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2010年03月31日

【回想録】おかんキャラ秘話。

okan1_bigger.jpg

最近、まくろび庵のBLOGにも、Twitterのアイコンにも、
この、おかんキャラの写真を使っている。


この写真は、岩手のマクロビオティックレストラン、Sobe's Cafeで、
去年、ハロウィンパーティーに招待を受けたとき、
仮装必須だったので、この格好で参加させてもらったのがきっかけ。


実は、この仮装衣装を選んだのには、深ーい理由があるのだ。




まくろび庵オープンのずっと前にさかのぼって、6〜7年くらい前の話。


当時、俺は35歳。

そして、10歳年下の彼女がいた。


俺がモーレツアタックの末に、やっとの思いで彼女になってくれた人だったし、
年下だったこともあって、とにかく可愛かった。


可愛いから、何でもしてあげたい。

できる限り一緒にいる時間を作りたかった。


ちょっと家が遠かったから、会うときには、いつも送り迎えをしていた。



で、当時、俺は仙台の繁華街にとても近いところに住んでいたし、
その彼女が、飲み会や友人と街に出てきたときには、
帰りに家まで送ってあげたくて、酒を飲むのも我慢して家で待機。

終わった連絡があると駆けつけては、彼女を家まで送るという、
そんなことを続けていた。

でないと、オフィシャルに会う時間がなかなか作れなかったからだ。


俺は、それをしてあげることがうれしかったし、
きっと彼女もそうに違いないと思っていた。


ちょっと話は変わって、その彼女の動物占いは「オオカミ」。

オオカミだから、あんまり群れないし、1人の時間が必要だったり束縛を嫌う。


だから、彼女はよく、「自分で電車で帰るから大丈夫」と言っていた。


それでも、俺は会いたいから、
半ば無理やり彼女を迎えに行ったりしていたわけだ。


ある日、その彼女から、


「おかんみたいでうざい。」


と言われた。



まぁ、送り迎えの事だけでなく、その彼女のことを思いすぎるあまり、
けっこう細かいところまで干渉していたのも、そういわれた原因でもある。


しかしショックだった・・。



良かれと思ってやっていたことが、彼女にとって負担になっていたのだ。


たしかに、飲みに行ってても、自分のお迎えのために、
寝ないで待っている人がいると思えば、心底楽しめない。

今、こうやって、冷静に振り返ってみると、
いかに自分が身勝手だったというか、思いばっかりで行動していたのかがよくわかる。



自分がしてあげたいことと、相手がしてほしいことは、
必ずしも一致するわけではないのだ。



理屈ではわかってたんだけど、感情が入るとダメなもんだねー。こういうのって。


そうしてお互いに、

「なんでわかってくれないんだ?」

ってなって、どんどんすれ違っていく。


結局、その彼女とは半年くらいで別れてしまった。



今思うと、俺もガキだったなーって思う。

当時の彼女にも、申し訳なかったなーって思う。


もし、また会って話せる機会があったら、心から詫びたい気持ちだ。




で、話は1年半くらい前の、比較的最近のことにググーッと戻ってくる。


現在のパートナー、りえさんとお付き合いを始めたばっかりのころ、
りえさんの生年月日から、動物占いを見てみたら、「オオカミ」だった。


ケゲー・・またオオカミかー・・。



前の彼女から言われた、

「おかんみたいでうざい」


が、頭の中で何度もリピートする・・・。



りえさんも、あんまり干渉されるのを嫌うのかな・・。

送り迎えとか、あんまり強制しない方がいいよな・・。

思いだけで突っ走って暴走特急にならないように、
自分でブレーキをかけなきゃ・・。



などとそんなことを考えて、
りえさんとの関係は、本当に慎重に進めていったつもりだ。俺なりに。


あるとき、りえさんと動物占いの話になって、昔の彼女もオオカミだったこと、
「おかんみたいでうざい」と言われた話をし、
それが結構トラウマになっていることを打ち明けた。


それを聞いて、高らかに笑っていたりえさん。


いやー、打ち明けることができてよかったー・・。



で、りえさんを家に送った帰り道だったかな、
ケータイにりえさんからメールが届いて、


「私にはおかんが必要です。」


ってメッセージが。



いやー、やられちゃったねー。かわいいぞコノヤロー。



そして、俺も気兼ねなく、おかんキャラ全開で現在に至るわけだ。


と、まぁ、かなりのろけちゃったわけだけども。




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そのことがずーっと俺の中にあって、
Sobe's Cafeで仮装をすることになったときに、
このおかんのヅラとかっぽう着を着ることにしたのだった。


これが、おかんキャラ誕生秘話。



昔の彼女との失敗で学んだ、俺の恋愛観と、相手との距離感。

それはもう、失敗じゃない。



やはり、人生には、なにひとつ無駄は無いのだ。



昔の彼女に、ありがとう。


そして、このことをBLOGに書くことを快諾してくれたりえさん、ありがとう。


スケールのでかい女だよ。まったく。



と、のろけで締めくくります。ありがとうございました。
 
posted by わこう at 01:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月30日

本当のデスクトップ。


desk.jpg

おもしろいデスクトップテーマを見つけて、カスタマイズ。


これがホントのデスクトップ。

なんつって。


この壁紙は、ここからダウンロード。



壁紙をこの画像に設定後、デスクトップ画面の何も無いところで右クリック
→アイコンの整列→自動整列と等間隔に整列のチェックを外す

そうすると、アイコンを自由に置けるようになる。


おもしろいね。これ。

 
posted by わこう at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | パソコン日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

真夜中のコンビニ。


巷では、俺のことをとってもいい人だと勘違いしている人もいらっしゃるみたいなので、
今日は、数ある俺のバイオレンスネタの中で、比較的ライトな話を。

もう、10年以上経ったし、そろそろ公開してもいいかなーと。



ぶん殴ったり殴られたりっていう話が苦手の方は、読むのをお控えください。



またまたトラック野郎時代の話になるが、
俺は、長距離を走るときは、一度走り出したらなるべく止まりたくないので、
最初にコンビニでガッツリと食料を買い込んで出発していた。

おいなりさんとかおにぎりとか、比較的日持ちするものは、あとにとっておいて、
すぐ食べたいものは、温めてもらう。


ある日、立ち寄ったコンビニで、いつものように食料をガッツリと買い込もうと、
買い物かごにたっぷりの食料を入れ、レジへ。



俺の偏見かもしれないけど、深夜のコンビニは、ちょっと変わった人が多い。

と、思う。



その日も、ちょっと変わったお兄ちゃんがレジにいた。


買い物をした中で、何点か、温めてもらいたいものがあったので、


「これとこれ、温めてもらえますか?」


と、言ったのに、無言。

まるで聞こえなかったかのように、ピッピとレジを打っている。



あれー?聞こえてないのかなーと思って、もう一度、


「すいません、これとこれ、温めてもらえますか?」


なのに、やはり無言でピッピとレジを打つお兄ちゃん。



で、俺もいい加減イヤになって、


「ねぇ、聞こえてんの?」


って言ったら、いきなり、



「聞こえてるよ!(怒)」


と、きたもんだ。



ちなみに、俺がいた会社で、当時の俺のあだ名は「瞬間湯沸かし器」




気がついたら、お兄ちゃんをぶん殴っていた。

一応、メガネをかけた兄ちゃんだったから、ぶん殴る前にメガネを外してやった。
割れて目に刺さったりしたら大変だからね。


俺の愛だ。



そしたらお兄ちゃん、


「警察を呼びます!」


と、事務所に走っていった。


おー、上等じゃねぇか。



テメェが悪態ついたくせによく言うよと思いつつ、
俺も事務所に怒鳴り込んでいった。



お兄ちゃん、


「警察ですか?僕、なんにもしていないのに、
お客さんに殴られたんですよ!」



と。


なーに寝言こいてんだこの野郎と思って、
後頭部から平手でぺちーんと、また叩いた。





「あぁッ!また殴られました!」



死ぬまでやってろ。バカ野郎。




で、


「俺は逃げも隠れもしねぇよ。」



と、警察が到着するのを待った。




何分もしないうちに、パトカーが到着。
おまわりさんが2人、店内に入ってきた。


で、お兄ちゃんが、

「おまわりさん!あの人が僕を・・・」

と、言い終わる前に、


「おまわりさん、聞いてくださいよ−。」

と、俺。


ほら、俺、話まとめるのとか得意だったから、
話の主導権を俺が握って、状況を説明した。


お兄ちゃん、ハトが豆鉄砲食らった顔で見てたね。



「でもわこうさんさー、気持ちはわかるけど、
いくら悪態ついたからって、殴っちゃダメだなー。」


と、おまわりさん。


「そりゃー、ごもっともですよ。だから俺も、
悪いなーと思ったから、逃げずにここに残ったわけだし。」



「たしかにそうだよなー。」




そしたら、今度はおまわりさんが、そのおにいちゃんに説教を始めた。


「殴られるアンタにも責任があるぞ。」

と。


そして、

「どうだ。事件にするほどのアレでもないから、
ここでお互い示談したらどうだ?」


と、おまわりさん。



で、俺も、殴ったのは悪かったと詫びた上で、

「ほれ、俺んとこぶん殴ってもいいぞ。痛み分けで。」

って言って、頬をお兄ちゃんに突き出した。




「いや・・、もういいです・・。」


と、お兄ちゃん。



で、おまわりさんの目の前で、お互い握手してこの件は終わり。


おまわりさんも、事件にしないでそのまま帰っていった。




そんな出来事があったあと、俺も悪いことしたなーと思って、
そのコンビニを通るたんびに、そこで買い物をした。

で、そのお兄ちゃんがいると、


「ヨッ!どうもねー!」


って挨拶をした。


俺の中ではすっかり終わった出来事だったし、
悪態つかれたことはもう水に流して、
普通に、定員さんとお客さんの関係でいようと思ったわけだ。


お兄ちゃんは、


「はぁ・・。どうも・・。」


とは言うものの、複雑な顔してたけども。




で、ある日を境に、ぷっつりとお兄ちゃんの姿が見えなくなったから、
他の店員さんに、


「●●くんは?」


と、聞いたら、






「辞めました。」


と・・。




ひょっとして俺のせい・・・?




