今回は、俺の人生で1、2位を争うほどの屈辱を受けたことを書いてみる。
ただ、本文に入る前に書いておくが、、
俺の中では、もうすでに終わっている事なので、恨みつらみを書き綴る内容ではないです。
このBLOGに、たくさん記事を書いてきたけど、
2004年の暮れに、交通事故に遭い、右膝を粉砕骨折して3か月入院。
地獄のような絶叫リハビリを経て、やっと膝が曲がるようになり現在に至る。
その辺の話は、カテゴリ「突然入院日記」をどうぞ。話は、まだ入院したての、車椅子に乗っていたころまでさかのぼる。
当時俺は、仲間内で会社を立ち上げ、専務をしていた。
が、突然の入院で仕事はできないし、
だけども借りていたマンションの家賃やらなにやらは支払わなきゃいけない。
警察は、事故の過失は100対0で相手側にあると言うし、
損害賠償や、休業補償の話をしようと思って、相手側の保険会社の担当に電話した。
ところが、俺が会社役員だという理由で、
明確な休業補償額が出せないとかなんとか言って、のらりくらりと会話をかわされる。
ぜんぜんらちが明かないから
一度病院で話をしたいと、相手側の保険の担当者に病院に来てもらった。
が、話の本題は、俺の保証についてのはずだったのに、
保険屋が来て開口一発、
「わこうさんにも過失がありますよね。」と言い始まった。
で、間髪入れずに、今までの事例がどうだこうだと、
事故の過失割合の話が始まった。
しかも、俺の事故を調べた警察は、
状況的に俺に過失は無いと言っているのにだ。
まぁ、警察が出す事故証明は、保険の過失割合には関係ないみたいなんだけども。
で、その保険屋が主張する、俺の過失の根拠を聞くと、
ホント、メチャクチャな根拠で、当然こっちが納得できるような内容ではない。
とにかく、一銭でも保険金を安く済ませたい意図がありありだった。
さらに、話の要所要所に、こっちが頭に来るような、挑発的な発言を織り交ぜる。
だもんだから、ついに俺も堪忍袋の緒が切れて、
目の前の机をドンと押してしまった。
これが悪夢の始まりだった・・・。
ドンと押した机が、反対側に座っている保険屋の腕にボンと当たった。
すると、その保険屋は、
「暴力をふるいましたね!警察に訴えます!」と、鬼の首を取ったように病院を出て行った。
暴力も何も、俺はまだ車椅子の状態。
何ができるっつーのよ。
しかも、机が腕に当たったって言っても、軽くボンと当たっただけだ。
怪我なんてするわけがない。
しかし、感情的だったとはいえ、「意図的に暴力行為をした」ことは確かだ。
結局、信じがたいことに、その保険屋は、
そのまま病院に行って診断書を取り、今度は警察署に駆け込んだのだ。
その出来事の数日後、俺が入院している病棟に、
警察署から連絡があり、現場検証におまわりさんが来た。
で、病室で事情聴取された。
もう、病院は大騒ぎよ。
婦長さんからも、
「わこうさん!いったい何をしたんですか!」
と、怒られる始末。
一応、病院側には、事情を説明したら、納得してもらえた。
じゃないと、ヘタすれば強制退院だ。
結局、警察は、俺が退院してからじゃないと埒が明かないと、
俺が退院するまでいったん保留という形になった。
その後、俺の病室に、とある弁護士事務所から一通の文書が届いて、
中には、その保険屋が、暴力行為で俺に損害賠償請求をするという内容が書いてあった。
結局、俺の事故の件を、
この傷害事件を足がかりにして事を有利に運ぶ算段だ。
もう、その時点で怒り心頭よ。
そこまでやるか!と。
で、3か月の入院生活を終え、無事に退院したわけだけども、
早速、俺の暴力行為について、警察署から呼び出しがあった。
俺は、自己弁護のために、朝イチで出頭し、誠意を持ってそれに対応した。
「被疑者」と書いた紙を持たされ、状況を説明するために、
事件当時のことを、おまわりさんに説明し、その都度写真を撮られた。
朝イチの出頭で、途中休憩時間をもらったものの、
事情聴取に丸一日かかった。
でも、俺は自己弁護に繋がるものと信じて、最後まで積極的に協力した。
が、しかし、最後の最後に、担当の刑事さんから返ってきた言葉は、
俺の予想に反する意外なものだった。
「では、相手側の証言とほぼ内容が一致しますので、
このまま書類送検となり、傷害罪で前科一犯となります。」うそ・・・。この事情聴取は、俺の状況も聞いた上で公平に判断するためのものではなかった。
あくまでも、俺は訴えられた側であり、
内容はともあれ、診断書という証拠物件がある限り、ひっくり返すことはできないのだ。
最初から、俺は犯罪者という前提ですべて始まっていたのだ。
なんだよー・・。それ・・・。
捜査に協力的だったことや、きちんと出頭したこと、
俺がまだ退院したとはいえ、日常生活がままならない状況だったということで、
拘留はされなかった。
もし、出頭を蹴っ飛ばしていたらどうなっていたんだろうと思うとゾッとするね。
その後、すべての指の指紋を採られ、縦、横、斜めから写真を撮られ、
すっかり犯罪者扱いだ。
その間、写真を撮られるときも、何をされるときも、
「ほら!キビキビ歩け!」
みたいな、蔑むような応対。
もとはと言えば、ただ机が軽くボンと当たっただけじゃねーか・・。
怪我なんてするわけがない。
むしろ、その当時、まだ杖が無いと歩けない状況で、
事故に関しては、俺の方が被害者なのに・・・。
そんな理不尽で屈辱的な出来事に、すっかり精神をやられてしまった。
俺が鬱になって引きこもり始めたのはその頃からだ。
それから約一ヶ月後、今度は検察庁から呼び出しが来た。
今回の事件の詳細を、もっと詳しく聞きたいと。
そこで出会った、O検察官によって、この事件の流れは大きく変わることになる。
O検察官は、
「これはヨォ、本当は事件にもならない、ホントにくだらない案件だな。」
「しかし、相手の保険屋もきたねぇことするなぁ。節操ないな。まったくヨォ。」
ん?なんかこっち寄りな感じ?
