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2011年05月31日

DIY Guy Project。


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現在、まくろび庵は、任意ボランティア団体として活動している。

ボランティアっていう言葉には、ちょっとかゆくなるんだけども、
公に「ボランティア団体です。」って言っておくと、いろんな意味でめんどくさくないので、
個人的には葛藤はあるものの、こういうくくりにしている。

現在、まくろび庵や雪音さんの会社である(株)YUKINEでは、
物資支援のほか、皆さまから募金をしていただいた大切なお金で車を購入し、
震災で車を失った被災地の方にプレゼントするということをやっている。

1台目の記事はこちら。

2台目の記事はこちら。


プロジェクト名がなかなか決まらないんだなー。


この活動は、月に一台くらいのペースでずっと続けていきたいなーと思っている。

皆さん、今後ともご支援をよろしくお願い致します。



さて、実は、また新しいプロジェクトのアイディアを思いついちゃった。

DIY Guy Project

一言で言うと、「出張DIYボランティア」です。


先日、ある方から、台所に据え付けてあった食器棚がグラグラと不安定になって、
倒れそうで危ないので、なんとかならないだろうかと相談を受け、
出動したのが事の始まり。


このプロジェクトは、依頼主から相談を受け、プロジェクトの範疇で直せそうなレベルの、
家具や家の修理を行います。

その際にかかる材料費や移動経費などを、
皆さまの募金の中から使わせていただきたいと考えています。


いかがでしょうか。



津波で被害にあったお宅はもちろんのこと、仙台市内だけでも、
地震であっちが壊れ、こっちが壊れといろいろあると思います。

実際、俺の家も、台所の据え付けのつり棚が見事に落っこちました。

そのくらい凄い揺れだったんだよねー。


そんな地震被害の修理を、出張でいたします。


ただし!本業ではないので、あくまで日曜大工のレベルです。
そこだけ誤解の無いようお願い致します。


さて、じゃあ、俺がそれをするのかというと、違います。

俺は性格が雑なので、こういう作業は向きません。
プラモデル専門ですから。(笑)


誰がやるのかというと、



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毎度おなじみ、俺の親友ナベさんです。


日曜大工っつってもナベさんは本格的。


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これは、ナベさんちにある、
トラックの荷台を改造して作ったコンテナハウスと、ウッドデッキ。

ぜーんぶ自分でやったんだってよ!



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中はこんな感じ。

カウンターから何から何まで、自分で作っちゃったツワモノです。


ご依頼内容によっては、ナベさんひとりの場合もあるし、
俺が一緒に行くときもあります。


専用の相談フォームを作ったので、まずはご相談ください。


フォームへはこちらからどうぞ。


もちろん、ボランティアで行くわけですから、無償です。

どうしても払いたいという方は、活動資金の募金という形でお願い致します。(笑)





さて、今回お邪魔したご依頼主の食器棚は、


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こんな感じになってました。

パッと見わかりづらいけど、食器棚の下に、プラスチック製の足が付いていて、
天井までの高さを合わせるために、上げ底みたいな感じになっていた。

で、グラグラなので、壁と食器棚の間に隙間もあり、
ちょっとの振動でグラグラ揺れる。

だから、危なくて食器が入れられないという事だった。





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写真ではちょっとわかりづらいけど足がバキバキに割れてます。

これではぐらついても当たり前。



そこでDIY Guy Projectですよ。

ナベさんと相談の上、プラスチック製の足と同じ高さに、
角材を切った台を作って、その上に食器棚を乗せることに。




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ということで、早速土台作り開始。


ちなみに、ナベさんはいろんな道具を持っている。

上の写真のように、スライド丸ノコまで持っている。


チェーンソーも持っている。


すごいよー。道具。


ということで、あっという間に


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土台が完成。ちなみに、4組作った。


それで、ナベさんと俺、二人がかりで食器棚を持ち上げつつ土台を入れた。



そのほかに、いろいろと対策をして、

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バッチリ完成!

壁と食器棚の隙間も、すっかり埋まってピッタリ。


ぐらつきもなくなりました。


依頼主の方は、震災以来、ずーっと食器を入れられないし、
業者さんに頼んでも、いつこれるかわからないというので・・と、
今回の作業を大変喜んでくれました。


いやー、いがったー!



と、こんな感じで始めます。DIY Guy Project。

ナイスなガイが行きますよー!(笑)


※ご依頼内容によっては、お断りする場合もありますのでご了承ください。


お問い合わせはこちらから。




DIY Guy Project、よろしくお願いしまーす!

 


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2011年05月30日

支援プロジェクト2台目納車!

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先日、石巻の牡鹿地区に住む、津波で車を流されてしまった方に、
支援プロジェクトとして車をプレゼントする予告記事を書いた。

その記事はこちら。


本日無事に納車してきましたので、そのご報告です。


過去記事にも書いたんだけども、今回は、埼玉に住む小山さんという方から、
車を無償提供していただけることになり、上の写真の通り、
ホンダライフをご提供いただきました。

小山さん、本当に本当にありがとうございます。


そして、東京の車屋さんで、りえさんのお友達の、
(株)トラストワークスの横内さんという方がこのライフを引き取り、
整備をし、車検を取り直し、仙台までの陸送や名義変更の手配をしてくださいました。

本当にお世話になりました。


そして、過去記事にも書きましたが、今回の納車までにかかった一切の費用は、
皆さまからご協力いただいた募金の中から大切に使わせていただきました。

全国の皆さん、本当に本当にありがとうございます。




さて、今日は、俺とナベさんで、車を届ける前に、
仙台市内の方から家具修理の依頼があったので作業させていただき、
それから牡鹿に向かった。


実は、この家具修理でいいことを思いついちゃったので、
新しい支援プロジェクトを立ち上げることにした。

それはまた、別記事で書きます。



さて、今回の牡鹿行きのメンバーは、



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親友ナベさん。


ナベさんは、写真の通り、
平くんが主催する活動、スコップ団にも参加しているタフガイだ。

スコップ団のサイトはこちら。(音が出ます)


さらに今日は、朝イチで、同じく平くんが組んだプロジェクト、
スマイルフォーバースディの配達員として、ケーキを引き取りに。


牡鹿に車を届けたあと、歌津までケーキを届けに。

いやー、タフだわ。




そして、

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俺の高校の後輩、石橋くん。


彼も、最近の支援活動を予知していたかのように、
震災前のある日、突然俺の店にコーヒーを飲みに来た不思議な男だ。

まさか今こうして、一緒に支援活動をする仲になるとは想像もしなかったよ。

最近一層、お坊さんのような風体になってきたなー。(笑)



そして俺という、でこぼこトリオで行ってきたわけです。



台風も近づき、あいにくの雨。


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だけども、ライフくんは心なしか輝いて見える。


新しいオーナーとの出会いにワクワクしているようだ。



この時点では、雨に濡れたものの、ピカピカのライフくんだったんだけども、
石巻港に入ったら、



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泥水の半冠水状態。

一気に汚れてしまった・・・。



まぁ、しょうがないよね。




そんなこんなで、牡鹿に到着するころには、風もだいぶ強くなって、
ちょっとだけ嵐のような感じの中、



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無事に牡鹿の大原地区に到着。


やっと、念願の納車となったわけです。




今回、皆さんからのご協力の賜であるライフくんをプレゼントしたのは、



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石森清孝さん。

今回の震災で、石森さんは家も車も流された。


石森さんは、地元の消防団に入っている上、今年の地元のお祭りの実行委員長でもあり、
常日頃から隣人を気遣い面倒見がよく、地元の人たちの信頼も厚い。


地震直後、消防団なので、堤防の水門を閉めに消防車で出動。

ところが、遠くにでっかい波が見えたので、そのまま消防車で避難した。


避難途中、お年寄りを何人か助けて消防車に乗せ、
命からがら助かったものの、家や車は流されてしまった。


以前、この大原の避難所に行ったとき、
支援プロジェクトで、車をあげたいと地元の人たちに話したところ、
区長さん始め、すべての人が、「石森くんにやってくれ」と、満場一致で決まった。

ちなみに石森さんは、
どこかに出かけるときは、どこに行くにも消防車だそうだ。(笑)