ごめんな。●●くん。(名前忘れちゃった。)


 
posted by わこう at 03:18| Comment(3) | TrackBack(0) | 嗚呼 トラック野郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月29日

チルトシフト動画。

以前、風景写真などをミニュチュア写真のように加工する、
チルトシフトメーカーの事を記事にした。

その記事はこちら。

チルトシフトメーカーで加工した夜景写真はこちら。


チルトシフトメーカーは、写真をあとから加工するものだけど、
そうではなくて、もともと、チルトシフトレンズという特殊なレンズで、
特殊な撮影法により撮影するのが、本来のチルトシフト写真。


で、そのレンズを使って動画を撮影し、イイ感じの音楽に乗っけた、
ちょっとイイ感じの動画を発見した。



The Sandpit from Sam O'Hare on Vimeo.


なんだかおもしろいね。



チルトシフトレンズは、かなり高いし、用途も限られるから、別に欲しいと思わないけど、
こういう誰かのセンスのよい作品を見るのは楽しいねー。


 
posted by わこう at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ヒット動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まるちゃんLOVE。


maru_wako.jpg

まるちゃんも、この4月で9歳になる。



相変わらず俺にLOVEだ。


なんつって、俺がまるちゃんLOVEなんだけども。




長生きしろよ。まる。

 
タグ:まる ニャン
posted by わこう at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | なぜか猫。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月28日

パンクに生きろ、バカ野郎。

昨夜、友人に苦言を呈した。


が、イマイチ、ヤツには伝わってないらしい。



アタマにくる。



なんでそういう風にしか受け取れないんだという、ひがみっぽいヤツに。

なんでもっと受け取れるように話せなかったんだという自分に。





男はみんなナイーブだ。

俺だって、シブヤさんだって、まこっちゃんだって、ナベさんだって・・・・。


だから、頑張るんだよ。

だから突っ張るんだよ。



傷つきたくないもん。




てめぇ、男がそう生きると決めたら、貫けばいいじゃねぇか。

いつまでも、できないいいわけばっかりして、
決めもしないところでフラフラやってんじゃねぇよ。



パンクが好きなんだろ。

だったら、パンクに生きろ、生きてみろバカ野郎。



※※※追記※※※

今日、お店にその友達が来てくれて、
俺の言いたいことも伝わったし、彼の胸のうちも聞いた。


お互い納得してよかった。


記事は、削除せずに記録として残しておくことにした。





Yahoo知恵袋「苦言を呈する」とはどんなときに使うんですか?

 
posted by わこう at 10:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

夢のような家で、君と。

先日、大切なお友達、カウンセラーの生支州さんから、
1枚のCDを教えてもらった。



夢のような家で、君と夢のような家で、君と
ジョー・バルビエリ

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「夢のような家で、君と」

その邦題を読んだだけで、グッと来てしまう。


そして、1曲目の「いつものように」をはじめて聴いたとき、
思わず目頭が熱くなった。


まるで、現在が、楽しくて美しい過去を振り返っているように錯覚させる、
そんな、過去を一瞬で浄化し、包み込んで癒してくれるような、そんな優しい曲。

っていう表現でわかるかな・・。



ここ最近書いている、回想録や、トラック野郎時代の話には、
カッコよくいえば、俺の若さ故の過ちというか、若気の至りが綴ってある。


たくさんの人を傷つけ、自分も傷ついてきた。

たくさんの出会いと別れがあった。

時には、身を裂かれるような悲しい別れも。




トラック野郎時代、事故や自殺で大切な仲間や先輩が何人も死んだ。


そして、去年、あべはりさんという大切な親友が死んだ。

心のよりどころだった、あべひげさんも死んだ。




だからこそ、今、こうして、何気ない日常を生きられることの幸せを感じている。



借家とはいえ、庭のある、眺めのいいロケーションの家に住み、
パートナーや猫たちに囲まれ、癒され、
小さなお店を持ち、お客様や仲間に囲まれている幸せ。


トラック野郎時代、仲間が死ぬたびに、「明日は我が身」と、身を引き締める。

そんな緊張感の中で暮らした数年間。


何度も死にそうになった。



でも、生きている。

生かされている。




今だって、いろんな事は起こるけど、トラック時代に比べれば、死ぬ確率は低くて平和だ。


身の危険を感じないで暮らすことができる幸せ。


平和に日常を過ごすことのできる幸せ。




そんなことを、ググーッと一気に振り返らせてくれる、
ジョー・バルビエリの優しい歌声。


ブラジルの大御所、カエターノ・ヴェローソや、
ジョアン・ジルベルトが絶賛している、バルビエリの歌声。


そして、キューバの大スター、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブにも出ていた、
オマール・ポルトオンドとのデュエット曲もある。(4曲目)

このデュエット曲も、マイナーコードからメジャーコードに移る、
その展開の素晴らしさ。

甘く切ないフレーズから、一転して癒され、包まれるような開放感。


本当に素晴らしい。



今、俺を取り巻く環境は、まさに、このCDのタイトル通り、

「夢のような家で、君と」

だ。



1曲目の「いつものように」は、俺が人生を終わるとき、
自分の人生を振り返る時に聴いていたい曲だ。


アマゾンで、すべての曲が、前半40秒くらい視聴できる。


このCDは、ハンカチを用意してぜひ聴いてほしい。




夢のような家で、君と夢のような家で、君と
ジョー・バルビエリ

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「夢のような家で、君と」


 
posted by わこう at 20:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽ノスタルジー。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月25日

身体を張ったボケ。

今日の仙台は、春の雪。


雪が降ると思い出す、笑っちゃう出来事。



トラック野郎現役時代、同じ職場に、小野寺さんという60歳のオヤジさんがいた。

当時俺は、25歳くらいだから、おふくろよりも年上だ。


そんな歳にもかかわらず、俺がいたハードワークの会社に、
長年勤めているわけだから、とんでもないバケモノだ。

やはり、ご多分に漏れず、丸太のような腕をして、60歳とは思えない体格。


みんな、「小野寺のおとうさん」と呼んでいた。




ちょっと話は変わって、トラックは本来、
荷物を積んでバランスが取れるように作られている。

と、思う。


特にトレーラーは、その性質が顕著だ。


だから、空車時の雪道走行は、重量バランスが悪くて、とにかくおっかない。

何回も書いているが、荷台がグワーッと横滑りしてきて、
ヘッドと荷台がくの字に折れ曲がってしまう、ジャックナイフ現象も恐いが、
それにも増して、上り坂の雪道や凍結路面にめっぽう弱い。


荷台が軽すぎて、スリップしやすいのだ。



それなのに、空車で秋田にベニアを積みに行く仕事が、結構な頻度であった。

ただでさえ、空車で雪道を走るのはイヤなのに、
秋田に行くには、途中、アイスバーンが多いから余計に緊張する。



話は戻って、ある雪の日に、
いつものように、空車で秋田に行く仕事に当たってしまった。

いつも、秋田に行くには、国道48号線という峠道を通って山形に入り、
そこから秋田に向かって北上していく。


その48号線の宮城と山形の県境付近に、勾配はさほどきつくないんだけど、
ゆるーい勾配がずーっと続く、イヤーな坂道がある。

そして、その坂道を登り切ったところに、
全長3キロほどの「関山トンネル」というのがあり、そのトンネルを抜けると下り坂になる。


その日は、無線仲間から、関山トンネル付近は、雪が凄くて、
トレーラーはチェーンが無いとムリっぽいっていうレポートをもらっていた。


なので、峠道の手前にある、大きめのチェーン脱着所で、
チェーンを巻くことにした。


俺は、普通の鉄チェーンの他に、
軽くて巻くのがカンタンな、ワイヤー製のチェーンも積んでいた。

鉄のチェーンは、とにかく重いし、面倒くさいので、
お手軽なワイヤーチェーンを巻くことにした。


そしたら、小野寺のおとうさんが、そのチェーン脱着所にガーッと入ってきて、
俺の姿を見つけたようだ。

ちなみに、俺たちは小野寺さんを「おとうさん」と呼んでいたが、
小野寺さんは、誰のことも「あんちゃん」と言っていた。

とてもあんちゃんに見えないような歳の人でも、
小野寺さんより年下であれば、小野寺さんにとっては誰でも「あんちゃん」なのだ。


まぁ、歳だし、名前を覚えられないのが一番の理由みたいだが。



で、俺に、

「あんちゃん、秋田か?んで一緒に行くべ!」

と。


で、俺がワイヤーチェーンを巻いてるのを見て、

「ワイヤーで大丈夫かや?俺は鉄のチェーンで行くど!」


でも結局、俺はめんどくさいから、ワイヤーチェーンのままで行くことにした。


おとうさんは、鉄のチェーンで。

結局、俺もおとうさんのチェーン巻きを手伝うハメになったわけだけども。



バッチリ鉄チェーンを巻いたおとうさん、張り切って、


「俺、しんがりを行くからや!
前走ってけろ!」




2台しかいないのに、しんがりもなにも・・・。



仕方なく、俺が前を走ることにした。



走り出すと、48号線は想像以上の雪でかなり滑る。

ヘッドのケツをズルズル滑らせながら、騙し騙し走る。


だんだん、県境にある関山トンネルが近づくにつれて、勾配がついた峠道に。


うわー、最後の坂、登り切れるかや・・・。



そしたら、側道から、黄色い回転灯を回した、
除雪用のグレーダーが出てきそうになって、
ブレーキを踏んで減速しちゃったら、絶対にズルズルで上れなくなってしまうと思い、
「パパーッ!」とクラクションを鳴らしながら、パッシングをして回避。


あ、あぶねー・・・。



で、勢いつけて調子よく上っていた坂道も、
関山トンネル目前なのに、ちょっとだけ勾配がきつくなる地点で、
ついにスリップして上れなくなってしまった。


あーあ、空車のトレーラーだと、これだからイヤなんだよなー。

ホント、雪道には弱い。

やっぱり、鉄チェーンにしておけばよかったな・・・。






で、さっき、グレーダーがいたことを思い出し、
トンネルの中までグレーダーに引っ張ってもらうことにして、
グレーダーが上がってくるのを待っていた。


程なく、バックミラー越しに、黄色い回転灯が見えてきて、

「おっ!キタキタ!」

と、トラックから降りた。




そしたら!










