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2011年04月29日

支援プロジェクト 3回目の女川。


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3回目の女川支援に行ってきました。


今回は、皆さんから送っていただいた支援物資と、


さらに!


皆さんから募金いただいたお金で購入した軽自動車を届けてきましたよ!




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今回購入した軽自動車、スズキエブリィくんです。

後ほど、雪音さんから会計報告がありますが、
今回、この車をまるまる2年車検付きで18万円で購入いたしました。






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今回、まる2年車検が付き、さらに、埼玉から仙台まで自走してくださった上に、
自転車やガソリン、子供たちへのおもちゃなどの支援物資を持ってきてくださった、
神様のような方、埼玉の車屋さんダイエイエンタープライズの大熊さん。

今回は、俺がヤフオクで見つけた車なんですが、
災害支援として好条件で出品してくれていました。

しかも、自走で持ってきてくださることが出品内容に書かれていました。


大熊さん曰く、

「自分も何かしたいと思って。被災地に実際に行ってみようと思ったんです。」

と。


車の代金から考えると、
車検代、自走経費、支援物資、帰りの交通費、名義変更の手数料など、
本当は割に合わないんじゃないかと思うんだけど、
これが大熊さん流災害復興支援のやり方なんだと俺は解釈しました。

なので、今回は、大熊さんのご厚意に大いに甘えさせていただきました。


大熊さん、本当にありがとうございます。


こういう人とご縁ができることも、また超うれしい。



さて、今回も皆さんから送っていただいた物資が大量にありました。





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今回も、後輩の石橋くんに車を出してもらった上に、

エブリィくんにも満載の荷物に。





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車への積み込みには、まくろび庵の2階に住んでいる、
俺の小学校のクラスメイト、佐賀ちゃんも手伝ってくれました。






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さらに、仕事中だった、親友ナベさんも途中で合流して、男4人での珍道中。

右側がナベさん、左側が大熊さん。
大熊さん、社協さんのヘルメットがお気に入りの様子。







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そして、毎度おなじみの女川で一番大きい避難所で荷下ろし。

自衛隊の皆さんも手伝ってくれて、あっという間に荷下ろし完了。






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今回は、まとまった数の物資があったので、災害対策本部直で受け取ってもらいました。

どうでもいいけど、すげぇ絶壁だな。俺。


おふくろ曰く、赤ん坊の時は、寝返りもうたずスヤスヤ眠る良い子だったそうで、
それが原因で絶壁になったそうです。わははー。








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自衛隊の皆さんが、物資の整理をしてくれていました。








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避難所で飼われているワンちゃん。

動物見ると、とりあえずコンタクト取ります。
犬には実はとても好かれます。(笑)





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荷下ろしが終わって一息つく、ナベさんと石橋くん。






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そして、震災直後、この大きな避難所の中で、自転車の修理を黙々としていた自転車屋さん、
Nさんに、大熊さんが埼玉から持ってきてくださった自転車をお渡しさせていただきました。


ちなみにNさんは、近所で被災しなかった工場の一角を間借りして、
自転車屋として復活することが決まったそうです!


いやー、良かった。

こうやって、少しずつ復活していく人がひとりでも多くできるように、
皆さんも一緒に応援しましょう!



さて、今回のメインイベント。


今までは伏せていましたが、BLOG掲載の許可をいただいたので、
お名前と写真を公開することにしました。



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清水地区の孤立集落のリーダー、阿部さんに、皆さんからの募金で購入した、
軽自動車を届けに行ってきましたよ!


お父さんは、

「ありゃー!上等な車だっちゃ!」

と言ったあと、ちょっと目を潤ませ、


お母さんは、家の中から出てくるなり、
泣きながら抱きついてきました。

「うわーん!

本当に持ってきてくれたんだっちゃー!」



と。


約束を果たしに来たよー。



大熊さんが埼玉から自走してきてくれたと話すと、
大熊さんにも泣きながら抱きついていました。


大熊さんも泣きそうになって、俺もそれを見てもらい泣き。






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石橋くんが証拠写真として、俺と大熊さんが入ったところを撮影してくれました。


今思えば、三脚使って、石橋くんとナベさんも入って、
みんなで撮れば良かったなー。


石橋くん、ナベさん、ごめんなさい。





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ナベさんと阿部のお父さんは、妙にウマが合うらしく、話し込んでいました。



そして、ナベさんは仕事に戻らなきゃいけない時間となりここで別れ、
石橋くん、大熊さん、俺の3人は、阿部さんのおうちにお邪魔させていただいて、
お茶っこをご馳走に。


阿部さんちの一階部分は、高さ180センチくらいまで水に浸かったんだけども、
震災後コツコツと掃除をして、水が入ったとは信じられないくらいキレイになってました。


まだまだ片付けなきゃいけないところがあったり、畳を干していたけど、
津波で水浸しだったことを考えたら、本当に大きな前進だ。


さらに、阿部さんちの近所の電柱が、奇跡的にダメージが少なく、
つい数日前に、やっと電気が復旧。

さらに、水道も復旧したので、とりあえず生活にはあまり不便が無くなった。


この辺も、少しずつ復活に向けて動き出した。



車も手に入って、この集落は一気に復活に向けて動き出すだろう。


皆様からの善意、しっかりと届きましたよ!


本当にありがとうございます。


今後も、車が必要な方に少しずつだけども、
継続的にサポートしていきたいと考えています。

ご支援をよろしくお願い申し上げます。



さて、この日、俺のお友達の、仙台のコーチングの大家、
アライブ・ワンの後藤美香さんご夫婦も女川に来ていて、

「渡したいものがあるので合流できませんか?」と連絡が。


美香さんは、女性や子供たちのケアのために、
定期的に女川の病院や避難所を訪れ、ボランティア活動をしている。


素晴らしいね!





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なにやらゴニョゴニョとやっていますが、
カツアゲしているヤクザじゃありませんから。

「奥さーん、今いくら持ってんの?ん?ん?」





って、違うから!







で、美香さんから預かったものとは・・・



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ビール!



ここは、今回回った3ヶ所目、野々浜の避難所。

最近、東北電力の社員寮に移ったようで、11家族がここで避難生活をしている。



電気は来たんだけども、水道がまだ。
というか、水道復旧の見通しが全く立っていない。

まだまだ大変な状況だ。


だからせめて、ビールが飲める人は、お酒をたしなむくらいしてほしい。


そんな願いを込めました。


美香さん、本当にありがとうございます。



他にも、皆さんからの物資もお渡ししてきましたよ!








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で、俺たちは、犬がいたらとりあえず挨拶します。


このワンちゃんは、この地区で唯一、津波を逃れて生き残ったんだそうです。
大事に飼われていましたよ。




ということで、今回は女川の大きい避難所、清水の阿部さんのところ、
野々浜の避難所と、3ヶ所を回って帰ってきました。



今回、帰りは鮎川方面をぐるっと回って来たんですが、
その途中にいくつも小さな避難所があり、
雰囲気として物資が充分に行き渡っていない感じがしたので、
次回は、ちょっと女川はお休みして、そっち方面を回ってみようと思います。



ということで、今回もドタバタ珍道中ではありましたが、
皆さんからの本当に暖かいご支援で、多くの方々に喜んでいただくことができました。

厚く御礼申し上げます。







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この阿部さんのように、強くたくましく復活していく方々が、
ひとりでも多く現れるように、継続的なサポートが必要です。


今後とも、皆様のご協力をお願い申し上げます。


ありがとうございます。

 
posted by わこう at 03:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月27日

7周年で営業再開。

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震災後、ドタバタしていて気づいてみたらもう4月が終わってしまう。


ガスがなかなか開通にならなかったから、営業を再開できずにいたんだけど、
ガスが開栓して「よーし!」と思ったところで、まさかのおふくろの入院騒動


やっと気持ちも落ち着いたので、営業を再開します。


本当は、ゴールデンウィーク明けからにしようと思ったんだけども、
よくよく考えると、あさって4月29日で、

珈琲バカBLOG開設7年の記念日。


いやー、7年ですよ。7年。

長かったような短かったような・・・



しかし、ここまで続けられたのも、毎日アクセスくださる皆さまのおかげです。

本当にありがとうございます。


最近は、被災地支援やおふくろのことが重なって、
いろんな方から、「休んでください。」とか、「心配です。」とか、
温かいおこえがけをたくさん頂戴して、そのたんびに胸が熱くなっています。


本当にありがとうございます。


ここ2〜3日は、さすがに身体もガタガタだったので、
少しゆっくりさせていただきまして、パワーもまた取り戻してきました。


さらに、営業再開を心待ちにしてくださっている声もあり、
BLOG開設7周年の記念日に、営業を再開することにしました。


しばらくお店を開けていなかったブランクもあるので、
勘を取り戻すのにちょっと時間がかかってご迷惑をおかけするかもしれませんが、
良かったらメシ食いに来てください。


そして、なぜ冒頭にナポリタンの写真があるのかというと、
この営業再開から、ナポリタンをメニューに加えたからです!




