芦屋に引っ越してきてから、なんとなく自分のスピリチュアルな部分が、
少しずつ開いてきているような感じがする。
特に、芦屋BLOGに書いたんだけども、

芦屋アトリエの近所に、かつての修験道だった場所があり、
ここに入ってからというもの、とにかく何かがパカーンと開いてしまった感じだ。
この場所の事を書いた、「高座の滝と修験道」はこちらからどうぞ。
※芦屋アトリエのBLOGも一生懸命書いてますので、ぜひ読んでね!
さて、最近ちょっとした気付きがあるので書いてみる。
去年の大震災で、たくさんの人が死んだ。
戦争でもないのに、この日本で2万人が亡くなるなんてありえないべ。
俺の知り合いも亡くなった。
この震災後、やはり俺の価値観も大きく変わった。
こう・・「死」というのが本当に身近に感じられるようになって、
自分の残りの人生をどう生きるかっていうことを、
さらに深く考えるようになった。
「自分の寿命は、自分が思っているほど長くないかもしれない。」
そう思うと、なんとなく、今までよりも丁寧に生きようかなという気になってくる。
ただ、丁寧に生きるって言ったって、何をどうすればいいんだろう・・
ちょっと話は変わって、「カルマ」という言葉がある。
Wikipediaで「カルマ」と検索すると、「業」のページに転送される。
だから、「カルマ」=「業」という前提で書く。
俺なりの解釈で要約すると、
善悪で生じた果報は、死んでも消えることが無く、
生まれ変わっても引き継がれるものだと考える。
もっと平たく言えば、
過去世で作ってきた罪(カルマ)は、
生まれ変わってもそれを背負っているので、現世で解消しなければ、
また来世まで持っていって解消しなければいけない「宿題」のようなもの。
と考える。
だから、できるだけ早く現世で自分のカルマに気付き、
なるべく現世のうちに解消するように努める。
まぁ、ぶっちゃけて言うと、人生は修行っていうことだな。
だから、古くからこのBLOGを読んでくださっている方は、
俺にあまりにもいろんな出来事が起きるもんだから、
どんだけカルマ背負ってんだよって思うかもしれない。(笑)
でも、新たに作ってしまった罪もたくさんあって。
それは、現世で解消しないとまた来世での宿題になってしまう・・
で、最近よく考えるんだけども、もう40を過ぎると、
ある程度、自分の身の丈や社会との折り合いがわかってきて、
少しは人として上手に生きられるようになったんじゃないかなーと思う。
だから、残りの人生で、
もうこれ以上のカルマを作らないようにして生きたいと思っている。
以前、記事にしたけれども、
「いいことをして悪いことをしない」
とか、
先日、芦屋BLOGに書いたんだけども、
「清く正しく美しく生きるように努める」
とか。
言葉で言うのは簡単だけども、これを実行するのって大変だなーって思う。
だけども、やっぱりこれが真理なんだよな。
真理はいつだってシンプルだ。
あとはどれだけこのことに本気になって覚悟決めるか。
それだけだ。
だから、できる限り争わない。
こう・・生き様を美しくっていうか・・
かつて、瞬間湯沸かし器とか言われ、トラブルメーカーだった俺が、
最近たどり着いた境地。
自分からまた新たなカルマを生むようなことはしない。
以前、東京の弁護士、須田くんの紹介で、
![]() | 世の中大転換がわかる 日月神示の緊急未来予測 中矢 伸一 大石 憲旺 高島 康司 船井 幸雄[序文・解説・推薦] ヒカルランド 2011-03-22 売り上げランキング : 73338 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
この本の著者の1人である大石 憲旺先生にお会いしたことがあるけど、
大石先生もしきりに、「美意識を持って生きろ」と言っていた。
その時は、意味がよくわからなかったんだけども、
美意識を持って生きるっていうことは、真理に沿って生きるということでもあり、
新たなカルマを作らずに正しく美しく生きるということだと。
こう・・人生を汚さないっていう感じ?
いや、正直、生きるのがしんどいなーって思うこともあるんだけども、
もしここで投げてしまったら、
来世はもっと大きなカルマとなってのしかかって来るんだろうなーって思うので、
それ以前に、また人として生まれてくるかもわからないわけだし、
きちんと向き合って丁寧に生きようと思う。
先日、おふくろに再会して、一層その念が強くなった。
こう・・震災で亡くなった人たちの分までとか、
正直そこんところまで背負っては頑張れない。
自分のことで精一杯。
今はそれでいいと思っている。
うーん・・俺にしては珍しく、何回も修正しながら記事書いたんだけども、
うまく伝わるかなー。
とにかく美しく生きたいってことだよ。