すでにおとうさんのトレーラーが
グレーダーに引っ張られていた・・。






なんでー?





いやー、笑っちゃったねー。


鉄チェーンで、俺より滑りにくいはずだべやー。




で、グレーダーの運ちゃんが、

「ありゃー、アンタもかい。
先におやっさん引っ張ったあと戻ってくるから待ってろ。」



と。


で、俺の脇を通り過ぎていくときの、おとうさんのバツの悪そうな顔。


いやー、おかしかった。



かくして、グレーダーの運ちゃんに、トンネルの中まで引っ張ってもらって、
なんとか峠越えをしたわけだ。


その後、今度はおとうさんが前を走って、2台ランデブー。


途中、天気も変わって、道路に雪が無くなったから、
どこかでチェーンを外そうということになった。


で、おとうさん、おもむろに、
道路沿いのチェーン脱着所にガーッっと入ったわけだけど、
そのチェーン脱着所には雪がもっさり残っていて、見るからにヤバイ。

だから、俺はその脱着所には入らず、道路でチェーンを外した。




ふと目をやると、おとうさん、ワイヤーを持って、
よその知らないトラックに駆け寄っていって、


「あんちゃん、引っ張ってけろー。」



って言っている。










(ノ∀`)アチャー。



チェーンを外したら、スリップして脱着所から出られなくなったのだ。



その、よその運転手も苦笑い。



で、結局その、よその10トン車にワイヤーで引っ張ってもらって、
無事に脱着所から脱出。



いやー、天然ボケもここまで来るとすごいね。わははー。


でも憎めないキャラなんだよ。おとうさんは。



そんな、大マジメに身体を張った大ボケをかましてくれるお茶目なおとうさん。


さすがにもう引退しただろうなー。




今、何やってるのかな。



 
タグ:トラック
posted by わこう at 18:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 嗚呼 トラック野郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

灯油屋さん。

最近、昔話が多かったので、今日はリアルタイムな話を。


今までたびたび、俺の身のまわりに起こるシンクロの出来事を書いてきたが、
今日も、ちょっとおもしろい出来事があった。


ちなみに、今まで書いたシンクロネタの数々。


りえさんにまつわるシンクロの数々はこちら。(まぁ、ジャブみたいなもんです。)


車のナンバーにまつわる、超シンクロの話はこちら。


100万人都市仙台で起きた、鳥肌モノのピンポイントシンクロの話はこちら。


そして、亡くなったあべさんの生前に起きた、超ド級のシンクロの話はこちら。






ウチの近所には、灯油の移動販売屋さんが来る。

金額からいうと、自分でセルフのスタンドに買いにいった方が安いんだけど、
運んでくれたり、移動販売のお兄ちゃんとの会話が楽しかったりするから、
けっこうな頻度でお兄ちゃんから買う。


もうかれこれ2年目になる、ウチの地区担当のお兄ちゃんは、
威勢が良くて声もでっかく、よく笑い、なかなかいい男だ。

しかも気が利く。


だから、他にも灯油の移動販売屋さんが来ても、
浮気せずにそのお兄ちゃんから買っている。


家に来るのは、ちょうど俺の定休日の火曜日だし。



ところが、俺の住んでいるのは、仙台市の太白区。

お店は若林区。


ウチの店にも、同じ会社の移動販売のトラックが来るんだけど、
なんと、お店の方も、おんなじお兄ちゃんが担当していて、お互いにビックリ!


「あららー。」

みたいな。




で、ちょっと話は変わって、今日、お彼岸用の花を届けに、
おふくろが俺の家まで来てくれた。


で、玄関先というか、道路でおふくろと立ち話をしていたとき、
ちょうど、その移動販売屋さんが通りかかった。


そしたら、そのお兄ちゃんが、

「あれー?!」

と。




なんと、おふくろもそのお兄ちゃんから灯油を買っていたのだ!

それも2年も。



親子揃って、しかも、俺は自宅だけでなく、
お店までおんなじお兄ちゃんにお世話になっている。


いやー、ビックリしたねー。



しかも、俺とおふくろが立ち話をしているタイミングでそこを通りかからなかったら、
そんなこと絶対にわからなかった。

それに気づかずに、来年も再来年もお世話になっていたかもしれない。



なんというシンクロ。




何か深いご縁がある人なんだろーなー。こういう人は。




灯油屋さん、これからも親子共々よろしくー。


 
posted by わこう at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 普通の日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カラスガレイに泣く。


えー、先日、うんこの話から一転、離婚の重たい話で、
いろんな人から反響があった。

それだけ、いろんな方がこのBLOGを読んでくれているんだなーと、
あらためて実感した次第です。

本当に皆さん、ありがとうございます。


これからも笑って泣いて、上げて落とすみたいな、
ジェットコースターのようなBLOGを目指して(?)頑張ります。



さて、先日、一緒に組んで仕事をしている、相馬のほずみちゃんから、


「わこうさんのBLOGの中で、トラックの話は鉄板!」


と、うれしいコメントをいただいたので、またまたトラックネタで。




今日の話は、俺が引っ張った荷物の中で、一番重かった荷物の話を。


ある日、配車係から、

「緊急で、女川まで魚1本走ってくれ。」

と言われた。


もちろん手降ろしだ。



緊急だし、魚だし、助手を連れて行っていいということで、
ひとり助手を乗せて、トレーラーの頭だけでフェリー埠頭に向かった。

何回も書いているが、俺がいた会社は、ドレッチという輸送形態を使っているので、
毎日、引っ張るシャーシ(荷台)が違う。


で、その日は魚だから、冷凍車のシャーシだった。



頭だけでフェリー埠頭に行き、


Cha_0.jpg

こんな感じで埠頭に切り離してあるシャーシを連結して走るわけだ。
※上の写真はイメージ


さて、埠頭に着いて、引っ張るシャーシを見つけたんだけど、
なんかいつもと様子が違う。

なんだろう・・・。


上の写真のように、シャーシを切り離すとき、
シャーシには、脇にハンドルがついていて、それをクルクル回すと、
足がニューッと出てくるので、地面につくまで足を出して、その上で切り離す。

が、その日引っ張るシャーシは、明らかに足が短い。


「あれー?切り離すときに足を出すのが足りなかったのかや・・。」


と、思って近づいたら、



「あーッ!足がめり込んどるー!」


夏の暑さで、アスファルトが柔らかくなっていることを差し引いても、
異常なほど足が地面にめり込んでるんだよ。



「どんだけ重いんだよ・・・。」


その時点で、イヤーな予感。



で、ハンドルをさらにグルグル回して足を上げ、
トレーラーヘッドをホイルスピンさせながら、無理くりねじ込んで連結した。


異様に車が沈む。



「お、重い・・・。」



伝票を見ると、20トンって書いてある。








hyoryu2.jpg

ウソつけーー!

明らかに過積載だろうがー!




が、運賃も良かったし、助手もいるし、断る理由も特にない。

そのまま走ることにした。



が、走り出すと、まーず重い。


荷物がすごく重いときなんかは、半クラッチを多用すると、
クラッチが滑っちゃったりしてすぐダメになるから、なるべく「ドン!」とつなぐ。

そうすると今度は、ヘッドが大きく上下にガクンガクン揺れる。

俺たちは、「しゃくる」とか、「しゃくれる」と言っていた。



ちなみに、高速の入り口ゲートで警察が立っているときに「しゃくる」と、
あっという間に「ピピーッ!」とカンカン(重量計)に引っ張られてしまうので、
警察がいる前では、逆に絶対に「しゃくれ」ない。

たとえ過積載をしていても、


「軽いですよ−。定量ですよ−。」


っていうのをアピールするために、
どれだけスムーズに「しゃくらせ」ないで発進できるかも、テクニックのウチなのだ。



が、話は戻って、その魚のシャーシの時は、とにかく「しゃくり」っぱなしよ。

信号で止まって発進するたんびに、ガクンガクンと「しゃくれ」る。


ひどいときは、ドリンクホルダーに缶コーヒーなんか置いてると、
車内にぶちまけるよ。

も−、ヒッチャカメッチャカだ。


で、重いもんだから、上り坂になると、とたんにスピードが落ちる。

勾配がきついと、時速10キロとか。


トラックは、普段、ローギアなんてよっぽどのことがない限り使わないけど、
その時は、坂道をローギアじゃないと上らない。


当然うしろは大渋滞。


皆さんごめんなさい。



そんなこんなで、ようやく女川の荷主に到着。


荷物を降ろす前に、荷主んとこの重量計に乗ったら、
総重量80トン。

えー、だいたいトレーラーの空車時が20トンくらいだから・・・





60トン!