ということで、無事にライフくんを石森さんに譲渡し、





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みんなで記念撮影。


いやー、石森さん、ニコニコと満面の笑みで、本当にうれしそうでした。

プレゼントできて、本当に良かった。


皆さん、本当にありがとうございます。



その後、避難所にお邪魔して、みんなでお茶っこ飲みを。



この地区一帯は、昔から鯨の町で、とにかく鯨が根付いた文化。

いろんな鯨の食べかたの話、そして、この辺一帯に当たり前に出没する鹿の話など、
ゲラゲラ笑いながらみんなで話し合った。


いやー、区長さん始め、石森さんも他の方々も、本当に明るい。

みんな本当に大変な状況なのに、みんなで笑いながら、助け合って生活している。


この大原地区は、一次避難の段階が終わり、
二次避難として、自宅に戻ったり、この地を離れた方の後の空き家に入ったりしている。


もうすぐ、この大原地区にも仮設住宅が建つということで、
たぶん、石森さんが優先して入ることになるだろう。


石森さんは、もともと地元の水産加工場に勤務していたんだけども、
その工場も津波で無くなってしまった。

遠洋漁業や、地元を離れての仕事の話もいくつか来たらしいが、
すべて断って、地元大原の復興に全力を尽くすと言っていた。


この地区では、毎年2月11日に、新春のお祭りをしているらしいんだけども、
来年は、1ヶ月ずらして3月11日に、「復興祭」として、盛大にお祭りをする計画らしい。


初めてその話を聞いたとき、涙が出そうになったよ。



石森さん始め、この地区の人たちが、
また力強く営みを続けていくことを願わずにはいられない。



さて、この大原地区で、ナベさんとはここでお別れ。


ナベさんは、朝に受け取ったケーキを届けに、歌津町に向かった。




で、俺と石橋くんは、この支援プロジェクトで、1台目の車をプレゼントした、
女川 清水地区の阿部さんご夫婦の家に向かった。


阿部さんに車をプレゼントしたときの記事はこちら。




阿部さんちは、見事に復活していた。


で、俺と石橋くんが車から降りるなり、

「おー!わこうさんきてけだっちゃ!」

「ちょうどさっき、わこうさんの話してたばっかりだったんだー!」


と、とてもナイスなタイミングで登場したみたい。


で、「あがらいん!あがらいん!」と熱烈歓迎を受け、
お言葉に甘えてお邪魔させていただいた。


阿部さんちは、風呂の浴槽が壊れたから、まだ自宅でお風呂には入れないものの、
電気もガスも復活、家の中も、本当にキレイになって、普通の生活を取り戻していた。

で、お母さんが作った手料理や、食べ物、飲み物が次から次と出てきて、
「食べさい!食べさい!」「のまいん!のまいん!」と、
熱烈なおもてなしを。


本当は、阿部さんのところにも、支援物資を持っていったんだけども、
すっかりご馳走になってしまった。


皆さんからのご協力でプレゼントした車は、
阿部さんの会社の復興や、地元の方々の支援、孫たちの送り迎えなど、
幅広く使われ、大活躍してました。


いやー、本当にうれしいなー。



で、今回阿部さんちに言ったメインの目的は、
名義変更がまだだったので、ナンバーを受け取りに行ったのだった。

なので、俺がナンバーを預かってきて、
この車を埼玉から持ってきてくれた大熊さんに、今日、発送した。

※大熊さん、間違いなく送りましたので、手続きお願いしますね!



さすが阿部さん、自分のためだけに車を使うんじゃなくて、
地域のために本当に有効活用してくれてます。


俺の目に狂いはなかった。うん。(笑)


ということで、帰りもわざわざ外までお見送りしてくれて、





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夫婦仲良く相合い傘でツーショット。

いい笑顔が出るようになってて、なんかうれしかったなー。



ちなみに、俺がいつもお世話になっているK沢さんは美容師なんだけども、
現在、女川に、髪を切るボランティアに入っている。


そしたら、この阿部さんの家にもK沢さんが来ていたことがわかり、
いやー、ビックリよ。


だから、以前来たときには、

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こういう髪型だったおかあさんも、






DSCN9630.jpg

キュートなショートカットに。

すごーく似合ってました。




以前来たときは、


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こんな状態だった清水地区も、

現在は、




DSCN9632.jpg

こんな感じで、瓦礫もすっかり取り除かれ、キレイになっていた。

ちなみに、この地区に、新しい女川の駅ができることも決まり、
このエリアに仮設住宅が建ち始めている。


阿部のおとうさんは、以前来たときに、半分冗談で、

「ウチのまわりが女川のメインストリートになるっちゃ。」

と言っていたが、本当にそうなる流れになってきた。



いやー、スゲーなー。




しかしまだまだ、瓦礫の撤去が進んでいないところもたくさんあり、
女川の町全体の復興までには、長ーい時間がかかると思う。


これからも、皆さんの長期的なご支援が必要になります。







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この、牡鹿の大原地区に暮らす人たちも、女川の人たちも、
みんな底抜けに明るく、たくましい人たちです。


俺たちもできる限りの支援を続けていきます。


今後も、皆さまからのご協力をお願い申し上げます。




車の購入代金ならびに、
今後の支援活動資金のご支援をお願い致します。


先日、俺のパートナーである、(株)YUKINEの代表取締役、雪音りえさんが、
お金でご支援いただくために、口座番号を公開しました。

直接振込プロジェクトの概要記事はこちら。


===================
 【支援金振込先】
 
ゆうちょ銀行 18180−2−15362301

他の金融機関から振り込む場合
 店名 八一八 店番 818  普通  1536230
ホンマ リエ
 ==================

一口1000円で、何口でもかまいません。

また、まくろび庵の店頭にも募金箱を設置いたしました。


車の購入代金、名義変更・登録や陸送にかかる費用、
プロジェクトをにかかる材料費や経費などを、
支援金の中から使わせていただきます。


収支は雪音さんに管理していただいて、会計報告をいたします。


よろしくお願い申し上げます。


 
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2011年05月28日

モヒカン。



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震災後、ガス復旧の見通しが立たなかったころ、髪を剃って坊主にした。


実は1回、髪が少し伸びたとき、モヒカンにしていた時期がある。

1週間くらい。



なんでモヒカンにしたかというと、
死ぬ前に一度やってみたかったから。



モヒカンっていうと、俺の中ではやっぱり、





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映画 タクシードライバーの中のデ・ニーロだ。

いやー、かっけーなー。しかし。




で、りえさんにバリカンでガーッとやってもらって、仕上がりは・・・・












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こんな感じになりました。







う・・うーん・・・









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デ・ニーロというより・・・












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Aチームって感じだ。



おふくろが脳溢血で倒れる数日前、
俺のモヒカン見て、ハトが豆鉄砲を食らったような顔してたっけな。




結局、おふくろが倒れ、病院の先生の話を聞いたりするのに、
さすがにモヒカンはねぇよなーって思ってまた剃ったわけなんだけども。


りえさんは、俺のモヒカン肯定派で、


「えー・・剃っちゃうのー?」


って、本気で残念そうだった。

さすが俺のパートナーだぜ。



まぁ、こうして死ぬ前に一度モヒカンをしてみたいという夢は叶ったわけだ。

ドリームズカムトゥルーってヤツだ。



似合ってるかどうか、TPOにふさわしいかどうかは別にして。



今日現在の髪型は、たわしです。


皆さんよろしくお願いします。

 
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2011年05月27日

2台目の車が届きました。

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個人BLOG珈琲バカまくろび庵のBLOG、そして、俺のパートナー雪音さんのBLOGで、
津波で車を失った方に、皆さまからの募金で車を入手してプレゼントする
というプロジェクトを企画し、先月、女川に一台車をプレゼントしてきました。

そのときの記事はこちら。


そしてついに、皆さまからの温かい募金と、車をご提供いただいた方、
整備や陸送に関わっていただいた関係者の方々のご厚意の集大成である、
2台目の車が、まくろび庵に到着しました。

これも、皆さまからのご協力の賜です。

本当にありがとうございます。



今回は、このBLOGに過去に書いた記事を読んで、
埼玉に住む、Oさんという方から、車を提供したいというお申し出があり、
無償提供していただいた車をベースに、
整備、車検、陸送を募金の中から使わせていただきました。