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オーガニックのパスタに、神のケチャップとの異名も高いヒカリのケチャップ、
大豆肉を使った完全ベジ仕様となっております。

ドリンクとセットで1200円です。



また、来月から、俺が焙煎した珈琲豆の通販も始めます。


なんだかんだで経済活動ができなかったので、
そろそろ俺も自分のことを考えなきゃいけません。

なので、俺自身のご支援をいただけるのでしたら、
どうか、珈琲豆をご購入いただきたくお願い申し上げます。


ラインナップは、

・オーガニックブラジル
(世界で初めて無農薬化に成功したカルロスさんの珈琲豆)


・有機 ペルー(甘味と酸味)


・有機 メキシコ(ほどよい苦味)

・有機 エクアドル(爆発的な甘味と苦味)


という4種類。


値段はすべて同じで、200グラム1400円です。





なお、売り上げの一部は、被災地支援のための募金とさせていただきます。


一般的に売られている珈琲豆に比べると、お値段は張りますが、
ご注文をいただいてからひとつひとつ丁寧に焼いてますし、
素性のとても良い豆ですので、味には絶対の自信があります。

5000円以上お買い上げで送料無料。

銀行振込か、代引き(クレジットカード対応で手数料420円)です。

店頭でもお買い求めいただけますが、
焼き上がりまで20分ほどお時間を頂戴します。


通販サイトが完成するまで、ちょっとご不便をおかけしますが、

ご注文・お問い合わせは、facebookもしくは、

wako@caferoman.tv

までメールでお願い致します。



ゴールデンウィーク期間の営業日ですが、

4/29〜5/2 12:00〜18:30まで営業

5/3〜5/5 お休み


以後、基本的に火曜日定休となりますが、
出張等もありますので、まくろび庵カレンダーをご参照ください。


ゴールデンウィークを利用して、被災地支援に入られる方もいらっしゃると思います。

ぜひお立ち寄りいただいて、コーヒー飲んでホッとしていただけたら幸いです。


よろしくお願い申し上げます。

 
posted by わこう at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女川からのお礼状。

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今日、女川からのお礼状が届いていました。


先日物資を届けに行ってきた
女川第二小学校からのお便りでした。



その時の記事はこちら

【ご報告】女川と七ヶ浜の物資支援 



このBLOG、まくろび庵のBLOG、
そして、俺のパートナー雪音さんのBLOGをご覧になって、
全国、そして海外からも支援物資を送っていただいた皆さまに、
心より感謝御礼申し上げます。

皆さまから送っていただいた支援物資は、ちゃんと被災者の皆さんに届きましたよ!


子供たち直筆のメッセージも入っていて、見た瞬間、涙が止まらなかった。


俺のところに送っていただいたお便りは、スキャンしてPDFファイルにしましたので、
ぜひご覧になってください。


女川からのお便りはこちら。(PDFファイル約1.6M)



内容を抜粋します。


女川町では、町内全ての小中学校が4月12日に
始業式、入学式を迎えることができました。


これまでとは違った環境(避難所や親戚の家)からの通学。
ほとんどの子がスクールバス通学になりました。


一部マスコミでは食べ物もなく我慢が強いられていることだけが
優先されていますが、子供達も先生方も元気です。


きっとこの困難を乗り越えて大きく成長しますので
引き続きご支援をお願いします。




といった内容でした。


また今後の物資の希望に関しての記載がありました。


4月20日現在、ノート、消しゴム、鉛筆、筆箱、はさみ、のり、
ランドセル等の物品
は十分に足りているとのことです。



先日4月17日の
物資支援の記事と現在募集中の物資はこちら


明日、さらに、皆さまからの善意の集大成である、
軽自動車を届けに、また女川に向かいます。



今後不足が予想される物資に関しての希望もありましたので、
また
女川の避難所と周辺の孤立集落の方々の希望を併せて伺い
改めて必要な物資を募集したいと思います。



また沿岸部の地域は車がすべて流されてしまっています。
集落に一台も車がありません。



現在、女川の隣町である石巻市にも少しずつ物が入るようになり、
まだまだ完全ではありませんが、買い物もできる環境になってきています。

一地区に一台の車があれば、石巻に買い物に行けるようになります。


地区毎にワンボックスの軽自動車を贈ろうと思いますので
支援金をお願いしています。


また前回、みなさまからの支援金で
女性用ヘアゴム、髪留め、
化粧品を購入してお届けすることが出来ました。

※おかげさまで贈る車が見つかり支援金が一台分の金額に達しました。
明日お届けする予定です※


必要なものをスピーディーに無駄なくお届けするために、

今後も引き続き、支援金という形でのご支援をお願いいたします。


===================
 【支援金振込先】
 
ゆうちょ銀行 18180−2−15362301

他の金融機関から振り込む場合
 店名 八一八 店番 818  普通  1536230
ホンマ リエ
 ==================

一口1000円で、何口でもかまいません。
※雪音の個人口座になります。YUKINEの口座には振り込まないでください※

また、まくろび庵の店頭にも募金箱を設置しております。

収支は、明日のレポートと共に、後日また会計報告をいたしますね。


皆さん、本当にありがとうございました。



今後ともよろしくお願い申し上げます。

 
posted by わこう at 18:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

支援についての雑感。


本題に入る前にご報告があります。

先日、女川の孤立集落のリーダーAさんに、
支援物資として車を贈りたいという旨を記事にしたところ、
さまざまな暖かいご支援をいただき、条件にピッタリの車が見つかり、
なおかつ、皆さまからの募金額が購入代金に達しましたので、
本日、車を一台確保することができました。

BLOG公開から正味1週間弱。

正直、こんなに早く実現するなんて思わなかった。


ご協力いただきました皆さま、本当にありがとうございます。


また、支援物資を送ってくださったり、直接お店に持ってきてくださった皆さま、
本当に本当にありがとうございます。


28日に、皆さまからの支援物資と、車を届けにまた女川に行ってきます。


詳細は、ご報告記事として詳しく書きますね。




さて、今日は3.11の震災以来、現在に至るまでの気持ちを書いてみようと思う。

先々週から始まった、被災地への物資輸送支援。


全国の(海外からも!)皆さんから、たくさんの物資と、
ありがたいメッセージを頂戴しています。

そして、皆さんが同じ思いでいるのは、

「自分も何かしたい!」

ということ。


俺もそうでした。



知人である平くんが、震災直後から、命がけで物資調達をし、
被災地に届けるということをしているのは知っていた。

だけど、震災直後に俺が最優先したのは、身内の安否確認と復旧。


俺の実家は大丈夫だったことがわかったので、
仙台からちょっとだけ離れたところで暮らしていたりえさんのお母さんの安否確認。

そして、マンションの11階にある、シッチャカメッチャカになった、
りえさんのショールームの復旧。

俺の店の復旧。

大切な仲間、ほずみちゃんへの物資輸送。


まずは俺ができたのはこのくらい。


だけど、心のどこかで、
平くんがあれだけガシガシ動いているのをBLOGで読んでは、
俺にできることはないかと真剣に考え始め、気持ちがざわざわと落ち着かない。


そこで、本当は身内や知人に使ってもらおうと買った電磁調理器が5台あり、
それを、平くんに託そうと思い電話をかけ、
待ち合わせ場所で平くんと合流したときに、俺の中の何かが弾けた。

平くんの「熱」に巻き込まれたというか。


本当は、ウチが窓口で物資を募集し、それを平くんに託すという、
中継役をしようかなーなんて考えていたんだけども、
平くんのスピードがものすごいもんだから、モタモタしてたら足手まといになりかねない。

だから、まくろび庵に送っていただいた物資は、
平くんにいろいろ聞きながら、俺が責任を持って現地に持って行った方がいいと思った。


そんなとき、時を同じくして、「自分も何かしたい」と考えてウズウズしていた、
高校の後輩である石橋くんから連絡が来て、一緒にやることになったわけだ。


初めて被災地に入るときは、なんのつても知り合いもないから、本当に緊張した。

さらに、皆さんからの物資をすべて配り終えるという責任もあり、
さらにさらに、被災者の方々にどう接したらいいのかわからない不安。



だけど、現地に着いてみたら、何とでもなるということがわかった。



だけど、物資のこと、その流通経路など、いろんな人の話を聞けば聞くほど、
ニーズや言うことが全く違うから、よけいわかんなくなった。

いやー、平くんは、震災直後から、この交通整理役をやっていたのかと思うと、
本当に頭が下がる。



で、俺たちは俺たちなりに情報収集をして、
ニーズと、俺たちにできることを照らし合わせて出た答えが、
今回の車を贈るプロジェクトとなったわけだ。


きっかけは平くんだ。それは間違いない。

彼は俺に火をつけたのだ。



だけど、やっぱり俺は平くんの真似はできない。

情報量、ブレーン、スピード、何もかもケタ違いだ。


だったら、俺にできる形に変化させればいい。


俺の友人・知人にも、
直接現地に入って、ボランティアや物資支援をしている人がたくさんいる。

みんながそれぞれに、できることをやっている。


それでいい。


今回の被災地は、あまりにも被害の規模や範囲が大きすぎて、
とてもじゃないが、俺個人がすべてを把握することなんてできない。


だったら、俺が出会った、ご縁のあった方々に対して、
ひとつずつコツコツとやっていくことが俺のやり方。


100人いたら、100通りの支援の仕方があっていい。


だから、実際に被災地に行けないことに後ろめたさを感じる事なんてないし、
どうしても心が揺れるんだったら、支援物資を持って、
小さな避難所や孤立集落を実際に回ってみるといいし、
募金や物資を誰かに託すという支援の仕方でいい。