どうりで重いわけだよ。



ぐえー、60トンを手降ろしかよ・・・。

助手がいたって、一人あたり30トンだよ。



あーあ・・・。




さらに悪夢は続く。



後ろの観音扉を開けたら、天井までビッシリの氷のブロックが目に飛び込んできた。


「箱入りじゃなくて、裸かよー・・。」


しかも、普通は、冷凍機の冷気がうしろまでちゃんと回るように、
上に少し冷気の通り道を空けて積み込みするんだけども、
その荷物は、前から後ろま天井張りでビッチリ。

だから、冷気がイマイチ回らないで、溶けては再凍結を繰り返し、
氷のブロック同士がくっついてしまっていた。


もう、それを見ただけでモチベーションがひゅーんと下がっていく。


これ何時に終わるんだよ・・・。



でも、降ろさないと帰れないから、助手と二人、黙々と降ろし始める。


が、氷のブロックがくっついているから、
手かぎ(俺たちはのんこと呼んでいた)を使って、ガリガリと氷を削りながらはがして降ろす。

だから、普通に荷物を降ろす何倍も時間がかかる。


氷のブロックの中身は、ぬらぬらと黒光りするカラスガレイ


カラスガレイに罪は無いんだけど、憎々しかったねー。実際。



2時間かかって、やっと五分の一くらい。
いやー、とにかく大変よ。




そんなこんなのうちに、荷主の荷受け担当が、シビレを切らして、


「オイ!降ろすのにいつまでかかってんた!この野郎!」


と、きたもんだ。





そこで俺もプチーンとキレてしまった。


「だいたいにして、
冷気が回らないくらい積ませておいて、
何がいつまでかかってるだバカ野郎!」


って逆ギレ。



さらに、


「もう、このシャーシ切り離して、俺たち帰っから。
荷主さんが責任持って降ろせばいいべや。
バカバカしくてやってられっか!この野郎!」



って怒鳴り散らして、車から降りて、
マジでシャーシを切り離そうと、足を下げるハンドルをクルクル回した。



「い・・いやー・・運転手さーん・・。
それは困る・・なー・・・。」




「困るっつったって、俺も明日の仕事決まってるし、
こんなとこで時間かけてらんねーもん。
勝手にしろ。バーカ。」




「わ・・わかった!若いのに手伝わせッから!」



なんだよー。だったら最初っからそうしろよ・・。




その後、活きのいい若いお兄ちゃん達が三人乗っかってきて、
五人がかりで荷物をわっかわっかと降ろした。

って言っても、それでも2〜3時間くらいかかったような記憶だ。


2人で降ろしてたらどうなってたんだろう。



かくして、無事にすべての荷物を降ろし終え、
ケンカした荷主さんも加わって、みんなで缶コーヒー飲んで仲良く一件落着。

帰りは軽やかに帰ってきた。


これももう10年以上前の話だし、今は、重量規制も厳しくなったから、
こんな無茶な積み方させる荷主さんはいないだろう。


と、思う。


と、願う。



だってやっぱり過積載は、「しゃくる」わ、ブレーキは利かないわ、
横転する可能性があるわで、リスクが満載。


実際、俺のトレーラー仲間も、2人くらい横転事故をやっている。


死人が出なかったのが不幸中の幸いだ。



トレーラーで事故ると派手だからねー。何するにも。




たまに、「回転寿司の「エンガワ」は、カラスガレイを使っている。」

なんて話を聞くと、この時の荷主さんを思い出したりする。



そんな思い出。


 
タグ:トラック I氏
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2010年03月19日

【回想録】刺青と子供達。

今日書く話は、今まで、ごく一部の本当に親しい人にしか話さなかったこと。

このBLOGに、回想録を書くかどうするか迷っていたのは、
書くなら、この記事を避けるわけにはいかないから。


が、今、俺の中にいろんな心境の変化の波が起きていて、
そろそろ、いろんな意味で解放したい(されたい)思いが強く、
思いきって書くことにする。




俺には2人の子供がいる。
上は女の子、下は男の子。


子供たちは2人とも、俺にとても懐いていた。

俺も、子供たちを溺愛していた。



俺はトラックの運ちゃんとして働いていたわけだけど、
キツイ仕事をこなせたのは、子供たちがいたからだ。


やっぱり、守るべきものがあるっていうのは強みだね。


自分だけじゃないpowerが生まれる感じ。


が、トラック稼業も、繁忙期になると家にほとんど帰れない。

ピーク時は、1ヶ月の間に、家にいるのが2日とか。


それでも当時、子供たちは俺のことが大好きで、
俺が家に帰ると、ベッタリで離れようとしなかった。


という記憶だ・・。


特に、下の野郎ッ子は、夜遅くに子供たちを起こさないようにそーっと帰っても、
気配を察して起きてくる。

当時2歳。一番めんこい時だ。


で、俺と一緒に風呂に入りたくて、「アー、ウー」って言いながら、
自分で服を脱ごうとする。

すでに風呂に入ったにもかかわらずだ。


で、俺と一緒に風呂に入るとゴキゲン。




今思い出しても、胸がキューンとなるよ。

2人とも、本当にめんこかった。



その後、いろいろあって(その辺は書きたくない)
離婚する事になったわけだけども、
そんな子供たちと別れるのは、身を裂かれるような痛みと悲しみがあったね。


離婚が決まり、俺が家を出て行く日。

最後の思い出づくりにと、遊園地に行った。



当時の嫁さんと俺、そしてふたりの子供たち。

遊園地で思いっきり遊んだ。



そして最後の別れ際。



子供たちには、

「パパはお仕事で遠くに行くんだよ−。」

と言った。



そして、それまで自分が住んでいた家に、当時の嫁さんと子供たちを送り、
自分の家なのに、そこから別な場所に帰らなければならない違和感を感じながら、
子供たちに最後の別れを。

