先日逝ったあべさんの、お通夜と葬儀が終わった。
ご親族の想像をはるかに超える、大勢の参列者がきていて、
用意した香典返しが全然足りなかったと聞いた。
だがしかし、俺ももうそれなりの歳なので、
お通夜や葬儀に参列する機会も増えてきたが、
こんなに愛と悲しみが渦巻く葬儀は初めてだ。
あべさんの生きざまの賜だな。
どれだけ多くの人が、あべさんの死を悔やんでいることか。
そして、あべさんが、どれだけの人に貢献してきたか。
こんな時に使っちゃいけない言葉かもしれないけど、
実に天晴れな生きざまだと思う。
それだけに、俺も泣きっぱなしだったけど、
終始、方々からすすり泣きが聞こえてきた。
本当に、辛く悲しい葬儀。
みんなあべさんを愛してるんだな。
生まれて初めての弔辞を読ませていただいたが、
一応、箇条書きで原稿らしきものは作ったものの、
結局感情がグワーッときて、最低限言いたいことは言ったけど、
1回も原稿を見ないで終わってしまった。
なんだか、イマイチ何を言ったのか、
脈略はどうだったのかは覚えていない。
ちなみに、今日はこんなことを言いたかった。(PDFファイル90k)今日の葬儀で、いろんな人と悲しみを共有して、
泣いて泣いて泣きまくったら、少しスッキリした。
あべさんが亡くなってから4日間、
あべさんが、それこそ命をかけて俺たちに教えてくれたことや、
あべさんの死に、あえて意味付けをするなら、
このことをどう解釈すればいいのかを、俺なりに考えた。
あべさんが亡くなった6/28の日曜、29の月曜と、
いろんな人と電話で話したし、いろんな人が、店に来てくれた。
まず、訃報が広がるスピードというか、
そのネットワーク網のすごさにビックリしたし、
そして、そこに愛があった。
久しぶりに会ったり話したりした人も多かったが、
みんな、必死であべさんの死から何かを感じ取ろうと、
いい意味で、ベクトルが同じで、共鳴が共鳴を生み、
そして、悲しいんだけど、みんな愛に溢れていた感じがする。
だって、あべさんみたいに絶対に死なないような人が、
ある日あっけなくこの世を去ってしまったらさ、
大切な人を、もっといたわろうとか、気遣おうとか思うよ。やっぱり。
みんなが優しい気持ちになって、愛が溢れていた。
だから、弔辞の時にも言ったんだけど、
あべさんの死を悔やむ思いを、いろんな人がBLOGやmixiに綴っていたけど、
俺が見るかぎり、誰ひとりとして、誰かに責任を追及したり、責めたりしていない。
あらためて言うが、これはあべさんの生きざまの賜だと思う。
こういう時って、つい誰かに責任の矛先を向けたりするもんだ。
その方がラクだもん。誰かを責めていたほうが。
だけどみんな、「あべさんと自分」という関係性や、その意味と向き合って、
あべさんの死を受け入れようとしている。
すごいことだなーって思ったよ。
あべさんのスピリッツは、ちゃんとみんなに伝わっているんだ。
で、ここから先は、何の根拠もない、俺個人の勝手な見解なんだけど、
あえてあべさんの死に意味付けをするなら、
あべさんは、もう、この世の修行を終えたんだと思いたい。
むしろ、あの世で必要な人というか。
こんなこと書いたら、無責任だと思われるかもしれないけど。
俺は、俺の親父が死んでから、それまでにも増して、
不思議なシンクロがおきまくったりして、
見えない力に守られてるというか、導かれているというか、
そんな気がしてならない。
ある意味、2004年の暮れに、
事故にあって右足に障害を負ったことも、
今となっては、それが無ければ今の俺はあり得ないというくらい、
俺にとって、人生の大転換期であり、必要な出来事だったんだと思う。
それは、親父があの世から、
いろんな力を使って操作してくれているような気がするのだ。
あべさんは、今度はあべさんが大切にしている人のために、
あの世からいろんな力を使うために、選ばれた人なんじゃないかと。
何度も書くが、これはあくまでも、俺個人の希望的観測というか、
そうあってほしいという願いに近いかな。
目に見えない世界の話だし、そもそもそんな世界があるのかすらわからない。
だけど、なにかこの辛い死に、ひとつでも、良い意味付けをしたいじゃないか。
そう思いたいんだよ。
じゃないと、心が折れてしまいそうだ。悲しすぎて。
今回のあべさんの死で、
「もっと●●していたら。」とか、「●●していれば・・。」とか、
たくさんたくさん聞いたけど、
後ろ向きな「たられば」は、もうやめよう。
そこからは何も生まれない。
自分を責め、辛く悲しくなるだけだ。
たぶんあべさんもそれを望まない。
「あのとき、もっと●●しておけばよかった・・。」って後悔するくらいなら、
出る杭は打たれるくらいの図々しさがあったほうがいいんじゃないスか?
なんて、飄々とした口調で言うんだろうな。あべさんなら。
そして、生きていればこその幸せを見つけたり、共有したり、
そんな連鎖の積み重ねが、充実した人生になる秘訣のような気がする。
あべさんが俺たちに命がけで送ってくれたメッセージ。
胸に刻みながら、一瞬一瞬を大切に、丁寧に生きていきたい。
四十九日が終わったら、あべさんを偲ぶ会をすることにした。
詳細はこれから決めます。
ちなみに、あべさんの四十九日は、8/15です。
あべさん、今まで本当にありがとう。
どうか安らかにお眠りください。
また来世でビール飲もうな。