今は行けなくても、半年後、1年後に被災地に行くのもいいと思う。


ルールなんて無いし、みんな気持ちで動いているのだ。



そして、俺にとっては、俺のこの小さな店を心のよりどころにしている人もいてくれる。

だから、被災地支援をしながら、地元仙台の人たちの支援もしていく。


っていうと、たいそうな言い方だけども、
ホッとしたい人が、俺の珈琲を飲んで、ホッとして、思いの丈を喋って、
スッキリして帰っていただけたらそれでいい。

ウチの店は、そんな店で在り続けたい。


それも俺の支援。



だから、「何かしたい」と思っているのならば、
その気持ちのまま動いてみてはどうだろうか。

たとえ自己満足だったとしても、、1人でも喜んでくれる人がいたら御の字だ。

俺もそんな気持ちでやっている。


ただ、現地に入るときは、
余震やパンク、津波、粉塵に充分気をつけて、自己責任で。



なーんて、カッコつけてみました。

 
posted by わこう at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おふくろ倒れる。


母。

先週の日曜、おふくろが脳出血で倒れた。


俺はそのとき、支援物資を届けに女川にいたんだけども、妹から電話があり知った。


かなり出血が多く、命はとりとめたとしても、
右半身の麻痺と言語障害が残る可能性が大だと。

そしてそのまま緊急手術に入った。


妹から、手術は4〜5時間かかるというし、
今病院に来ても、ただ待つしかないからやることをやってくれと言われた。

どっちにしても、急いで仙台に帰っても2〜3時間かかるし、
とにかく今日やることをしようと、急ぎつつ支援物資を届けに避難所を回った。



最悪の場合、おふくろが死ぬかもしれない・・・


そんな恐怖が湧く中、あろうことか、帰りの石巻で事故渋滞。



焦ってもしょうがない。でも、焦らないわけがない。
パニックを起こしそうになるのをこらえた。


せっかく大震災で生き残ったのに脳出血で死んだらシャレにもなんねーよ。



夜、やっと病院に着く寸前、妹から手術が無事終わったと連絡が。


着いてすぐ、先生から説明を受けた。

おふくろは、親父が散歩に行っている間に倒れたらしく、
親父が最後におふくろを見てから台所で倒れているのを発見するまで1時間半。

実際どのくらい倒れていたのか、正確な時間がわからない。


が、先生の説明では、かなり出血が多く、
実際におふくろから摘出した、親指の先くらいの血のかたまりが入ったビンを見せられ、

「この10倍くらいは出血がありました。」

と。

だいたいミカン1個分くらいか。


やはり、右半身麻痺と言語障害の兆候が見られ、
リハビリも含め、入院6ヶ月との診断。


集中治療室で眠っているおふくろの姿を見たとたん、
それまで張り詰めていたものがプツンと切れて、泣き崩れてしまった。




とにかく生きててくれてよかった。




自分で言うのもなんだけど、
大概のことはいろんな修羅場を超えてきた自負があるから、揺るがない自信がある。


だけどおふくろだけはダメだな。


俺、マザコンだし。
おふくろのこと大好きだもん。



学生のころ、悪さをしてはおふくろが学校とかで頭を下げてる姿を見ては、
申し訳ないなーと思っていた。

俺が離婚後、ボロボロになったとき、
おふくろが泣きながら「あんた、がんばんなさいよ。」と言ったこと。

トラックの運ちゃんをしていることを心配して、
花屋をやるから手伝えと、身体を張って俺をトラックから降ろしたおふくろ。

事業に行き詰まって悩んでいたとき、井上陽水のコンサートに誘ってくれて、
帰りに寄ったホルモン屋でホルモンをつつきながら、
涙を浮かべてぶっきらぼうな言葉で励ましてくれたおふくろ。


いろーんなおふくろを思い出して、泣き崩れてしまった。



今日、手術から5日経ち、日に日に回復はしているものの、
意識はあるけどまだぼんやりしているし、まだ目がうつろ。

あーとかうーとかしか言えないし、
話しかけてもわかってるんだかわかってないんだか・・


頭には生々しい手術痕。


重度の認知症の人、もしくは精神障害の人と話しているようだ。



先週の金曜日、女川に持っていく支援物資の仕分けを手伝ってくれた。

俺がそういう支援活動をしていることを誇らしく思ってくれていた。

「私も何か手伝いたい。」と、仕分けを喜んで買って出てくれた。


汗をぶっ垂らしながら、指を切りながら、一生懸命手伝ってくれた。
本当に楽しそうだった。


だけど、それが俺が見たおふくろの最後の元気な姿。


今のおふくろは、別人のようだ。

言葉は悪いが、廃人のようになってしまった。



やるせない。

今後、完全とは行かないまでも、元のおふくろに戻れるのだろうか・・

そんな不安が拭えない。



心が完全に折れてしまった・・・。


先日の2回目の大きな余震で、せっかく片付けた店がまたメチャメチャになり、
やっとそれも片付けて、さぁこれからというときだったのに、

今度はおふくろが・・・


いやー、まいった。



でも、とにかく回復を信じて、リハビリを手伝ったりしていくしかない。



実は、去年、りえさんのお母さんも動脈瘤で手術を受けたんだけども、
今回おふくろが運ばれた病院がたまたま同じ。

そして、担当の先生も同じ。


いやー、偶然にしては出来過ぎてるな。


現在のりえさんのお母さんは、ちょっとだけ手にしびれとかあるみたいだけども、
手術したのなんか忘れるくらい元気でパワフルだ。

その過程を俺もずーっと見てきたから、たぶんおふくろも大丈夫だろう。


というか、そう信じたい。



先日、震災後に実家の整理をしていたら、俺の昔の写真が出てきた記事を書いた。

その記事はこちら。



実は、そのほかにもまだあった。



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俺は愛されて生まれてきたんだな。


この写真を見るたびに、なんだか泣けてきちゃう。



今まで迷惑をかけてきたことや、今まで受けた恩を返すときだ。


おふくろのためならなんでもやる。


下の世話でも何でもだ。




必ず良くなってよ。おかあさん。

 
タグ:おふくろ
posted by わこう at 01:16| Comment(12) | TrackBack(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

2回目の女川物資支援。


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昨日、皆さんから送っていただいた支援物資を届けに、
石巻〜女川と再び回ってきましたのでご報告いたします。



今回は、俺の高校の後輩の石橋くん、石橋くんのお友達の藤間さん、
そして、俺の親友のナベさんご夫婦も加わって、5人での物資支援。

石橋くんとナベさんに車を出してもらって、結局、2台に満載!


その2日前、ウチのお店のお客様とおふくろに、
ボランティアで皆さんからの物資の仕分けをしてもらって、
いろーんな人の思いが乗っかった物資支援。


責任持ってお配りしてきましたよー!



今回は、石橋くんが、仙台市泉区の社会福祉協議会(以下 社協)と仲が良くて、
社協さんから託された物資もあり、石巻専修大そばにある支援物資センター経由で女川へ。




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石巻の支援物資センターの近所に、自衛隊の拠点が。

スゴイ数のトラックとテント。


いやー、頼もしい限りだ。
自衛隊の皆さん、本当にお疲れ様です。ありがとうございます。


自衛隊員も、この大災害で本当に過酷な環境の中、
避難している皆さんのサポートやがれきの撤去、遺体の捜索などをしている。

本当に頭が下がる思いだ。



先週女川に行ってからちょうど1週間。


自衛隊や民間の業者さんが、本格的にがれき撤去作業に入っているので、
少しずつ、がれきの山が無くなって整理されてきている。



とはいえ、まだ


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こういう感じだ。



今回は、先週行った、女川の総合運動場の避難所に立ち寄りって、
先週に引き続き、皆さんからのお菓子、子供靴、マンガ本、子供たちの玩具などをお渡ししてきた。

また、前日に、職員の方に電話して要望を聞き、皆さんから募金していただいた中の一部から、
メインの物資ではなかなか行き届かない、
髪を束ねるゴムや髪留めなど、約100人分を買い出しさせていただきました。