もちろん、子供たちはそんなこと知らない。




上の子が、

「パパー、お仕事頑張ってねー!いってらっしゃーい!」

と。


下の子も、「アーウー」言いながら手を振っている。



俺は、

「じゃーねー!行ってくるからね−。おりこうさんしてるんだぞー。」

って言うのが精一杯。



嫁さんに手をつながれたふたりの子供たちを、
ルームミラー越しに見たのが、最後の姿となった。


ルームミラーから子供たちの姿が消え、
ひとつ角を曲がったとたん、いろんな感情が溢れてきて、
車の中で独り、崩れ落ちるように嗚咽した。


あんな悲しみは、生涯で初めてだ。


12年前の話。




そして、俺は、離婚が決まったときに、刺青を入れようと思っていた。

ライオンの刺青。



子供たちは、ディズニーのライオンキングが好きで、
しょっちゅうビデオを見ていた。

で、なぜか、父ライオンが出てくると、俺の顔を見ては、

「パパ、パパだ!」

と、言っていた。



だからライオンの刺青。


刺青を彫る痛みを忘れないこと、
そして、服を脱いだとき、ライオンの刺青を見るたびに、子供のことを思い出すこと、
それを自分に科したのだった。


まぁ、今思えばなんて安易というか、短絡的なんだろうって思う。


だけど、その時は、それが自分にできる精一杯だったんだな。



ただ、今でこそタトゥースタジオとかたくさんあるけど、
12年前なんて、刺青彫ってくれるところを探すのだって大変。

しかも、業界が業界だしヤクザの友達とかたくさんいたけど、
俺が刺青を入れることは、絶対に言いたくなかった。

特に、親しい友達には。


だから、なんとしても自力で探すしかない。


で、結局、週刊誌の刺青特集なんかによく出ていた、
弘前の彫り師さんを見つけて、コンタクトを取った。


初代奥州彫和先生。


現在は、青森市内にスタジオを構えているようだけど、
当時は、弘前にアトリエ(?)があった。


で、アポイントを取り、雪の降る中、通行止め寸前の東北道を、
当時乗っていたアストロで、ケツを振りながらぶっ飛ばした。


彫和先生に、どんな図柄がいいと聞かれ、ライオンと答えると、

「ライオンかー、トラはあるけど彫ったことねぇなー。」

と。


で、2人で、タトゥー雑誌を見ながら、ライオンの図柄を探し、
だいたいのイメージがついて、いざ彫ってもらうことに。


布団に横になると、先生が、

「あのね、ウチの機械、自家製だから痛いからね。」

「スジ彫りだけは機械で彫るから。

と。



そして、俺の胸元に、人生で初めての針が入った。

頭の先からつま先まで、電気が走るような痛み。


2秒で後悔した。
いやー、自家製だからなのか何なのか、とにかく痛かったよ。マジで。


が、子供たちのことが脳裏をよぎり、とにかく耐えた。


5分もすると、あまりの痛さに、全身脂汗でびっちょり。



先生は、間髪入れずに、針を入れる。

ジジーッ・・ジジジーッと、独特な音が耳に入ってくる。


スジ彫りが終わったころには、もうグッタリよ。



しかし、それではまだ半分も終わっていない。


先生は、あまり痛くてひどいようだったら、
続きは日を改めてでもいいよと言ってくれたが、そのまま続けてもらった。


その後、手彫りでシュピッシュピッと、スジ彫りの中を塗りつぶしていく。

自家製マシンのスジ彫りの痛さに比べたら、手彫りは痛くなかった。


そんなこんなで2時間。


かくして、俺の胸元には、鋭い眼光で睨むライオンが彫られた。


掘り終わった安堵感と共に、俺は一生これを背負って生きるのだという切なさで、
グッとこみ上げてきた。



おふくろ、ごめん。




かくして、彫和先生に別れを告げて、雪の東北道を帰ってきた。

その日は夜から、会社を辞める仲間の送別会があり、
そのまんま飲みに出て、勢いでベロンベロンに酔っぱらった。



何やってんだろ・・。俺。





その後、刺青を入れて、親からもらった身体を傷つけたことで、
おふくろに対しての後ろめたさがあって、
おふくろにだけはどうしても黙っていられなくなった。

おふくろに刺青を入れたことを話すと、最初、ビックリした様子だったが、
事情を話すと、目に涙をためながら聞いてくれた。


本当に申し訳ない。




その、最初の刺青から12年。

その後、さらに2人の彫り師との出会いがあり、
ライオンに加えて、龍や蓮の花などなど、俺の刺青はどんどん広がり現在に至る。


その辺のことは、機会があったら追々書こうと思う。



今、刺青というか、タトゥーは、すっかりファッションとして認知された。

彫り師の数も、劇的に増えた。


そして、刺青やタトゥーが、だいぶオープンになった。



一見、おとなしそうな普通の女の子でも、ワンポイントが入っていたりして、
そういう意味ではいい時代になったなーと思う。



ある意味、子供と別れた悲しみを背負うなどと言って、
気負って刺青を入れた自分が、バカバカしく思えたりもするし、
そんな理由が無くても、もしかすると、ファッション的に刺青を入れたかもしれない。



刺青やタトゥーを入れる理由なんて、100人いたら100通り。


でも、それでいいと思う。


暗くて重い理由や決意が無いと、刺青を入れられない時代は終わって、
オープンなファッションとしてタトゥーを楽しむ。


それでいい。



だけど、俺の中にある真実は、
服を脱ぎ、刺青があることを自覚することで、2人の子供たちを思い出すということ。


俺の真実はそれでいい。



そして、俺のその真実は、生涯続いていくのだ。


 
タグ:回想録 刺青
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2010年03月18日

野●ソで危機一髪。


えー、今日もトラック野郎時代の話ですが、
一部、読む方によっては不適切な表現に感じるかもしれません。

お読みになる際には、自己責任でお願いいたします。




さて、今日は、マジで生命の危機を感じた、ヤヴァイ話を。


もう、引退して12年経ったので、
そろそろカミングアウトしてもいいかなーと思ったから書くけど、
トラック野郎時代、俺は野●ソフリークだった。


トレーラーに乗った初めての冬、岩手県の大船渡から北上まで抜けるのに、
雪の日に山越えをしなければいけなかった。


10トン車やなんかと違って、トレーラーは「ジャックナイフ現象」っていう、
荷台が意図せずガーッと横滑りしてきて、ヘッドと荷台がくの字に折れ曲がってしまう、
とっても恐ろしい現象があるし、初めての雪道の山越えでかなり緊張していた。

山頂に近づくにつれ、雪が多くなってくるし、
電光掲示板に、「山頂付近積雪 すべり止め必要」みたいなサインが出てると、
緊張が高まって、一気におなかが痛くなる。


で、道路沿いの崖っぷちにあるチェーン脱着所にトラックを停め、
たまらず、ティッシュの箱を持って、ガードレールを超えて少し崖を降り、
俺のほかには完全に誰もいない山奥の、
雪が積もった白銀の山あいで、大自然に囲まれながら野●ソをした。


「ヤッホー!」と叫べば、「ヤッホー!」と返ってくるような深い谷。
※実際は叫ばなかったが。


そんな中での、生まれて初めての野●ソ。


そのなんたる開放感。


「あー、俺も自然の一部なんだなー。」

と、大切なことを思い出させてくれる、素晴らしい時間だった。


事が済んだ後は、雪で手を洗って。



そんなこんなで、おかげさまで、出すものを出して気分爽快。

トレーラーでの初の雪山越えは、無事事なきを得たのであった。



それ以来。



都会の雑踏にまみれていても、
おなかが痛くなると、ティッシュの箱を持って、トラックの下にもぐり、
野●ソするのが日常になってしまった。


トレーラーは、けっこう床が高いので、カンタンに下にもぐれるのよ。


で、荷台のサイドバンパーが、うまーく行為を隠してくれる。



トラックのすぐ脇を人が通るような状況でも、
いつ見つかるかとハラハラドキドキしながら、
人知れずトラックの下でふんばっている、そんな状況。

もう病気。




さて、ある日、仲間と2台でドライブインで酒を飲んで、2台並べて駐車していた。


ちょっと話はそれるが、トラックには、運転席の後ろに、
簡易ベッドというか、人が寝られるようにマットが敷いてあり、
そこに布団を敷いて寝る。

夏はクーラーをかけっぱなし、冬はヒーターをかけっぱなし。

窓を開ければ、虫が入ってきたりするから、ほとんど開けない。


いくら布団で寝ると言っても、ずーっとエンジンがかかっているわけで、
やっぱり、静止している状態から比べれば、なんとなく休まらない。


だから、季節が良いときは、エンジンを切って寝る。



で、話は戻って、その日は季節もよく、2台ともエンジンを切って寝ていた。


夜中、酒の飲み過ぎで、おなかが痛くなって目が覚めた。
もう、ドライブインはとっくに閉まっている。


しかも、俺たちが停めた駐車場は、未舗装のただの空き地。



そんなときはいつものように野●ソでしょう。
あたりまえのように、ティッシュの箱を持ってトラックを降りた。


しかし、俺のトラックの下には、大きな水たまりがあって、下にもぐれない。

なので、悪いなーと思いながらも、隣の仲間のトラックの下にもぐった。






ちょうど、事が終わったばかりの時にそれは起きた。





仲間が突然エンジンをかけたのだ!



しかも、俺、まだ拭いてないよ!




「ヤバイ!このままだと轢かれる!」


仲間は、まさか自分のトラックの下でう●こしている人間がいるなんて、
夢にも思わないだろう。


このまま車を出されたら、
ティッシュの箱を抱えた、半ケツの恥ずかしい轢死体のできあがり。

おかあさんごめんなさい。




そんなのは絶対に避けたい。

避けなければならない。




「うぉぉぉぉ!」


と、すごい早さでケツを拭き、ズボンとパンツは半分で、
命からがら仲間のトラックの下から脱出!


心臓バクバク、いやー、危機一髪だったー。

マジで死を覚悟したよ。





と、仲間の知らないところで大騒ぎだったわけだけども、
そんな思いまでしたのに、車が出る気配がない。




あ、あらーん・・。




なんだったのよ。あの大騒ぎは。




結局、寒かったから、
ヒーターを入れるためにエンジンをかけただけだったんだって。


あーあ。


そのことを仲間に話したら、涙流して笑ってたよ。



そりゃそうだよなー。



そんな、命がけの野●ソ。




Yahoo知恵袋 「野グソは犯罪ですか?」

 
タグ:トラック
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2010年03月17日

その先に・・。


我が家では、ニャンは完全室内飼い。

唯一、2階のベランダに出ることだけが、外界との接点だ。


となりのお庭に、ニャンがいるのをクウが発見。







DSCN9635.jpg

あんた誰?