Oさん、本当にありがとうございます。


今回、車検がまだ1年残っていてちょっともったいなかったんですが、
被災地の状況を考えると、車検は長いに越したことはないと、
取り直してまる2年つけた状態で納車します。

今回、東京の(株)トラストワークスという会社の横内さんという方にご協力をいただき、
埼玉から東京までの陸送、車の整備、部品交換、車検、名義変更、
そして東京から仙台までの陸送をすべてまるごとお願いして、
10万円ちょうどで仕上げてくれました。

何度も書きますが、この10万円は、
皆さまからの大切な募金の中から使わせていただきました。

本当にありがとうございます。



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このホンダライフ、ご提供してくださったOさんのお父様の車だったんですが、
もう運転しないということと、今回の震災のニュースで胸を痛め、
ご自身も何か役に立てることはないかと考え、車のご提供をしてくださいました。


この車をプレゼントするのは、石巻の牡鹿地区のIさんという方なんですが、
Iさんの事を、ご提供くださったOさんにメールで伝えたところ、
お父さんも本当に喜んでくださっていると、ご返信いただきました。


そんな、いろんな人の思いが乗っかった車です。


責任もってお届けしてきますね。


なので、5/29(日)は臨時休業します。



納車の様子など、またBLOGでご報告します。





よろしくおねがいしまーす。
posted by わこう at 19:37| Comment(1) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

camera360で撮るニャン。


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先日のXPERIA arcの記事中にも書いた、俺が気に入っているカメラアプリ、
camera360。

camera360のダウンロードはこちら。



最近は、このアプリでばっかり写真を撮っている。

何回も書いてきているけど、このアプリには、いろんなエフェクトが付いていて、
トイカメラ風のゆるくてビビットな写真を撮ることができる。

しかも、このアプリのいいところは、
1枚撮ると、エフェクトをかけた写真とかけない写真の2枚保存できるのだ。

これは素晴らしいよ。うん。


ということで、このアプリを使って撮りためた、
我が家の4ニャンの写真を。


ちょっと話は変わって、我が家の4番目、クウちゃんが来てから、
それまで末っ子特権だったきちが、権力争いに敗れ失脚。

きちだけ、部屋を隔離して飼い始めてもう一年になる。


クウちゃんは、きちを見ると飛びかかっていって、
きちはクウを見ると、あまりの恐怖にパニック障害を起こすからだ。


で、最近、きちの写真をあまり撮ってなかったんだけども、
ケータイで気軽にパチパチ撮れるようになったので、今日はきちの写真を多めに載せます。

きちファンの皆さん、お待たせしました!





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最近のきちです。

これはエフェクトをかける前の写真。




エフェクトをかけると、



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こうなります。







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そして、きちの天敵、クウ。



これもエフェクトをかけると、





C360_2011-05-20 21-29-32.jpg

こうなります。



なんかエフェクトがかかるとかっこいいべ?



こう・・クラシカルでゆるーい感じながらもビビットな感じ。




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りえさんの手にあまえるきち。





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何かを訴えるきち。







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かまわれるのを待ってるきち。


相変わらずめんこいよー。







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伸びて寝るふく。






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アップで。







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俺を見上げて何かを訴えるまるちゃん。







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りえさんの足の間でくつろぐまるちゃん。





そしてこのアプリ、魚眼風のエフェクトもあるんだけど、
この下は衝撃画像なので、閲覧注意でお願いします。(笑)










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こういう妖怪いそう・・・。

水木しげる先生、新作モデルとしてぜひ。




と、まぁ、こんな感じでいろいろ遊んでいる。




カメラ付きのAndroidを使っている人はぜひ使ってみて!

おもしろいよー。


 
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2011年05月26日

ローストについて。


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先日、焙煎したコーヒー豆の通販を始めたと記事に書いてから、
早速たくさんの方からご注文をいただいて、本当に本当にありがたいです。

その記事はこちら。

新しくオープンした通販サイト、「珈琲バカオンラインショップ」はこちら。


毎日、服にコーヒーを焙煎したにおいが染み付くほど頑張って焙煎しています。

皆さん、本当にありがとうございます。


これからも一層精進して、
皆さまに美味しいコーヒーを飲んでいただけるよう頑張ります!



さて、今日はローストの話を。


ウチのコーヒー豆のラインナップには、普通のレギュラーローストと、
深く焙煎したパンチローストがある。

レギュラーとパンチに分けることで、注文するときに迷わないで済むかなーと。


同じ豆でも、焼き方を変えることで、

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こんな感じに差がある。


手前がレギュラー、奥がパンチ。


焙煎を段階でチャートにしている画像があるので参考までに。

baisen.jpg

このチャートだと、一目瞭然でわかりやすいでしょ。

写真だから、実際の色とちょっと違ったりするんだけども、
大まかな目安として見ていただければいいかなーと。



そして、ウチのレギュラーローストは、

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おおむねハイロースト〜フルシティローストの間くらいかなー。




そして、パンチローストは、

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フレンチ〜イタリアンローストの間といったところか。


コーヒー豆を焙煎していると、、シティローストを過ぎるあたりから油がにじんてテカリ始める。

そして、油がにじみ始めると、一気に真っ黒になっていくので、
そこが勝負所で、火から下ろすタイミングがキモになってくるわけだ。

その境目が、レギュラーローストとパンチローストの境目。


他のことをやっていてちょっと気を抜くと、

「(ノ∀`)アチャー!」

って事にもなりかねないので、油がにじむ境目は、とにかく目が離せないのだ。



そして、肝心の味なんだけども、一言で言うと同じ豆でも、
レギュラーは軽やかで、パンチはズッシリといったところか。


コーヒー豆本来の香りや持ち味を堪能するならレギュラー。


コクや飲み応えを重視するならパンチローストがオススメ。



もっとわかりやすくいうと、

レギュラーは、昭和の「純喫茶」で出てくる軽やかな味。

パンチは、最近の流行りの、スタンドコーヒーショップっぽい味。


といったところか。

って、もっとわかりづらいっつーの。わははー。



傾向として、浅煎りは酸味が強く出る場合があるけども、
ウチのレギュラーローストあたりでも、もうすでに酸味は感じないくらいの焙煎度です。

コーヒーが本来持っている甘みを堪能するなら断然レギュラーだし、
キレのいいキリッとした苦味が好きならパンチ。


まずは同じ豆を2種類買っていただいて飲み比べてみると、
俺が言いたいことがわかると思います。(笑)


とにかく焼きたてをお届けしますので、挽いたときの弾けるような香りは、
たまらんですよ。


できれば、粉ではなく、豆の状態でご購入いただいて、
淹れる直前に挽くのがいいですねー。

お湯を垂らしたとたん、ブワーッと膨らむのがたまりまへん。


「ミルを持ってないよ」という方は、この機会にひとつご購入されてもいいと思います。


ちなみに、俺個人的に一番オススメするハンドミルは、

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このハンドミル。

ちょっと慣れるまで回しづらいかもしれないけど、
一番の利点は、完全に中まで分解できて、洗えるということ。

これは本当に大事。


ミルについては、そのうちまた別記事で書きます。



ウチのコーヒー豆にはラベルが貼ってあり、焙煎日を記入しているので、
飲むときのペースや目安にしていただくといいかなー。



と、久しぶりにマジメにコーヒーについて書いてみた。


珈琲バカオンラインショップをよろしくお願いしまーす。

珈琲バカオンラインショップはこちらからどうぞ。

 
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2011年05月24日

Xperia Arc。

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最近、ケータイを変えた。
ドコモのアンドロイドスマートフォン、Xperia Arc。

今までT-01Aを使ってたんだけども、発売から約2年。

さすがにもう古さを感じ始めてきた上に、
マイクロソフトもwindows mobile 「7」にばっかり注力して、
もともとあったwindows mobileに全然力を入れてない感じがするし、
そもそも、最近はiPhoneとAndroidばっかりで、
windows mobileなんてどこに行ってしまったのかって感じだ。