本当に喜んでいただいてうれしかったなー。




そして次に、先週も行った、S地区のAさんがいる孤立集落へ。


旦那さんも奥さんも、元気に家の復旧作業をしていてホッとした。


ここでも、お菓子、衣類、生活用品などなど、喜んでいただいた。



今回は、旦那さんや奥さんと、じっくり立ち話を。

何回も涙ぐむ場面もありながら、明るく振る舞おうと一生懸命話すAさんご夫婦。


その中で、多くの友人や同僚を津波で失った旦那さんが言っていた、

「悲しみとか怒りとか、そんな感情はどっかに吹っ飛んじまった−。
とにかく、今やることをやるだけだ−。」


っていう言葉が印象的だった。


Aさんちの前には、水産加工場から魚がいっぱい流れてきて、
先週行ったときにはとんでもないにおいが立ちこめていたが、
1週間の間に、少しがれきも撤去され、先週よりはにおいも軽減されてはいるものの、
それでも凄かったなー。

そんな環境の中でも、いつも明るいAさんご夫婦。


聞けば、震災前からその地区のリーダー的存在だったそうだ。


だから今でも、隣人を気遣い、お世話をしている。



そこでひとつ皆さんにお願いがあります。


Aさんも周りの人たちも、
車がすべて流されてしまって、集落に一台も車がありません。


Aさんにリーダーになってもらい、
その地区にワンボックスの軽自動車を贈りたいのです。

現在、女川の隣町である石巻市にも、少しずつ物が入るようになり、
まだまだ完全ではありませんが、買い物もできる環境になってきています。

S地区に一台車があれば、石巻に買い物に行けるようになるんです。



誰でも運転できるように、できればオートマで、車検の長いもの。

現在は、町がメチャメチャだから、
警察も多少の細かいことは大目に見てくれているみたいなんだけども、
9月くらいを目処に、取り締まりも再開するようで、
ナンバーが無いとか、車検切れの車を使えるのもそう長くないようなんです。


そこで、

1,この記事を読んで、使わないワンボックスの軽自動車を持っていて、
格安で譲ってもいいよという方がいらっしゃったら、提供していただきたいのです。


古くても、ドアになんか会社名とか書かれていても、多少傷があってもいいです。

車検が長くない、もしくは切れている場合は、
こちらで可能な限りなんとかしたいと思います。

ご連絡は、Twitterやfacebook、もしくは、

wako@caferoman.tv

までメールをください。

※ケータイに転送しているアドレスではないので、お返事が遅れる場合があります。


2,車の購入代金のご支援をお願い致します。

先日、俺のパートナーである、(株)YUKINEの代表取締役、雪音りえさんが、
お金でご支援いただくために、口座番号を公開しました。

直接振込プロジェクトの概要記事はこちら。


===================
 【支援金振込先】
 
ゆうちょ銀行 18180−2−15362301

他の金融機関から振り込む場合
 店名 八一八 店番 818  普通  1536230
ホンマ リエ
 ==================

一口1000円で、何口でもかまいません。

また、まくろび庵の店頭にも募金箱を設置いたしました。


車の購入代金、名義変更・登録や陸送にかかる費用を、
支援金の中から使わせていただきます。


収支は雪音さんに管理していただいて、会計報告をいたします。


皆さんのご協力をお願い致します。


※※※追記 4/23※※※

皆さんの暖かいご支援により、Aさんに贈る車が見つかり、
募金が購入代金に達しました。

今月中の納車のために現在準備中です。
詳細は、収支報告も兼ねてBLOGに掲載していきます。

なお今後も、Aさんのような孤立集落で、
車が必要な方との出会いがあると思いますので、
その都度BLOGで公開していきます。

また、車の購入資金や必要物資の買い出しの資金のために、
今後も募金活動は継続していきますので、ご協力をお願いいたします。


皆さま、本当にありがとうございます!

※※※※※※





さて、また報告に戻って、S地区をあとにして、
今度は、女川でも少し離れた場所にある、野々浜の避難所へ。


野々浜は、牡蛎の養殖が盛んな地区だったんだけども、
今回の津波で壊滅的な被害にあった。


この集落の人たちのほとんどが、牡蛎の関係者。



DSC_0090.jpg
一見、穏やかで綺麗な海なんだけども、やはり津波の爪痕が。


小高い丘の上にもかかわらず、
その丘の上に建っている4階建ての建物の2階部分まで水が来た。

津波警報が出て丘の上に避難はしたものの、
まさかこの丘の上まで水が来るなんて誰も想像しなかったんだそうだ。


しかし、想像を絶する高波が来て、
昨日話したおじさんが手を出したんだけども、つかみ損ねて目の前で流されてしまった人がいたと、
涙を浮かべながら話してくれた。

もちろん、こちら側からそんな質問なんてしない。

だけど、そのおじさんも、自責の念からなのか、堰を切ったように話し出す。


そして少し話をしては、涙ぐんで言葉を詰まらせる。


本当に辛いんだと思う。


初めて会った俺たちにまで、そんな辛い話を。

吐き出したいのだ。


だから、黙って聞いた。



ひとしきり吐き出したあと、

「でも、何年かかっても必ず復活して、
またおいしい牡蛎を皆さんに食べていただきたい。」


と。


その避難所は、荒涼とした中、
電気も無い、それこそまだ原始的と言っても過言ではない状態なのに、
そんな状況下でも決して折れてない。


希望を捨てていない。


なんという強さ。




その強さに打たれて、俺も泣いてしまった。


いまでもそのおじちゃんの顔を思い出すと泣けてくる。



で、その避難所でもいろいろと物資を受け取ってくれたんだけども、
一番喜ばれたのは・・・・




タバコ。




タバコを出した瞬間、みんな顔がパァーッと明るくなって、

「なんだべー!誰もタバコ吸わなくていいなーって思ってたのに−。アハハー!」

「●●さん、帰ってきてタバコあったら喜ぶっちゃねー!」

「んだからー!」

なーんて会話がバンバン出てきて、おばちゃんたちにも満面の笑みが!


いやー、思いがけず想像以上に喜んでいただいてうれしかったなー。


そのタバコも、皆さんの支援金から購入させていただきました。



そして、今後の支援物資なんですが、今後、下記の物は継続して募集します。

・お菓子

・カップラーメン、缶詰、レトルトなどの副食品

・タバコ

・男女Tシャツ

・男女パンツ(下着)

・男女靴下


※現在、上記以外の物は
まくろび庵ではお受けできません。


また今後変わるかもしれませんが、当面はこの内容でお願い致します。

送り先は、

〒984-0051
宮城県仙台市若林区新寺3-12-32 まくろび庵

電話/FAX 022-295-7772



なお、お願いしておきながら大変恐縮なのですが、
箱を開けなくても中身がわかるように、
外側に何を入れたか書いていただけると大変助かります。

ご協力をよろしくお願い申し上げます。



さて、またご報告に戻って、野々浜の避難所で荷下ろしをしていたとき、
最初に行った総合運動場の避難所に届け忘れがあったことに気づいた。

その時点で午後2時半くらい。


昨日の満潮時刻は午後3時十何分くらい。


「水があふれっから、帰りは気をつけていがいんよー!」

と言われて、半ば信じられなかったんだけども、
忘れ物を届け終わって丘の上から海の方を見下ろしたら、



DSC_0092.jpg


町に海水が!




慌てて出発したんだけども、途中の道は、




DSC_0099.jpg

冠水状態!


この辺はまだ良かったんだけども、石巻の渡波地区あたりは、
道路がすっかり川になっていた。


いやー、ビックリしたなー。


俺たちは車の中でワーワー言ってたんだけども、
それとは対照的に、冠水している地区のおばちゃんたちは、
足下に水がチャプチャプの状態なのに、笑いながら立ち話をしてる!

もうそれが当たり前になっちゃったんだな。


「いやー、またチャプチャプだっちゃわ。」

「んだからー。」


みたいな感じなのかな。



みんな強いなー。しかし。



防波堤が崩れてしまったのもあるとは思うんだけども、
今回の大地震で、沿岸部は1メートルから2メートル、陸地が沈下したという。

おっかない話だ。


それでも、その地区に住む人たちは、それを受け入れた上で生活しているのだ。


言葉を失ってしまった。マジで。




今回も、いろんなショックがありながらも、無事に仙台に帰ってきた。

おかげさまで、今回も、車2台分満載の物資をすべてお届けしてきました。



仙台の市街地に向かう道路上で、

DSC_0110.jpg

「災害派遣」と書かれた横断幕を付けた自衛隊のトラックが。


今回の震災では、いろんなヒーローがいるけれども、
自衛隊員たちも間違いなくヒーローだ。

思わず手を合わせたくなった。



そんなこんなで、クタクタになって家に着き、車を停めてふと上を見たら、




DSCN9425.jpg

見事なムーンボウが!