DSCN9639.jpg

ええなぁ・・・。




なーんてこと考えてるんだろうか。


 
タグ:クウ ニャン
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2010年03月15日

曲がらんね。

えー、トラック時代の事を書き始めたら、
思いのほか反響が大きく、いろんな人から喜ばれていることを知った。

ちょっと調子に乗って、また書いちゃおうかなー。



今回は、俺が5年間トレーラーに乗った中で、

一番、「うわー、やべぇー!」

と思った出来事を書くことにする。


ただ、文章でそのヤバさが伝えられるかどうか・・・。




15年くらい前のある日、
猪苗代で荷物を降ろして、関東で積み込みっていう仕事に当たった。


関東に早く着きたかったから、高速に乗りたいんだけど、
猪苗代から磐越道を経由して東北道のルートで行くと、
グルーッと遠回りになってしまう。

なので、地図を見てみたら、国道294号線っていうのが、
猪苗代から白河まで通っている。

白河まで行っちゃえば、東北道のの白河インターがある。


「オォー!ショートカットできるじゃん!」


って思って、294に入ろうとした。



ちょうどタイミングよく、
反対車線から4トン車に乗った無線のメンバーとすれ違ったから
294に入って白河に抜けると言ったら、


「あー!294大型だと・・・・・・・

ガー・・・・・。


っと、ロケーションが変わってしまって、相手の声が聞こえなくなってしまった。



「んー、大丈夫大丈夫!なんとかなっぺー。」



なーんて、のんきに挨拶して交信が終わった。



で、猪苗代から294に入りしばらく進むと、

「この先大型進入禁止」

の標識が。



一瞬不安になったが、そこまでの道路は立派だったし、急いでるし、

「まぁ、国道なんだから大丈夫だべー。」

なんて、たいして深く考えないでそのまんま進んだ。



が、そういえば、会社の先輩がよく、

「3ケタ台の国道には注意しろよ。」

って言っていたのを思い出した。


国道とはいえ、トレーラーでは通れない個所がある場合があると。




でも、入っちゃったものはしょうがない。
とにかく行けるところまで行こうと。


それが間違いだった・・・。




294に入ったばかりのあたりは、住宅街だったし、道路も広くてイイ感じだったのに、
みるみるうちに、深い山に入っていき、民家なんて一軒もなくなった。

あるのは、崖と谷。


道路の幅もどんどん狭くなっていって、カーブのアールもだんだんキツくなっていく。



そんな道路なのに、対向車(乗用車)はバンバン走ってくるもんだから、
ストップ&ゴーの繰り返し。

すれ違いざま、ギリギリの幅で通っていくので、俺も何回もブレーキを踏む。


10トン車の油圧ブレーキと違って、
トレーラーはヘッドもシャーシも、全輪エアブレーキ。

エアの消費が大きい。


ブレーキを何回もプシュプシュと踏むと、エアーが無くなって、
そのたびにエンジンを空ぶかしして、コンプレッサーからエアーをためる。


いやー、その時点でもうイヤになっちゃった。


戻りたい。だけど戻れない・・・。



冷や汗がタラーッ。ハンドルを握る手にも、緊張で汗がびっちょり。

しかも、この先の道路がどうなっているのかもわからない不安。


あーあ・・・。



でも、前に進むしかないのだ。


なんか人生みたいね。




そしてついに、最大の難関が。



道路幅ギリギリ使ってどんなに大きく曲がっても、
どうしても曲がれない、アールのきついカーブにさしかかってしまった。


gake.jpg
イメージ的にはこんな感じ。

ちなみに、この写真よりも、道路幅はずっと狭かった。





Googleマップで見てみると、




より大きな地図で トレーラーで曲がれなかった場所 を表示

この地点。


余談だが、新しくトンネルができて、こんな山道通らなくてよくなってたのね。
俺が通ったときに開通していてほしかった・・・。


いやー、まいっちゃったねー。


で、前からも後ろからも車が来ていて、もう、にっちもさっちもいかない。



頭の中は、




「帰りたーい!」



四面楚歌っていうのは、こういう状態を言うんだな。うん。


気を抜いたらパニックを起こしてしまいそうな状況の中、
かろうじて正気を保ちながら考えた。



その日引っ張っていたシャーシは、たまたま平ボディで、
しかも、とんでもなく古く、ボロで、
床板が所々腐って割れて、大穴が空いているようなシャーシ。

多少ラフに扱っても大丈夫だ。もともとボロいんだから。



しかも、荷物は積んでいない空の状態。



さらに、運がいいのか悪いのか、そのカーブにはガードレールが無かった。



そこで考えた。




トレーラーは、駆動輪がヘッド(チョロQみたいなやつ)の部分。

シャーシのタイヤは、ただ付いているだけだ。



つまり、駆動輪であるヘッドのタイヤさえ生きていれば、
シャーシのタイヤをひとつくらい一時的に崖にわざと脱輪させても、
ヘッドで思いっきり引っ張れば、引っ張り上げられるんではないかと。


ただし、一歩間違えば、ヘッドも崖から落ちて、俺、死亡。


でも、もう選択の余地はなかった。


やるしかない。




そこで、トレーラーには、
すべての車輪をロックさせる、「マキシブレーキ」っていうのがあるんだけど、
いったん、マキシブレーキをかけ、全輪をロックし、アクセルをガンガン空ぶかしして、
減っていたブレーキのエアーが充分に貯まるのを待った。


その間、タバコを吸って、気持ちを落ち着かせる。



で、エアが貯まって、


「さぁ!行くぞ!」


と、マキシブレーキを解除して、思いっきり前に出た。




後ろの車の人が、クラクションを鳴らしながら、窓を開けて、


「タイヤが崖に落ちますよ〜!」


と叫んでいる。




「わかってんだよ!

わかってやってんだよ!
この野郎!」



皆まで言うな。バカ野郎。




で、前にいた車も、一斉にバック。


そして、俺も勢いづけて前に出た。



そしてついに、シャーシのタイヤが、崖に落ちて、


「ゴゴーン!」


という音が。




半ば、ギャギャギャーっとホイルスピンをしながら、ヘッドで引っ張る。




「頼むー!

上がってくれー!」






祈りが通じたのか、崖に脱輪したシャーシが、
ヘッドに引っ張られてボコッと上がってきた。


で、何事もなかったかのように、道路に復活。



後ろにいた、地元のダンプの野郎は、指さして笑ってたね。



でも、笑われても、もうどうでもいい心境。


あーよかった。




で、結局、きついカーブはそれが最後で、あとは大丈夫だった。


無事に4号線に出て、白河インターの看板を見たときは、
思わず涙が出そうになったね。わははー。



そんなこんなの出来事だった。



会社に戻って、先輩にその話をしたら、


「バカだなー。」


の一言で終わってしまった。




俺の中では大冒険だったんだけども。








 
タグ:トラック
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2010年03月13日

50cmの津波でも。

先日のチリ地震、ハイチに続いて大災害となった。

その余波で、津波警報により、常磐線が終日運休。
ウチの店でイベントがあったが、電車が動かなくて来られない方もいらっしゃった。


が、「高さ50センチの津波」って言われても、なんだかピンとこない。


そしたら、こんな動画を見つけた。




高さ50センチの津波っていっても、凄いんだねー。エネルギーが。

被災者の方々にお見舞い申し上げます。


地震、恐い。

posted by わこう at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ヒット動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

はりきりすぎた警察。

先日、久しぶりにトラック野郎時代の事を記事にしたら、
なんか懐かしいスイッチが入っちゃって、
いろいろ思い出したので、またトラックネタで。


今日の話も、15年前くらい前、26歳かそんくらいの時の話。
若気の至りです。



先日の記事に、俺が勤めていたトレーラーの会社は、
「ドレッチ」という、フェリーを使った運送方法だということを書いた。

だから、北海道で積んだ荷物は、
トレーラーの後ろの部分だけがフェリーで仙台港にやってくる。

それを、トレーラーヘッド(頭だけのチョロQみたいなやつね)で港に行って、
連結して関東に走る。


逆パターンで、北海道行きの荷物は、
関東で積んで、仙台港まで陸送してフェリー埠頭で切り離す。

その荷台(俺たちはシャーシと呼んでいた)を、
フェリーに船積みする専門業者が積んでくれて、北海道に運ばれるわけだ。


だから、空車(荷物を積んでない状態)で関東に荷物を積みに行くことも多く、
朝イチで関東で積んで、仙台に帰ってくるのだ。


で、仙台発苫小牧行きのフェリーは、夜8時に仙台港を出発するわけだが、
急ぎの荷物の場合は、関東で積んだ荷物を、
その日の夜8時出港ののフェリーに間に合うように帰ってこなければならない。

俺たちは「当日乗船」と言っていた。


だから、北関東ならまだしも、
千葉や東京、横浜などから当日乗船の仕事に当たった場合は、
積み込みに時間がかかっちゃうと、メシを食う暇もなく走らないと、
当日乗船に間に合わなくなるから、かなり必死だ。



さて、長い前振りになったが、俺はよく、北関東にあるブリジストンの工場に、
タイヤを積みに行く仕事をよく当てられた。

だいたいは、当日乗船の仕事だ。


だから、夜8時出港のフェリーに間に合うように帰ってこなきゃない。


ただ、そのブリジストンの工場は、
荷物がすぐ揃うときとそうでないときのムラがあって、
とにかく早く行って、順番を確保しないと積み上がりがいつになるかわからない。

だから、朝はとにかく急ぐわけだ。



ある日、いつものようにブリジストンの仕事が当たり、
国道4号線を上っていたわけだけど、
無線のメンバーとすれ違ったら、

「仙南のバイパスんとこで、なんか取り締まりをやってたから気をつけろよ。」

と、レポートをもらった。


その日は、タイヤを積むので、アルミバンのシャーシを引っ張っていた。

積み込みだけだから、当然中は空だ。


シートベルトもしてたし、スピードもそんなに出していたわけじゃないから、
スルーできるもんだと思っていた。




ところが。





見張りで立っているおまわりさんを発見したと思ったら、
なんか無線でしゃべっている。


すると、少し先から、おまわりさんがすごい勢いで何人も飛び出してきて、
「ピピーッ!!」と、激しく笛を鳴らしながら「こっち来い!」と止められ、
脇道に誘導された。


俺は、何が何だかわからず、

「え〜?スピード出してないし、シートベルトもしてるべやー!なんでー?」

っておまわりさんに聞いたら、



「運転手さーん、ずいぶん重そうだねー。」

と。



なに寝ぼけたこと言ってんだ?空車だっつーの・・・。


で、

「重いもなにも、空車だってば!」

って言ったら、



「うそつけー!ずいぶん重そうじゃねーか!」


っていきなり威圧的にきたもんだから、プチーンとキレてしまった。


「ウソなんかつくか!バカ野郎!」


って言ったら、


「とにかく降りてこい!」


と。




上等じゃねーか。



車から降りたら、なんか、おまわりさんから婦警さんから、
なぜかテレビ局のクルーらしき人から、署長さんっぽい人まで、
なんだか大勢人がいる。


で、ワイワイ人が集まってきて、囲まれるような感じになってきたもんだから、
俺もだんだんアタマに来て、

「こっちは急いでんのに、変な言いがかりで止めてんじゃねぇよ!」


と、怒鳴ったら、


「なにが言いがかりだ!」



と、返ってきた。



なので、怒りも最高点に達したから、荷台の後ろの観音扉をおもむろに開けた。

もちろん、空だから、なんにも積まってない。



「見ろ?なんか積まってっか?」





「あ、あらー・・・。」





バツの悪そうなおまわりさん。

さっきの威勢はどこへやら。



ワイワイと騒ぎ立てていた、周りのお巡りさんたちも一斉に、




シーン・・・。




俺は、急いでるのに無駄な時間の浪費で怒り心頭。





「この野郎、テメェなにを根拠に重そうだとかぬかしてんだコラ。」


って言ったんだけど、おまわりさんは下を向いて黙ってしまった。



で、署長らしき、偉そうな感じの人が出てきて、


「まぁまぁ、運転手さん、気持ちはわかりますが我々も仕事なもんで・・。」


と、変にその場を丸く収めようとするもんだから、
もう我慢ができなくなっちゃって、


「オメェら大概にしろよ!この野郎!」

「今日積む荷物、
今晩の船に間に合わなかったら
どう責任取んだ?ゴルァ!