っていうか、ドコモの新しいスマートフォンラインナップから、
windows mobileが消えてしまった。


あーあって感じだ。


俺が初めてwindows mobileの前身である、
Pocket PC搭載のPDAから使い始めて約10年。

頑張ってマイクロソフトを応援してきたつもりなんだけどなー。


最近のマイクロソフトはなんかダメだね。

全然魅力を感じなくなってしまった。



ついに俺も、Androidに乗り換えるときが来てしまったよ。

あっけない幕切れだったなー。


ということで、初めてのAndroidなわけなんだけども、
もともと、gmailやGoogleカレンダー、写真もPicasaを使ってきたので、
GoogleのOSであるAndroidと俺の相性が悪いはずがない。

だから、ヨドバシでこのケータイを受け取って、
ケータイからGoogleのアカウントにログインしただけで、
勝手に電話帳やカレンダーがケータイに同期・更新されていたときには、
いやー、感激したね。


アプリケーションも、アンドロイドマーケットが良くできているから、
本当に不自由せずに、目的のアプリを見つけてインストールできる。

この汎用性の高さはすごいね。

さすがGoogleって感じだ。


相棒りえさんも、ついにiPhoneとさよならして、
同じXperia Arcに機種変したこともあり、
ここんところ、暇さえあれば二人で黙々とケータイをいじって遊んでいる。

二人して向かい合って座ってるのに、
それぞれ黙々とケータイをいじくっている光景は、
端から見たら異常だろうな。(笑)


とにかくAndroidが楽しい。



ということで、今後、俺が使っているお気に入りのアプリの紹介とか、
解説なんかを記事にしていこうと思う。


今日はその第一弾として、よく使う定番アプリや便利アプリ、
俺が個人的に気に入ってるアプリをちょっと紹介しようと思う。


なず、なんといっても欠かせない鉄板アプリ、
QRコードスキャナー

Androidの雑誌なんかにあるQRコードを読むのに絶対必要。



標準ブラウザも悪くないんだけども、もっと使い勝手のいいタブブラウザ、
Dolphin browser HD

動作も軽いし、タップするとピュッと適度にズームしてくれる上に、
タブの切り替えがとても使いやすい。

デザインがちょっとアレなんだけども、、慣れれば問題ナシ。


そして、標準のスケジュール管理ソフトもいいんだけども、
使い勝手やウィジェットのデザインが最高にカッコイイ定番アプリ、
ジョルテ

ちょっとサイズが大きのが難点。

かといって、SDカードに移動させて使うと、
ウィジェットがうまく読み込まなかったり、読み込むのに時間がかかったりするから、
俺は本体にインストールのまま使っている。


T-01Aの時にも、勝手に画面の縦横が切り替わるのがうざったかった。
Androidも同様だ。

だから、画面の縦横切り替えを、カンタンにオン・オフできるアプリ、
AutoRotate OnOff

その名の通り、オートにローテートするのをオン・オフするのだ。
これはウィジェットで使うアプリ。



あとは、何かを考えながらケータイを使っているときに、
無操作状態が続くと、数十秒で勝手に画面がオフになってロックされてしまう。

それを防ぐために、ケータイを持ったりして水平じゃない状態を感知して、
その間は画面をオフにしないようにできるアプリ、
BetterSleep

いやー、地味だけど便利よ。これ。



そして、カメラアプリで俺が最高に気に入っている、
先日も別記事で紹介した、
camera360

とにかく、いろんなエフェクトをかけて撮影でき、
その仕上がりがなんとも良い味を出す。

俺は、LOMO風に撮れるエフェクトばっかり使っている。

ただ、Xperia Arcで使うと、
まだ操作画面のレイアウトが崩れて、すべて表示されない。

ここは早く改善してほしいところだ。


あとは、ホーム画面に、よく電話をかける人をかっこよくウィジェット化できるアプリ、
Animated Widget Contact Launch

これは、無料版と有料版があって、無料版で使えるのは電話帳のみ。

有料版になると、
複数のアプリケーションをひとつらまとめてランチャー化できるみたい。

俺は現在無料版。でもそのうち、有料版にしようと思っている。





そして、俺が今一番気に入っている壁紙、

DSCN9592.jpg

サーキットボードのライヴ壁紙


なんといっても、このリアルな基盤のグラフィックと、
CPUファンが回ったり、回路のLEDが点滅するという、
なんとも小粋なニクイ演出をしてくれているところがタマラン。

これが動いているところを動画に撮ったので、この記事の下の方で紹介する。



あとは、今さらながらエヴァンゲリオンものなんだけども、


DSCN9591.jpg

エヴァ風の時計、
エヴァンゲリオン クロックウィジェット


上の写真では「外部」となっているけども、この写真撮影時は充電中なのだ。
だから、充電ケーブルを抜くと、「内部」に切り替わる。

いやー、笑っちゃったね。


フルバージョンの大きさにすると、さらに「活動限界まで」と表示される。
エヴァンゲリオン好きにはニクイ演出だ。


そして、このエヴァ時計をタップしたときに、好きなアプリを割り当てられるんだけども、
俺は、好きなタイミングで画面のオフとロックができる、
Screen Off and Lock

を割り当てている。

電源ボタンを押すと、確かに画面オフができるけれども、
Xperia Arcの電源ボタンって、とっさの時にはちょっと押しづらいところにある。

だから、このアプリを使って、好きなときにポチッと押して、画面をオフにしている。

しかも、オン・オフ時に、音を出すようにも設定できる上に、
オフにするとき、効果アニメーションも付加できる。

すげー便利でよくできたアプリだ。


だから、これをエヴァ時計に割り当てて、
画面をオフにしたいときには、エヴァ時計をタップすればいいのだ。


ということで、百聞は一見にしかず。

壁紙でCPUファンが回っているアニメーションや、画面オフの動作を、
動画で撮って、YouTubeにアップしてみた。



画面ロックの時、古いテレビ風のアニメーションエフェクトを選んでみた。

なんかカッコイイでしょ。


こんな感じで、とにかくXperia Arcをいじりまくっている。



本当はまだまだ書きたいことがたくさんあるんだけど、
追々また書いていきます。


いやー、楽しいよ。Android。


 
ラベル:Xperia arc android
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2011年05月18日

giftを受け取る。


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震災以来、自分でも心がカサカサになっていたのがわかる。


仙台の街の異様な光景、メチャメチャになった店やりえさんの事務所の復旧、
電気やガスはまだいいとして、水が出ない事によるストレス、
ガスがなかなか復旧しないーかったこともあり、仕事やお金への焦りと不安、
そして、津波の地域のただならぬ光景や悲惨さ・・・

カサカサにならない方がおかしい。


さらに輪をかけて、東電の一連の騒ぎや、政府や行政のアペトペ加減に、
本当に心底腹が立った。



だからこそ、自分の身は自分で守り、その上で、自分にできることは精一杯やる。

それが被災地への物資支援ボランティアへとつながっていった。


平くんもBLOGの中で、「ファック 災害!」と言っているが、
俺もある意味、怒りが原動力になったことも否定できない。



だけども、怒りを原動力にするのって疲れるんだよね。

昔から短パラだったから、よく身に沁みてわかっている。



若いとき(今も若いけどね)怒りを原動力にしていたころ、
やはり、まわりは怖がって俺を避けた。

初めて会った人にいきなり、「あなた怖い・・」と泣かれたこともある。


そうやってまた新たな怒りを生み、それを原動力に生きる。


いや、ホント疲れるのよ。



今回の震災では、知らず知らずのうちに自分がそうなっていた。

何かっていうとすぐイライラピリピリ。



先日の、新潟〜札幌の出張前には、
自分的にはそれでもだいぶ落ち着いたと思っていたんだけども、
やはり、新潟のstunくんやemiちゃん、札幌のさんgakuさんから見ると、
まだまだそういう怒りや重たいものを引きずっていたみたい。

自覚無かったんだよなー。



そんな中での、俺の最大のヤマ、山村塾札幌校のスタートだったし、
緊張と不安とプレッシャーとで、最悪な顔してたみたい。


本当に心配された。



だけども、新潟でも、札幌でも、
本当に皆さんから心配していただいたり、支援していただいたり、
サポートしていただいたりして、本当にありがたかったんだけども、
最初のうちは、そうやってしていただくことに、
申し訳なさを感じたり、恐縮してしまったりして、うまく受け取れなかった。


それは、今回の震災に限らず昔からそうなんだけども。


こう・・人のために自分が動くことは、昔から大好き。

たまに押しつけめいた余計なお節介となることもあるけど、
俺はどちらかというとそうしている方が落ち着く。


だから、逆にしていただくことに慣れてないというか、
借りを作ってしまう気がして素直に受け取れない。



今思えば、本当に失礼で申し訳ないなーと思う。



今回の出張で、新潟の皆さんからも、札幌の皆さんからも、
本当に温かいものをたくさんいただいた。

だけども、最後の最後の根っこの部分には、
いつか何倍にもしてそのご恩に報いるとか、何倍も返すという気持ちが。



そんなとき、飛行機トラブルで札幌にもう一泊することになり、
お友達のK島さんが、わざわざ千歳まで来てくださって、
お寿司を一緒に食べたわけなんだけども、
会計時、俺がお金を払おうとしたら、K島さんが、

いやいや、今回はいいですから!

俺も
いやいや自分が食べた分は払いますよ。


K島さん
いやいや、いいですから!


いやいや、いいですから!



をレジの前で延々繰り返したわけなんだけども、
そのときにK島さんが言った一言にハッとした。


「今までわこうさん、人のためにいろいろしてきたんですから、
たまには受け取ってもいいんじゃない?」


たぶん、K島さんも無意識に発した言葉だと思う。


でもそこに、自分の在り方がまざまざと。



こうやって俺は、人にしていただくことを拒んできたのかと。




実は、今回の出張で、stunくんご夫婦にもご馳走になった。

山村先生からもご馳走になった。

会場となった風の音治療院の安部さんご夫妻からも、
おふくろの治療に使う道具をいただいた。

gakuさんからも、支援物資をいただいた。

塾生の方に、俺と先生をススキノまで送っていただいた。

新潟の皆さんから、お見舞いやお花をいただいた。


山村先生からも、gakuさんからも、stunくんからもemiちゃんからも、
たくさんの叱咤激励、本気のサポートをいただいた。



こういうことに、俺は、借りを作ると申し訳ないといつも思っていたわけなんだけども、
でも、自分に置き換えて考えてみると、
俺が人に何かをしてあげたいなと思うとき、見返りなんて考えてない。

貸しなんて思ってない。


ただただ純粋に、その人のためになればと思っているだけだ。



そして今回は、新潟や北海道で、みんなそう思って、
ただただ純粋に、俺にしてくれようと考えている。


「ギフトを受け取れ!」


頭の中で、そんな言葉が響いた。




そう。これはギフトなのだ。

損得や貸し借りなんて存在しないギフトなのだ。



だから、ありがたくそのギフトを受け取ることにした。



恩返しができることがあるとすれば、
俺が元気になって、その姿を見せることだ。


そう思うことにした。



そう思った途端、またドバーッと涙が・・・




それに気づけたおかげで、
出張前の怒りを原動力にする俺は、どこかに行ってしまった。


心が一気に洗われたような・・




今回、飛行機トラブルによって、こういったことをじっくりと考え、内観できる、
貴重な時間をもらったような気がする。


本当の意味で現場復帰したというか。

心が。



俺は俺と関わる方々に生かされている。

俺はあなたであり、あなたは俺なのだ。



俺のためになるということは、あなたのためになる。
(ジャイアン的な意味じゃなくてよ!)

あなたのためになることは、俺のためにもなる。



そうやってすべてはつながっている。


まさに一物全体。



それに気づけた今回の出張は、本当に有意義だった。



皆さん、本当にありがとうございます。



これからもなお一層精進します。

 
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2011年05月16日

新潟から札幌へ→またハプニング!


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震災後2ヶ月間、交通網の麻痺などで山村塾札幌校の開催を延期していたんだけども、
いよいよ2ヶ月越しにスタートすることとなり、震災後初の札幌出張。

今回の出張では、いろんな気付きがあったんだけども、
そのことは別記事で書くことにして、まずは時系列で今回の出張の事を書こうと思う。


札幌出張なのに、なんで新潟空港の写真なのかというと、
俺か今回の飛行機の予約を取ろうとした時点では、
仙台空港からはまだ、羽田と伊丹の便しか無く予約が取れない。

庄内空港からも千歳便があるみたいなんだけども、
よくよく調べてみると、一度庄内から羽田に飛んで、乗り換えをして千歳に飛ぶという、
とっても非エコな便で、しかも時間もお金もかかる。


そこで、新潟の親友、マリー・ルゥのstunくんご夫婦から、
震災以来いろんな励ましや、物資支援を送っていただいたこともあり、
御礼かたがた、元気な姿を見せつつ新潟に一泊し、そこから千歳に飛ぼうと考えたわけだ。

マリー・ルゥさんのサイトはこちら。


実は今回、新潟に入る前に、以前2回占っていただいた、
新発田市の占い師、榎本先生のところに寄って数年ぶりに占っていただいた。


占いの結果は、「むふふ〜。」だった。

「アンタ、今年から良くなるよ。」

という内容から始まって、おおむねよしといった感じ。


ホッと胸を撫で下ろして、榎本先生のところをあとにしたのだった。



しかし、ふと、気になることが。


過去に二度、榎本先生のところで占っていただいたが、
二度とも、帰りにいろんなハプニングがあった。

1度目は、当時乗っていた愛車、モンデオのタイミングベルトが切れ廃車。

そのときの記事はこちら。


2度目は、帰りの磐越道で、今は亡きあべはりさんがトラブッていた脇を偶然通過。
あべはりさんを乗せて帰ってきた、あり得ないエピソード。

そのときの記事はこちら。



榎本先生のところに行くと、必ず何かが起こる。


今回は何もなきゃいいなーと、一抹の不安を抱えながら新潟に入った。



無事にマリー・ルゥに到着し、stunくん、emiちゃんと、涙の再会。

「わこうちゃーん!生きてたー!」


ここまでの震災ストレスで、正直心がカサカサになっていたから、
ふたりの愛ある言葉がジワーッと沁みて泣いてしまった。




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マリー・ルゥは開店から10年。

もうすっかり街になじんで、貫禄あるお店になっていた。



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stunくん、emiちゃんのセンスが光る。






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閉店までまだ時間があるということで、1人でぶらっと新潟市内観光。
去年来たときにお参りした、白山神社に、一年無事に過ごせたことの御礼参りを。


その後、ふたりの温かいおもてなしを受け、泊めていただいた。


どうしても震災の重たい話になっちゃって、
なんだかんだいって、俺もいろいろダメージを受けてたんだなーと再認識。


そんな俺を、ふたりは温かく迎え入れてくれた。


本当にありがとう。






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去年生まれて間もなかったミチカくんも、すっかり大きくなってました。

めんこかったなー。






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そして、皆さんに見送られながら新潟空港へ。


風が強く、離着陸がかなり揺れておっかなかったけど、
無事に千歳空港に到着。

その後、電車で無事に札幌に到着。


札幌の街は、震災の影響など皆無で、以前来たときのまんまのパワフルな街だった。


山村塾の会場に入る前、俺の札幌のアニキ分、gakuさんに会うために、
gakuさんのお店、青い空流れる雲へ。

青い空流れる雲のサイトはこちら。


gakuさんからも、震災後やおふくろが倒れたとき、
心配して何度も電話をいただいていた。


本当にありがたい。


俺がお店に行ったとき、けっこうお客様がいらっしゃって、
あまりゆっくりgakuさんと話せないまま、山村塾札幌校の会場となる、
studio aura 風の音治療院さんへ。

studio auraさんのサイトはこちら。



こちらの安部さんご夫婦も、俺の一連のことを本当に心配してくださって、
特に、入院中のおふくろの回復に役立つ、俺にもできる治療法と、
それに必要な道具をくださって、親身になっていろいろ教えてくれた。

