最近、俺の愛車だった、ダッジくんの記事をいろいろと書いてきた。
過去記事はこちら。 3月の末にナンバーを切って、店の前に置いておいたのだが、
いつまでもそうしているわけにはいかないので、いよいよもって廃車かと、
半ば覚悟をしたいたものの、なかなか実行できずにいた。
そんな最中、突然一通のメールが。
以下抜粋。
私は福島でネットを使い中古車屋をしているのですが ダッジラムバン、しかも旧型が好きで 昨年、自分で乗ろうと思って仕入れたダッジが お声がかかり売れてしまいました それからもやっぱりダッジに乗りたいと思って探していますが なかなかダッジに出会えないのです
もしダッジの引取先が決まっていないようでしたら 引き取らせてもらえないかと思いメールしました また、ブログで次のクルマが決まっていないと書いてあるのを 拝見しました
車検がある車との物々交換でも結構です
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な・・なにぃ〜ッ?数ヶ月車無しの生活を覚悟していただけに、
なんだか天から降ってきたような感じがした。
福島で、中古車屋さんをやっている、大野さんという若い熱血社長だった。
大野さんが書いているBLOGはこちら。 そこで、早速連絡を取り、本当にあちこちガタが来ているので、
かなり手を入れないと絶対に乗れないという旨をお伝えしたのだが、
「それでもいいです!」 と。
確かに、車屋さんをやっている人だったら、
何かあってもいろんなブレーンを持っているわけだから、
むしろ俺が乗り続けるよりもダッジくんを大切にしてくれるんじゃないかと思えた。
っていうか、大野さんのダッジくんに対する思いの強さに打たれた。
で、4/7に大野さんが、物々交換するという車に乗って仙台まで来てくれた。
しかも、奥さんと一緒に。
大野さんは、BLOGで見るよりもエネルギッシュな感じで、
非常に好感が持てる「好青年」という感じ。
車の好みも、車への思いも、非常〜ぉに俺と似ていた。
実は大野さん、この日まで奥さんにダッジくんの事を内緒にしていて、
半ばサプライズのノリで、奥さんと一緒に喜びを分かち合うことにしてきたという。
とにかく大野さん、ダッジくんを見て半ば興奮状態。
エンジンをかけたり、不具合の箇所を説明したり、使い方の説明をしたり。
しかし、大野さんのダッジくんへの思いの強さは揺るがないようで、
俺も、大野さんにだったらダッジくんを安心して託せると思った。
で、俺のダッジくんの書類一式を渡し、大野さんに譲渡することに。
そして、大野さんが物々交換として持ってきてくれた車は・・

ヨーロッパフォードのモンデオワゴン。
フォードが、ゴルフやオペルを意識して開発した車で、
日本ではマイナーだが、ヨーロッパでの評価は非常に高い車だ。
フォードと言えばアメリカなのだが、この車はヨーロッパ車なのだ。
大野さんのところでバリバリの売り物なんだけど、
この車をダッジくんと交換してくれるのだという。
なんだか逆に申し訳ないような気がする・・。
で、俺も大野さんからモンデオの書類一式を受け取り、物々交換完了。
は〜・・。ついにダッジくんとお別れだ・・。
大野さんはその足で区役所に仮ナンバーを申請するのと、
仙台観光のために、バスで奥さんと区役所に向かった。
しかしその日、俺と、一緒にショップをやっている13うさぎ(ちゃん)は、
外部講師として出かけなければならず、
俺たちは夕方早い時間に店を閉めて出かけた。
結局俺は、大野さんがダッジくんに乗っていくところを見送ることができず、
店に戻ったときには、駐車場にダッジくんの姿は無かった・・。
もし、ダッジくんが大野さんに乗って行かれる姿を見たら、たぶん俺は号泣していたと思う。
ダッジくんが停まっていた駐車場がポカンと空いていただけで、も〜ダメよ。
泣きたいのをずっと堪えていた。
6年は長いよ。やっぱり。
いろんな思い出が、頭ん中でガーッと・・・。
でも、こういう最後でむしろ良かったんだと思う。
なんだかしみったれた感じになっちゃうし・・。
夜、大野さんに電話したら、無事に帰られていたようで、安心した。
「もっと程度が悪いのかと思ったら、全然大丈夫ですよ!
わこうさんが大事に乗っていたのが伝わってきます。」 と。
こうして、俺とダッジくんの6年の関係は最高の形で幕を閉じたのだった。
ダッジくん、6年間、本当にありがとな。
大野さんという新しいオーナーに、大事に乗ってもらうんだぞ。
そして、ダッジくんの忘れ形見モンデオちゃん。

愛称モンちゃんに決定。
大事に大事に乗っていきます。
ダッジくんが最後の最後に仕組んでくれた奇跡。
この奇跡を絶対に忘れない。