ムーンボウについての過去記事はこちら。



急いで三脚を使って写真を撮ったあと、ベランダに出て、



DSCN9430.jpg

ベランダから撮影。


いやー、幻想的で見事だった。




別記事で書くけど、実はこの日、おふくろが大変なことになり、
かなりショックだったんだけども、
おふくろや被災者の方々を救ってくださいと、月に向かって手を合わせた。


みんなが救われますように。


そして、みんながまた心の底から笑えるように。


今後、救援・復興支援のために、まくろび庵を任意ボランティア団体として、
本格的に動いていくことにする。


俺にできることを少しずつ。


皆さん、これからもご協力をお願い申し上げます。

 
タグ:女川
posted by わこう at 01:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月13日

トラック現役時代の写真。


teshi_3.jpg

今回の震災で、実家もヒッチャカメッチャカになって大変だったらしいんだけども、
それを機に、おふくろがいろいろと片付けをしていたら、
俺のトラック野郎時代の写真がいろいろと出てきた。

ということで、何枚かアップしてみた。




teshi_2.jpg

これは俺が23くらいの時。
佐川急便の名古屋便を走っていたころ。

ひょっとして今より老けてる?


この頃は、バブルははじけていたものの、その余波がまだ残っていて、
仕事もたくさんあったから、俺みたいなあんちゃんでもカンタンにトラックに乗れた。

いい時代だったよ。


で、この仕事をしながら、仙台に帰ってきたときに自動車学校に通って、
牽引免許を取り、




hokkou_3.jpg

この、太平洋フェリーの子会社に入った。

いやー、何回も過去記事に書いてきたけど、
この会社は仕事がハードで殺されるかと思ったよ。マジで。




hokkou_12.jpg

でも、頑張って仕事してました。

この頃で25〜6くらいかな。





hokkou_13.jpg

この頃の流行ね。

ヤクザメガネと、金の喜平ネックレス。







hokkou_11.jpg

真夜中に、妙なハイテンション。

アホだ。



で、頑張った甲斐あって、車が新しくなって、


hokkou_4.jpg

こうなった。

だけど、V8でツインターボの380馬力だったけど、やっぱり荷物を引っ張ると非力で、
もうちょっとでっかいエンジンのが欲しかったなー。





528_2.jpg

で、当時乗っていた、BMWの528i。

この車のことは、過去記事にも書いた。

その記事はこちら。



と、地震がきっかけで出てきた懐かしいもの。


今、あの頃の仕事に戻れるかと言われたら、絶対無理。

馬車馬のように働いてたしなー。


今、こうして自分でお店を持って細々ながらも続けられることって、
本当に幸せだなーと思う。


と、ちょっと振り返ってみた。

 

posted by わこう at 01:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 嗚呼 トラック野郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

今後の物資支援について。

DSCN9282.jpg

この記事は、珈琲バカ、まくろび庵BLOG、両方に書きます。


このたびは、皆様からの心のこもった温かいご支援、本当にありがとうございます。


4/10に、女川、七ヶ浜に、皆様から送っていただいた支援物資を届けに行ってきました。

そのときの時系列でのご報告記事はこちら。



今回、たくさん集まりましたので、すべて車に積むことができず、
第1便として行ってまいりましたが、
おかげさまですべての物資を受け取っていただくことができました。


そして、今後の物資支援についてなのですが、コメント、メール、Twitterで、

「必要なものの状況は変わると思うので情報を出してください!」

というメッセージをたくさん頂戴し、俺もそのつもりで現地に入りました。


が、正直なところ逆にどうすればいいのかわからなくなってしまったのが本音です。



ニーズが、立場や環境によって、あまりにも多岐にわたりすぎるからです。


したがって、今後の物資支援について、主に4つの方法に絞ることにします。


1,女川町の災害対策本部に、正規ルートで直接送る。

女川の災害対策本部では、保存の利く副食品であれば大歓迎と言っていました。


昨日、女川の災害対策本部の代理人の方が、「お願いタイガー」という、
災害用掲示板に、救援物資募集のトピックを立てていましたので抜粋します。

なお、ゆうパック、ヤマト便は、災害対策本部まで届くそうです。


【必要物資】食糧 4月12日(火)現在

主な食糧(おにぎり・パンなど)は届いていますが、副食品が足りません。
調理できない環境にありますので、簡単に食べられて、
日持ちがする食糧品のご支援をお願い致します。

・野菜ジュース ・インスタント味噌汁 
・魚肉ソーセージ・ 缶詰 ・レトルト食品 ・調味料など

【送付先】
〒986-2224 宮城県牡鹿郡女川町字大原310 災害対策本部物資班宛
電話番号 080-5949-7547

●クロネコヤマト
●ゆうパック
が直接配送可能です。

【ご注意】

※被災地のボランティアの方々は、かなり疲れがたまっていらっしゃいます。
是非、以下をお守りくださるよう、お願い申し上げます。

★ダンボールに梱包して中には1種類のみを入れて発送して下さい。
★ダンボールの表面に大きな文字で「救援物資」と記載して「中身」の記載をお願いします。
(楽天さんなどに配送依頼する場合も、その旨を明記してください)
★救援物資はできるだけコンパクトにまとめてお送りください。

★支援物資は日々変って参ります。
 お送りくださる前に今一度、確認をお願い致します
★衣類や日用品はとりあえず、足りているとの事ですので、決して送らないでください。

●お問い合わせはコメントか、平林 090-9389-6645 までお願い致します。

皆様の暖かいご協力をお待ちしております。



掲示板本文はこちらのリンクよりどうぞ。


注意事項にあるように、分別作業はとても大変で、
現地の方もとても疲弊しております。

分別が必要ないよう、必ず同じ箱に1種類のもののみで。
※たとえば、カンヅメだったらひと箱全部カンヅメ。

そして、箱を開けなくても確認できるように、
必ず、中身と個数を箱に書いてください。



2,支援金という形で現金でのご支援を送っていただき、
俺たちが必要なものを買い出しに行く。
必要に応じて大きなものも。(たとえば軽トラックとか)



正規の窓口ではない必要物資は、個人レベルで欲しいものが全く変わってきます。

今回、女川で、キーマンとなる方数名の連絡先を聞いてきました。


俺たちが女川に行く2日前くらいに、そのキーマンに連絡し、
欲しいものをとりまとめてもらい、それを買い出しに行って届けます。

御用聞きってところですね。


どんな形にでも使えるのには、やはり、現金で送っていただけると大変助かることが、
今回しみじみわかりました。

仙台市内では、物流もほぼ通常どおりになりましたので、
ホームセンターにも物資が入るようになってきましたので、
調達はそんなに難しくないと思います。



そして、報告記事に書いた、Aさんのように、在宅避難をされている集落では、
車がすべて津波で流されてしまいました。

がれきの撤去をするにも何をするにも、今は体ひとつで作業しています。

ですので、皆様からの支援金を積み立てさせていただき、
Aさんがいる集落や他の集落の皆さんが共同で使えるような軽トラックが必要です。


食べ物、衣類など、生活に必要なものを送り続けるのもいいのですが、
せめて石巻に普通に商品が流通するようになれば、女川とほぼ隣町なので、
今度はAさんや集落の仲間が、自分たちで復興するために、
石巻に買い物に行ったりできるようになるのです。


現在、宮城県でも、行政所有の車を、被災地に恒久的に貸し出す案も出ているようですが、
たぶん、災害対策本部のようなところに配置され、末端の集落には行き渡らないでしょう。


また、電気が安定的に復活したら、スキルのある方に情報を発信していただいたり、
復興を地元で支援していくために、パソコンと通信機器が必要なので、
その購入資金に充てたりしようと考えています。


なので、皆さんからの支援金は、
こういった形で、より現実的なものに変換して使わせていただきたいと思います。


会計役を設け、どんなものを購入するのに使ったかという、管理・報告をしていきます。


先日、俺のパートナーの雪音りえさんが、
東京でコンサルタント業をしている松原靖樹さんの提案する、
復興支援のために直接募金プロジェクトに登録し、口座番号を公開しました。

今回のこの支援金のお願いは、このプロジェクトの活動の一環でもあります。

雪音さんの、直接募金プロジェクト記事はこちら。



 【支援金振込先】
 
ゆうちょ銀行 18180−2−15362301

他の金融機関から振り込む場合
 店名 八一八 店番 818  普通  1536230

口座名義 ホンマ リエ


一口、1000円とさせていただきます。(何口でもOKです。)

また、まくろび庵にも募金箱を設置しました。


以前も記事に書きましが、津波で無くなってしまった町の復興には、
それこそ長い時間が必要です。

できる範囲で少しずつ、長ーく続けていくことが何より大切です。

なので、くれぐれも無理のない範囲でお願いします。





3,一部物資は継続的に
まくろび庵を窓口にして送っていただく。


===========================
4月12日(火)現在
下記のものは、まくろび庵を窓口として募集します。

次回の支援物資を届けに行くのは4月19日(火)です。
4月17日(日)まで必着でお送りください。

それ以降の物は受け付けられません。


★ダンボールに梱包して中には1種類のみを入れて発送して下さい。
★ダンボールの表面に大きな文字で「救援物資」と記載して「中身」の記載をお願いします。
(楽天さんなどに配送依頼する場合も、その旨を明記してください)
★救援物資はできるだけコンパクトにまとめてお送りください。

===========================


下記のものは、まくろび庵を窓口として募集します。

・マンガ全巻セット

大人、子供とも読んで楽しいもの、暴力的な内容の少ないもの
※たとえば、ワンピース、ドラえもん、手塚治虫系、松本零士系、などなど


・娯楽用品やおもちゃ

1人に1個必要なものは不可です。(たとえばニンテンドーDSなど)

トランプ、ボール、ボードゲームなど、みんなで使い回して遊べるもの


・保冷剤 緊急!

