はその媒介であるという芯の部分が全くブレずに、
実に淡々と、飄々と生きている。


一方で俺はというと、いつも、なにかアクションを起こす時は、
声高にコミットメントしたり、大騒ぎする。

自分が起こすアクションに自信が持てなかったり、確信が持てずにブレるからだ。


で、俺は、一切ブレること無く淡々とやっているりえさんに対して、
勝手にライバル心のようなものを抱いて、ますます大騒ぎする。

根底には、そんな大騒ぎする自分がカッコ悪いとわかっていても、
それを認めることができない。


いや、何回も書くけれども、別に競っていたわけじゃないよ。
何かの折々で、そう感じることがあるというだけで。


だけど最近、もうジタバタするのをやめようと、ふと思うことがあって、
そう考えたら、スッと気持ちが楽になったんだよ。

別に何か出来事があったわけじゃなくて、なんとなく俺がそう思ったんだよ。


俺が大好きな場所で、毎年必ずお参りさせていただいている、
箱根の九頭龍神社っていうのがあるんだけども、
そこにお祀りされている九頭龍様は、昔は人を食らう悪龍だったんだけども、
弁天様にに諭されて、改心して人々を守る神様になったという言い伝えがある。


俺が九頭龍さんに惹かれるのは、
昔の自分と九頭龍さんを重ねて見ている部分もあり・・おこがましいんだけども。


瞬間湯沸器と言われた俺が改心したように。


そういう意味では、りえさんは俺にとっての弁天様ってことだな。


男だからどうだとか、どんなことをやってきたからどうだとか、
そんなことはもう、どうでもよくなった。


あいかわらずりえさんはなんにも変わらず、ブレず、
ただただ淡々と生きている。

自分は世の中にお役立ていただいているという確信のもとに。


バンザイするしかないっしょ。



そういうパートナーと出会えたことに本当に感謝だな。



こんなこと、なんか恥ずかしくて直接言えないから記事にしたよ。

posted by わこう at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする