
震災後2ヶ月間、交通網の麻痺などで山村塾札幌校の開催を延期していたんだけども、
いよいよ2ヶ月越しにスタートすることとなり、震災後初の札幌出張。
今回の出張では、いろんな気付きがあったんだけども、
そのことは別記事で書くことにして、まずは時系列で今回の出張の事を書こうと思う。
札幌出張なのに、なんで新潟空港の写真なのかというと、
俺か今回の飛行機の予約を取ろうとした時点では、
仙台空港からはまだ、羽田と伊丹の便しか無く予約が取れない。
庄内空港からも千歳便があるみたいなんだけども、
よくよく調べてみると、一度庄内から羽田に飛んで、乗り換えをして千歳に飛ぶという、
とっても非エコな便で、しかも時間もお金もかかる。
そこで、新潟の親友、マリー・ルゥのstunくんご夫婦から、
震災以来いろんな励ましや、物資支援を送っていただいたこともあり、
御礼かたがた、元気な姿を見せつつ新潟に一泊し、そこから千歳に飛ぼうと考えたわけだ。
マリー・ルゥさんのサイトはこちら。実は今回、新潟に入る前に、以前2回占っていただいた、
新発田市の占い師、榎本先生のところに寄って数年ぶりに占っていただいた。
占いの結果は、「むふふ〜。」だった。
「アンタ、今年から良くなるよ。」
という内容から始まって、おおむねよしといった感じ。
ホッと胸を撫で下ろして、榎本先生のところをあとにしたのだった。
しかし、ふと、気になることが。
過去に二度、榎本先生のところで占っていただいたが、
二度とも、帰りにいろんなハプニングがあった。
1度目は、当時乗っていた愛車、モンデオのタイミングベルトが切れ廃車。
そのときの記事はこちら。
2度目は、帰りの磐越道で、今は亡きあべはりさんがトラブッていた脇を偶然通過。
あべはりさんを乗せて帰ってきた、あり得ないエピソード。
そのときの記事はこちら。
榎本先生のところに行くと、必ず何かが起こる。
今回は何もなきゃいいなーと、一抹の不安を抱えながら新潟に入った。
無事にマリー・ルゥに到着し、stunくん、emiちゃんと、涙の再会。
「わこうちゃーん!生きてたー!」
ここまでの震災ストレスで、正直心がカサカサになっていたから、
ふたりの愛ある言葉がジワーッと沁みて泣いてしまった。

マリー・ルゥは開店から10年。
もうすっかり街になじんで、貫禄あるお店になっていた。

stunくん、emiちゃんのセンスが光る。

閉店までまだ時間があるということで、1人でぶらっと新潟市内観光。
去年来たときにお参りした、白山神社に、一年無事に過ごせたことの御礼参りを。
その後、ふたりの温かいおもてなしを受け、泊めていただいた。
どうしても震災の重たい話になっちゃって、
なんだかんだいって、俺もいろいろダメージを受けてたんだなーと再認識。
そんな俺を、ふたりは温かく迎え入れてくれた。
本当にありがとう。

去年生まれて間もなかったミチカくんも、すっかり大きくなってました。
めんこかったなー。

そして、皆さんに見送られながら新潟空港へ。
風が強く、離着陸がかなり揺れておっかなかったけど、
無事に千歳空港に到着。
その後、電車で無事に札幌に到着。
札幌の街は、震災の影響など皆無で、以前来たときのまんまのパワフルな街だった。
山村塾の会場に入る前、俺の札幌のアニキ分、gakuさんに会うために、
gakuさんのお店、青い空流れる雲へ。
青い空流れる雲のサイトはこちら。gakuさんからも、震災後やおふくろが倒れたとき、
心配して何度も電話をいただいていた。
本当にありがたい。
俺がお店に行ったとき、けっこうお客様がいらっしゃって、
あまりゆっくりgakuさんと話せないまま、山村塾札幌校の会場となる、
studio aura 風の音治療院さんへ。
studio auraさんのサイトはこちら。こちらの安部さんご夫婦も、俺の一連のことを本当に心配してくださって、
特に、入院中のおふくろの回復に役立つ、俺にもできる治療法と、
それに必要な道具をくださって、親身になっていろいろ教えてくれた。
なんか、いろんな愛というか、真心というか、そういうあったかいものを、
たくさんいただいた気がした。
本当にありがとうございます。
山村先生が道に迷って、講座開始ギリギリに到着というハプニングがありつつも、
無事に山村塾の札幌校がスタートしたのだった。
去年の夏、何のつても無い札幌に、リサーチのためにはじめて訪れてから、
準備を重ねて、やっとやっとスタートできた。
その間、たくさんの支援者の方々のご協力をいただきながら、
こうして無事に開催できたことに、感謝以外の何ものもない。
塾生の方々も、最初は緊張の面持ちだったけど、
講座が始まると、先生のペースに巻き込まれて、イイ感じにリラックス。
質問もけっこう出てきて良い感じに。
こうして、無事に、第1回目の山村塾が終わったのだった。
ここまで半年以上準備をしてきたから、
終わったとたん、一気にいろんなプレッシャーから開放されて、
軽くなって、飛んでいってしまいそうだった。
山村先生とは、震災後お会いしていなかったので、
最後にお会いしてから実に二ヶ月半ぶり。
先々週、先生にメールを出したときに、
二度の大きな地震とおふくろの脳溢血騒ぎで、
ちょっと凹みがちなメールを出していたんだけども、
それを気にしてか、講座修了後に先生が、
「わこうさん、2人で話しませんか?」
と、言ってくださり、ススキノに出て2人で語り合った。
山村先生も、たくさんの試練や苦難を乗り越えてきた方で、
その経験から、俺を一生懸命励ましてくださった。
先生は、俺の今の状況は、昔の自分を見ているようだと、
そして、知恵と勇気を振り絞って、とにかく前に進むんだと、
とつとつと話してくださった。
先生だって、震災の影響で大変な思いをしているというのに、
自分のことを横に置いて、俺のことを気遣ってくださった。
手を合わせたい気持ちだった。
先生と別れたあと、ホテルに戻って、思い出しては泣いていた。
次の日。
新潟行きの飛行機は14時発なので、チェックアウトのあと、
あまり話せなかったので、もう一度gakuさんの店に。