大きいものから小さいものまでなんでもいいです。

あるぶんだけ送ってください。

ケーキを買ったときに付いてきたものでもなんでもいいです。
ご近所さんに声掛けして、ひっかき集めてください。

これは緊急を要します。

<送付先>
〒984-0051
宮城県仙台市若林区新寺3-12-32 まくろび庵
電話/FAX 022-295-7772




4,売り上げの一部を
被災地へ支援金として援助する商品をご購入いただく。



現在、まくろび庵や、雪音ショウルームなどで、
売り上げの一部を復興支援の募金として使う商品の準備中です。

詳細は、商品の準備が整い次第、公開していきます。



今回、女川、七ヶ浜と回ってみて、支援物資のニーズもどんどんと変わっていきます。

正直、俺がBLOGで募集して送っていただき、仕分けし、持っていくころには、
もうニーズは終わっていたという感じです。

スピードが速い。

なので、送っていただいた物資か無駄なることの無いよう、
形を変えて募集することにいたしました。

物資についての現場の声を、
お友達のあだちちかこさんがBLOGに書いてくれました。


その記事はこちら。



どうかご理解・ご協力いただきますようお願い申し上げます。

 
 
posted by わこう at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ご報告 女川と七ヶ浜の物資支援。

DSCN9363.jpg

まずは、今回の支援物資の募集にあたり、全国のたくさんの物資を送ってくださった皆さま、
本当にありがとうございます。

あまりの多さに、車に積みきれなかった分もあったんですが、
とりあえず昨日積んでいった第1便の物資は、すべて受け取ってもらえてることができました。

近日中に、第2便でまた持っていこうと思っています。

心よりお礼申し上げます。



さて、皆さんからの支援物資がどうなったのか、気になっている方がたくさんいらっしゃると思い、
現場の現状や今後のことについての事を記事にしようと、
朝から何回も記事を書こうとしたんだけど、あまりにも書きたいことがたくさんあるのと、
現場でのいろんなギャップに面食らったのとが交錯して、なかなか記事にできない。



だから、今後の支援についてのことを書く前に、
一度、時系列で先に報告記事を書こうと思う。



昨日の4/10、今回は、俺の高校の後輩石橋くん、
俺のパートナーの雪音さんと3人で、女川と七ヶ浜に行ってきた。

震災直後から物資支援で動いている平くんに指示を仰いだところ、
この2ヶ所に言ってくれと言われたのだ。




前日の9日、当初想像したよりもはるかに多い量の物資が届いたので、
仕分けをしないと、配るのにも困るし受け取ってもらえない場合もあると思い、
まくろび庵の和室で独りでせっせこと仕分けをした。

宅急便の送り状や、メッセージを一つ一つ読みながら、
ありがたさに胸がいっぱいになりながら仕分けさせていただきました。


で、当日は、朝7時にまくろび庵を出発。


渋滞覚悟で向かったんだけども、三陸道で少し流れが悪くなったものの、
順調に進むことができ、約2時間くらいで女川に到着。


山の手は多少地割れなんかがあったものの、至って普通の景色だったが、
女川の港の方に出た途端、景色が一変。




DSCN9303.jpg

がれきの山。



震災直後、ラジオで「沿岸部が壊滅」と言っているのを聞いて、
「なにをバカな・・」と思っていたんだけど、
本当に、壊滅としか言いようがない、凄まじい光景だった。


平くんが、「日本人なら一度は見ておけ」とBLOGに書いていたが、
いやー、全くだ。

この光景が現実なのだ。






DSCN9304.jpg

倒壊して流れたビル。




DSCN9311.jpg

現場で途方に暮れる自衛隊員。



まずは、女川地区で一番大きい避難所である、女川総合運動場に行ってみた。




DSCN9319.jpg

メインのグランドは、自衛隊ヘリの発着地点になっていた。



ここでまず、災害対策本部に物資を届けにきた旨を伝えたんだけども、
食料(主に米)、水、衣類などの最低限の物資は足りているし、
文具も、先日、ユニセフから大量に送られてきたので大丈夫だと、遠回しに断られた。

実際、倉庫がわりになっている建物の中には、
ドドーンとケースに積まれた大量の物資の山が。

特に、衣類に関しては、とてもピリピリした感じで、
「どんな衣類ですか?」「新品ですか?」と聞かれた。

ただし、副食品は大歓迎だと言われた。


※今後の支援物資のことは、別記事に書きます。




この避難所には、大人数にもかかわらず、外部からのボランティアセンターが無く、
町民の人たち(主に役場の職員の方や学校の先生など)が、
自分たちで切り盛りをしている。

しかし、あくまでも俺が感じた印象なんだけども、
災害対策本部と、それ以外のグループとの連携があまりうまくいっていない感じがした。


本部にはやんわりと断られたわけだけども、引き下がるわけにはいかないので、
教育長さんを通じて、子供たちの文具だけでも受け取ってもらえないかと交渉。

すると、教育長さんは、教育現場の方々(たぶん学校の先生だと思う)につないでくれ、
受け取ってもらえることに。


で、数人が車まで、「降ろすの手伝いますよ!」と来てくれたんだけども、
他に、長靴やゴム手袋、下着類とかあるんだけども・・と言ったところ、
「実は私たち職員が作業するための物資が無くて困ってたんですよ・・。」と、
受け取ってくれた。