なんか、いろんな愛というか、真心というか、そういうあったかいものを、
たくさんいただいた気がした。

本当にありがとうございます。



山村先生が道に迷って、講座開始ギリギリに到着というハプニングがありつつも、
無事に山村塾の札幌校がスタートしたのだった。


去年の夏、何のつても無い札幌に、リサーチのためにはじめて訪れてから、
準備を重ねて、やっとやっとスタートできた。

その間、たくさんの支援者の方々のご協力をいただきながら、
こうして無事に開催できたことに、感謝以外の何ものもない。


塾生の方々も、最初は緊張の面持ちだったけど、
講座が始まると、先生のペースに巻き込まれて、イイ感じにリラックス。

質問もけっこう出てきて良い感じに。


こうして、無事に、第1回目の山村塾が終わったのだった。



ここまで半年以上準備をしてきたから、
終わったとたん、一気にいろんなプレッシャーから開放されて、
軽くなって、飛んでいってしまいそうだった。



山村先生とは、震災後お会いしていなかったので、
最後にお会いしてから実に二ヶ月半ぶり。

先々週、先生にメールを出したときに、
二度の大きな地震とおふくろの脳溢血騒ぎで、
ちょっと凹みがちなメールを出していたんだけども、
それを気にしてか、講座修了後に先生が、

「わこうさん、2人で話しませんか?」

と、言ってくださり、ススキノに出て2人で語り合った。


山村先生も、たくさんの試練や苦難を乗り越えてきた方で、
その経験から、俺を一生懸命励ましてくださった。

先生は、俺の今の状況は、昔の自分を見ているようだと、
そして、知恵と勇気を振り絞って、とにかく前に進むんだと、
とつとつと話してくださった。


先生だって、震災の影響で大変な思いをしているというのに、
自分のことを横に置いて、俺のことを気遣ってくださった。


手を合わせたい気持ちだった。


先生と別れたあと、ホテルに戻って、思い出しては泣いていた。




次の日。

新潟行きの飛行機は14時発なので、チェックアウトのあと、
あまり話せなかったので、もう一度gakuさんの店に。





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そのまえに、前回来たときにもお参りした、北海道神宮に御礼参り。








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神宮内の歩道。


gakuさんは、この日の夕方出発で、仲間たちと大船渡に支援ボランティアに入る予定で、
その準備の忙しい最中だったんだけども、時間を作ってくれて、2人でお茶タイム。

前日話せなかった分、ブワーッとお互い弾丸のように話しまくって時間切れ。


来月の再会を約束して駅で別れた。


gakuさんからも、俺への支援物資として、巻きタバコを。


本当にありがとう。アニキ。



俺にはアニキがいっぱいいるな。(笑)





そんな思いを胸に、無事に千歳空港に到着。

前回札幌に来たときは、余裕かましすぎて、電車に乗り遅れ、
千歳空港を走りまくって本当に大変だった。

だから今回は余裕を持って搭乗手続きを済ませ、ゆったり気分で飛行機に。


飛行機が滑走路にゆっくりと移動している間、
この2日間のことを思い出しては、うるうるしながら、
窓の外の翼に付いたエンジンを見つめる。


バイバイ、北海道。

また来月。





そしてジェットエンジンが回り出す・・・・



ありがとう!北海道!






そして、エンジンからバチバチバチッと火花が上がったと思ったら、

白い煙がボフーッと・・・。








「あれ・・・?」




俺は、エンジンのすぐ脇の席だったから、一部始終をずっと見ていた。



飛行機を誘導するおっちゃんが、頭をおさえて

「(ノ∀`)アチャー!」


とやったのを見逃さなかったよ。うん。




その後機内アナウンスがあり、整備のためいったん飛行機を降りることに。


あーあ・・・




そこでハッと思い出した。


榎本先生のところに行ったことを!




これで榎本先生のところに行った3回とも、ハプニングに遭遇したことになる。

百発百中だ。


なんなの。これ。

超こわいんだけども。




でも、飛んでるときじゃなくて本当に良かったよ。



結局、2時間近く待たされたあと、羽田行きに振り返るので、
羽田から東京に向かい、そこから新幹線で新潟まで行ってくれと。


冗談じゃない。


ここまでさんざん待って、いろいろ並んで疲れてまた待って。

その時点でクタクタ。


重い荷物抱えて、帰りのラッシュの山手線なんて乗れるかっつーの。

しかもそのあと、新潟から車を運転して仙台まで帰るんだよ。


それを考えただけで心が折れる。



なので、俺はもう一泊することにして、朝イチの新潟便に振り替えてもらった。

ホテル代は、航空会社が負担してくれた。


その手続きをするにも長蛇の列に並び、ずーっと立ちっぱなしでもうクタクタ。


移動すらおっくうだから、千歳空港に直結しているホテルにチェックインした。



その時点で夕方5時くらいだったかなー。



ホテルの部屋に着いて、ベッドに崩れるように倒れ込んだ。



いやー、疲れた。




しかし、本当は金曜日の夕方に新潟に着いて、
そのまま車で夜には仙台に戻るはずだったのが、予想外のもう一泊。

土曜日は土曜日で、日曜日の山村塾仙台校の準備や発送作業など、
やることが満載。

気ばかりあせるが、もうこうなったらしょうがない。


成りゆきに任せるしかないなと覚悟した途端、電話が鳴った。


山村塾札幌校受講者のK島さんからだった。


K島さんとは、以前、俺がホンダS600のプラモを作ってプレゼントした人だ。

そのときの記事はこちら。



俺はこの飛行機トラブルからもう一泊することになった流れの一部始終を、
Twitterに書いていたんだけども、
K島さんはそれを見て、一緒にメシ食いましょうと誘ってくれたのだ。


実は、K島さんともゆっくり話したかったんだけども、
札幌での予定がバタバタで、今回は時間が取れなかったと残念に思っていたのだ。


逆に、今回のハプニングで、
K島さんとサシでゆっくり話せる時間ができて、超ラッキー。


そして、K島さんが空港まで迎えに来てくれて、そのまま千歳の寿司屋さんに。



男2人で寿司をつまみながら、マクロビオティックのこと、
山村塾のこと、札幌のこと、震災のことなどなど、
とにかく話が尽きることなく、しゃべりまくった。

本当に楽しかったし、寿司もうまかったー。


結局K島さんにお寿司をご馳走になってしまったんだけども、
本当にうれしく、ありがたかった。


本当にありがとうございます。




ホテルに帰ってから、ゆっくりと考えた。


たしかに、榎本先生のところに行くたんびにいろんなハプニングがある。


だけども、毎回大変な反面、それ以上にうれしいことがある。


1回目の時は、たしかに車が廃車になったことは痛かったけども、
それがきっかけで、次の車アストロに乗ることになり、
それがご縁で、シブヤのアニキに出会い、そこから平くんに出会い、
そして、現在の俺の親友、ナベさんとも出会うことができた。

もし、モンデオがクラッシュしていなかったら出会えなかった人たち。


それを考えると、モンデオが廃車になった事なんて、本当に些細なことだ。

それ以前に、俺は無傷で何ごともなく無事帰れたわけだし。



2回目の時だって、あべはりさんがまさか同じタイミングで、
磐越道にいるなんて思わなかったし、
あべさんの役に立てて、本当にうれしかった。

あべはりさんは死んでしまったけれども、
あの経験は、一生忘れることはないだろう。そのくらい強烈なイイ思い出。



そして、今回の飛行機トラブル。

K島さんといっぱい話すことができたし、
いっぱい話すことで、俺の震災前のいろんなスイッチを、
K島さんがいっぱい押してくれて、震災前の、力が漲っている状態に戻れた気がする。


自分をいっぱい内観できたし、知らず知らずにたまっていた、
震災ストレスが解消されて、心が洗い流された感じだ。


榎本先生のところに行くと、ハプニングはあっても、それ以上の得るものがある。



シブヤのアニキだって、マメに連絡を取り合う仲じゃないけど、
俺にとっては愛おしい大切な存在だ。


そんな出会いが俺の宝物。



災い転じて福となす。


まさにこの一言に尽きるな。




さて、明けて次の日、無事に新潟に帰ってきたわけなんだけども、
新潟に着いたら、新潟の方々からお見舞いやおみやげをいただいた。


そして、emiちゃんが大切な話があると。



俺が新潟に入ったとき、震災ストレスで俺の顔があまりにもひどかったもんだから、
stunくんと2人で、本当に心配していたんだよと、涙を浮かべながら話してくれた。


俺は今回、札幌でいろんな気付きがあったし、大切なものを再認識できた。

そして、山村塾の札幌校がスタートしたことで、完全に現場復帰した実感がある。


震災後、仕事ができない期間が長かったから、
なんかいろんな部分でポイントがずれまくってたし、
stunくんやemiちゃんから見たら、とても危うく映ってたんだろうな。


そして、それを心配して歯に衣着せぬ真っ直ぐな言葉で、
本気で俺に向き合ってくれたemiちゃんの心意気に、涙が止まらなかった。


その後、ランチタイムで忙しい時間だったんだけども、
stunくんが店の外に出てきて、2人で泣きながら別れのハグを。


別れが辛くて泣くんじゃない。


2人の気持ちがうれしくてうれしくてうれしくて涙が止まらないのだ。



こんなに人に想ってもらえるなんて、俺はなんて幸せなんだろう。


そう思ったらどんどん涙が・・・


泣けば泣くほど、心が洗われていくようだった。



再会を約束して、新潟を後にした。




高速を1人でぶっ飛ばしながら、思い出してはまた泣いて・・

どんだけ泣かせんだよ、もー!