そのまえに、前回来たときにもお参りした、北海道神宮に御礼参り。

神宮内の歩道。
gakuさんは、この日の夕方出発で、仲間たちと大船渡に支援ボランティアに入る予定で、
その準備の忙しい最中だったんだけども、時間を作ってくれて、2人でお茶タイム。
前日話せなかった分、ブワーッとお互い弾丸のように話しまくって時間切れ。
来月の再会を約束して駅で別れた。
gakuさんからも、俺への支援物資として、巻きタバコを。
本当にありがとう。アニキ。
俺にはアニキがいっぱいいるな。(笑)
そんな思いを胸に、無事に千歳空港に到着。
前回札幌に来たときは、余裕かましすぎて、電車に乗り遅れ、
千歳空港を走りまくって本当に大変だった。
だから今回は余裕を持って搭乗手続きを済ませ、ゆったり気分で飛行機に。
飛行機が滑走路にゆっくりと移動している間、
この2日間のことを思い出しては、うるうるしながら、
窓の外の翼に付いたエンジンを見つめる。
バイバイ、北海道。
また来月。
そしてジェットエンジンが回り出す・・・・
ありがとう!北海道!
そして、エンジンからバチバチバチッと火花が上がったと思ったら、
白い煙がボフーッと・・・。「あれ・・・?」俺は、エンジンのすぐ脇の席だったから、一部始終をずっと見ていた。
飛行機を誘導するおっちゃんが、頭をおさえて
「(ノ∀`)アチャー!」とやったのを見逃さなかったよ。うん。
その後機内アナウンスがあり、整備のためいったん飛行機を降りることに。
あーあ・・・
そこでハッと思い出した。
榎本先生のところに行ったことを!これで榎本先生のところに行った3回とも、ハプニングに遭遇したことになる。
百発百中だ。
なんなの。これ。
超こわいんだけども。
でも、飛んでるときじゃなくて本当に良かったよ。
結局、2時間近く待たされたあと、羽田行きに振り返るので、
羽田から東京に向かい、そこから新幹線で新潟まで行ってくれと。
冗談じゃない。
ここまでさんざん待って、いろいろ並んで疲れてまた待って。
その時点でクタクタ。
重い荷物抱えて、帰りのラッシュの山手線なんて乗れるかっつーの。
しかもそのあと、新潟から車を運転して仙台まで帰るんだよ。
それを考えただけで心が折れる。
なので、俺はもう一泊することにして、朝イチの新潟便に振り替えてもらった。
ホテル代は、航空会社が負担してくれた。
その手続きをするにも長蛇の列に並び、ずーっと立ちっぱなしでもうクタクタ。
移動すらおっくうだから、千歳空港に直結しているホテルにチェックインした。
その時点で夕方5時くらいだったかなー。
ホテルの部屋に着いて、ベッドに崩れるように倒れ込んだ。
いやー、疲れた。
しかし、本当は金曜日の夕方に新潟に着いて、
そのまま車で夜には仙台に戻るはずだったのが、予想外のもう一泊。
土曜日は土曜日で、日曜日の山村塾仙台校の準備や発送作業など、
やることが満載。
気ばかりあせるが、もうこうなったらしょうがない。
成りゆきに任せるしかないなと覚悟した途端、電話が鳴った。
山村塾札幌校受講者のK島さんからだった。
K島さんとは、以前、俺がホンダS600のプラモを作ってプレゼントした人だ。
そのときの記事はこちら。
俺はこの飛行機トラブルからもう一泊することになった流れの一部始終を、
Twitterに書いていたんだけども、
K島さんはそれを見て、一緒にメシ食いましょうと誘ってくれたのだ。
実は、K島さんともゆっくり話したかったんだけども、
札幌での予定がバタバタで、今回は時間が取れなかったと残念に思っていたのだ。
逆に、今回のハプニングで、
K島さんとサシでゆっくり話せる時間ができて、超ラッキー。
そして、K島さんが空港まで迎えに来てくれて、そのまま千歳の寿司屋さんに。
男2人で寿司をつまみながら、マクロビオティックのこと、
山村塾のこと、札幌のこと、震災のことなどなど、
とにかく話が尽きることなく、しゃべりまくった。
本当に楽しかったし、寿司もうまかったー。
結局K島さんにお寿司をご馳走になってしまったんだけども、