やはり、避難所に避難している方が何よりも優先されるので、
職員の方々が後回しになっちゃうのかなーと、勝手に想像した。


で、その他、ビタミン剤やお菓子類、ハンドクリームやリップクリーム、
絆創膏を始めとした薬類などなど、大変喜んで受け取ってくださった。


その後、少し避難所の聞き込みをしようと、ある方に話しかけたら、
親切に避難所をいろいろと案内してくれた。

その人も、職員の方も、口を揃えて言うのは、
子供たちにだいぶストレスがかかっていると。


先日、やっとテレビがひとつ設置されたんだけども、
学校の図書室にある本を持ってきて読む以外、
子供たちに遊ぶものや娯楽が無いんですよと。

確かにな−。


これは今後の課題だ。



避難所の人たちは、天気が良かったこともあり、
皆明るく、元気に見える。

話しかけると、屈託無くいろいろと話してくれる。


だけど、一度話し出すと、地震や津波の恐怖、失った家族や友人のこと、
今後の先の見えない不安、行政に対する怒りなどがブワーッと出てくる。

俺もりえさんも、人の話を聞いてケアするのが仕事でもあるし、
後輩の石橋くんも、そういう話を聞くのは慣れているので、
とにかくうんうんと聞いた。

頑張ってくださいなんてとても言えない。

到底そんな段階じゃない。


震災から1ヶ月経ったけど、被災者の心の傷はそう簡単に前に向かない。


だから、俺も最近、ACのCMを見てると、ムカついたりする。



ひとしきり聞いたあと、ちょっとダジャレを言ったり、
俺がボケ、りえさんがツッコミを入れ笑わせたりする。


「わざわざ仙台からありがとうございます」

と、恐縮する人には、

「困ったときはお互いさまだべっちゃ!」

「仙台で大災害があったら助けに来てけさいんよ!」


と言って笑いを取ったりした。


俺たち3人の中で、「頑張ってください」「頑張りましょう」は禁句。

っていうか、言えないって。頑張ってなんて。


だから、ありがとうと言われたら、ありがとうと返す。

それでいい。



ある人が言っていた。

女川は出遅れたんだ。

南三陸とかは、町長が真っ先に「助けてください」って手を挙げたから、
支援もすぐ来たし、仮設住宅も早い。

女川は、未だに仮設住宅をどこに建てるかすら決まっていない。
物資が入って来るのも遅い。

モタモタしないで早く助けてって言えば良かったんだ。

体育館では、ガラスが割れて風がピューピュー入って来るから、
お年寄りが寒い寒いって言っている。

だけど、それすら直せる目処が立たない。


と、怒っていた。

その人は、震災直後、まる2日何も食べられなかった。


「俺はまだいいんだけど、お年寄りは・・・」


と、言葉を詰まらせた。




確かに仙台も、震災直後はとんでもなかった。

今だって大変だ。

余震で何回も心が折れそうになる。


だけど、ランク付けするわけじゃないけど、
食うことすらままならなかった人の生の声を聞くと、やっぱり胸が痛む。

申し訳ない気持ちにもなる。



その人とは再会を約束して別れた。




その後、津波が来た地区をたまたま通りかかったところ、
かろうじて家が流されなかったS地区で、自宅を復旧している小さな部落があった。

車を停め、「物資持ってきたんだけど、もらってけねぇすかや?」と言ったところ、

「下の部落にはよく物資持ってきた人がいたけど、こっちに来てくれたのは初めてだやー!」

と、すごーく喜んでくれた。


近所の人たちにも声掛けしてくれて、露天商状態でわーっと人が集まってきた。


みんな、気に入ったものをうれしそうに持っていってくれる。


来てよかったー・・・。


報われた感じがしたね。



その、中心になってくれた、Aさんちのおかあちゃんも、
ケラケラと明るいキャラで話していたんだけども、やはり津波の話になると、

「私の友達とか同僚とか、みーんな流されっちまった・・。」

と、涙ながらに話してくれた。


震災後、ずーっとこういう思いを心にしまい込んで、
黙々と復旧作業をしてきたんだろう。

初めて会った、見ず知らずの俺たちに見せた涙。

よほど辛かったんだろうな。


今度は、もっとじっくり時間を取って、Aさんの話をいっぱい聞いて、
いっぱい泣かせて、心に閉じ込めてあるものを吐き出させてあげたい。


Aさんの地区では、なんとか家が大丈夫だった数世帯に、
35人の人たちが、家の復旧をしながら住んでいる。

Aさんちも1階は津波でやられたけど、2階は何とか使えるからと、
家族みんなで2階部分で生活している。


今後、女川に行くときには、このAさんちには必ず顔を出すことにした。


この生き残った35人の部落の中心となる家だ。


この、Aさんちの地区支援プロジェクトもいいアイディアが浮かんだので、
別記事の支援方法に書こうと思う。



Aさんちを後にして、まだ物資が少し残っていたので、
ちょっと広い道路に車を停め、次に行くところをどこにしようかとナビで検索していたとき、
通りすがった車の方が話しかけに来てくれた。

薬剤師会の方々で、石巻に拠点を置き、
薬が欲しいという要請があったところに届けるというボランティアをされている。

その方々が、

「あー、その物資だったら、
これから僕たちが行くところで受け取ってもらえると思いますから持っていきますよ!」

と、引き受けてくださった。


そこで、残りわずかとなった物資を、その方々が受け取ってくれたので、
持っていった物資はすべて無くなって、ミッションコンプリート。


本当に助かった。


もし、石巻周辺(女川も含む)で、薬が必要な方、施設、避難所等がありましたら、
「石巻高校薬剤師会本部」まで連絡してください。

すぐに駆けつけてくれるそうです。

電話番号は、090-4047-6166 乙田さんです。



今回は、一度、災害対策本部で断られたものの、
職員の方々が受け取ってくださったり、
偶然にもまだ誰も行ってなかった、Aさんの地区に導かれたり、
思いがけず薬剤師会の方々が中継してくれたりと、
ラッキーにラッキーが重なって、すべての物資をお配りすることができた。

だけど、毎回そうだとは限らないかもなーと、
あらためて物資支援の責任の重さを感じたのだった。

あとは今回、りえさんが一緒に行ったことで、
女性が警戒心無く、すぐに心を開いて話してくれたのが大きかったなー。


おかげで、いろんな情報収集ができた。



さて、そんなこんなで、女川を後にして、
仙台に比較的近いところで、被害が甚大だった、七ヶ浜町を回って、
情報収集して返ろうということになった。




DSCN9341.jpg

女川港の巨大な油のタンクが転がっていた。



帰りは、石巻港を通って帰ってきたんだけども、



DSCN9357.jpg

沈下した地面に落ちる列車。


この辺の被害も凄かったなー。




そして、七ヶ浜町。





DSCN9360.jpg

海岸にあったガソリンスタンド。







DSCN9363.jpg

遺体捜索中、あまりのがれきに途方に暮れる自衛隊の人。








DSCN9371.jpg

遙か向こうに見える灯台が、なんと傾いている。


津波の威力って本当に恐ろしい・・。



さて、七ヶ浜町は、災害対策本部の他、県外から来たNPOのボランティアセンターと自衛隊が、
がっちりと連携ができていて、女川と対照的な印象を受けた。

物資も潤沢で、ボランティアセンターのスタッフが、
物資の仕分けやニーズの交通整理役をやっている。

また、在宅避難者の把握もバッチリできており、隙が無く、俺たちの出る幕無しといった印象。


念のため、在宅避難者のいる地区に聞き込みに行ったんだけども、
実際、モノには不自由していないと言われた。

実際、そのお母さんの家の数メートル先は壊滅的なのにもかかわらず、
お母さんは、きれいな服を着て、バッチリと化粧をしていた。

電気も復旧したみたいだし、
ちょっと移動すれば、近くの商店にはもう物資が来ているから買い物ができる。

町内の別なガソリンスタンドは、普通に営業をしていた。

ガソリン渋滞など皆無。


しかも、女川では、仮設住宅を建てる場所すら決まっていないというのに、
七ヶ浜には、もうすでに仮設住宅が完成間際だった。


七ヶ浜町は、役場も高台にあるし、都市機能は完璧に機能していて、
「強い町」といった印象だった。


ということで、こんな感じで、1回目の物資支援が終わりました。


記事中にも何回か書きましたが、今後、ちょっとこれからの支援の仕方を変えます。

それは、別記事にまた新たに書きますので、もうちょっとお待ちください。

 
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2011年04月07日

物資配送について。

DSCN9273.jpg

この記事は、珈琲バカ、まくろび庵の両方に書きます。

先日、救援物資を送っていただきたい旨をBLOGに書いたところ、
全国からたくさんの物資を届けていただきました。

お店に直接持ち込んでくださった方もたくさんいらっしゃいました。

皆さん、本当にありがとうございます。


皆さんの気持ちのこもった物資、責任もってお届けいたします。


さて、これからの流れを書きますね。


4/10の日曜日に、俺の高校の後輩が車(四駆のワンボックス)を出して、
一緒に行ってくれることになりました。

日帰りの予定です。


予想以上にたくさん集まっているので、
まずは、今週いっぱいまで送っていただいた物資を、
一度、品目ごとに分別することにします。



品目と数をまとめた時点で、被災地の状況に詳しい平くんに内容を報告し、
どの地区に行ったらいいのかの指示を仰いで行くことにしました。


現在、ボランティアや物資支援、被災地見学の車などが多い上に、
道路もまだ未整備の箇所も多いので、道路が渋滞しているようです。

なので、どこまで、どのくらい行けるのかは皆目見当も付きませんが、
とにかく可能な限り回ってこようと思います。


なお、どんな物資を送ったらいいのかについて、
ご質問も多数頂戴しておりますが、
俺もまだ現地に行ったことがないので、
正直何が必要なのかは現時点ではわかりません。

行ってきて状況を細やかに把握できるかどうかもわかりません。


そして、必要な物資は、刻々と変わっていくと思います。


なにもかも初めての手探り状態ですので、どうかご了承ください。


一番多いご質問に、新品でない服や靴についてがあるのですが、
基本的に、新品、もしくはそれに準ずる物とさせていただきます。

平くんのBLOGに、服についてのことが書かれたので抜粋しますね。



【お願いがあります。】

中古の服は、よほど程度がいいか、買ったけど着てない。
というモノをお願いしたい。

以前なら、

「被災してなにワガママ言ってんの?着ればいいじゃん。」

と思ってましたが、どしどしと集まるブッシッシを見ていると、
どんなに思い出や気持ちが詰まっていても、
どんなに愛情や笑顔の記憶が詰まっていても…


誰も言わないから言うけど、

【汚く見えてしまいます。】

ハードオフや古着屋に負けてしまう。


貧困感が出てしまいます。

何度も言うけど、彼等は貧乏人でも何でもない【たまたまそこにいただけ】

【たまたまそこにいただけ】のおじさん。

【たまたまそこにいただけ】のお姉さん。

自分が【たまたまそこにいただけ】と想像力を働かせて下さい。

無造作に、段ボールにごちゃごちゃと入れられた服をもらって嬉しいですかい?

顔が見えてれば絶対に嬉しい。

色々な考え方の方がいます。

もちろん、喜んで下さる方もいます。


でも、何もかも足りてないエリアでさえも、
中古の服は山のようにダブついている、これが答えです。


人の感情のやりとりですから、どうか不快に思わずにお願いを聞いて頂きたい。


服は新品。

若しくは準ずる程度。


▼マジックで名前が!

▼名札の針の穴が!

▼カレーのシミが!

▼あらオシャレ、毛玉模様♪


皆様にとっては色んな思い出があっても、無理だと思います。

絶対に伝わらないのだと思います。

他人の家のホームビデオは見てられない。それと同じ。


ただ!