って叫んだら、婦警さんは泣いちゃうし、署長さんらしき人はオロオロしてるし、
みんなアワアワになってしまった。



よくよく話を聞いたら、その管轄である、仙南の某警察署で、
初の、ポータブル式重量測定器の導入だったらしく、
そのお披露目というか使い初めの過積載の取り締まりだったようだ。


俺がその時引っ張っていたシャーシは、
アルミバンだったから、重そうに見えたみたいで、過積載しているとふんだようだ。

完璧におまわりさんの早とちりだ。



ふと見ると、確かに、見たこともない、
当時にしてはハイテクそうな機械が置いてあった。



ちなみに、ポータブル式の重量測定器とは、


track4.jpg

こんな感じのもので、大きめの座布団サイズの測定版の上にトラックを通過させると、
そのトラックの重量がわかっちゃうというもの。

※写真はこのサイトから引用させていただきました。



だから、俺のトラックをその上に乗せて測りたかったわけだ。


その機械は、パトカーのトランクにも余裕で入っちゃうから、
いつでもどこでも重量測定ができちゃうスグレものらしい。



15年前にしては、画期的だったよなー。たぶん。



だから報道陣とかいたんだー。

と、その時やっとわかった。



当時からメカものが好きだったし、

「へー、そんな機械があるんだー。」

と、今度はそっちの方に関心が。



結局、俺に威圧的に怒鳴ってきたおまわりさんに対する怒りはおさまらなかったが、
事情もわかったし、もうそれ以上怒鳴り散らすのはやめた。


まぁ、新しい機械の導入で張り切りすぎたんだな。


そう思うことにした。



で、署長さんも、

「本当に申し訳なかった。」と詫びてきて、この件はおしまい。


脇道に入っちゃったし、道路が狭くてUターンできないから、
国道に、バックで出なきゃなかったんだけど、
お巡りさんたち7〜8人が、国道を走る車を完全に止めてくれた上に、
バックの誘導をしてくれた。


大勢のおまわりさんに、
好意的
に誘導してもらう事なんて滅多にない事だからね。



そんなある日の出来事。



まぁ、人間、誰にでも間違いはあるよ。





と、上から目線で言ってみた。


 
posted by わこう at 02:40| Comment(3) | TrackBack(0) | 嗚呼 トラック野郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月12日

Firefox3.6の灯。

俺はパソコンのブラウザは、Firefoxを使っている。

便利な機能が満載で、もうFirefoxから離れられない。


先ほど、Firefoxの最新版である、バージョン3.6が公開されたということで、
早速アップデートをした。


アップデートが終わって開かれる、Firefoxの更新完了ページに、
なにやらおもしろそうなバナーが。

「Firefox3.6のともしび」

と書いてある。


なんのこっちゃと思ってクリックしたら、


tomoshibi1.jpg

こんな感じの、暗闇にぼんやり浮かぶ日本列島。

そして、上の写真にもあるように、時折、ピカッピカッと明かりが点いては消える。



そう。

これは、現在、Firefox3.6をダウンロードしている人がいると灯る明かりなのだ。

リアルタイムで、点いては消えていく。


いやー、おもしろいねー。これ。




で、日本地図の上にカーソルをのせると、


tomoshibi2.jpg

こんな感じで数字が出てきて、どんどん数字か上がってカウントされていく。

この記事を書くのに、数を見てみたら、
わずか10分くらいの間に、400くらいカウントが上がっていた。


それだけ、Firefoxがガンガンといろんな人にアップデートされているわけだ。



ちなみに、都道府県ごとに、ダウンロード数が表示できるみたいで、
宮城県の上でクリックしてみたら、


tomoshibi3.jpg

となった。



いやー、これ考えた人、すげーなー。

見てるのがおもしろくて、いろんな人に教えていっぱいダウンロードさせたくなっちゃう。


Firefoxの灯はこちら。


何も考えずにボーッと見ていても楽しい。


 
タグ:Firefox
posted by わこう at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | パソコン日記。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

ポテチ軍団。

お友達の、エジンバラこといとけんちゃんから、
俺のトラック野郎時代の話を聞きたいというリクエストがあったので、
久々に、カテゴリ「嗚呼 トラック野郎」の更新です。


俺が勤めていたトレーラーの会社の主な荷主さんに、
某有名メーカーのポテトチップ工場があった。

俺らが行っていた工場は、宇都宮と茨城の下妻が多かったが、
特に、宇都宮工場はとても規模が大きく、年間通じてたくさんの荷物があった。


俺がやっていたのは、「ドレッチ」っていう、フェリーを使う運送方法で、
トレーラーは、頭の部分と荷台が切り離せるので、
北海道で収穫されたジャガイモが、荷台だけで仙台港にフェリーで運ばれる。

それを、俺らドレッチ業者が仙台港から連結して走るのだ。


新ジャガの季節になると、他の野菜と相まって、超繁忙期に突入する。

俺がいた会社は、トレーラーヘッドが50台あったが、
繁忙期にはそれでも足りなくて、傭車を何台も使っていた。


新ジャガの時期は、50台のうち半分あまりが、宇都宮のポテチ工場に爆走する。

車が足りないときは、宇都宮1日2本とかいうときもあった。

朝イチで入って荷物を下ろし、高速でぶっ飛んで帰ってきて、
仙台港でまた別な荷台を連結して宇都宮までもう1本走るのだ。


いやー、ハードよ。


その頃のポテチ工場は、各地から来た、ジャガイモが満載のトラックでごった返す。

だから、なるべく早く行って、さっさと荷物を下ろしたい。



が、先日の記事にも書いたが、俺がいた会社は、超ハードワークで有名。

前の日の仕事が早く終わってればまだいいんだけど、
たいがいは、過密スケジュールでの仙台〜宇都宮便だ。


だから、みんなギリギリまで寝ていて、朝5時くらいに慌てて出発。

そして、高速をぶっ飛ばしていくのだ。


今は、高速道路は貨物は全線80キロ規制で追い越し禁止だし、
トラック自体にもリミッターが付いていて、スピードが出ないようになっているが、
当時はリミッターなんて無く、20トン超の荷物を引っ張って、高速を100キロ超で爆走。

もう15年くらい前の話だ。今では絶対に考えられない。


さながら、高速道路が、ジャガイモ引っ張ったトレーラーでキャノンボール状態よ。


無線を積んだトラックは、「今、●●キロポストクリアー!」とか騒ぎながら走っていく。



真夏のすごーく暑いときなんかは、
たまに、荷台のタイヤが、荷物の重さと暑さでバーストする。


俺も経験したことがあるけど、

「ドーン!」

って、でっかい音と衝撃があり、と同時に、煙とタイヤ片が飛び散る。


ビックリするね。あれは。


荷台のタイヤだから、駆動輪ではないので、
バーストしても、コントロール不能になることとかは無い。


無線では、

「あー!バーストしたー!」


「ありゃーなんだべ。先行ってっぞー!」


「おう、先行っててけろー!」



なんて会話がされている。


真夏のバーストは、結構日常的に起こるのだ。



で、俺の会社では、ブリジストンの高速ロードサービスと契約をしていて、
連絡をすると、新しいタイヤを積んだワンボックスがワンダバダーと来て、
路上でタイヤを組み付け、レースのピットさながら、
インパクトレンチでガガガーッと、あっという間にタイヤ交換してくれる。

非常にありがたかったねー。


余談だが、俺がトラックに乗りたての頃は、
大型車はチューブタイヤを使っている会社が多かったが、
チューブタイヤでバーストを起こすと、
タイヤの縁を押さえる、鉄のリングがあるんだけど、
それがすごい勢いで吹っ飛んでいって、後ろを走っていた乗用車などに当たり、
死亡事故が起きるケースがあったりして、非常に危険。

だから、俺の会社では、全車チューブレスタイヤだった。


チューブレスだと、バーストしても、タイヤ片しか飛び散らないから、
チューブタイヤよりはまだ安全だという判断だったんだと思う。



そんなこんなで、宇都宮に向けて高速を走っていると、
早朝にもかかわらず、たまにタイヤ片が落っこちているのを見つけると、

「ひょっとしてウチの会社の誰かがバーストしたのか?」

って思いながら走っていると、だんだんタイヤ片が多くなっていって、
その先に、ほぼ100%ウチの会社のトレーラーがバーストして路肩に停まっている。


いやー、おかしかったねー。

腹抱えて笑いながら、追い抜きざまに、

「ブオッブオーッ!」

と、ホーンを鳴らすと、バーストしている車も鳴らし返してくる。



そんな、早朝の高速キャノンボール。(笑)


かくして、そんなポテチ軍団が運んだジャガイモで作られるポテトチップ。


今、スーパーでもコンビニでも、ポテトチップのコーナーには、
ものすごい種類と数のポテトチップが並んでいる。

それだけ、ポテトチップの需要が多いということだ。



そんなニーズを、陰で(?)支えている男達がいることを伝えたかった。


現在は、速度も重量も運行管理も、それぞれ厳しくなっているから、
そんなキャノンボールじみたことなんて絶対にできないけど、
そんな厳しい状況下でも、俺の当時の相棒もまだ現役で走っている。

今年も繁忙期には、ポテチ軍団でごった返すんだろうなー。




トラックを引退してもう12年。


今でも思い出す暑い夏。


 
posted by わこう at 17:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 嗚呼 トラック野郎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月10日

カオス通販動画集。


YouTubeで見つけた、カオスな通販番組の数々。

いやー、抱腹絶倒です。



ヤラセだろ-。これー。


3連発でどうぞ。




カオスな入れ歯洗浄剤。









カオス通販集。










峰隆太がヤヴァイ!(笑)

通販番組ではあり得ないカメラワークが必見!




ヤラセだとわかっていてもおかしい。


さらに、みんな真面目なところがおかしい。



いやー、カオス。


 
posted by わこう at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ヒット動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

【回想録】順応とシフト。

このBLOGに何回も書いているが、俺は昔、トラックの運転手だった。


トラック時代のエピソードは、カテゴリ「嗚呼トラック野郎」でどうぞ。



23の時に結婚し、
それを機に、大型免許を取ってサラリーマンから転身したのだ。

時代は、まだバブルの名残があったから、仕事はたくさんあって、
トラック未経験でも雇用してくれる会社が多かった。


それまで、4トン車だって運転したことがなかったのに、
佐川急便の路線便で主に名古屋まで走る長距離で、
いきなり10トン車に乗ることになったのがはじまり。


それまで、サラリーマンのぬるーい世界から一転、
男臭く、荒い環境に飛び込んでしまったわけだ。


最初に入った、佐川の路線便の会社は、今思えばとても条件が良かったんだけど、
当時、新婚だったこともあり、長距離で家を空けっぱなしが辛かったんだよね。


なので、10トン車で長距離を走るよりも、
さらに大きいトレーラーで中距離(関東圏)を走った方が、
給料は同じくらいでも、家に帰る機会も増えるんじゃないかと考えた。

そこで、かなりきつかったんだけど、
長距離で仙台に帰ってきた合間の時間で自動車学校に通い、
けん引免許を取った。


そして、仲の良かった無線仲間の口利きで、
仙台港界隈では仕事がきつくて有名な会社に、
求人なんかしていないのに、半ば無理やり雇用してもらった。


これが地獄の始まりとなったのだった・・。



その会社は、給料は良いけど、仕事はかなりキツイ事で有名で、
新人が入っては、続かなくてすぐ辞めてしまう。

そんな中、俺は久々のルーキーだったわけだ。


入社して間もないころ、ある先輩から、

「新人は、最初、根性試しをされるから覚悟しろよ−。」

って言われた。


そして、その助言通り、入社してすぐ、とにかく配車係の根性試しが始まった。


あたりまえのように、関東便の折り返し。

月曜→仙台〜宇都宮

火曜→仙台〜那須

水曜→仙台〜千葉

木曜→宮城県内便3本

金曜→仙台〜東京

土曜→東京〜八戸


みたいな、

「俺はいったい、いつ寝ればいいんだ?」

っていう、とんでもない配車。


今では考えられないね。こんなの。


長距離の時より家に帰る機会が増えると、希望に満ちて就職したわけだけど、
その希望は粉々に砕け散った。




しかも、トレーラーだし、北海道の荷物を扱う会社だったから、
パレット積みとかなくて、ほとんどが手積み手降ろし。


さらに当時は、今ほど過積載にそんなに厳しくなかったから、
30トンだの40トンだのあたりまえ。

米だの肥料だの野菜だのジュースだの冷凍食品だの、
全部手積み手降ろし。

なんで北海道便なのに関東圏に走るのかは、この記事をどうぞ。



いやー、眠い目をこすりこすり走って、
着いたら終わりじゃなくて、そこから何十トンもの荷物の積み卸しをしなきゃないのだ。


そりゃあ、新人が入ってもすぐ辞めていくわなー。


俺の後にも、何人か新人が入ってきたが、
パンチパーマでガタイが良くて気合いが入ってそうなヤツも、
1日も持たずに辞めていくなんて、ザラにあった。



そして、そのキツイ配車に加え、先輩たちのイビリ。


それまで、佐川の路線便だったから、箱車しか乗ったことがない。

だから、平ボディでロープ掛けとか、シート掛けとか、全くやったことがない。


そんなもんだから、とにかく何をやっても遅い。
いつも先輩に怒鳴られていた。


「まったく使えねぇヤツだ・・。」と、面と向かって言われたこともあった。



それなのに、当時の俺は、いっちょまえにヒゲを生やし、
茶髪や金髪にブリーチし、ヤクザメガネをかける、そんな成りだったから、
生意気に映ったんだろうな。


だから、荷主の場所を先輩に尋ねても、知ってるくせに教えてくれなかったり、
「どうせ辞めるんだろ?」みたいに嘲笑されたり、
いい年したオッサンたちがチクリチクリと責めてくる。


当時の俺の職場には、元ヤクザや現役ヤクザ、
元犯罪者や、多額の借金を背負った人、人を殺してしまった人などなど、
まーずバラエティに富んだ人たちの宝庫。

しかし、そのキツイ仕事を何年、何十年とやっている、
要は、「生き残った」人たちで、一言で言えば「猛者」だ。

ある意味、クレイジーな人たちだ。

みんな丸太のような腕をしてたし、ケンカしてもかなわないだろうな-と。




正直、面食らった。

こんな世界があり、こんなクレイジーな人たちがいるのかと。



悔しくて、すべてにおいて敗北した気分。

毎日が灰色。




その会社に入ったことを何回も後悔した。


だけど、友達に口利きしてもらった手前、辞めるに辞められない。

友達の顔にドロを塗りたくなかった。



ある先輩に、仕事を覚えるまでどのくらいかかったか聞いたら、
「2年かかった。」という答えが返ってきた。


「2年かー・・。長げーな・・。」


とは思ったが、

「よーし!とにかく仕事をガシガシやって、早く仕事を覚えて、
2年経ったら、こんな会社辞めてやる!」


というのを目標に、とにかく仕事をした。


配車係から、メチャクチャな配車をつけられても、
絶対に「できない」とか「不満」は言わず、淡々と仕事をした。

シート掛けやロープ掛けは、スピードよりも、安全性や丁寧さを重視して、
とにかく時間がかかってもいいから丁寧にやろうと決めた。


一ヶ月、また一ヶ月と経つたびに、

「今月もやれた。」「今月も大丈夫だった。」と、経験が積み重ねられると同時に、
それが自分への自信に変わっていった。


先輩と現場で一緒になっても、怒鳴られたりすることが無くなっていった。



そんなこんなで3か月、半年と過ぎるうちに、

「おー、わこう、明日はどこや?」

「いやー、しかしオメー、よく走るよな-。」

「いつまで配車係の根性試しが続くんだかな!ガハハ-!」


と、先輩たちから声をかけられるようになった。



いやー、なんか、はじめて自分の存在が認められた感じがしてうれしかったねー。
入社したてのころチクチクいじめられた事なんて、もうどうでも良かった。


そんなこんなのうちに、入社から10ヶ月目。

やっと俺の後に、ガッツのある新人が入ってきて、根性試しはその新人に向けられ、
ちょっとだけ仕事がラクになったのだった。


後輩ができると、俺も負けてらんねぇって思って、ますます仕事を頑張る。




そして入社から2年。



会社からも先輩からも認められるようになり、
その後の新人指導なんかを任されるようになった。

2年経ったら辞めてやるって思っていた会社だったが、
気がつけば、とても居心地がいい場所に変わっていた。

人間関係も円滑。


その会社では、人間性ももちろん見られるけど、
それよりも、仕事ができるかどうかが価値基準だった。


そういう意味で、俺は生き残ったわけだ。


先輩たちの腕を見ては、いつも「丸太みたいだなー。」って思っていたけど、
いつしか、俺の腕も丸太になっていた。

Tシャツの袖がパッツンパッツンになってたし。



最初は、人生で最悪の会社に就職してしまったと思ったわけだけど、
結局、5年勤め、最高に楽しんだ。


その後、おふくろから花屋を始めると突然の連絡があり、
それを手伝うために、トラックを引退することになったわけだ。

花屋への転身の話は、この記事をどうぞ。



結局、その会社での5年間を振り返ってみてつくづく思うのは、
人は、どんな環境にでも順応する力が備わってるんだな-っていうことだ。


入社当初、人生灰色、もう地獄以外の何物でもなかった会社が、
退社の頃は、離れがたく、とても大切なものになっていた。


もちろん、積み上げていったものもあったわけだけど、
それよりも、俺の中の意識が変わったから、俺から映る世界が変わったんだと思う。

基本的に、会社も人も変わっていない。


変わったのは俺だ。

俺の捉え方だ。



だから、否定的だったものが、180度ひっくり返って大切なものにシフトする。

答えは自分の中にある。



そして、多少時間がかかっても、必ず人間は環境に順応していく。


だから、出口が見えないようでも、必ず出口がある。


宇宙の法則の中にも、

「始まりがあれば終わりがある」

というものがあるけど、聞けばあたりまえに聞こえるけど、
これはとても深いな-と思う。


もちろん、ポジティブな終わり方もあれば、ネガティブな終わり方もある。


だけど、どうせだったらいい結果を作りたいよね。誰だって。

だから、一日も早く意識をシフトして、順応していけばいいのだ。


だって、誰も何も変えてくれない。

自分に映る世界は、自分で変えていくしかないのだ。


社会がどうだだの、あの人がどうだ、会社がどうだという前に、
自分がシフトした方が早い。


そして、さっさと順応してしまえば、したもの勝ちだ。



と、そんなことをトラックの運転手を通じて学んだのだった。



wako92.jpg
現役のころの俺。


 
posted by わこう at 03:33| Comment(1) | TrackBack(0) | 回想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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