本当にうれしく、ありがたかった。
本当にありがとうございます。
ホテルに帰ってから、ゆっくりと考えた。
たしかに、榎本先生のところに行くたんびにいろんなハプニングがある。
だけども、毎回大変な反面、それ以上にうれしいことがある。
1回目の時は、たしかに車が廃車になったことは痛かったけども、
それがきっかけで、次の車アストロに乗ることになり、
それがご縁で、シブヤのアニキに出会い、そこから平くんに出会い、
そして、現在の俺の親友、ナベさんとも出会うことができた。
もし、モンデオがクラッシュしていなかったら出会えなかった人たち。
それを考えると、モンデオが廃車になった事なんて、本当に些細なことだ。
それ以前に、俺は無傷で何ごともなく無事帰れたわけだし。
2回目の時だって、あべはりさんがまさか同じタイミングで、
磐越道にいるなんて思わなかったし、
あべさんの役に立てて、本当にうれしかった。
あべはりさんは死んでしまったけれども、
あの経験は、一生忘れることはないだろう。そのくらい強烈なイイ思い出。
そして、今回の飛行機トラブル。
K島さんといっぱい話すことができたし、
いっぱい話すことで、俺の震災前のいろんなスイッチを、
K島さんがいっぱい押してくれて、震災前の、力が漲っている状態に戻れた気がする。
自分をいっぱい内観できたし、知らず知らずにたまっていた、
震災ストレスが解消されて、心が洗い流された感じだ。
榎本先生のところに行くと、ハプニングはあっても、それ以上の得るものがある。
シブヤのアニキだって、マメに連絡を取り合う仲じゃないけど、
俺にとっては愛おしい大切な存在だ。
そんな出会いが俺の宝物。
災い転じて福となす。
まさにこの一言に尽きるな。
さて、明けて次の日、無事に新潟に帰ってきたわけなんだけども、
新潟に着いたら、新潟の方々からお見舞いやおみやげをいただいた。
そして、emiちゃんが大切な話があると。
俺が新潟に入ったとき、震災ストレスで俺の顔があまりにもひどかったもんだから、
stunくんと2人で、本当に心配していたんだよと、涙を浮かべながら話してくれた。
俺は今回、札幌でいろんな気付きがあったし、大切なものを再認識できた。
そして、山村塾の札幌校がスタートしたことで、完全に現場復帰した実感がある。
震災後、仕事ができない期間が長かったから、
なんかいろんな部分でポイントがずれまくってたし、
stunくんやemiちゃんから見たら、とても危うく映ってたんだろうな。
そして、それを心配して歯に衣着せぬ真っ直ぐな言葉で、
本気で俺に向き合ってくれたemiちゃんの心意気に、涙が止まらなかった。
その後、ランチタイムで忙しい時間だったんだけども、
stunくんが店の外に出てきて、2人で泣きながら別れのハグを。
別れが辛くて泣くんじゃない。
2人の気持ちがうれしくてうれしくてうれしくて涙が止まらないのだ。
こんなに人に想ってもらえるなんて、俺はなんて幸せなんだろう。
そう思ったらどんどん涙が・・・
泣けば泣くほど、心が洗われていくようだった。
再会を約束して、新潟を後にした。
高速を1人でぶっ飛ばしながら、思い出してはまた泣いて・・
どんだけ泣かせんだよ、もー!
結局、仙台には夕方着いて、そこからマッハで仕事をし、
仕事が終わったら、おふくろの見舞いに行ってマッサージして・・・
疲れた。泣き疲れたし、身体も疲れた。
だけど、心地よい疲れ。
心があったかくて満たされている。
新潟の皆さん、北海道の皆さん、山村先生、
そして、俺の大切な地元仙台の皆さん、本当にありがとうございます。
結局、仙台空港便は復活したものの、
来月はよさこい祭りで仙台便の予約が取れなかったので、
また、新潟経由で札幌に入ることになりました。
6/8新潟→6/9札幌→6/10新潟〜仙台
という流れです。
ドタバタといろんなことがあって慌ただしい出張だったけども、
実に楽しく、有意義でした。

stunくんとemiちゃんが、俺に元気になってくれと、お花をくれた。
これ見てまた泣いてます。
みんなありがとう。
また来月!