結局、仙台には夕方着いて、そこからマッハで仕事をし、
仕事が終わったら、おふくろの見舞いに行ってマッサージして・・・


疲れた。泣き疲れたし、身体も疲れた。


だけど、心地よい疲れ。


心があったかくて満たされている。



新潟の皆さん、北海道の皆さん、山村先生、
そして、俺の大切な地元仙台の皆さん、本当にありがとうございます。


結局、仙台空港便は復活したものの、
来月はよさこい祭りで仙台便の予約が取れなかったので、
また、新潟経由で札幌に入ることになりました。

6/8新潟→6/9札幌→6/10新潟〜仙台

という流れです。




ドタバタといろんなことがあって慌ただしい出張だったけども、
実に楽しく、有意義でした。





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stunくんとemiちゃんが、俺に元気になってくれと、お花をくれた。


これ見てまた泣いてます。



みんなありがとう。


また来月!


 
posted by わこう at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月11日

写真で見る牡鹿町。



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先日の日曜日、親友のナベさんと一緒に、
石巻市の旧牡鹿町に支援物資を届けに行ってきた。

今回はその報告記事です。


本題に入る前に突然話はとぶんだけども、最近アンドロイドケータイに変えた。

ケータイについての事はまた別記事に書くとして、
最近、アンドロイド用アプリケーションで、お気に入りのものができた。


camera360


このアプリ、写真をいろんなエフェクトをかけて撮れる、超楽しいアプリなんだけども、
トイカメラの王道、「LOMO」のように撮影できるエフェクトがあり、
四隅が少し暗くなり、ピントがやや甘くなって、
色もゆるーくかつビビットな感じに撮れるのが、俺の一番のお気に入り。


今回の被災地支援報告記事は、このcamera360のLOMOエフェクトで撮影した写真で、
情景を紹介していこうと思う。



で、話は戻って、ゴールデンウィーク中に、後輩の石橋くんが、
一足お先に牡鹿町に入って、支援と情報収集をしてきてくれた。


実は、車を被災地に贈る支援プロジェクトの第二弾として、
埼玉のOさんという方から、軽自動車をご提供いただけることになった。

Oさん、本当にありがとうございます!


しかしながら、多少の整備が必要なのと、
被災地の事を考えると、まる2年車検を付けた方が良いということで、
車検を取り直す事も考えており、皆様からの募金は、
その費用に充てさせていただくことになりました。

そして、石橋くんには、そのOさんからご提供いただける車を贈る方を、
リサーチしてきてくれとお願いしていたのだった。


すると、石橋くんから、

「旧牡鹿町の、ある避難所に、良い感じの人を発見しました!」

という報告があり、早速今回物資をお届けしながら、
その人に会いに行こうと考えたわけだ。


ということで、今回はナベさんと2人、石巻港を通って、牡鹿町に向かう。




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途中、俺が今までの人生で見たクレーンで、たぶん最大であろうと思われる、
超大型クレーンが見えてきた。








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とにかくでけぇ!

写真だと、どうしてもその大きさや臨場感が伝わらないのがとっても残念だ。







C360_2011-05-08 12-33-22.jpg

その傍らに、陸に乗り上げてしまった大型船があり、
ひょっとするとこの船を吊るためのクレーンなのかなーなどと想像した。








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石巻港の、製紙工場。

こどもの日明けだったこともあり、煙突に鯉のぼりか付けられていた。






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集められたがれきの山。







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津波被害の倉庫。



そして、ついにお目当ての、牡鹿町の、とある避難所に到着。


最初に話しかけた、ちょっと年配の方に事情を話すと、

「あー、それだったら、車を流されてしまったわげー奴(若い奴)にやってけろ。」

ということで、紹介してもらった。



そのIくんは、そこの70名くらいいる避難所の中で、明るく中心的な存在。

津波で車を流されてしまった。



Iくんのいる避難所は、近隣にたくさんある、
小さな避難所のとりまとめやお世話もしている。

しかし、車が無いので、自転車で移動したり、誰かの車に便乗させてもらったりと、
なかなか思うように支援に動けないのが厳しいと言う。


もう、この人に車を贈るしかないでしょ!


埼玉のOさんという提供者の方と、全国から募金してくださった皆さんからの車なので、
避難所の方々や、近隣の避難所の支援のために、
有効に使っていただきたい旨を説明した。


いやー、車の話をしたときの、Iくんの何ともうれしそうな笑顔に救われたわー。


Iくん、納車までもう少し待っててね!




ということで、支援物資もお配りして、その避難所をあとにした。
皆さんからの暖かい心のこもった物資、間違いなくお届けしてきましたよ!

皆さん、本当にありがとうございます。




さて、旧牡鹿町と言えば、去年の夏、山村慎一郎先生の砂浴合宿でお世話になった、
「のり浜」という小さな浜がある。

そののり浜には、洞窟があり、「のり浜の霊洞」と言われている。


去年書いた、のり浜の霊洞の記事はこちら。


実は、今回一緒に行ってくれたナベさんは、
去年のこの砂浴合宿の時に、穴掘り要員として手伝ってくれたのだった。


なので、俺もナベさんも、震災以来、のり浜の霊洞のことはずーっと気になっていた。


ここまで来たら、見に行くしかないっしょ!



のり浜は、けっこう勾配のきつい遊歩道を10分ほど下ったところにある。
車では入っていけないのだ。


で、誰もいない山の中、男二人で降りていく。






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そして、のり浜が見えてきた。

あの綺麗だった浜にも津波の痕が。



で、海岸に降りて気づいた。



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砂浜が無い!






DSCN1141.jpg

去年の夏、こんなにあった砂浜が、




DSC_0268.jpg

こんな状態。

ちなみに、干潮時間からいくらも経っていない時間に行ったにもかかわらずこの状態。

満潮の時は、すっかりこの辺は水没だ。



今回の地震で、沿岸部の地盤が1メートルから2メートル沈下したと言うが、
その影響がのり浜にも顕著に表れていた。


もうここで砂浴はできない・・・。




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去年は、こんなに賑やかだったのに・・・








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この場所で砂浴ができたことは、本当に奇跡的だったんだなー。



なんか切ない。





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たぶん、俺と同じ思いであろうナベさんも、無言で写真を撮っていた。




その後、その合宿でお世話になったホテル、
さか井さんも避難所になっているということで、物資を届けに。


オーナーさんと1時間近く話して、皆さんからの物資に本当に感謝してくださった。


現在、このホテルには6名だけまだ避難されている方がいらっしゃる。
震災直後は、80名の宿泊客と、20名ほどの近隣の避難者の方がいたそうだ。


オーナーさんは、そんな中でも、明るく笑いながら話してくださった。


被災地に行くたびに感じるけど、みんな強いなー、しかし。

本当に頭が下がる思いだ。







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そして、牡鹿半島の帰り道、沖に船が出ているのが見えた。



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ナベさんが車を停めてくれたので、車から降りて、その勇姿を撮影。




この辺の漁師さんたちは、津波が来ると知ったとき、
みんな車を捨てて、船で一斉に沖に出たために、船は助かったんだという。

漁師さんたちの間では、「津波が来たら沖に出ろ」と言われているらしく、
この漁師さんたちは、その教えを忠実に守ったわけだ。

すごい勇気だ。







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天からの光に照らされた漁船の群れが、勇ましく美しかった。