「しかしヨォ、オメェも感情にまかせてそんなことすっから面倒くさい事になるんだぞ。」
「短気は損気って言うじゃねぇか。」ごもっともです・・。
「ところで、オメェ、退院してから相手の保険屋に詫び入れに行ったか?」「なんで俺が行かなきゃないんですか・・。」「バカ、おめぇ、詫びに行ったっていう事実を作ることが大事なんだよ。
感情はいろいろあるかもしれねぇが、まずは詫びに行ってこい。」
と、宿題を出された。
そうは言ってもな−・・・。
理屈ではわかるんだけど、考えただけで憤死しそうになってしまう。
なんで俺が謝らなきゃないんだ・・。という思いが、ずーっと頭の中をリピートする。
結局、O検察官から出された期限ギリギリの日、
菓子折を持って、アポ無し突撃で、相手の保険屋の職場に出向いた。
アポを取ろうと思えば、「弁護士を通じて」とか言って、
絶対に直接会おうとしないからだ。
結局、その保険屋と会うのは、その事件以来約半年ぶりぐらい。
怒りと、理不尽さと、ちょっとだけ恐怖と、いろーんな感情が入り乱れて、
相手の保険会社に乗り込むということは、敵地に単独で飛び込むということで、
ビルに入る前はさすがに心臓がバクバクして、ブルッと震えた。
で、その保険屋は、鳩が豆鉄砲を食ったように、俺の顔を見て、小さく、
「なんで来たんだよ・・。」ってつぶやいた。
で、俺はとにかく、「暴力行為をしたことだけ」は事実だから、
そこについてだけ、誠心誠意謝った。
結局、持っていった菓子折は突き返され、
「受け入れることはできません。」と、拒否された。
O検察官に報告すると、
「おー、行ってきたか。菓子折、突き返されたか。
オーケーオーケー、それでいいんだ。」と。
「とにかく、詫びに行ったっいう事実を作ることが大事なんだから、
それでいいんだ。」そして、
「次にな、診断書取るのだって金がかかるんだから、
書留で1万円入れて、詫び状を送れ。
たぶんそれも返されるだろうけどそれでいいんだ。」
「そこまでやったら、今回の件を不起訴にしてくれるように、
俺から相手を説得してみるわ。」
と。
その後、何回かO検察官から、相手の保険屋に対して、
何度か説得を試みてくれた。
最初はかたくなに説得を拒んでいたようだったが、
長い期間を要したが、最終的に、相手の保険屋は1万円で示談に応じることとなり、
俺の傷害事件も不起訴となった。
そこに至るまで、事件発生から実に2年。
いやー、長かった。
長い2年だった。
捨てる神あれば拾う神あり。
O検察官には、本当に感謝してもしきれない恩がある。
よくぞ、最後まで俺のことを公平に見てくれた。
世の中には、公平な立場でなければならないのに、
主観や感情が、あたかも正論になって、
総体的な視点から見る公平な判断ができない輩が実に多い。
そんな中、よくぞ俺を、主観や先入観で見ずにいてくれた。
本当にありがたい。
この件で、俺はたくさんのことを学んだ。
暴力は何も生まないことを学んだ。
生まれて初めての、憤死してしまいそうな屈辱も味わった。
でも、ちゃんと見てくれる人は見てくれてるんだということ。
そして、感情だけで相手を見るんじゃなくて、総体的な視野で見ていく大切さ。
その結果、4年前に、相手の保険屋を許すと決めた、
この記事への心境に繋がっていったのだ。
もう、相手の保険屋への恨みは無い。
そんな負のエネルギーから、いい加減解放されたかった。
このハラワタが煮えくりかえるような屈辱的な経験をしたから、
たいていの事は許せるようになった。
そういう意味では、この事にも感謝だ。
そして、やっと今、自分の中で咀嚼し終わって、
この事をBLOGに書くことができる。
それもまた、新しい俺の一歩なのかな。