
実は、7月8日から3日間、仙台と山形にいた。
今回は、とにかく時間が無いところに、たくさんの意図を持ってのマラソン帰郷となった。
以前、芦屋に来てまだ間もないころにBLOGに書いたんだけども、
5月に、俺が本当にお世話になった叔父が他界した。
だけども、GW真っ只中だったもんだから飛行機も取れないし、
叔父には本当に申し訳なかったんだけども、葬儀には出なかった。
その後、近いうちに必ず叔父の家にご挨拶に行くと決めていたんだけども、
今回やっとそれが実現できたわけだ。
叔父は仙台2中や育英学園で長いこと数学の教師だったし、
もしかすると、このブログ読者の中にも叔父の教え子だった人とかいるかもしれない。
倉長英志と言います。
俺のことを、この世で唯一「たか坊!」と呼ぶ、豪快な叔父だった。
その叔父も肺を患って逝ってしまった。
やっと叔父の遺影に手を合わせることができて、なんか本当にホッとした。
さて、実は、今回叔父の家に行くにあたり、
叔母と、いとこのケイちゃん、そして妹が協力して、あるプロジェクトを実行してくれた。
それは、

おふくろとの再会。
過去記事にも書いたんだけども、おふくろは一年前に脳溢血で倒れ、
日常生活が困難なほどの重度の後遺症が残った。
おふくろは以前再婚していたんだけども、
おふくろの介護の事などで、現在の夫(義父)と俺が大喧嘩し、
俺は実家に出入り禁止となっていた。
詳しくはこの過去記事をどうぞ。
なので、おふくろに会いたくても実家にいる以上会うことができない。
そこで、いとこのケイちゃんの発案で、叔母の家におふくろを連れてくれば、
俺と再会できるじゃないかと。
妹が、実家からおふくろを連れ出してくれて、
叔母の家で久しぶりにおふくろと再会。
正直、俺は芦屋に行った時点で、脳溢血の後遺症でてんかんの発作も出るし、
もしかするともう二度とおふくろに会えないかもしれないと覚悟していたので、
今回の思いがけない再会で、おふくろの顔を見るなり泣き崩れてしまった。
おふくろも顔をくしゃくしゃにして泣いてたっけなー。
その後、おふくろに芦屋での生活なんかを報告しつつ、
あっという間に時間が過ぎた。
帰り間際、俺はもうしばらく仙台に帰る予定が無いので、
おふくろと本当に最後のお別れ。
もし、おふくろの身に何かあれば(発作とか)、
おふくろの姿を見るのはこれで最後になるかもしれないと思うと、
胸が張り裂ける思いだった。
俺もおふくろも、また泣きながらお別れをした。
その後、急いで向かった先は、7月7日に開設となった「国分町駆け込み寺」。
国分町駆け込み寺オープンは、いろんなマスメディアに取り上げられているので、
ご存じの方も多いと思う。
毎日新聞のニュース記事はこちら。
開設式には間に合わなかったけども、
国分町に駆け込み寺を作ることに俺も注力したわけだし、やはり一度見ておきたかった。
アポ無し突撃で行ったんだけども、ちょうど玄さんの一番弟子の齋藤さんがいて、
俺が顔出した瞬間、ハトが豆鉄砲を食ったような顔してビックリしてた。
その後、しみじみよくやったなーと話をしていたら、
齋藤さんがポロポロと男泣き。
俺もつられてもらい泣き。
国分町駆け込み寺の開設は、齋藤さんの長年の悲願でもあったわけだし、
その夢が達成したわけだ。
そこまでのいろんな経緯はこちらの過去記事でどうぞ。
齋藤さんとは、齋藤さんが玄さんの弟子となって新宿に行く以前からの付き合いだし、
なんか俺もうれしかったなー。本当に。

齋藤さんとのツーショット。
国分町駆け込み寺は、「たったひとりのあなたを救う」をコンセプトに、
様々な問題を抱える人たちのサポートをしています。
電話 022-395-7740
FAX 022-395-7742
さて、その後、先に仙台に帰っていたりえさんと合流し、
いろんな人たちと一緒にごはんを食べた。
本当に楽しかったしうれしかったなー。
そんな感じの初日。とにかくマラソンだったよ。
二日目。
お昼過ぎまで用足しやYUKINEでのスタッフミーティングをしたあと、
今度はりえさんと一緒に山形に移動。
以前何度か古民家に集まった、伝統工法の大工、高木くんを中心とした、
山形の皆さんと一緒に蔵王のペンションでBBQ。
ちょっと早い夏休みって感じだな。
久しぶりにお肉全面解禁して、ジンギスカン食いまくったー。

そして、夜遅くまで語って笑って二日目が終わった。

俺は依然として断酒中なのでバッチリなんだけども、
けっこう二日酔いでつらそうな人も・・・(笑)
そして、みんなで白鷹まで移動して、

蕎麦!
やっぱり山形の蕎麦はうまいな。
バツグンにうまいな。
本当に幸せだった。
そんなこんなで、2泊3日の怒濤のマラソン出張が終わって、
りえさんと二人、芦屋に帰ってきたのでした。

帰りの飛行機から見えた富士山。
今回つくづく思ったんだけども、やっぱり東北はいいなー。
ピターッとフィットする感じ。
まぁ、40年住んでたところだから、馴染んであたりまえなんだけども、
仙台市内の道路なんかも、1本残らず頭に入っている。
芦屋や神戸、大阪でも、良く行く場所や主要な場所の道路くらいは、
カンペキに把握して、早く「自分の街」って言えるくらいになりたいな。
そして東北の皆さん、また会えるときまでお互い達者で!