俺は死ぬ程嬉しかったから、なんとかしようとシワを伸ばして、
袋に入れて新品のようにしています。





とあります。

記事全文はこちら。


どうかご理解をいただき、ご協力をお願いいたします。



先の記事にも書きましたが、被災地の復旧・復興については、
途方もない時間を要すると思います。

なので、一回こっきりで終わらせるつもりはありません。


ただ、俺も自分の仕事がありますし、合間合間に行く時間を作って、
無理の無いよう、長く続けていこうと思っています。

物資を送ってくださる皆さまも、
ご自身のお金を使って物資を調達したり、
送料をご負担いただいたりしていると思います。

送ってくださる方も、どうか無理の無いようにしてくださいね。


何回も書きますが、とにかく長期戦になると思います。


今週末、実際に行ってみて、進捗や、新たなお願いなど、
随時、BLOGにアップしていきます。


震災直後から、あちこちの被災地を回って活動している平くんが、
情報をたくさん持っているので、
俺にとっては平くんが司令塔になります。


とにかく、皆さんからいただいた、心のこもった物資を無駄にすること無いよう、
被災地の皆さんにお届けしてきます。


よろしくお願い申し上げます。

 
posted by わこう at 17:17| Comment(1) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月04日

救援物資募集します。


珈琲バカ、まくろび庵BLOG、両方に同内容の記事を書きます。


震災から3週間が過ぎ、やっと今日あたりからは、
仙台市街地ではガソリンが並ばなくても買える(お店による)ようになった。


しかし動ける人は、震災直後から、津波に襲われた地域などに、
救援物資を届けるボランティアをやっている。


俺の知人では、平 了(たいら りょう)くんが、その活動をしている。

仙台でもまだ物資が不足している時から、
彼は、新潟まで物資の買い付けに行っては被災地に届けるということを繰り返している。


彼の行動力と、熱いハートには、本当に頭が下がる。


平くんが毎日の活動内容を書いているBLOGはこちら。


その一方で、海外からの支援を断ったり放置している、
バカな政府の、無能さやのんきさ、現状認識の甘さが海外でも話題だ。

そのバカさが一目瞭然のニュース記事はこちら。


毛布の仕様が合わないからと準備し直させるとか、バカじゃないのか?マジで。

毛布が無いばかりに、低体温で死んでしまう避難所の人たちが後を絶たないというのに。


マジであきれる。



話は元に戻って、震災後、ほぼ毎日のように平くんのBLOGを読んでは、
俺も何かできることはないかとウズウズ。

悲惨な被災地の現状を知るにつれ、
この状況はかなり長期化するということがわかる。

仙台の市街地でさえ、もうすでに震災は過去のことになりつつあるような雰囲気だ。

喉元過ぎれば熱さを忘れるで、
ライフラインが復旧して、以前のような生活ができるようになった人たちの中に、
自分たちが良くなれば、もうそれでいい的な人も出てきて、なんか腹が立つ。


先日、電磁調理器を5台ゲットしたので、平くんに託した。

そのとき、平くんから生の現場の声を聞いたんだけど、
俺ですら認識が甘かったと思い知らされた。


もう一度書くが、簡単に「復興」というひとくくりで済ませたいところだけど、
とにかく長ーい長ーい時間がかかると覚悟した方がいい。


そして仙台は、そんな沿岸部の被災地から一番近い、物資の豊富な都市だ。

物流もなんとか元に戻り、仙台市内にもやっと物が入ってくるようになった。


そんな東北の中枢である仙台が、沿岸部への支援やパイプ役をやらなくてどうする。


さらに、俺がいつも読んでいる、ガジェット通信というサイトに、
驚くべき記事が書いてあった。

仙台市の行政には怒りを覚える。仙台市のメジャーな避難所には物が溢れているのだ。
それで東京都庁で物資の受け付けをやっていて物凄い集まっていたのに、
仙台市はもう要りませんと断ったのだ(それで都庁も受け付けをやめた)。


なぜ同じ宮城県で困っている地域に分配しようと考えないのか。


現地のボランティアが余っているなどというのは幻想だ。
今回は余震や原発の関係もあってボランティアはまったく足りていない
特に僕らが回った6箇所の避難所には1人のボランティアもいなかった。


とある。


ビックリだな。

記事全文はこちら。




ということで、前振りが長くなりましたが、皆さんにお力をお借りしたいのです。


まくろび庵に、
被災地へ届ける救援物資を送ってください。



その時々の状況により、平くんに託すかもしれないし、
俺が直接現地に持って行くかもしれません。


平くんがBLOGに書いた、緊急性が高い救援物資は、

◇長靴
現場は釘や瓦礫がひどいため、ゴム長はすぐに穴が開いてしまいます。

◇ゴム手袋
軍手も大事ですが、復興・復旧に進む前に、絶望はしつつも懸命に家族を探している人達がワンサカおります。
泥やヘドロを進み、手で遺体を上げます。
目的とは違っても、見つけてしまった順番に彼等は手で救い上げています。
ゴム手袋が必要です。

◇ビタミン剤、風邪薬
連日いつ倒れてもおかしくないほど、友達や恋人、家族の捜索をしている彼等は、夜は夢を見てしまいまともに眠れていません。
皆さんの想像を絶する光景は心身共に極度の疲労に繋がります。
皆といると明るいけれど、せっかく津波に勝ったのに目の前で凍死してしまう人々を思い出してしまい、泣きだしてしまったり、精神的にも参っています。大の男がです。
せめて俺達は体のメンテナンスの助けになれればと思ってビタミン剤等を物資として送って頂いたり、何とか購入して彼等に渡しています。

◇下着
トイレットペーパーが潤沢ではないと下着が汚れてしまいます。
捜索をしている彼等は生活の基盤を整える以前の状態であることは先にも述べました。
下着、靴下はいくらあっても足りません。
洗濯機がありませんし、半日並んでコインランドリーという時間と気持ちにも余裕はありません。
女性用が足りていませんでした。

◇文房具(えんぴつ)
学校開始が間近です。
しかし、何もかもが足りておらず、商品数を限られたスーパー等での購入品目にえんぴつやノート、筆箱や下敷きは入り込めないのが現実です。
少しずつでも構いません。
かき集めれば、一つの学年が足りる、一つの学校が足りる、と考え方をシフトして頂き、ご自分のお子さま達の教育も兼ねて、「分けようぜ!」と、少しでも分けて下さい。

◇子ども靴
泥々でした。
替わりはありません。

◇チョコレート等の甘いもの
疲れたら甘いものが一番。
パンや食料に重視すると忘れがち、若しくは後回しにされますが、本当に重要です。
元気が出ます。

▼整髪料やシャンプーは沢山頂きましたが、今はそれほど必要がありません。



とのことです。

保存食やトイレットペーパー、生理用品なども喜ばれると思います。



俺が責任を持って中継いたします。


送り先は、

〒984-0051
宮城県仙台市若林区新寺3-12-32 まくろび庵

電話/FAX 022-295-7772



なお、お願いしておきながら大変恐縮なのですが、
箱を開けなくても中身がわかるように、
外側に何を入れたか書いていただけると大変助かります。

できれば、ヤマト運輸かゆうパックなどで。

佐川急便、福山通運はまだダメっぽいです。


仙台市内では、やっとガソリンが普通に手にはいるようになったので、
これを機に、被災地へ救援にいける人も増えると思います。

そして、ガジェット通信に、もうひとつ、

「マイナー避難所の支援方法」

という、大変参考になる記事があったので、
ご参考にしていただけるといいと思います。


微力ながら、俺も役に立ちたいと考えています。


何卒ご協力の程、よろしくお願い申し上げます。

 

 
posted by わこう at 17:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月03日

震災ルック。


震災から3週間経った。


しかし、やっぱりまだ明るい色の服を着たりする気になれない。



震災後、食べ物もなかなか手に入りづらいとき、ガソリンも無いから、
仙台の町の中は、リュックサックを背負った人たちがたくさん歩いていた。

車がほとんど走っていないのに、人があちこちウジャウジャと歩いている光景は、
本当に異常だったと思う。


男も女も、ジーンズに、ダウンや地味な色のジャンパー、
そして、リュックや旅行用のゴロゴロを引っ張ったりして買い物をしていた。


違う意味で、あんなに人がいっぱい歩いている仙台の町を初めて見たかもしれない。


現在の仙台の町には、そろそろファッショナブルな人も出始めたけど、

まだ全体的には、暗く、地味な色の服を着ている人が圧倒的に多い。



自粛しているというよりは、俺と同様、まだそんな気分になれないんだと思う。





ある日の俺の出で立ちは、



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上から下まで真っ黒。










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この顔にピンときたら110番。











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オレオレ詐欺のお金おろしに行ってきまーす!









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学校から渡されるプリントに書いてある、不審者の見本です。





この出で立ちで、お店で引き出しのものを探す姿は、











shinsai_1.jpg


まんま泥棒!





と、このネタのために、三脚とセルフタイマーを使って独りで撮影しました。


この努力を買ってください。



以上です。


 
posted by わこう at 01:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 東北大震災日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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