しかし、その美しさとはうらはらに




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まだまだ生々しい津波の爪痕。




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岸壁に乗り上げた船。






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流されたトラック。




そして、今回、ひとつ確認しなければいけないことがあった。


行政は、避難時を出て自宅に避難した人たちへの物資支援を打ち切ったという。

しかし、ネットで調べても、あまり詳しく載っている記事が無い。


そして、石巻のある地区では、支援を打ち切られた自宅避難者が、
路頭に迷って泣いている人も多数いると、石橋くんから聞いた。


そこで、残り少なくなってしまった物資を持って、
ナベさんと二人、その地区への物資支援と聞き込みに。


しかし、夕方だったこともあり、人もまばら。


支援が打ち切られたって聞いたんだけど本当ですか?と聞いても、


「そういえば、あんまり炊き出ししなくなったなー。」

「うーん、今日日曜日だから休みなんじゃないの?」


などというトンチンカンな返事。






ここで想像できる最悪のシナリオは、
支援を打ち切られたことすら、知らされていないということだ。


もしこの通りだったんだとしたら、本当に大変なことだぞ。こりゃ。



この件については、お友達に、ある筋を通して確認していただいている。


ハッキリとわかったら、また報告します。



結局、そのエリアでこの日持っていった物資はすべて配り終わって帰路についたんだけども、
やっぱり、支援打ち切りが気になって、最後の最後に気持ちがどんより。


一日も早く改善されることを願ってやまない。





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帰りの石巻港。






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製紙工場も、夕日を浴びて赤く燃えているようだ。






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夕日に映えるクレーン。



今回の支援は、新しい出会いもありうれしかった反面、
闇というか、陰の側面も垣間見た感じがして、なんとも複雑な気持ちになった。





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そんな中、この漁船の群れは、ひとつの希望のシンボルとも言えるな。



今後も、継続的な支援がますます必要になっていくことがわかった。


俺も可能な限り支援していく。


この記事をお読みくださった皆さん、
今後も、継続的なご支援・ご協力をお願い申し上げます。


 
posted by わこう at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月04日

クウ、玄米食う。


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我が家には4匹のニャンがいるが、今回の震災ではみんな怪我もなく無事だった。

我が家の4番目、黒猫のクウ。



一昨年亡くなった親友、あべはりさんからもらった、忘れ形見のニャンだ。


だからなのかなんなのか、クウは俺のこと大好き。

俺が家にいるときは、俺の側から離れない。


そんなに愛されると、こっちだってやっぱりめんこくてめんこくて・・・



そして最近、コイツは、




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玄米を食うのだ!









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うまそうに食ってるでしょ?








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「あー、うめー。」

みたいな。




そして、ひとしきり食ったあと、


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一緒に寝ます。




いやー、とにかくめんこいんだー。



あべはりさんの意志を継いで、玄米食うクウ。





さすがだな。あべさん。

 
ラベル:クウ ニャン
posted by わこう at 01:29| Comment(1) | TrackBack(0) | なぜか猫。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

おふくろその後。


おふくろが脳溢血で倒れて緊急手術をしてから約2週間が経った。

BLOGを読んで、たくさんの方からコメントやメール、
Twitterやfacebookを通じてメッセージをいただきました。

皆さん、本当にありがとうございます。


メッセージ一つ一つに思いが乗っかっていて、
じわーんとスポンジに水が吸い込まれるように入ってきて、
グッと来ながら読ませていただきました。


その後の容体がどうなったか気になっている方もいらっしゃると思うので、
最近の経過を書いてみようと思う。


術後一週間ほど経ったとき、お医者さんから言われたことは、
正直あまりよろしくなく、良くて車椅子、寝たきりも覚悟してくださいと。

右半身麻痺と言語障害がひどいので、
以前のような円滑なコミュニケーションは無理だと思いますと。


ショックだった。


そのころのおふくろは、時折ボーッとして遠くを見つめたり、
話しかけても、何が何だかわからないかと思えば、
突然正気に戻って、しっかりとこっちを見つめたりと、浮き沈みが激しい感じ。

お医者さんから言われたことも、信じたくないけどやはりそうなのかなーと思った。


しかし、それからさらに一週間経った現在、
毎日お見舞いに行っては話しかけたり、麻痺した腕や指をマッサージしているが、
確かにまだ、しゃべれないし、右半身もまったく動かないんだけども、
調子が良いときは、普通に普段通りの、複雑な話をしても、
完璧に理解できているようなくらい、意識はシャンとしてきた。


数日前、動く左手を使って、何か必死にゼスチャーして訴えかけていたんだけども、
そのときは意味がわからなかった。

しかし、家に帰ってから、ふと、

あれ?おふくろ自身はそういえばこの顛末を知ってるのかな?

と、疑問に思った。


たぶん、お医者さんも説明したりしているんだろうけど、
意識がまだハッキリしていないというか、考えられないときだったとしたら、
なぜ自分が今病院にいるのか、わかっていないんじゃないかと。


そこで先日、

おかあさんは、高血圧性脳溢血で倒れて救急車で運ばれて、緊急手術を受けて、
一命をとりとめたんだけども、出血が多くて、右半身麻痺と言語障害なんだよ。

これからリハビリをすれば回復するって先生が言ってたよ。

と、説明したら、ちょっとビックリしたようだったんだけども、
こう・・すべてをやっと理解してスッキリした表情を見せたあと、

「やれやれ・・」

みたいな表情を見せて、深くため息をついていた。



これからリハビリが大変らしいけど、俺も手伝うからがんばっぺって言ったら、
左手で俺の手をギュッと強く握りしめて何回もうなづいていた。


こう・・言葉でコミュニケーションはとれないけど、うなづくことはできるから、
おふくろの表情やうなづきで、なんとなくわかる。

だけど、おふくろからはまだ言えないから、
何か言いかけては話せなくてあきらめて、「もういいや・・」てきな表情を見せる。

お互いそれがもどかしい。


「もどかしいね。」って言ったら、「全くだよ・・。」みたいな感じでうなづいていた。


でも、認知症とかなってなくて本当に良かった。

意識はシャンとしてるから、最低限の意思疎通はできるもんな。



見舞いに行ったときは、
必ず麻痺した右の手と足の指を30分くらいかけてマッサージしている。

一般病棟に移ったこともあり、最近は、りえさんも一緒に来てくれて、
一緒にマッサージしてくれている。

こういう時、俺にとって、パートナーの存在は本当に大きいな。


りえさんがいてくれるから、俺も正気を保てるというか。


本当にありがたい。



最近のおふくろは、少女のように無垢で純粋な表情を見せる。

話せないからよけいそう見えるのかな。



ここ2〜3日で、笑顔も出るようになった。


見舞いに行って、「おかあさん・・」と声をかけると、
本当にうれしそうにニコーっと笑う。


そして、無垢な表情で俺のことをジーッと見つめている。

赤ん坊が親の顔をジーッと見つめる時のように。


親子が逆転してしまったようだ。




その顔を見ると、なんかいつも泣きたくなってしまって、
いつもグッとこらえている。



こう・・時空を超えて、どこかにトリップしているような錯覚というか、
安堵感というか、そんな不思議な感覚に包まれる。

言葉でコミュニケーションできないことは、
もうそんなに重要じゃないような、そんな気さえする。


ただ、俺とおふくろの間だけだったら、それでもいいのかもしれないけど、
おふくろも社会の中で生きていかなきゃいけないので、
やっぱり言葉は必要だ。



今日、おふくろに、音楽とか聞きたいでしょ?と聞いたら、
大きくうなづいていたので、明日、iPodにおふくろの好きな曲をいっぱい詰めて、
持っていってあげよう。

iPodくらいだったら、複雑な操作が無いから動かせるでしょ。たぶん。

っていうか、そのくらい使えるようになってもらわなきゃ困る。


以前は、バリバリ車も運転したし、
ケータイだけじゃなく、パソコンもやってたわけだし。


それもリハビリだな。うん。



という感じで、いろいろとあるにはあるけれども、
最低限の意思疎通ができるようになっただけでも大きな進歩。

まずはそのことを喜びたい。



がんばっぺ。おかあさん。

 


posted by わこう at 03:03| Comment(1) | TrackBack(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする