
3日前の、12月21日、俺が最も多く通っていた飲み屋の愛すべきオヤジ、
あべひげさんがお亡くなりになった。
ひげを生やした、あべさんというオヤジがやっているから「あべひげ」。
客に向かって
「ばぁかっこの!」だの、
「オメーら、飲め!」だの、
「俺、寝っからオメーら勝手に飲んでて。」だのって言う、まーずとんでもない、愛すべきオヤジだった。
俺があべひげに通い出してかれこれ6〜7年になるかなー。
当時、あべひげの近所の、立町に引っ越したばかりで、
行きつけの飲み屋が無かったころ、友人に教えてもらったのが始まり。
最初っからあべさんと意気投合して、とにかく通った。
多いときは週に3〜4回通った。
通うたんびに、友情みたいなものが芽生えていって、
あべさんは俺にいろんな事をしてくれた。
「おめぇ、一人暮らしなんだろ?持ってけ。」
って言って、ランチ用に仕込んだカレーが、大きいタッパーにビッチリ入っていたとか、
俺が入院したりなんだかんだでしばらくあべひげに行けない日が続き、
しばらくぶりに予約を取ったら、
サプライズでスペアリブをタップリ焼いて待っていてくれたとか、
「大食漢の友人を連れて行く」と予約を入れたら、
予算をはるかにオーバーする料理を用意しててくれたり・・・
まだまだあべひげさんにしていただいたことがいっぱいある。
だから俺も、あべひげにはたくさんの友人や知人を連れて行った。
100人は軽く超えると思う。
毎月定例の、自然食を考える男の会も、
あべひげをホームグランドにしてまる2年。
毎月必ずあべひげに通っていた。
みんなあべひげを気に入っていた。
6月に亡くなった、あべはりさんも、あべひげを気に入っていた。
行くたんびにあべひげさんは、
「わこう、いつもありがとな。」って合掌していた。
もう、お店の店主と客っていう関係性をとっくに通り越して、
お互い、友達だと思っていた。
あべひげさんは、去年の暮れに体中あちこちに腫瘍が見つかり、
今年の初めに、大手術をして、奇跡の復活を遂げた。
ように見えた。
が、退院後のあべさんは、激ヤセして、最初見たとき、誰かわからなかったほど。
それでも、抗生剤を飲みながらお店を続けていたのだ。
11月の男の会で会ったのが、あべひげさんを見た最後の姿となったわけだけど、
もう、すっかり憔悴しきって、
思わず、「なんだべー。大丈夫?」と、声をかけずにはいられなかったほど。
その時、あべひげさんは、じーっと俺の目を見て、深くうなずいていた。
初めて見た、あべさんのそんな姿。
思わず、グッとこみ上げるものがあった。
今思えば、あべひげさんも、何か感じるものがあったんだろうかとも思える。
6月に、あべはりさんが亡くなり、そのことをあべひげさんに伝えたとき、
「はー・・・。」と大きなため息をついたあと、いつになく真剣な様子で、
「子が親よりも先に死ぬなんて悲しすぎる。絶対にダメだ。
おめぇら、絶対に親より先に死ぬんじゃねぇぞ!」と、力説していたのが忘れられない。
いやー、しかし、体調が悪そうだったから、ある程度覚悟はしていたものの、
やっぱり悲しい。
心にポッカリと穴が開いてしまったようだ。
7年間築き上げてきた友情。
そして、男の会の、ひいては、俺のホームグランドが無くなってしまった喪失感。
あべはりさんに続いて、あべひげさんかよー。
なんで今年は、大切なあべさんが二人も死んじゃうんだよ−。
勘弁してくれよー。もう。
こんなに悲しいのはもうたくさんだよ。
最後まで好きな酒を飲んで死んで本望だなんて言いたくない。
悲しいものは悲しい。
あべひげさんは、医者から酒をストップされてたのに、
「死ぬときは死ぬんだ。」って言いながら酒を飲んでいた。
でも、こんなにあっけなく逝っちゃったら、シャレにもなんねーよ。あべさん。
この記事を読んで、何か感じるものがある人がいたら、
少しでもいいから、自分を今よりももっと大事にしてあげてください。
俺は、「マクロビオティック」、「陰陽五行」というツールを使って、
できる限り、そんな人たちが改善していくお手伝いをしていきたい。
俺のキャパを超える相談だったら、
いろんな方面に相談できるその道のプロがいるからつなぐこともできる。
もう、悲しいのはこりごりだ。
今回のあべひげさんの死から、そんな思いを新たにしたのだった。
あべひげさん関連の過去記事。
・あべひげと愚連隊・仙人像とあべさん
あべさん、今まで本当にありがとう。
そして、お疲れさま。
安らかにお眠りください。